だんだん風越 2020年8月8日

「自由と自由の相互承認」の感度を持った読み手・書き手になる。

澤田 英輔
投稿者 | 澤田 英輔

2020年8月8日

「ライブラリーは、軽井沢風越学園の心臓です」。司書教諭の大作の言葉を借りるなら、風越学園の国語の授業は、その心臓から血液を送り出す血管にあたる。ライブラリーに収められた豊かな本とことば。それを、子どもたちの身体中にたえまなく血液として送り出し、循環させる。やがてそれが子どもの血肉となって、彼らの心と身体の成長を支えていく。そんなふうにライブラリーと子どもたちをつなぐことが、風越学園の国語科カリキュラムの特徴である。

僕たちには、ライブラリーを国語科のカリキュラムの中心に置く、はっきりとした理由がある。それは、多くの読書と、それに刺激を受けながらの自己表現(書くこと、話すこと)を繰り返す中で、子どもたちに自立した読み手、書き手へと育って欲しいという願いだ。つまり、自分の好みを持ち、本を選ぶことができて、その本を読む技術も持ちながら、書き手の意図を最大限好意的に受け止められる読み手になること。それから、書きたい内容と意欲を持ち、必要性や現実的な制約も考慮しながら、読み手に伝わるように書ける書き手になること。

「自立した読み手」「自立した書き手」の捉え方にはスタッフでも差があるだろうけど、僕自身は、必要な読み書きの技術を持つことはもちろんのこと、その技術に支えられながら、しっかりと自分の好みを持った上で、その好みを超えて「より良く」読もうとする、書こうとする姿勢に重点を置きたい。

例えば、自分が好きではない文章の良さを語れる。初めて出会うジャンルの文章を書くことになった時にも、そのジャンルの既存の文章から良さを学べて、自分でも書ける人。そういう人は、目の前の文章の向こうにいる、具体的な書き手を想像しながら読み、自分がこれから書く文章を読む、まだ見ぬ読者を想像しながら書ける。

それが、僕のイメージする自立した読み手や書き手。読み手としても書き手としても、見えない他者の視線を自分の内側に持つことは、軽井沢風越学園の建学の理念「自由と自由の相互承認」の感度を育むことにもつながると信じている。

これは相当に高度な願いであることを、実のところ僕もわかっている。だって僕自身が到達したい読み手・書き手としての姿なんだから。でも、目の前の子どもたちも、僕たち大人のスタッフとともに、彼らなりのペースとやり方で、「自由と自由の相互承認」の感度を持った読み手・書き手として伸びていけるはずだ。

そのために、風越学園では、小学校1年生から中学生まで「読書家の時間」(リーディング・ワークショップ)と「作家の時間」(ライティング・ワークショップ)を、国語の授業の核にしている。ライブラリーにあるたくさんの本に読みひたる。そして、それらの本に刺激を受けながら、自分が書きたいことを様々なジャンルで書きひたる授業だ。子どもたちが自分で選んだ本をたくさん読み、自分で書きたいことをたくさん書く経験を積む中で、スタッフは一人ひとりの子どもの言葉の学習を支えていく。

例えば、いま僕が主に担当している6・7年生を中心にしたクラスでも、読み書きのレベルはさまざまで、当然、それぞれの子へのアプローチも違ってくる。

すでに読書経験を積んで意欲も高い子たちには、「読書家の時間」で僕やクラスメートが紹介したおすすめの本の中から読みたい本を自分で選んで読んでもらう。例えば、『時をさまようタック(ナタリー・バビット著 / 評論社)』がすごく良かったと読書ノートに書いていた子が、その後はしばらく宗田理の『僕ら』シリーズを読んでいた。どこかのタイミングでまた違うタイプの本を渡したいなとチャンスを伺って、先日『タック』と同じく死をテーマにした『夏の庭(湯本香樹実 / 新潮社)』を紹介した。

周囲の影響で本を選ぶことも多い女の子には、友達同士で読んでいる本を共有するのが効果的なこともわかった。住野よるや瀬尾まいこの著作、クリス・コルファーの「ランド・オブ・ストーリーズ」シリーズは、主に女子同士の紹介で読まれいる。男子にも『僕ら』シリーズや上橋菜穂子など特定の著者の作品に強い子がいて、彼らのおすすめ本がクラスにもじんわりと広がっている。

