だんだん風越 2021年5月11日

かざこしミーティング、はじめの1年を振り返る

片岡 利允
投稿者 | 片岡 利允

2021年5月11日

開校初年度のことを振り返って、僕は、「かざこしミーティング」とともに、この1年を歩んできたなあと思う。いろんな挑戦があった中でも、全ての軸になっていたのが「かざこしミーティング」だった。

「かざこしミーティング」を通して、いろんな立ち位置から風越の今を感じること、見えてくることがあった。聞こえてくる声があった。でも、それは、いつも誰かと分かち合えていたわけではなく、その多くは孤独とともにあったように思う。

そんな中で、1年間、力強く挑戦し続けられたのは、CDP(カリキュラム・ディベロップ・パートナー)のまーぼー(古瀬正也さん)の存在が大きかった。僕たちは、毎月、オンラインで「かざこしミーティング」のことを語り明かした。はじめは、対話の専門家に相談するような気持ちだったが、いつしか、ともに夢を見る仲間のように感じ、互いに刺激し合う関係性になっていった。

今回は、そんなまーぼーにインタビューしてもらい、かざこしミーティングの1年を振り返ったもの。噛み締めて2年目を歩んでいきたい。

かざこしミーティングの1年を振り返る

__ 〔まーぼー〕2020年度は全部で10回のかざこしミーティングを実施したけれど、とっくんは今、どんなことを感じてるんだろう?


〔とっくん〕次への期待みたいなものが結構大きいかなあ。この1年は悩みもつきなかったし、自分の中でいろんな感情がぐちゃぐちゃになったこともあったけど、子どもたちの姿が変わってきたり、子どもたちによるファシリテーターチームが立ち上がったり、やってきたものの一つひとつがすごく重要だったなと思えていて。積み重ねてきたなっていう感じはすごくしているんですよね。

ちょっとずつ違う景色が見えるようになってきて、積み重ねの先に、「次どうしていこうかな」と考えることに今、すごくわくわくしています。

CDPのまーぼーと、スタッフのとっくん。まーぼーはこの1年、かざこしミーティングの伴走をしてくれた。

__ その積み重ねてきた景色から、何が見えつつあるんだろう。

かざこしミーティングって、最初は「風越みんなの場」というところから始めたんだけど、その“風越のみんな”という中にあるグラデーションみたいなものが、この1年でだんだんと見えるようになってきて。

例えば、前期、後期、小学生の中でも1年生〜6年生、あとは中学生、というような年齢のグラデーションもあるけど、かざこしミーティングという場や、風越学園をつくるということへの気持ちのグラデーションもあった。あとは、個々の言語を使う対話の得意不得意のグラデーションもあるんだなということが見えてきたんですよね。

それで、いつも同じように場をつくるだけではダメだなとか、そもそもかざこしミーティングという場のファシリテーションだけじゃなくて日常が大切そうだとかが更に見えてきました。

第1回目から、幼児〜中学生までみんなでつどう時間を大切にしてきた。

__ たしかに最初は風越学園という全体の大きさで見ていたけど、解像度があがってくると、実はその中には前期と後期もあるし、他にもいろいろなグラデーションがあって、それに合わせて場づくりを展開していく必要があったよね。

第8回以降は、前期と後期にわかれてミーティングをしたり、ホームの話はホームでやろうとか、これは全体で取り扱うべきことなのかということをチューニングしながら、ミーティングを開くようになっていって、それはとても理にかなっていたと思う。


あと、スタッフの中にもグラデーションがある。ようは、学校って、多様な複雑な集団で、さらにわざと複雑にしようとしているのが、風越学園だと思うんですよね。異年齢で混ぜたり、一律一斉で画一的な学校教育とはまた違った文脈で動いたりする中で、人が本来持つ自然体な姿に戻っていくような場所なんだろうな、そういうことを大切にしていこうという場所なんだろうなと、僕はこの1年を通して感じました。


だからこそ、みんなで集ってミーティングをしていくということの価値というのは、この1年たくさん考えたなー。かざこしミーティングだけなんですよね、風越で全員が集まるの。

