2022年12月14日
いま話題の県立石川図書館。その設計者である環境デザイン研究所の仙田満『遊環構造デザイン(放送大学叢書)』を読んだ。著者の仙田さんは、軽井沢風越学園の設計者でもある。僕がこの本をこの時期に手に取ったのは、風越学園での人の動きを決めるオペレーションシステム(OS)とも言える「校舎のデザイン」について理解を深めて、それにマッチした教育活動をしたいと思うようになったからだ(どうしてそう思ったのかも、後ほど記す)。
考えながら、過去を振り返りながら書いたらとても長文になった。これは別に風越を代表する見解ではなく、あくまで1スタッフの個人的所感であることは強調しておきたい。僕と違う感じ方をしているスタッフも、きっといるに違いない。
訪問者がまず目を奪われる、風越の校舎。特に一階のライブラリーを中心としたエリアは開放的で本に囲まれていて、いかにも居心地が良さそうだ。
でも、「作家の時間」「読書家の時間」のために一階で授業をしている(この授業はライブラリーですべき、というのは僕の譲れない信念の一つだ)僕は、このライブラリーの授業場所としての使いにくさも知っている。開放的な空間とは、子どもが飛び出しやすい空間でもある。壁がないエリアでは、小さな子の走り回る姿や声も見聞きして集中が削がれる。一人ひとつの独立した椅子や机がないと、どうしても姿勢もだらっとしてしまうし、仲良し同士集まっておしゃべりをしやすい。壁が少ないので、掲示物も作りにくい。こうした問題に対して、手を変え品を変えて授業できるように整えるのが僕の仕事の一部になっているのだが、その都度、「普通の学校の普通の校舎」がいかに授業しやすかったか、思いを馳せる。
四角に仕切られた教室空間。2つに限定された出入り口。前方と後方がはっきりしたレイアウト。正面の大きな黒板。後ろのロッカー。一人ひとつの、道具箱も入れられる机。正面や背後の掲示物。こうした空間デザインや道具が、間違いなく僕たちの授業を支えていたのだ。そして、学校にはこの校舎のデザインとマッチした仕組みもある。それが、一時間ごとに区切られた時間割や、そのベースとなる年間指導計画であり、教授内容を具現化した教科書である。学校の基本的生活がそれに沿って進行することを子どもたちに告げるチャイムもある。さらには、基本的にはずっと固定された教室で過ごす「学級」という集団を使って、僕たちは授業をする。その学級集団の日常に風穴を開けて祝祭性をもたらし、その過程で学級集団の機能を高めるために、各種の学校行事も配置されている。
学芸大学の渡辺貴裕さんは「パワード・スーツ」という表現をされていたが、まさに僕ら教師の能力を増大するさまざまな仕組みによって、僕たちは「教師」として振る舞えたのであった。風越学園には、この大部分がない。この中で授業をするのは、これまでの授業ベースの発想から言えば大変なことである。経験の浅い若いスタッフは、基本問題に習熟する前にいきなり応用問題を解かされるようなものだ。また、風越にはそれぞれの現場で名を馳せた実績あるスタッフも少なくないが、熟達の腕を持つ彼らでさえ、かつての実践と同じことを風越でやろうとしたら「パワード・スーツ」の助けがないため以前ほどの成果を出せず、「こんなはずではないのに」と不全感を抱くのではないか。風越学園は、ぶっちゃけそういう空間である。
3年前、この開放的なデザインの校舎で歩みを始めてから、僕らスタッフはずっとこの「授業のしにくさ」に直面していた。一年目は、わちゃわちゃで楽しかったけれど大変だった記憶もある年だ。小学校中学年くらいを中心に、移動教室制に対応できない子が多く、そもそも授業中時間に人が集まらない事態が頻発した。当時は「セルフデザイン」と呼ばれ現在は「わたしをつくる時間」と改名された、個人でやりたいことをする時間は、いまよりもたくさんあり、のんびりゆったりしていたが、休み時間との違いもよくわからなかった。異年齢ホームで過ごす時間も今より多く、土台の学び(国語・算数)やテーマプロジェクトを学ぶ集団もその都度変わり、今よりはずっと異年齢での交流ができていた反面、それぞれを「学習者集団」として育てるための時間は乏しかった。また、結局その子の学びをトータルで見る責任者がいないため、その子の学びの状況がスタッフの目から「こぼれてしまう」子も出てきた。
