2022年11月29日
「初任である1年目に、驚いたことや違和感を持ったことは、忘れないようにメモしておいた方がいい。」と、大学を卒業する時にお世話になった教授に教えてもらった。
それは、どんなに驚いたことや違和感を持ったことでも、その環境にいるうちにどんどんと慣れて当たり前になってしまうから、という理由からだそうだ。
私は、今年風越学園に入職した、いわゆる初任者。
風越学園に入って驚いたことなんて、言わずもがな、数えきれないほどあった。でも、そんな自分もこの驚きがだんだんと当たり前になっていってしまうのかもしれない。
そう思うと、「どれだけこの場に慣れたとしても、これを当たり前だと思いたくないなあ」と思う驚きが、風越学園にはたくさんある。
そのうちの一つである、「学校と保護者の関係」について、今回は言葉に残しておこうと思う。
私が「風越の保護者」としてのスタンスに出会い、衝撃を受けた最初の経験は、年度当初の面談の時だった。
風越学園開校前に開いていた認可外保育「かぜあそび」の時から風越に関わっている保護者と話していた時のこと。
保護者面談なので、「私から話をしなければ…」と思っていたのも束の間、「風越入ってみて、どうですか?」「大変でしょう」と、逆に私の様子を聞いてもらうという、まさかの展開に。
その保護者は、「私たちも、最初は戸惑ったけど、スタッフの姿から色々と教えてもらった」「風越はこうやって今までつくってきた」「うまくいかないこともあると思うけど、それをみんなで支えていくのが、風越だから」と、色々なエピソードを交えながらお話ししてくださった。
私にとって風越学園での最初の面談は、『風越学園は、こういう学校だ』というスタンスや歴史を、逆に私が教えてもらう時間になったのだった。
この面談は、私にとって度肝を抜かれる経験となったわけだが、一番印象に残ったのは、「保護者が『この学校はこういう学校だから』と、学校のスタンスについて自信も持って語れること」への驚きだった。
保護者のスタンスについて考えさせられたのは、風越に関わる歴が長い保護者からだけではない。
今年度、風越に入学した子の保護者が仰ったことの中で、私の中に残っている一言がある。
以前、かぜのーとにも載ったインタビューでも話した、アウトプットデイでのこと。
本番に向けて子どもたちが準備していたスーパーボールが、当日の朝になって溶けていることを発見し、「これから本番なのにどうしよう…」と、もはや若干絶望に近い気持ちで焦っていた私。
しかし、そんな私の様子と反対に、そのスーパーボール屋さんを準備していた子のお母さんは、その溶けているスーパーボールを目にして、笑顔で目をキラキラさせながら「ドラマがありますね〜!」と言ってくれたのだった。
このアウトプットデイを、今まで私がやってきた授業参観だと考えてみると、本番でやる内容であったスーパーボール屋さんが開店できない、となったら、見に来た保護者は単純に残念に思うだろう。
そう考えてしまう気持ちもあり、これまでのいわゆる授業参観では、子どもたちの集大成のような良い場面を見てもらえるように、準備や設定を行っていた。言うなれば、子どもたちの「完璧な姿」や「理想的な姿」が見てもらえるように、意識をしていた。
しかし、この場面でその子の保護者から言われた「ドラマがありますね〜!」という言葉は、その保護者が、自分の子の「完璧な姿」や「理想的な姿」を求めているのではなく、そんな場面でもその子がどうやって乗り越えていくのか、そのプロセスを見守りたい、という思いが伝わってきた。
その言葉を聞いて、私自身も「そうか、この場で大事なことは子どもたちの完璧な姿を見せることじゃない。大事なのはここまでのプロセスを感じてもらったり、ここまで育ってきたその子の姿を見てもらったりすることなんだ。」と、肩の荷が降りたような気持ちになり、自分の意識が変わっていったことを鮮明に覚えている。
この気付きはある意味、当たり前じゃないか、と思われるかもしれないけれど、私は当たり前に思えることではないと思う。
それは、教師が学校で行うことや子どもに伝えることは、「子どもの後ろにいる保護者のことを考えて決めている場面」が、すごく多いと感じているからだ。
例えば、子どもにチャレンジをさせるか考える場面。そのチャレンジによって多少怪我をしたとしても、その子にとって挑戦になるなら、やらせてみたい。でも、それによって怪我をすることは、保護者は求めていない(と思う)。
例えば、テストをやるかどうか。やらなくてもいいと思うけれど、やらないと保護者に成績の説明ができない。
もちろん、私がこれまでの学校で出会ってきた保護者のみなさんには、本当に感謝しているし、すごく良い保護者に恵まれてきたと自信を持って言える。
しかし、失礼になってしまうかもしれないことを承知の上で言えば、「今のその子には必要がないと思っているけれど、保護者のことを考えて、保護者のために子どもたちにやらせている(逆にやらせない)こと」が、これまでの経験の中ではたくさんあったことは事実だ。
私の中でのこれまでの保護者との良好な関係性とは、「教師がやる教育活動を見守り、支えてくれる」という関係性だった。
それと比べて、風越学園の保護者と関わるようになって感じるのは、「スタッフがやる教育活動を見守って支えてくれる」ということももちろんなのだが、それ以上に「共に子どもの育ちを支える同志」という感覚があるのだ。
こう感じる理由はたくさんあるのだが、例えばどういうことかと言うと、風越学園では保護者が子どもたちの育ちを支えるために、様々な場をつくっていくことが多くある。