__ わざと複雑性を高めているんじゃないか、というのは面白いね。わざと、というのが気になる言葉だな。

異年齢のホームなんか、まさにそうじゃないですか。少なからず僕は、それが人が本来持ち合わせたものが生かされる形だということを感じながらやっているけど、今までの学校教育の中でというと、そういう事例は日本では少ない。異年齢で複雑なまま、それぞれが持っているものを生かしていくことは、かざこしミーティングの挑戦にもつながってくるところだなというのは思っています。

わたしの場所から、わたしたちの場所へ

__ 風越はみんなで集まる機会がかざこしミーティングしかないと言っていたけれど、風越の中で、かざこしミーティングはどんな機能を果たしていたんだろう?

第10回の振り返りの紙にも書いていた子がいたんですけど、かざこしミーティングは「こういうことを思っている人がいるんだ」とか、「自分とは違う考えがあるんだ」、「自分の周りの人たちとは違うように思っている人もいるんだ」ということを知る機会だったんじゃないかなと。

たとえば、象徴的な動きの一つとして掃除のプロジェクトがあったんですけど、気になっていない人は気になっていなかったと思うんですよね。でも、汚くてどうにかしたい、このままじゃこの学校やばいと思って継続的に動いているプロジェクトの子たちがいたことで、何も感じていなかった人もそういう声に共鳴して、おれもちょっと掃除のことやってみようかなと動き始めた。もちろん、それでもやろうとは思わない人もいるけれど、学校の汚れや丁寧に物を扱わないことが気になって動いている人たちがいるんだなーということを感じ取るくらいは起きていたはずで。

掃除プロジェクトチームが掃除の仕組みを一から提案して、今も修正しながらより良い形を模索中。

そういう変化を見ると、一人ひとりがそれぞれに行動(生活)はしているんだけれど、この風越学園という場を共有して暮らしているんだなということを思ったし、その中でいろんなことを感じていたり、感じていなかったりすることを共有することで、“わたしの場所”がちょっとずつ“わたしたちの場所”になっていく感じがあったなと思っています。

快・不快を交換していくことで、徐々に”わたしたちの場所”になっていく。まだまだ不完全ではあるけど、少しずつそうなっているんじゃないかなというのは、かざこしミーティングの動きを中心に感じることはよくありますね。

__ そうか、”わたしの場所”から”わたしたちの場所”になっていって、共同体みたいな感覚があったんじゃないかと。

今聞いてて思ったんだけどさ、快・不快の違いを交換していくって、たとえばトイレの掃除の件でいうと、それぞれの快・不快の差が顕在化していくと思うんだよね。不快を感じている人から、「きれいに使ってほしいです」という要望も出てくるわけだよね。それを気にしていない人たちが守らなかったりすることで揉める、みたいなことってなかったの?「なんでみんなやってくれないの!」みたいなことで喧嘩するとか。

面白いことに、そういうのはあまり見えてこないんですよ。あちこちで不満の声、怒りの声みたいなものは聞こえてくるんだけど、ぶつかる機会ってないんですよね。

強いて言えば、体育館倉庫のボールの表面部分が破れていたり、ボールがなくなっちゃうことに課題意識を抱いて「ボール救出プロジェクト」という活動をずっとしていた子たちがいるんですけど、1月か2月くらいのかざこしミーティングで「体育館倉庫を一週間使用禁止にします!」みたいなことをグッと強く主張したの。その場面で、周りがちょっとざわついて、最後に自分の意見を付箋に書いて表明するみたいな時間を持ったら、「あまり体育館使っていない人が勝手にそういうこと決めないでください」と書かれていたことはあったかな。その子たちは、次のかざこしミーティングの時に、付箋に書かれていたこと全てについて、Q&Aにして答えていたから、結局感情的にぶつかるみたいなことは起きなかったんですけど。

