風越のいま 2020年11月22日

あなたはまだ、知らないかもしれない。

臼田 亜由美
投稿者 | 臼田 亜由美

2020年11月22日

最近、かぜのとおりみち惑星(ホームとは別にある年齢や発達段階の近い子どもたちのグループ。3つの惑星がある)の17名は勢いに乗っている。

かぜのとおりみち惑星が出来た3ヶ月前、先住民のりりーとユーミンの提案に対して、ヤダヤダ星人なんじゃないかと思うくらい「ヤダ」を連発していたのに、今や「いいじゃん」「やってみようよ」「イエーイ」という言葉がよく出てくるイエーイ星人に変化しているのだ。その変化は、主張と協調、安心、達成感から起きているように思う。

地球に生まれて4・5年の地球人たち。どうやらすでに勝ち負けの負けや否定されること、ネガティブなことが起きることがイヤだという感情があるようで、そこに対して、向き合えず逃げる、相手に合わせる、そんな姿が見られた。決して悪いことではないし、身を守る1つの手段だからいいけれど、いいじゃん、ここ惑星じゃん、場所も自分自身も開拓して惑星人になろうよ、という気持ちになる。

そこで、先住民(ユーミン)から、「ヤダっていう気持ちも大事だけど、1回はやってみよう。そこでやってみて、どうしたいか考えよう。だから始めの言葉は『ヤダ』じゃなくて、『やってみよう!』だね。」と1つ提案してみた。

ヤダヤダ星人の気質だけでなく、相手に合わせるところもあった地球人たち。「そうだね。そうしよう」と相手(この場合は私)に合わせてきましたよ。(ここで補足をしておくと、地球人の「ヤダ」って意味は、面倒くさい、早く地球に戻って自分の言うことを聞いてくれる人間と遊びたい、自分の好きなことだけやりたいの「ヤダ」で、こうしたいという自分の意思を強く持っているイヤではなかった。)

勝負だけども

「やってみよう」の地球人に何を仕掛けるか、ここはとっても重要なところ。そこでやったのは、警察と泥棒=ケイドロ。ルールは、警察が泥棒を捕まえる。捕まった泥棒は牢屋に入れられる。仲間の泥棒が鍵となる物を倒せば、逮捕された泥棒は脱獄できるという簡単なルール。

このケイドロ、個人戦でもあるし、団体戦でもある。「きょう、1かいもつかまらなかった」「おれ、かぎたおした」「5にんもつかまえちゃった」という部分と、連携プレーで相手を捕まえる、もしくは助けを呼ぶ。これが地球人にとっては、お互いの関係性を構築していくことと、惑星人になっていくきっかけだったように思う。

そこからのバナナ鬼。なぜバナナかって?

ある時、ホーム「き」の子どもたちがかぜのとおりみちに遊びに来た時、グラウンドにあった地面と一体化していたハンモックを見つけて、かぜのとおりみちにつけてくれた。

それを知ったしんさんが「みんなが遊べるように、他のハンモックもつけようよ」とユーミンに話す。朝の集いで、「しんさんハンモックを(風越の)みんなが遊べるようにつけに来るってー」と報告。しかし、その日しんさん現れず。。。

次の日、「しんさんこなかったじゃん」「もうきょうこないなら、しんさんのきらいなものになっておいかけよう」「しんさんのきらいなものって?」・・・

はい、そうです。そこから生まれたのが、バナナ鬼。ストーリーがちゃんとあります。

バナナ星人が地球を侵略しにやってきて、人間をバナナにしてしまう。バナナにされた人間は皮を左右に剥いてもらうと人間に戻る。このバナナ鬼、ケイドロと違って、惑星人がルールを考えられる。1つは、ニセバナナ。タッチされていないのに、バナナのふりをしてピンチを切り抜け、仲間を助ける。このルール、ただのバナナ鬼だったら怒鳴られるレベルなのに、「ニセバナナだったんかー!!」って言ってバナナ星人が慌てて追いかける、だけ!!惑星人たちの関係性も育まれてきたことと、ストーリーとして楽しめていることを感じる。

あとはフィールドの外に出たら、まちがいバナナでバナナになってしまうとか。あとちょっとやったのは、人間がバナナ星人の帽子を取ったら、人間になるルール。ちょっとずつ変化しつつも、1回5分ほどのバナナ鬼、終わると「バナナせいじん、せいふくー!!」とか「バナナせいじん、せいふくしっぱい。にんげんのかちー!」そこで、喜びと負けた悔しさを味わいつつも、次どうするかを考えて、今や狩りのごとくチームプレーで人間を追い詰めるバナナ星人である。

この場所で生きるからこそ活きること

さて、かぜのとおりみち、実は畑もあります。きっかけは、ティピーとモグラの穴。

ティピーをりりーと数人の惑星人で作った結果、村のような風景になる。「ここ、すめるんじゃない?」とより生活感が出る風景になったことと、たまたまモグラの穴を発見し、土を掘ったところ「やわらかーい」「ふさふさしてるね」「はたけみたい」という実感が生まれ、畑づくりが始まった。

