2023年9月28日
僕たち長野県の研修派遣教員は、軽井沢風越ラーニングセンターに加わり、教員の学びのあり方について「共同研究」としての研修開発をしてきた。1学期には、ごりさんが講師となった軽井沢東部小学校の校内研修を実践として観察した。(校内研修を観察して分析してみる~シャドーイングとカード観察法)また、私たちがつくったドキュメンテーションを介して、スタッフと共同リフレクションをするなどして、軽井沢風越学園のテーマプロジェクトの設計や実践のあり方について考えてきた。みっちゃんに伴走してもらい、『プロジェクト学習とは:地域や世界につながる教室』(スージー・ボス ジョン・ラーマ―,池田匡史・吉田新一郎訳. 新評論, 2021)を読んだことで、風越のテーマプロジェクトを様々な角度から見つめることもできた。さらに、ミニテーマプロジェクトとして、「発酵×〇〇〇」というテーマのもと、僕たち自身が学習者として、ワインや発酵食品に関わる探究をしてきた。
7月に、『協働する探究のデザイン』(藤原さと. 平凡社, 2023)の読書会が行われた。ほりけんと感想を語り合う中で、4章「探究における問いのデザイン」に目が留まった。1学期の様々な経験を通して、風越のテーマプロジェクトや、「発酵×〇〇〇」をテーマとした僕たちの探究で、「本質的な問い」(軽井沢風越学園では、本質的な問いを「プロジェクトを通じて子どもたちとスタッフが共に考え続けられる問い」と置いている)は、どのように立ち上がってくるのだろうかという疑問が生まれていたからだ。さらに、ごりさんの研修を観察したことで、僕たちも研修を設計して実践することで、教員の学びについて理解を深めたいと考えていた僕たちは、「風越のスタッフを対象に、本質的な問いに関わる研修を実践してみよう」と考えた。ごりさん、みっちゃん、あやゃに提案すると、「ぜひ、やってみよう。一緒に考えよう」という力強い言葉をもらった。ちょうどこの頃、僕たちが所属する学校(おかつ:佐久市立野沢中学校 ほりけん:松本市立清水小学校)で、職員を対象とした研修会をさせていただくことも決まった。こうして僕たちは、夏休みに2つの研修を実践することとなった。
僕は、野沢中学校区の4つの学校(野沢中学校、野沢小学校、泉小学校、岸野小学校)の教頭先生や研究主任の先生方に会い、夏休みの研修に期待することを伺った。インタビューを通して、学習者としての先生方の研修ニーズを知りたいと考えたからだ。インタビューからは、職員間のコミュニケーションを活発にしていくことについて、各学校共通して課題に感じている様子が伺えた。
【インタビューから】
●職員間のコミュニケーションがなかなか取れない。学年をこえると、特に難しい。研究部会など、学年の枠をこえると、おしゃべり自体が難しい。もっと言えば、授業のことについて話すこ とが少ない。困っていても困ったって言えなかったりする。どうしていけばいいか悩んでいる。若い世代の先生方は、エネルギーがあり、やってみようという気持ちがある。それに応えたい。
●できる先生のイメージは、なんでも自分でこなせるとか、愚痴を言わない、失敗をしない、自分 のクラスからトラブルを出さない。だから、積極的なようでいて、創造的な発想が生まれない方 向にいく気がする。すると、お互いがどういう関係になるかというと、自分のクラスでは失敗したくないから、子どもに予防線を張るとか。結局、同調圧力が教員の中でも生まれる。教員同士 の管理にもなる。そうすると、ヘルプが出せなくなっていくと感じている。
職員間のコミュニケーションの必要性や方法を学んだり、コミュニケーションを通して、学校観や教育観について問い直したりすることに、先生方のニーズがあると考え、研修の設計につなげた。
先述した『協働する探究のデザイン』の4章には、本質的な問いの条件や、本質的な問いに近づくためのワークが紹介されている。こうした記述を参考にして、風越のスタッフへの研修設計を進めていたところ、ごりさんが分厚い冊子をもってやって来た。それは『理解をもたらすカリキュラム設計』(G.ウィギンズ, J.マクタイ,西岡加名恵訳. 日本標準, 2012)の一部を印刷したものだった。「これも参考に読んでみて」と差し出してくれたのだが、読んでびっくりした。この日の自分のリフレクションを紹介する。
ごりさんからもらった冊子の記述。p.135に…
「その問いが最終的に本質的なものとなるかどうかを決めるためには、常により大きな文脈ー私たちが構想している学習課題、評価方法、引き続く問いーを考える必要がある。」
単なる言葉遊び。今の研修デザインを批判するならば、こう言えると思う。
風越のテーマプロジェクトの全体デザインが、学習者の主体的な追究を可能とするものかかどうかが大事になる。この研修を、どう位置づけていくのか、問いの表現だけに目を向けるのではなく、大きな枠の中で考えないといけないと感じた。
ごりさんから、マクタイ,ウィギンズの文献をいただいたことに感謝。
