風越のいま 2021年1月17日

かぜのとおりみち惑星の朝

本城 慎之介
投稿者 | 本城 慎之介

2021年1月17日

昨日、久しぶりにまるっと一日前期の活動に参加しました。<かぜのとおりみち惑星>で過ごした朝のちょっとした雑感を。

登園した人からそれぞれの遊びを展開し、全員が集まったところでのバナナおにとケイドロ(警察と泥棒)。朝のつどいをするまでのたっぷりとした時間。

バナナおにもケイドロも子ども主導で進む進む。鬼は誰か、警察と泥棒にどう分かれるか、何分やるか、スタートのタイミング、終わりのタイミング。ぶつかり合いが起こってもなんとか自力解消できる。年齢が近いから(年長と年中)、誰も力を抜く必要がなく、全力でやれる。

これが5学年くらいの異年齢で一斉展開すると、別なことが起こるだろう。歴然とした力の差を前に起こる遠慮や配慮。学年近い子同士の活動の良さは確実にある。

バナナおにとケイドロを見ながら思い出したこと。「手の倫理」(伊藤亜紗)で紹介されている体育科教育学専門家の言葉。

「体育の授業が根本のところで目指すべきものって他人の体に、失礼ではない仕方でふれる技術を身につけさせることだと思うんです」

フィールドで思う存分に動き回ることを通じて(あえて動いていない人も含めて)、自分の体を見つめつつ、他の人の体も見つめ、ケアする時間。

かぜのとおりみち惑星の朝のつどいは圧巻でした。育ってるなー。いい場、いい関係ができつつある。

朝のつどいでは、それぞれがタイヤや切り株に座る。ところが、つどいの場所にはタイヤや切り株が人数分ない。ない人は自分で運ぶ。けっこう時間がかかる。それを誰も手伝わない。だが、先に座っている人はしっかり待っている。

あらかじめ人数分揃えておくこともできる。手伝いを促す声をかけることもできる。でも、それを大人がしていない。

「手伝ってあげるよ」という子が誰もいないことへの見方は分かれるだろうけど、僕はそれは「あの子は自分で運べるはずだ」という仲間への信頼が、かぜのとおりみち惑星の子どもたちにはあるんじゃないかと受け取った。だからこそ、仲間が運び終わるまで待てる。

「おもちつき」の手遊び。2人一組になる場面。ユーミンの声かけは「2人一組になって」だけ。「近くの人と」とか「隣の人と」という声かけがない。

これがあるかないかってけっこう大きな違いを生む。(ユーミンがそれを意識しているのかどうかはわからないが。)大人の声かけが、丁寧なんだけど必要最小限というのは、僕は好み。

誰と2人一組になるかを自分で決める。両隣の人が別な人と組んじゃったら、自分で探しに行く、声をかける。これも2人一組になるまでに時間がかかってたけど、育ちには必要な時間。適切に時間をかける保育。

「自分で決める、自分たちで決める」というのは歌の場面でも。北風小僧の寒太郎を歌うのだけど、歌い出しのタイミングは子どもたちが決める。「せーの」とか「さんはい」とかで大人が主導しない。

子どもたちの中の誰かが声をかける。間合い。間を詰める。間をとる。誰がどのタイミングで声をかけるか、子どもたちの心の中で色々起こっているんだろうな。

最初に「さんはい」と言った子がいたが、みんなは歌い始められなかった。おそらくみんなの「間(ま)」がそこじゃなかったんだろう。別な子が別なタイミングで声をかけて歌が始まる。

鬼ごっこを子どもに委ねる。「隣の人と、近くの人と」という言葉を省く。「せーの、さんはい」という言葉を省く。子どもが自分で、自分たちで決める。ここまで子どもたちが育つの、時間がかかっただろうなぁ。が、そうしようと大人が思ってそういう関わりをしないと、この子どもたちの育ちはない。

ここからの2ヶ月、さらにグッと育つには、何を仕掛けていくといいだろう?僕ならどうするか。お楽しみに的な何か、みんなでつくりあげていく行事的な何かというよりも、何か思いっきり泣いたり怒ったりするくらいの高いハードルがあって、それを全員で日々チャレンジする。そういうものがあってもいいような気がしたし、この子たちならやり遂げそう。

ユーミンより一言:
「やっとしんさんをバナナにできる」とはりきってのバナナ鬼9分間、面白かったしキツかったー。
そう、残り2ヶ月。りりーとも具体的に話さず、とりあえず様子見の今週。
私からは「自分で自分の自分たちの生活をつくってください」という言葉を送っています。その結果、今グラウンドのど真ん中に<かぜの通り道>を作り始めている。さて、ここからどんな刺激・試練・嫌がらせをしようかな?他のスタッフも一緒にイタズラしてやりましょー。
2人一組をつくる場面、かぜのとおりみちでの活動が始まった最初はそれこそそれまでのホームの結束が強かったから、あえて「男の子と女の子が交ざって」「違うホームの子と」とか声かけしてました。そこまでしないと、この惑星人たち、賢くて先住民が指定しないと新しい人を求めなかったのよ。そこからの今です。受動的な中に能動的な要素を入れるの結構好きなんだよね。
またフィードバックもらいに行きます~。

本城 慎之介

投稿者本城 慎之介

投稿者本城 慎之介

みんなが同じ方向を見て、同じものを手にして、同じことを学ぶ時代は終わりました。どんな世界を見るのか、どんなものを手にして、どんなことを学ぶのか。それを一人ひとりが決める学校を創ります。そのような学びが展開される学校では、大人の在り方は大きく変わります。大人が学び続ける組織を創り、新しい学校の姿を提示していきます。

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