体育館倉庫を1週間使用禁止にすることをみんなに提案する。

だからやりとりはあるんだけど、それが喧嘩だったり、言い合いになることはなくて。なんでならなかったのかということを考えると、まだそういうことができる関係性になっていないのかなというのはあって。ちょっと距離がある感じ。子どもたち同士の口論って、それこそホームだったり、仲の良い友だちの仲ではあったけど、かざこしミーティングの快・不快の交換、お互いの主張を通しての中では起らなかった。まだまだ熟していないというか、関係が1年目だったなあと。

いろんな考え方があるとは思うんですけど、僕は、ホームや仲のいい人以外とも喧嘩や口論ができる関係性になっていくと、面白そうというか、次に進んでいくんじゃないかなとは感じています。

自分とは異なる快・不快に出会う環境づくり

かざこしミーティングって現状、それぞれの関心を元にテーマが分かれて、ミーティングが開かれるという構造になっていて。同質性や全体性を大事にする場所なんだけど、多様性も大事にする場所でもある。

それぞれが話し合いたいことを持ち寄って、分科会を開くか、どの分科会に参加するかを検討する。

だからさっき、”わたしたちの場所”になっていくと言ったんですけど、違った価値観を持った人とバッティングする機会が極端に少なかったのかもしれないなとも思うんですよね。そういう意味で、違った価値観を持った人とお互いの快・不快を交換することとか、乗り越えていくというところまで至らなかったなという気がしています。

__ なるほどなー。たしかに自分で選べるものね。テーマに関心や問題意識のある人が集まってくる。あと、〇〇が手をあげていたからとか人で集まってくるところもあるだろうから、全く反対の意見を持った人、馬が合わないような人と対話するということは、同質性の高い分科会では起こりづらかった可能性はあるよね。

話していて思ったんだけど、たとえば、トイレ掃除っていうテーマのステークホルダーは誰かというと、トイレ使う人全員という話になる。だからそのテーマに関係する人にはちゃんと声かけようね、というのもありなのかもしれないなと。

たしかになあ。そうすると、かざこしミーティングの中でも、自分や自分の周りとは違う快・不快に出会えるようになっていきそう。

ターニングポイントと子どもたちの変化

__ ここからは「変化」について聞いてみたいなと思っていて。さっき話してくれた、わたしからわたしたちになっていった、共同体の感覚を育んできたというのは、一つの変化でもあると思うんだけど、他にもあるんじゃないかな。

第5回のミーティングがターニングポイントだったんじゃないかと思っていて。「よりより風越をつくっていくためにあなたが話し合いたいことは?」という問いから、「風越で最近どう?」という問いに変えたんですよ。

というのも、それまでのかざこしミーティングは掃除プロジェクトとか、流し〇〇プロジェクト、森を守ろうプロジェクトという感じで、プロジェクトを立ち上げて進めていくような場所だったんですよね。それは、問いの中に「よりよい風越をつくっていくために」という言葉があったので、何か課題や問題を解決するプロジェクトだったり、実現したいこと、やりたいことがある人が声をあげてやっていくという場になっていた。

でも、課題を解決したいとか、プロジェクトにしてなんかしたいというだけでなく、風越にいてこんなふうに感じているだよね、ちょっと気になっているんだよね、もやもやしているんだよねということに、ちゃんと焦点をあてること、そういうことから拾い上げていくということが大事なんじゃないかと思ったんです。もちろんプロジェクトにして進めていくことも素敵なんだけど、それだけだと目に見える変化ばかりに気を取られて、日常的に感じていることを大事にできてないんじゃないかって思うようになって、第5回は「最近どう?」という問いにした。

そうしたら、子どもたちから出てくるものがガラッと変わったんですよね。ある女の子は、スタッフが最近オフィスばっかりにいるから、スタッフも含めてみんなでドッチボール大会したいと言って、その日のうちに日程調整して次の週には開催したり、ファシリテーターチームをつくるきっかけになった「かざこしミーティングの進め方ってどうなの?」という問いをカイノスケが僕にくれたのも、第5回だったんです。

かざこしミーティングの進め方について、疑問を投げかけにきたカイノスケ。今ではかざこしミーティングのファシリテーターチームの中心メンバーとして、場のつくり手になっている。