僕個人でいえば、当時は小6と中1の混合クラスを教えていた。一年間の国語の授業の中で子どもが選択できる範囲を徐々に増やすことに挑戦していて、当初は朝の1・2時間目に固定していた時間割を、夏からは「週5コマ授業をとる、ただし、そのうち4回は時間割の枠の中のどの時間に取ってもOK」という仕組みで運用していた。風越の中学生はきっとこういう学びになるのではないかとイメージしていて、そのトライアルのつもりだった。冬からは、希望者が僕の承認を得て出席コマ数を減らせる(その代わりに週1で進捗管理のミーティングを持つ)こともやった。
ただ、この「時間割選択制」、その後の中学では特に引き継がれていない。生徒数が増えたことに加えて、このやり方だと毎回一緒に学ぶ相手が違うので、学級的な集団が育てられないことも一因だろう。
ふりかえると、一年目がもしかして一番風越の理想のコンセプトをポンとそのまま置いて、それに挑戦し、いいところも悪いところも極端に出た年だったのかもしれない。「これが風越らしさだよね」という理想像までのプロセスがよくわからないまま、いきなり自由な空間と時間を与えて、その使いかたに子どももスタッフも困っていた部分もあった。今でも、「一年目が一番自由だった」「異学年で過ごしていた」と振り返る子もいる。実際に自由になる時間も多かったし、ホームを基盤に流動的な集団で過ごしていたから、それはまあ、よくわかる話である。一方で、教師としての実感を言えば、学力形成という点では一番厳しかったのが一年目でもあった。だから、保護者と話すと「あの頃の算数が抜けてて…」のような話題がよく出てくる。
それからの二年間は、この一年目の「課題」に対処する二年間だった。一般に人は、課題に対処しようとすると、かつて類似した課題を解決した成功体験に戻るものだ。結果としてこの二年で起きたことは、「学校としての仕組みを整えること」、風越の学校化だったのだと振り返って思う。その子の学びや暮らしをトータルで見る「擬似担任」としての「パートナー」、「擬似学級」としての「ラーニンググループ」、担任団としての「ラーニンググループスタッフ」ができて、異年齢ホームよりもそちらが重要な集団となり、学びはこのラーニンググループが基本単位となった(とはいえ、朝や帰りはホームで過ごすし、学級経営を支える行事もなく、人数も40〜60人程度と多いので、どこまでいっても学級そのものではない)。そして「土台の学び」が増えて時間割も細かくなった。それにともない、子どもが自由にやりたいことをやる時間は減少傾向だ。
僕は去年と今年連続で、5・6年ラーニンググループのスタッフで、5・6年の子と一緒に過ごしている。個人的に印象的だったのは、コロナで他学年との交流ができなくなった2021年の夏休み明けだ。完全に固定教室制・同じメンバーで過ごすことになり、いわゆる「学級」と同じになった。そしてあの一時期、とても手応えがあった。やりやすかったのだ。人間関係作りも、授業できちんと学んでいくことも。その時の手応えは、当時のある保護者の「異学年の混ざり合いがコロナで実施できないことで、かえって安定してきた」という言葉が象徴している。僕が、「日本の教育を支えてきた普通の学校の仕組みは本当にすごい」と痛感し、「いきなり風越の理想(異学年・自己決定・流動的的集団)にすれば良いものではなく、そこに至るまでのプロセスをどうデザインするかが大事だ」と感じたのも、あの時期だった。
こうして、2年目になって「擬似学級」としてのラーニンググループができて、学校の仕組みが安定してきた。一方で、異年齢の動きが停滞してしまったことで、3年目の今年は「12年をつなぐ人」という新たな役割が導入された。主に校舎外の環境を整備する動きが起きたり、「わたしをつくる時間」のラボや理科室が活性化したりするなど、目に見えて良い変化もある一方で、人数が減ったラーニンググループスタッフは、子どもたちとの日々を全力で踏ん張り、時に踏ん張り切れないほど、かなり疲労がたまっている。限られた人手をどう配置するかは、本当に難しい問題だ。