私が担当している1、2年生では、保護者が定期的に、zoomや対面での「おしゃべり会」を開催してくれている。これは、子どもたちの学校生活を支えていく上で、まずは保護者同士がつながっていることが必要だろう、という考えで開催してくれているものだ。
最初、このおしゃべり会に「よかったらぜひ参加してください!」と声をかけてもらった時の、私の本心は「保護者とzoomでおしゃべり…!?」という感じ。今までの学校では、あり得なかったシチュエーションだ。
今思えば完全に被害妄想なのだが、「保護者が集まった場所で、どんなことを言われるのだろう…。文句とか言われてしまうのだろうか…。」と恐れながら参加した。
ドキドキしながら顔を出してみると、心配していたことが嘘のようなウェルカム感。もちろん、スタッフとしてお話しする場面もあったけれど、それよりは、私個人として、保護者の人たちの楽しいおしゃべりを聞かせてもらったり、私自身のお話をしたりする時間だった。
会の終わりに1人ずつ感想を言う場面で、思い切って、正直どんなことを言われるかちょっと恐れながら来たことを伝えてみると、皆さん「そうなの!?」という驚きのリアクション。
私としては、「え、教師と保護者ってなったら、そりゃそう思わない…?」という感覚だったので、ここがまず私の中でズレていた感覚なのだ、と実感することとなった。
保護者の皆さんがつくっていた場は、スタッフと保護者を線引きする場ではなく、スタッフと保護者が歩幅を合わせていくための、第一歩の場だった。
「みんなで子どもの育ちを支える」というのは、言葉で表すのは簡単だけれど、実際に実現していくのは、本当に難しいことだと思う。
学校では、日々子どもたちが関わり合いながら、目まぐるしく様々なことが起きている。
子ども同士が関わり合うからこそ、彼らは様々な出来事や感情を経験していきながら育っていくわけだが、それには様々な衝突や折り合いの経験も、もちろん含まれてくる。
子どもたちの育ちを支えたいと思っているスタッフとしては、このような日々の衝突や折り合いは子どもたちにとってすごく重要な場面であり、大切にしたい機会である。
しかし、重要な場面であるということは、子どもたちにとっても、それほど気持ちが揺れ動く場面ということなので、衝動的な気持ちが抑えられなくなったり、手や足が出てしまったりと、私たちスタッフにとっても予想できないような展開になることもあるのが正直なところだ。
私が担当している1、2年生だと、このような場面でまだ手や足が出てしまうこともあるのが、等身大の子どもたちの姿だ。
もちろん、一方的な暴力は絶対に許されることではないので、そこは子どもたちに厳しく伝え続けてる。
しかし、正直な気持ちを言ってしまうと、伝えるだけでなくなるなら、誰も苦労はしていない。これは、もちろん誰より、手が出てしまう本人も。
このような手が出てしまう場面があった場合、どうしても子どもたちは「被害者」と「加害者」という関係性になってしまい、この子どもの関係性が、そのまま保護者の方の関係性になってしまう、というのがよくある流れだと思う。
しかし、この二項対立のような関係になってしまった時点で、「みんなで子どもの育ちを支える」という関係から少しずつ離れていってしまうのではないだろうか。
そこで11月初旬、神戸大学の赤木さんが来校しているタイミングで、保護者が、そのような子どもたちの育ちをみんなで支えていくために、「低学年の発達についてみんなで学び合おう」という勉強会を立ち上げてくださり、実際にたくさんの保護者の方とスタッフが集まる場となった。
様々な子どもたちが集まっているからこそ、一人一人にとって風越学園がより良い育ちの場であってほしい、自分の子だけではなくてそれぞれの子のことを理解して、みんなで支えていきたい、という気持ちが集まって実現した場であった。
私自身としては、このような場がスタッフ発信ではなく、保護者発信で生まれたことが、本当に驚きであると共に、なんて心強いんだろうと感じた。
保護者のみなさんの、自分の子どもだけでなく「学校の子どもたちの育ちをみんなで支える姿勢」が風越学園の強みである、と心から感じる機会となった。
風越学園の大切なキーワードに「子どもも大人もつくり手である」というものがある。
風越学園に関わる人は、それぞれが「つくり手」となっていく。
これまでに挙げてきたもの以外にも、放課後村の運営のことや、普段のサポートなど、きっと私が知らないところでもたくさんの場面で、保護者の方がつくり手となっている場があるのだと思う。
これは、本当にすごいことだと思うし、この力が風越学園の土台となっているのだろう。
こうやって「つくり手」ということにフォーカスして書くと、このように大きく何かを立ち上げたりすることがつくり手だ!と伝えているように、読んでいる方はプレッシャーに感じてしまうかもしれない。
けれど私は、そういうことが伝えたいのではなくて、つくり手としての関わり方は、様々な方法があると思っている。
場を立ち上げること、その場に参加者として参加して共に場をつくること、その場に参加はせずとも「応援しているよ」と声をかけて場にあたたかさを加えること、参加せずともその場に思いを寄せて考えること…。
それぞれが、今の自分にできるやり方や、やってみたいと思うやり方で、何か少しでも動いてみることが、つくり手になっていくことなんだろう、と思っている。
そして、保護者の方々がそうやってつくり手として、一緒に学校をつくっていってくれること、子どもたちの育ちをみんなで支えようとしてくれていること、そのことを私は、共に学校をつくっていく仲間として、何より心強く感じている。