後日カイノスケに聞いてみたら、その時すごくそれを課題に思っていたかというよりは、なんとなーく思っていたくらいだったけど、ふりかえるとあそこで疑問投げかけておいてよかったなと思うって。

だから、よりよくしよう!とかじゃなく、なんとなく素朴に感じている疑問を出したことが結果としてすごく大事なきっかけになっていく・・・みたいなことがこの回からの変化かなと思います。


__ 子どもたちのファシリテーターチームが発足されたことは、かざこしミーティングにとっても大きな変化だったよね。


ほんとそうで、今はもうほぼファシリテーターチームがかざこしミーティングの場づくりをしているんですよね。当日も、前にメインのファシリテーターの子がいて、裏で時間を気にしながら次どうする、何分までなら延ばせるよねとやりとりをしている子や、僕に「とっくんこうしてくれる?」みたいな指示をしてくる子がいて。バトンが子どもたちの手に渡っていっている感じがある。

今年度最後のファシリテーターチームのランチミーティングでは、

「来年度は第1回にする?第11回にする?」
「第11回でしょう!そっちのほうが継承していっている感じするじゃん。」
「じゃあ100回目になったらみんなで集まろうぜ」

みたいなやりとりもあったりして。

第10回を終えて、すでに意識は次の1年へ。すっかりつくり手として自立した頼もしい人たちです。

間違いなく子どもたちの中で、自分たちでやりたいことをやっていいんだという雰囲気になっている。新入生を歓迎するチームが、1月には立ち上がっていたりもして、スタッフの前に子どもたちが走っていく動きがぽこぽこ生まれているんですよね。

温めてもらいながら進んだ1年。そしてここから。

__ とっくん自身の変化はどう?

僕自身は、見ようとする部分がすごく変わった。僕は前期のスタッフで、1・2年生をメインに見ていたけれど、かざこしミーティングを始めたことで、風越で起こるあらゆることが自分ごとになったんですよね。前期で起きていることはもちろん、後期で起きていることも、風越全体のことも、スタッフ間のことも、全て複雑に絡み合っているんだと感じるようになったり、部分だけで解決していても仕方ないように見えてきたり。前期のスタッフなんだけど後期のミーティングにも毎回参加させてもらうとか、自分の動きも変わりました。

でもその変化は、自分にとって結構負荷のかかるチャレンジングなことであり、やり甲斐のあることでしたね。正直ずっと苦しかったんです、かざこしミーティング(笑)。わくわくしてやっていたというより、来週かざこしミーティングだって、ちょっと憂鬱になりながらやっていた。大事な場所だから妥協したくないし。ちゃんといい場をつくりたいから、毎回やりきったとは思えてたし、熱を持ちながらやってこれたんですけど、苦しい気持ちは1年間抱えながらやっていたかなあ。

__ 悩みや苦しさもありつつ、熱を持ち続けたままやれた。その背後には何があったのかな。

それは明確にあって、葛藤を共有する仲間がいたということ。自分自身が熱が冷めるというか、折れそうになる場面もあったけど、こうやってまーぼーと毎月話ができたり、最近だとうまっちとよく話をしたり、立ち上げ当初はしんさんやゴリさんともよく話をさせてもらって、自分の安心につながって、同じ思いを持った仲間がいるということで湧いてくる力がありましたね。

一人で探究し続けるってすごい難しいことだなと思うんです。人だから波があるし。特に沈んでいる時ってネガティブな思考に陥りがちになるというか、いいことが見えなくなったりすることもある。そういう時に、伴走者というか共同探究者みたいな人がいてくれるのはすごく大きいなと。

だから、熱は冷める時もあるんだけど、人から熱をもらうというか、温めてもらった感じ。そうすることで保つことができたんだと思う。僕自身だけで保つのは無理だった。

__ 内部や外部、周りの人と分かち合うことで熱を保ってきた。一年伴走してきてよかったな。ありがとう。

こちらこそです。

あ、あと変化という話に戻ると、もっともっと先のことまで考えるようになったというか、しんさんが以前100年続くブランドをつくる企業の話をしてくれたことがあって、風越学園で100年続く文化を作ろうと思った時にかざこしミーティングってすごい重要なものになりそうだ、と改めて感じたんです。