参考文献をたどり、核心部分の理論を確かめないと、見えていない部分に気づかないままになる。急がば回れ。理解が浅いまま研修を設計すると、参加者の学びにつながらず、肝心の風越のテーマプロジェクトで滑り落ちる部分が出てくるかもしれない。さとさんの本のように、魅力的な本に出会うことで、動き出すきっかけになる。一気に行動する大胆さは大事だけれど、同時に慎重に進めることも大事だ。
藤原さとさんの書籍が研修設計のベースにあったことは大きな助けになった。書籍を通して僕たちが経験した本質的な問いづくりのプロセスを、研修の場へと再構築した。参考文献を確認することで、本質的な問いへの理解が更新された。研修の学習者一人ひとりによりよい経験をしてもらうために、どのようなプロセスが必要になるのかを考える中で、学習のプロセスにおいて、本質的な問いの何を理解することになるのかを判断する必要が出てくる。結果として何度も理論にもどった。研修にチャレンジすることで、自分自身の経験が組織され、研修づくりを通して、知識が構成されていく感覚があった。
そもそも、ぼくは藤原さんの本を読むまで、本質的な問いが立ち上がるプロセスについての理解が甘かった。今も怪しい部分はあるけれど、とはいえ、つくり方の一端には詳しくなり、体験的に理解できてきた。こうした経験が、「本質的な問いって、難しくて、つくりたくない」という嫌悪感を軽くする。こうした感覚を共有できるように、研修を設計した。
8月1日。風越スタッフへの研修と、所属中学校区の先生方への研修の2つを行った。ぼくとほりけんは、ラーニングセンターのスタッフからのフィードバックをもらいながら、何度も設計を修正し、共同で準備を進めてきた。それでも打ち合わせが足りなかったり、ファシリテータ―として至らない部分があったりと、たくさんの課題を見つけることができた。また、研修への忌憚のない意見も、参加したスタッフや、所属学校区の先生方から寄せていただいた。8月25日には、ラーニングセンターのスタッフと「研修において、ファシリテーターは何を見て、何をするのか」という問いを軸に研修を振り返った。学習者の創造的なコミュニケーションを生み出すために、どのような働きかけをしていくのか、今後の課題をはっきりさせることができた。
学習者の経験を中心にすえることは、今までの授業実践を通して、違和感のないことだった。「内から学ぶ」という視点を、大人の学びへと拡張させていくことが、これからの研修設計での課題となりそう。「内から学ぶ」を、大人の学びにおいても大事にしていきたい。
そのために、学習プロセスに視点をあて、学習者の気づきを軸とした、学習者による知識の構成を目指したいと思う。
そもそも、なぜ学習者による知識の構成を大事にしようとするのか?僕は今、どんな学習観なのか?学習を問い直すようになったことが、この研修での学びの1つだと思う。
今、僕は、県教委から「探究の学びに関する研修をしてくるように」と言われているから、学習者中心の学びを学んでいるのではないか、という自分への批判をくり返している。夏休み中に、なべたかさん(ラーニングセンターの共同研究者)とのリフレクションで「なぜ、トップダウンの研修ではなく、学習者中心の研修を志向したのか。それは風越に来たからなのか?おかつさんにとっての学習者中心の学びとは?」と問われた時に、自分の経験から学習者中心の学びを言語化できていないことに気づいた。
夏休み前にごりさんに手渡してもらった本『学びへの誘い』(佐伯胖ほか編著. 東京大学出版会, 1995)の第1章の文章を、読み返している。「学習とは、文化的実践への参加である」(p.2)という定義に触れ、研修づくりでのぼくの学び、研修に参加した先生方の学び、様々な出来事の意味を考えたくなった。
例えば、藤原さとさんの書籍だけではなく、マクタイ・ウィギンズの理論に触れたことで、本質的な問いに関する表層的な理解から一歩深まることに気づく瞬間があった。このような学び方を経験すると、理解が一層深まっていくのかという点で、学び方の更新がされた。ごりさんから提示された学び方のプロセスによって、「本質的な問い」への理解が深まったことに加えて、理論を学ぶことの意味が自分の中で広がった感覚がある。新たな学び方を経験することで、自分自身で学びを深めることができることに気づいた。この気づきは「おもしろい」という感覚に近くて、「自分でも、こんなに深い理解をすることができるんだ」という喜びがあったし、「ごりさん、ありがとう」と感謝も芽生えた。ほりけんと「これ、ごりさんに紹介してもらってよかったね」と、互いに理解を深められたことの充実感を共有することもできた。共同することで理解や学び方の質が確かなものになっていくことが分かり、僕も学んで成長できるな、と自分の可能性を信じられる経験になった。風越での学習者としての経験が、僕の学習観に気づきをもたらしてくれている。
長野市生まれ 県内色々な場所を渡り歩き、佐久市に落ち着きました。
浅間山と八ヶ岳を見上げながら、四季折々の風景を楽しみながらお散歩するのが大好きです。
風越で、自分と仲間とでつくる幸せのあり方を、考え続けていきたいです。