ともあれ、2年目、3年目と、学校の仕組みや学力の保障という点では、風越はだいぶ安定してきた。たしかに、学力を保障しようと思えば、同じくらいのレベルの子(結果として同学年の子が多くなる)で集団を作り、教科ごとの「土台の時間」のコマ数を増やし、閉鎖的な空間で授業をした方がずっと良い。それでも普通の学校に比べると授業時間がずっと少ないので、「来年はもっと土台のコマ数を増やしたい」という教科スタッフの声も聞いている。すごくよくわかる。僕も国語の時間数が足りていない。ほしい。僕は国語の授業があると元気になる体質なので、なおさらだ。
しかし…である。この方向に軽井沢風越学園の未来はあるのだろうか? ということも最近よく考える。僕たちが全体としてやっていることは、確かに個々には質の改善になるのだが、結局のところ一時期全国にたくさんできた学校のオープンスペースの空間を、どんどん閉じて閉鎖空間に戻していったのと、あまり変わらないのではないだろうか? というか、学級ベースの授業がしたければ、そもそも普通の建築や制度の学校に移る方が良いんじゃない? そのほうが絶対に成果が上がるんだし…。
難しいのは、「あれかこれか」ではないことだ。風越の最大のチャレンジは、「放課後学び場」でも、いわゆるオルタナティブ・スクールでもなく、学習指導要領である程度は規制される、学校教育法の「一条校」を選んだこと。である以上、学力の保障はもちろん重要である(その「学力」の中身がペーパーテストだけで測るものとは違うにせよ、だ)。僕自身、風越スタッフの中で「学力大事派の最右翼」くらいのつもりで、子どもたちに国語をしっかり学んでほしいと日々努力している(今は小学校スタッフだが、教科学力への思いは、中学校スタッフにも負けないつもりだ)。
でも、その「学力」をこれまでの「学級」ベースの授業づくりクラスづくりのやり方で育てようとしたら、そもそもの学校のコンセプトやそれを具現化した校舎と合わなくなる。MacのOS上でWindowsのソフトを走らせようとしているものだ。その先には、意外と早く限界が来るんじゃないかと思う。
恐ろしいことに、この原稿はここまでが全て前置き(笑)。僕が今の時期に仙田満『遊環構造デザイン』を読んだのは、こういう問題意識があったからである。この校舎が具現化している思想について、ちゃんと知りたくなったのだ。
本書のキーコンセプト「遊環構造デザイン」とは、筆者が長年こどもの遊具やそこでの子どものふるまいを観察・分析した中から生まれた、「遊びやすい遊具の条件」である(p88)。
1.循環機能があること
2.その循環(道)が安全で変化に富んでいること
3.そのなかにシンボル性の高い空間、場があること
4.その循環に〈めまい〉を体験できる部分があること
5.近道(ショートカット)があること
6.循環に広場がとりついていること
7.全体がポーラス(多孔質)な空間で構成されていること※「めまい」とは、一時的パニックや祝祭的雰囲気や陶酔を楽しめること、ポーラス(多孔質)な空間とは、穴があいた迷路のような空間のことを指す。
そして筆者は、この遊環構造が、実は遊具だけでなく、子どもの集まる路地や広場などがある町にもあてはまることを発見する。循環構造の本質について述べた次の文章は、筆者のめざす建築や町の姿が明確で、実にわかりやすい。
循環構造の中心的なエレメントは回遊性であり、循環性である。その行動においては主に歩いて楽しい町という視点が極めて大きなテーマだということに気づかされる。私たちの町は歩いて楽しい町、もっと歩きたくなる町になっているだろうか。(p179)
本書によれば、浜松科学館や筑波科学万博こども広場を皮切りとして、最新の石川県立図書館まで、筆者はこの「遊環構造デザイン」を多くの建築物に適応してきた。僕らの軽井沢風越学園の校舎も、その「遊環構造デザイン」の作品である。学芸大学の渡辺貴裕さんが風越を訪れたとき、風越の校舎を町にたとえていたが、実際に人が集まる町と共通するデザインで作られていたのだから、さすが渡辺さんの慧眼と言うしかない。
筆者は通常の学校の廊下ではいくら「走るな」と言っても衝突事故が起きることを指摘し、子どもは本来走るものという考えから「そもそも少しくらい走ってもけがをしないような廊下」(p195)にすることも提案する。風越の廊下が広いのも、納得だ。風越の校舎は、いわゆる学校の校舎とは大きく違う、「遊びやすい町」なのである。
また、本書で言及される子どもの理想的なあり方にも、風越のコンセプトとかさなる叙述も多い。
