風越 参観記 2024年1月26日

手放した先には。(殿村 英嗣)

かぜのーと編集部
投稿者 | かぜのーと編集部

2024年1月26日

 あの日をどう受け止めていいのか。応えるにはまだ時間がかかる。じっくりと咀嚼して、飲んでは出してを繰り返しながらぼちぼちとやっていくことになりそうだ。森林の奥に広がる不思議な建物は、そう感じるような場所。そこに広がっている世界は、あまりにも当たり前に子どもが子どもらしく楽しんでいて、大人が大人らしく葛藤を抱えていた。
 公立小学校の一教員として12月15日に行われた実践ラボ「概念で深める探究の学び in 科学者の時間」の1日を等身大でじっくりと振り返りたいと思う。

書き手:
殿村英嗣(とのむらひでつぐ)/大阪府公立小学校教員。理科専科。


「科学者の時間」

 1,2時間めの科学者の時間は、まずはシャベリカを使ったゆるゆるとしたお喋りタイムからスタート。子どもたちに聞くと、いつもこんな風に始まるんだと教えてくれた。見に来た大人もその中に入っていいとのことで1つのグループに入れてもらうことになった。参観者とともにつくる時間を意識してとのことだそうだが、参観者はお客さんではなくともに場をつくるひとりだという感覚が新鮮で、これまでみてきた”公開授業”とのちがいを強烈に感じた。
 「好きな音」「最近食べた美味しかったもの」「人生最後の日に食べたいもの」などがトークテーマになった。子どもたちは慣れたように順番に話していく。ここで、自分は「人生最後に食べたいものはないなあ」と思いつかず黙っていると、隣に座っている子が「どうですか?」と順番を回してくれた。この言葉にあたたかさを感じたことを覚えている。
 思い返してみると、玄関の近くのホワイトボードにファシトレの活動について書いてあったものをみた。こういう場面で子どもたちにあたたかさを感じたのは、平等に話す機会を大切にするなどファシリテーションの技術が身についているからだろうか。

 その後、たいちさん(井上)からこの時間の見通しと進め方のヒントなどのインストラクションがあってスタートした。各々が必要なものを机に広げ、足りないものは自分でつくるか、他の部屋から借りてくるなどしながら進めていた。机の上をよく見ると、実験道具や資料、教科書、パソコン、これまでの探究の歩みが見える模造紙などが置かれている。模造紙をよく見ると、子どもたちが太智さんから与えられた小さな問いに向き合った形跡がある。誰が何を書いたのかが分からないくらい、いろいろな向きから書かれていたり、付箋が貼られていたりして雑多に記録されていた。これは、探究がグループの誰かのものではなくグループ全体のものになっている。グループで探究を進める上ではとても大切なことだと改めて感じた。

それぞれのグループは、自分たちの「つくってみたい」「やってみたい」にチャレンジしていた。「竜巻をつくる」「台風をつくる」「雲をつくる」「上昇気流をつくる」「前線をつくる」などなど。自分たちの興味の赴くままに体が自ずと動いているようにみえた。
シャベリカで話した子は「実験を一緒にやっていた子が今日休みなので、1人でやらなくちゃいけない…。大変です!」と語ってくれた。その子はそう言うとどこかへ行ってしまった。
 前線をつくろうと試みているグループもあった。大きな水槽の真ん中に仕切りを置いて、寒気と暖気を作り、その仕切りを外した時に、前線ができるはずという予想のもと、ドライアイスやお湯を使いながら何とかつくろうとしていた。しかし、うまくいかない。お湯が熱すぎるのか、それともドライアイス以外の方法で空気を見えるようにするべきか、など「うーん」と頭を捻っていた。考えているうちに寒気と暖気をつくる段階で、仕切りとして使っていた透明の板に問題があったと気付いたようだった。それでも思い描いたイメージ通りの実験にならず、「うまくいかなーい!」と嬉しそうに話してくれた。なんだか試行錯誤の末にぶつかった壁を楽しんでいるようにもみえた。

こちらは台風をつくるチーム

 そうしていると、「なになに?」と、他のスタッフの方も見にやってくるし、子どもも見にやってくる。理科室は、他の学習スペースと違って、部屋っぽさがまだ残る。それは収納や安全性などの観点からそうなっているのだろうが、お構いなしに誰でも見に来る。そのことを誰も何も言わない。ふらっと現れた子たちは「あこがれ」を見ているようにもみえる。オープンスペースの良さってこういうことなのか。学びを閉じないということが校舎全体のつくりからも感じる。