この畑案、ユーミンは「えー、ヤダ。」っていう地球人になっていた。だって9月下旬だし、野生動物もいるし、畑を通して子どもに何かしてあげたくなるじゃん。でも、子どもたちと話をしてたら「いいじゃん、やってみよーよ」と言う声でハッとしまして。現在やってみてます。


無事に芽が出て(でなかったらそれでも面白かったけど)、このまま育つように思われた芽も双葉2センチメートルで止まり、早く食べたいからという理由で植えた20日大根も気づけば60日経過している。

それでも成長をまだ楽しみにしているようなのでいいかと思っていたら、「おれのやさい、こんなん」と両手を上下に開いて、50センチほどにしている。いやいや、待て待て、現実みて!!実際2センチメートルだぞ。そこから現実と向き合う。。。

「どれがやさいでどれがはっぱかわかんなーい」
「これ、おなじやさい??」
「カラマツとネギがまざってる」

そこで、お店の本物の野菜と2センチメートルを食べ比べることに。(前日に先住民が葉っぱの毒味しました。双葉やひょろネギもちゃんと味がして元気だったので、実行してます。あと湯通しね。)子どもたちは、

「おれのしってるはつかだいこんのあじだぁ」
「かぶのはっぱとおんなじ」
「あじ・・・したかな」
「はたけのほうがおいしい」

と、どうやら野菜と認定したらしい。

一人、野菜嫌いな惑星人がいまして、イモしか食べない。しかし、その子は白ネギを育ててまして。食べ比べしようかーと言う話し合いの中で、「あのさ、ひとにはできることとできないことがある」と急に言い出して、なんのこっちゃと思ったら、自分はそれ(白ネギ)を食べれないかもしれないことを指していた。だから、当日も食べれないだろうなーと思っていた。

「自分の育ててる野菜とってきてー」と伝えると、走って取りに行っている。綺麗に洗って、湯通ししてもらい、なぜかユーミンの目の前にきて、ヒョロネギを口に入れたーーーーー!!!「まずい。ネギのにおいとおんなじあじする」と感想言ってました。

この時、惑星の仲間に背中を押されたんだな、と見取りをしたけど、自分が白ネギを育てている責任を背負っていたんじゃないか、と考える。でもね、余った野菜で豚汁(ぶたじる)作ることになって、作ったらそれも食べてて、仲間あっての挑戦もある気がする。

イエーイ星人

そしてこの惑星人たち、豚汁食べながら勝手に「つぎはカレーだな」って話になっていて、次の日の集いでも「つぎはカレーつくるんだ」とか言っている。

そんな簡単に作らせないぞ!と

「そういえば、カレーに詳しいお父さんお母さんいたよね?」
「そっちゃんのおかあさん!」
「ききにいこう」
「えー、そっちゃんがきいてきたらいいじゃん」
「いいよー。メモもとってくる。」
「そっちゃんに任せる?自分で聞きたい人いないの?」
「わたし、ききたいなー」
「じゃあ、いこっか」
「その近くにスーパーもあったような?」
「ツルヤ!!ツルヤでかいものしよう」
「でも。。。つかれる」
「んー、じゃあかざこしやまのぼれたらにする?」(わくわく星がそれで自信をつけてツルヤまで行ったことから。)
「今から登る?」
「じゃあ、そのしたのひろばまではやくいけたらいこう」

となぜか走り出す。(この時ちょうど、アイスパークの裏で集い)「3分だったよー」と全員帰ってきて伝えると、「よし!いこう!!!」なんじゃそりゃ。。。

誰かが発案すれば、いいねーと同意できる関係性の安心感。不安なことは口に出せる安心感。否定ではなく、相手の意見を聞いて提案する協調性。そして何よりも、この惑星の仲間ならやり遂げられるという自信と小さな達成感の積み重ね。これは充実している。そして私は、これをぬるま湯のように感じている。もう少しぶつかりあって、葛藤したり踏ん張ったりしてほしいなー。

でもね、往復7キロ。帰りは、買い物したものを背負って歩きましたよ。

次の日「今日もどっか行く?」って聞いたらね、惑星人全員に言われましたよ「ヤダ!!」って。これこそ実体験でしょ。

あなたはまだ、知らないかもしれない。校舎からグラウンドへ向かって歩いていくと、奥の方に見える看板、そこが入り口。惑星人たちが自分たちでつくっている生活と関係性と、惑星人の自分をつくり続けていることを。(ちょっと今ぬるま湯だけど)

ようこそ、かぜのとおりみちへ。

臼田 亜由美

投稿者臼田 亜由美

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今しかできないこと、今だからできること、当たり前ではない今日を、子どもたちと共に生きて学んで経験していきたいと思います。

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