都市、地域のスケールにおける安心安全基地の時間は、こどもの生活時間が分断されず、せかされず、好きなことに集中できる時間があることが望ましい。あそびほうけることができる時間があること、好きなことに集中し、豊かな時間、すなわち熱中したり、感動したり、夢中になれる時間をこどもたちに与えられているかということである。(p301)
これは、子どもたちの時間の流れをできるだけ時間割で区切らずにいようという開校前のコンセプトと共通している。だが、時間割化が進んでいるのが実際の現状だ。学力にきちんとむきあうと、そうならざるをえない面もたしかにある。「9年生になったら全てを「わたしをつくる時間」にしたい」という理想は今でも語られているが、それは今の9年生をそうするということとは違うし、どう道筋をつければいいかはわかっていない。
こどもたちには、熱中や夢中、集中という行為が可能になる環境が必要だ。それはこどもの思いだけで可能になるのではない。熱中できる時間、熱中を分断されない時間、熱中を支えるコミュニティ、熱中を許す周りの目、そして熱中できる対象が必要である。そしてこどもが熱中できそうなことに出会う環境が必要だ。私の場合は本だった。こども向けの雑誌があった。親は貧しかったが、それを欲しがった私に本だけは定期的に買ってくれた。いつも新しい本に出会うことが楽しみだった。本はこどもにとって新しい世界だ。その雑誌に出ている科学実験を手あたり次第に実験し、夢中になった。夢中の体験は劣等生だった自分を、少しずつ自信のある自分に変えてくれたような気がする。(p309)
この記述などは、ライブラリーを中心とした校舎のデザインや、熱中や夢中になるものに出会ってほしいという「わたしをつくる時間」のことを彷彿とさせる。自分の「好き」に没頭して、自信をつける子どもの姿が見える。
こどもたちの多様性を考えたとき、極端にいえば一人一人の個性が異なるのであるから、形も色も大きさも異なる居場所が必要ということになる。(p313)
ひとりひとりを大切にするのも風越学園の大切なコンセプトの一つだ。こんなふうに、本書では「風越が目指しているはずのもの」に関する記述が、色々な箇所で出てくるのだ。
さらに、本書には直接的に風越学園に言及している箇所もある。p44では、風越の図面とともに理事長のしんさん(本城慎之介)の次の言葉を引用している。
幸せなこども時代を送るには学校はどのような場だとよいだろう。幸せはひとりひとりで異なり、自分なりに見つけるものです。そのためには学校はこどもの過ごし方を多様にする事、「学び」と「あそび」の経験がたくさんできる事でした。この学校は幼稚園と義務教育学校の「混在校」です。(p44)
子どもの過ごし方は多様だろうか。今の風越は「混在校」の名にふさわしいだろうか。ついそんなことを考えてしまう。
また、p317では、より直接的に、風越学園の図面に筆者がコメントを加えている。
全体は扇形のプランであるが、その中心軸は浅間山を焦点としている。図書空間が中心的な空間で、それに諸機能が取り巻く構成となっている。1階部分では図書空間に接してホームベース、そのまわりに特別教室群が取り巻き、2階は教室群が1階の吹き抜けを介して配置されている。平面的な回遊性はもちろん、階段、スロープ等が投入され、立体的な回遊性が図られている。外部との関係性が重要視され、庇下、デッキ空間が建物の外部に多く設けられ、内外の連携が意図されている。本施設では図書空間をめまい的中心空間として、それに各機能教室が取り巻く形での遊環構造が形成されている。(p317)
……こうやって書き写すだけでとても勉強になった。誰が見ても回遊性に納得する1階はもちろん、教室が並んで比較的「普通の学校」に近い2階の教室でさえ、中からは広々とした吹き抜け空間が見え、ゆるやかに弧を描く広々とした廊下、1階に続くゆるやかなスロープや「走り出したくなる高さの階段」がある。普通の学校に比べると、つい動くことに誘われる。「だから子どもたちは走りたくなる、動きたくなるんだ」とわかる空間なのだ。本書を読むとますます、風越では「閉鎖的な空間で、お行儀良くコツコツと学ぶ」ことが難しいと実感する。