すごくながーい挑戦になると思うんだけど、そういう挑戦が今ここにあることを贅沢だなって。そんなことに挑戦できる、挑戦したいと思えることって、ないと思うんですよね、1から100年続く学校の文化をつくっていくみたいな。そういうのをね、自分の人生の中で、大きなものに挑戦させてもらっているなという感じはすごくしていて、これまでそういう感覚を味わったことなかったので、大きな変化ですね。

第10回の集合写真。「つくる」の「つ」を表している。「つづく」の「つ」でもあるよね、みたいなこともファシリテーターチームで話をしていた。

__それは大きいねぇ。いいね、100年後もかざこしミーティングが続いていたらどんな形になっているだろうね。

最後に、今年度最終の第10回でやったこの問いをとっくんに聞いてみたいなと思います。「あなたにとってかざこしミーティングはどんな場でしたか?あなたはかざこしミーティングという場をどのような場所にしていきたいですか?」

一つ目、あなたにとってかざこしミーティングはどんな場だったか。僕にとって、どうだろうなーーー・・・声を聞く場だったなという感じかな。それはね、子どもたちの声もだし、スタッフの声も、僕自身の声も。声を聞く場だった。かざこしミーティングだから聞けた声、拾えた声もあったなあって。あの人の声をあんまり聞けてないなとかも思えるようにもなった。

二つ目、あなたはかざこしミーティングをどんな場にしたいか。声を聞いてきたんですけど、まだ活かしきれてないなという気はしていて。できる限りみんなの声からつくっていける、みんなの声を活かせる、そんな場にしていきたい。それはね、声なき声をも活かせる。

声って、その人を表すメタファーでもあると思うんですよね。つまり、声はその人を丸ごと表しているものというか。頭だけで考えている言葉だけじゃなくて、その人の感性とか感覚、心の底に眠っている欲求までもが現れるものだと思うし、それが生かされることが民主的な場をつくるということだと思うので、そんな理想にはなかなか辿り着けないとは思うんですけど、ここからできる限り挑戦していきたいなあって。

__声を発したわけだから、それがちゃんと生きていったり、お互いの声が重なって活かされていく感じになるとよりいい。一年やってきたからこそ、ぐっと言葉に力があるなぁ。



最後に、まーぼーが運営する、古瀬ワークショップ事務所のホームページに掲載されている「対話に生きる − Live On Dialogue − 」の詩の一節を紹介したい。

「みんな違って、みんないい」で留まるのか。
それとも、その先の茨の道に歩み出るのか。

その道は、時に険しく、時に困難だ。
互いの違いを認め合った上で、
なおも、納得できる共通解を見出そうとする
「共通了解への道」である。

道半ば、これまでの人生を
否定されている感覚に陥ることもあろう。
理解できない他者を目の前に、
途方に暮れる時もあろう。

だがしかし、 目の前の他者と共に生きていこうとする限り、
決して諦めてはいけない。
対話こそが、「共生の道」なのだから。

対話とは、小手先の技術ではない。
対話とは、全存在で他者と関わろうとする、
その姿勢と態度と、覚悟である。

わたしは、対話を信じる。
わたしは、対話に生きる。

2年目も挑み続ける。
「かざこしミーティング」を対話に生きるための場として。

(インタビュー実施日:2021年3月25日)

片岡 利允

投稿者片岡 利允

投稿者片岡 利允

歩く、書く、話す、歌う、弾く、笑う、食べる、呑む、が好きな関西人です。感性・感覚・感情・直感・重視だけど、じっくりゆったりどっぷり考えることも好き。いい循環を生む触媒のような存在になりたい。風越のはじめの1年を終えた今、「ファシリテーション」「保育」「読み書き」あたりに関心があります。こう見えてまだ20代。シンガーソングライター。

詳しいプロフィールをみる

感想/お便りをどうぞ
いただいた感想は、書き手に届けます。