シェアの時間。

 「竜巻をつくる」「台風をつくる」「前線のモデルをつくる」「雲をつくる」「上昇気流をつくる」など自分たちで自然事象を「つくる」実験について説明していた。どれも面白くて本当に豊かだった。ここで、1番感動したことは、どのグループもどの子に聞いても、やっていたことを当たり前に話せることである。例えば、「竜巻をつくる」グループでは、探究をぐんぐん進めていた1人の子とそれを支える2人で発表していた。まず、シェアする際には、ぐんぐん進めていた子が淀みなく自分たちのやろうとしていたこと、工夫していたことを伝えていた。そこで終わりかと思ったが、たいちさんから「それを支えていた2人はどう思う?」と問いかけがあった。2人はこの熱量についていけたのだろうかと心配になったが、その心配は無駄だとすぐにわかった。「いやー、本当に大変だった」と言いながら、これまでの歩みを語っていて、休み時間にもみんなでやっていたという話を聞かせてくれた。グループの誰に聞いても自分たちの探究のことを話せる、当たり前のようで案外難しいことである。
 さらに、ほとんどのグループが実験に関してうまくいっていなかった。しかし、失敗したこと、その経緯をありありと話しているのだ。むしろその過程にこそ価値があると言わんばかりに。驚いたことに、「実力不足でした!!」と堂々と言っている子もいる。どうもこの辺りがこれまで見てきた教室とは違う。なぜ、彼らは失敗を怖れずに、過程に価値を感じられているのだろうか。成功を見せようとか、成功しなければならないみたいなものを手放し、とにかくその場で起きていることを楽しんでいるんだろう。
 また、シェアしてくれたグループに毎回付箋でメッセージを送っていた。グループで1枚の付箋を使って、発表したことについて感想をグループ内で共有した後、誰か1人が書くという手順だった。ここでもグループで話すように構成されていた。子ども同士を繋げる場が意図的につくられていた。こうして、それぞれのグループのシェアタイムが終わり、科学者の時間が終わった。

たいちさんと晋さんとの対談

 これもまたかなり重厚な内容だった。石川晋さんから「たいちの教室では実験が成功していない、成功した発表までもっていくことをしないよね」とあった。科学はほとんど失敗だし、それが本当のリアルというか、科学という営みなのかもしれない。発表する場所をつくるのではなく、自分の活動場所で発表する形式で進めていったが、納得のいかない失敗した場では発表しないグループもあった。そのグループは子どもたちはその場にある失敗を発表の場に持ち込むことをしたくなかったのだろう。となると、実験の成功や失敗という尺度ではなく、自分たちのやっていることに納得できるかどうかが大事にされているようにも感じた。もちろん子どもたち一人ひとりの感覚もそれぞれではあるんだけれど。

 途中で、評価も話題に上がる。たいちさんが1番大切にしていることは「授業がたのしいかどうか」ということだった。意外とシンプルだったが、その「たのしい」が本当に難しいなあとも感じた。「あなたの授業はたのしいか?」と問われるとドキリとしてしまう。では、「たのしい授業はどんな授業か?」と問われると、教師が思う楽しさとの乖離があるかもしれない。子どもが楽しむだろうと意気込んだ考えた授業ほど上滑りをすることもある。そういう意味では、その場で起こる即興性や偶発性が起こりうるような授業の中で、子どもたちは「たのしい」と感じやすいのかもしれない。普段の子どもとのかかわりの中で、子どもがたのしんでいるか?という視点で子どもの中で起きていることに関心を寄せたくなった。さらに、このようなことを大切にされる教室をつくるためには、教師や子どもの中で価値を共有している必要がありそうだ。だから、この場で教師が大切にしていることを丁寧にモノ・ヒト・コトから語りかけて文化をつくる。たいちさんは日々葛藤しながらそんなチャレンジをしていたように感じた。

わたしの実践を考える時間

 午後からわたしの実践を考える時間。サークルになって参加者の日々の実践や葛藤がわかる写真を見合う時間や午前中に感じたことを共有する時間があった。参加者の方との対話は本当に豊かで、同じものを見ているだけに具体の子どもの姿と教育観みたいな抽象が行ったり来たりしながら、それぞれの教育観の揺さぶりみたいなものが共通認識のもと話ができるのは本当によかった。特に、印象的だったのが、北海道から参加された藤倉さんとの対話の中でみつけた共通の問題意識だ。

 それは「先生スイッチを捨てる。子どもスイッチを押させない。」ことだ。ふだん子どもに対して「〜させたい」「〜ねばならない」みたいな思いが強くなり過ぎて枠に収めようと先生モードで接してしまうことがある。それに応じて「こうすればいいんでしょ」と教師の顔色を伺って、子どもが子どもスイッチを押させられていることもある。指導という名のもとに子どもから奪ってしまうものはないかと自分に問うていきたい。大きくなり過ぎた先生という虚像を纏い、子どもたちと接することには気をつければならない。
 こうした不自然さに風越では出会うことがなかった。子どもたちは、興味の赴くままに科学の世界に出入りしながら、「やってみる」「つくってみる」を楽しんでいた。その中で、大人は大人らしく葛藤を抱えながら揺れ動いているのかもしれない。
 私の中にもまた揺れ動くものがあった。揺れ動く中で何を手放していくのだろうか。手放した先に一体何が残るのだろうか。

#2023

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かぜのーと編集部です。軽井沢風越学園のプロセスを多面的にお届けしたいと思っています。辰巳、三輪が担当。

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