繰り返すが、風越の校舎は「回遊する町」なのである。ライブラリーを中心的な広場として、ひとりひとりが夢中になるものや興味のあるものをそれぞれの場所で見つけ、色々な年齢の子たちが色々な場所で出会い、そこであらたな交流や創発が生まれる。そうやって、ひとりひとりが幸せになり、そこから自由に生きる力を得る。その可能性を信じてつくられたのが、風越の校舎なのだ。
では、その可能性を現実にするために、僕たちはどうしたらいいんだろう?と考える。おそらく、この理想をいちばん具現化しやすい時間は、国語や算数をはじめとした各教科の「土台の学び」でも、教科融合的な「テーマプロジェクト」でもなく、子どもが自分のやりたいことを選ぶ「わたしをつくる時間」なのだろう。これこそこの校舎のためにあるような時間だ。
この時間の理想的なイメージは、きっと「みんなが回遊したくなる学びの祝祭的な時間」なのだろう。筆者が設計した体験型の美術館や博物館のように、あるいは人々が集まる町のように、校内の各所で魅力的な学びの場が開かれていて、スタッフがそこで子どもたちを誘う。子どもはそこを(長いスパンでも、一日の中ででもいいけど)回遊して、スタッフの提供する学びの面白さや、異学年を含めた色々な人や、そこから生まれる出来事に出会っていく。風越学園のOSである校舎の設計思想を考えたときに、この学校の軸はこの「わたしをつくる時間」だ。「わたしをつくる時間」を通じて、子どもたちは自分の「好き」に出会い、深め、幸せになる居場所を見つけ、自信をつけ、そこから各教科やテーマの学びに挑戦するのだろう。
一方で、その対極にありそうな教科の「土台の学び」をこの空間でどうやっていけばいいのかというと、これは僕にもまだわからない。例えば、「流動的な空間に合わせて、3年生から9年生まで、毎回異なる流動的メンバーが異学年で交流しながら国語を学びましょう」みたいなことが現実にできるのだろうか?
僕の頭が硬いせいかもしれないが、言葉について学ぶなら、似たような言語レベル(多くの場合は同じような年齢)の子で学ぶほうが圧倒的に有利だと思う。上の学年の子にとってメリットがなさすぎる。基本的に、算数の計算や国語の読み書きのような積み上げが必要な学習は、どうしても「開放」「回遊」よりは「閉鎖」「集中」のような空間や集団が適しているし、学びの質も高まるはずだ。
だとすると、「土台の学び」については校舎の設計思想とあわないのを承知で踏ん張るしかないのだろうか。良い答えは見つからず、なんとなく暫定的にどうもそうかもしれないと考えている。だとしても、環境の影響が大きそうな低学年の子や、まだ経験の浅いスタッフには、より閉鎖的な2階の教室を使ってもらうとか、ある程度授業経験の豊富なスタッフは、不利を承知で開放的な場所でなんとかふんばるとかの配慮は有効そうだ。開放的な場所でふんばっているうちに、そこでの授業のやり方の新しい可能性に出会うこともあるだろう。個人的にはそういう場所で自分がどんな試行錯誤をするか、ちょっと興味ある。ちょっとだけね(笑)
僕たち教師にも熟達の道があり、教師としての「基礎・基本」の技術を身につける過程がある。しかし、今まで蓄積されてきた技術は、通常の校舎のデザインで最大の効果を発揮する「基礎・基本」である。「回遊する町」としてのデザインを本質にする風越学園の校舎では、教師としての「基礎・基本」も、普通の校舎のそれと重なりつつ、また少し別のやり方・あり方をしているのかもしれない。
風越では、それが自然にできているスタッフも、もちろんいるはずだ(それは僕ではない)。ただ、まだそれを誰もきちんと言語化できていない。だから、この環境でどうすれば良いか困ってしまう若手もいれば、いまいち過去の実践と比べて手応えを得られずストレスに感じるベテランもいるのではないか。それを「環境のせい」にしないで、「この環境にあった基礎・基本」を発見し、言語化し、共有して、自分たちのものにすること。少なくとも、言語優位な僕にはそれは必要な作業だ。何年かかるかわからないけれど、とても探究しがいのあるテーマだと思う。
毎日仕事をして、うまくいかないことも多ければ、つい校舎の環境のせいにしたくなる時は、きっと今後もたくさんある。僕もそう。でもそれは、この校舎のOSにまだ自分が合わせられていないだけ、という一面も確かにあるのだ。そういう時は、一方で愚痴を吐きながら、もう一方でひっそりとこの文章に立ち返って、また頑張っていきたい。