もちろん、風越にも、読書への苦手意識が強い子はたくさんいる。そういう子とは、実際に本棚に行く。その子の読書履歴や興味を聞きながら本を探し、字の大きさも勘案しながら一緒に本を選んで、何冊か候補を手渡してみる。あとは本人に選んでもらうけど、きっかけになる一冊に出会えたらしめたもの。「それが面白く読めたなら、次は….」とまた選書の手伝いをするうちに、きっと自分の読み手としての好みがはっきりしてきて、やがて自分一人で選べるようになるだろう。読書習慣がなくて「文字ばかりの本は読めない」と言う子には、彼女にあう本をネットで調べて、取り寄せてもらったこともあった。彼女も「読めない」と言いつつ、心の底では伸びたい気持ちがあったのだろう。その本を自然な形で手渡したら、なんと短期間で読み切ってくれた。

「作家の時間」でも、僕たちスタッフの役割は基本的には変わらない。子どもたちが自分の書きたいことを書く中で、彼らの書き手としての成長を支える。例えば、これまで文章を書いた経験がほとんどなくて苦手意識が強い子には、まず一緒に書く内容を探すところから始める。インタビューしながらノートに書けそうなことのリストを書いて、その子にとって価値のある題材を見つけていく。逆に、すらすら書けてしまう子には、ちょっとハードルを高めにして、読者の視点を持ってもらう。読ませてもらった下書きには前の学校の思い出がいくつも書かれていたので、「この中でいちばん書きたいことは何だっけ? これだけいっぱいだと、どれが本当に大切な思い出なのか、ちょっとわかりにくいかも」と、読み手としての感想を伝えたところ、ほぼ書き直すレベルで助言に応えてくれた。

他にも、6・7年生は、他人との比較で自分の文章の質が見劣りするのがそろそろ気になる年齢なので、彼ら自身では気づかない自分の文章の良いところを僕が言葉にしてあげるのも、大切な仕事だ。中には、力はあるのに、自信のなさでなかなか書きだせない書き手もいる。自分で気持ちのハードルを高くして真っ白なパソコンの画面を前にじっとしている子がいたので「自分の作品には価値がないというもう一人の自分の声は、いったん脇に置いて、あとで推敲する時にちょっと活躍してもらおう」と声をかけた。それからパソコンを閉じてもらい、時間制限をつけてとにかくノートにメモ書きをすることを提案すると、ようやくエンジンがかかり出した。

こんなふうに、子どもへのスタッフの働きかけは、完全な自由でも、完全な強制でもない。小学校1年生から中学生までの年齢の幅に応じてバランスは異なるものの、どのスタッフも、自由と強制の間で、子どもたちがオーナーシップを持ちながら読み手・書き手として成長していけるように、サポートしようとしている。どんなバランスが最適なのかも、日々、模索している途中だ。

オンライン期間を経て、通常登校となった6月から本格化した国語の授業も、それから約二ヶ月がたった。僕も毎回の授業で子どもと話した記録を取り、彼らの読書ノートを読んでコメントをしながら、それに基づいて次の働きかけを考え、クラス全体でどんな話題を扱うかも考える。そんなふうに、ずっと走ってきた。スタッフみんなそうだと思う。

そして8月上旬の今は、その取り組みを振り返っているところ。子どもたち一人ひとりの成長を支えるために、できていることは何か、できていないことは何か。より高い専門性をスタッフが持って子どもたちの言葉の学びを支えるにはどうしたらいいのか。限られたスタッフの数と時間をどう使って、何を優先したらいいのか。課題はいくつもあるし、それに挑戦していくことは楽しい。子どもたちが自由と自由の相互承認の感度を持った「自立した読み手・書き手」になれるように、夏の間にしっかり準備して、夏休み明けからまた走り出したいと思っている。

前期の土台の学び(作家の時間)

後期の土台の学び(算数・国語)

注:ライティング・ワークショップやリーディング・ワークショップについて詳しく知りたい方は、澤田が共訳者として関わった『イン・ザ・ミドル ナンシー・アトウェルの教室』(三省堂)や、複数の風越スタッフ(岩瀬直樹、岩瀬さやか、甲斐崎、澤田)も執筆している『増補版 作家の時間』(新評論)などをお読みください。

澤田 英輔

投稿者澤田 英輔

投稿者澤田 英輔

学ぶこと、言葉で考えて表現することが好き。これまでの自分の環境と異なる軽井沢風越学園で、どんな経験ができるか楽しみにしています。

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