2021年1月7日
2020年11月下旬から年内までに、スタッフと本城・岩瀬との面談を実施しました。面談までにスタッフに手渡された問いはふたつ。「私は今、どこにいるか」と「私は、これからどこに向かおうとしているか」。問いを深める軸として「専門性の発揮」と「文化への貢献」が提案され、それをもとに面談でやりとりすることになりました。
また、本城・岩瀬からはスタッフそれぞれが「今、どこにいるように見えるか」、「これからどこに向かってほしいか」について伝えられ、自分のはたらきについて改めて自覚する機会になりました。
ふたりはその2つの問いについて、それぞれどんなふうに考えているんだろう。2020年の終わりに聞いてみました。
__スタッフ面談での私たちスタッフへの問いと、それをもとにしたやりとり、とってもよい時間でした。今日はふたりにも「自身の専門性」と「風越の文化への貢献」という軸で話を聞かせてもらえたらと思っているんだけど…まずは開校からここまでの8ヶ月、自分の“はたらき”についてどう考えたり感じているのかについて、聞かせてください。
岩瀬:難しかった、難しい8ヶ月だったなぁと思っていて。僕は、軽井沢風越学園の“校長”だけど、6月に通常登校が始まってみると“実践者”としての自分がワサワサと出てきて、自分だったらこうするのにな、もっとこうしたらいいのにっていう方に関心が向いてしまった。
もちろん、実践がより良くなっていくことは学校がより良くなっていくことだと思うんだけど、だからって自分が実践者の目線でどんどん入っていってしまったのは、いま振り返ると一番やっちゃいけないことを張りきってたなって。改めて自分は、校長初心者だなあって自覚した8ヶ月でもあったなー。
本城:そりゃ、張りきるよね。
岩瀬:今もそれを手放せているかというと全く手放せてないんだけど、でもそこでの自分のあり方は変わってきて。一人ひとりのスタッフが成長していく、変わっていくことなしに学校ってより良くなってはいかないけど、それは実践をどうこう…ということじゃない、っていう当たり前のところに戻ってきた気がする。
__ゴリさんの中で、その変化が起きたのはなんでだったんだろう?
岩瀬:一番戻れるきっかけになったのは、インターンのなぁちゃんたちとのリフレクションの機会かな。
スタッフと同じ場面を見てやりとりすると、「こうした方がいいよ」というパワーも相手に伝わってしまって、スタッフが「自分はダメだ」「できてないんじゃないか」と苦しくなったり、実践の主導権がスタッフ自身の手元から離れてしまうことが起きていたんだよね。
でもリフレクションは、本人が見た世界が自身の言葉で書かれている。そうすると、僕もその言葉に対して「もう少し聞かせて」とか「こういう角度から見るとどう思う?」って相手の文脈の中でやりとりができて、「こういう関わりかたもあったかも」「次これやってみよう」が本人の中から生まれてくる。そういう伴走の仕方というか関わり方が人の成長に貢献できるということだって、インターン3人とのやりとりの中で思い出せた。だからインターン3人には本当に感謝してる。
今は「1ヶ月くらい伴走したいんだけどリフレクション書かない?」って、さんだーを誘ってるの。そういうところから自分の役割を捉え直してみようかなって思ってるんだよね。
「ふりかえり」をふりかえる(高田 ひなの):https://kazakoshi.ed.jp/kazenote/now/15210/
__自分の役割を捉え直してみようかなって。
岩瀬:しんさんもいるし、経営的なことはグイグイやってくれるから、僕はスタッフが成長することや学び続けられること、働きがいがある組織にどう貢献できるか。直接的にも間接的にも、そういうことをやりたいなと思ってる。大人が学び続けたり成長し続けることが喜びになる職場であり、「風越にいた何年で自分って成長したな、変わったな」って思える組織になると嬉しいなと思ってるから、そこを頑張りたい。
岩瀬:でも、専門性のマイナス面というか難しいなと思ってることもあって。僕はこれまで学校教育の中で生き続けてるじゃない。学校という枠の中の教育をずっと考えてきたから、新しいことを始めようと思ってもその枠の中に自分がいるなーって思うんだよね。
例えばこないだ辰巳さんが「”学校”になってきてる感じがする」って言ってた時も、ドキッとした。従来の“学校”をつくろうとしちゃってる自分に気づいて、そこは悩ましいなって思ってるというか、やばいな、みたいな感じはあるの。あるんだけど、つい「ここ整備しておかないと」とか「指導要領は過剰に意識しないけど無視は違うでしょ」とかって、“学校”をつくっていく方に動いちゃう。もちろんその動きも間違ってない。間違ってはないんだけど、それがスタッフの動きを硬くさせるなぁと。
それこそ、開校前はこれくらい(想像していた1年目の姿という意味。手で高さを示していた)まではすぐできるんじゃないかって思ってたし、そこから先にぼーんとはねていこうって思ってたんだけど。でも、実際はまずそこまでいくのも大変で、プロジェクトどうこうとかホームどうこうとかって、もっと手前のところで右往左往している感じ。で、最低限ここまではいこう・・・というアプローチになっちゃって、学校的になっていくというかさ。
右往左往してる時に、学校らしいアプローチにいくのか、もっと脇から逸れてぼーんといった方がいいのか。もしかしたら、後者がいいんじゃないのかなっていう気はしてるの。僕とかが想像する外側のことをやりだす人がたくさん出てくることでしか、新しいことって生まれないのかもなって。かざこしミーティングの動きとか、おもしろいなと思うしね。
本城:ゴリさんの言うように、もっともっと新しい方向のものって必要。でも僕は、学校っぽくなることは決して間違った方向性ではないとも思うよ。一旦しっかり学校っぽい方向性にいく。その上で、次が見えてくるんじゃないかなぁ。
学校っぽくなることで、学校“なのに”、学校“だけど”、学校の“くせに”、みたいな感じのことがきっと立ち上がってくるはずで、そうすると「あれ?なんか違うぞ」って気づいて、次の新しい方向へいける。創造しないと壊れないというかさ。
実際、今までもそういう動きって何回か出てきたじゃない。あれ?なんか違わない?っていって、自分たちで新しい方向へ動き、つくり始めたよね。そういうことができるスタッフたちだっていう信頼はあるな。
岩瀬:でも壊すのって、ほんと難しいよね。今は、良かれと思ってやったことが積み重なって、大人も子どもも身動きが取れづらくなってる感じがある。
6・7年生のハルカやアイリ、セツ、ホノカ、ミサトみたいに「なんか違う」って子どもも思い始めてるし、スタッフの中でも「あれ、ちょっと違うな」って思い始めてる人がいる。一方で、これもやった方がいいよねっていうポジティブリストはどんどん増えていきがちで。
どれも「良いこと」ではあるんだけど、そこからどう引き算して生まれた余白から、なにをつくりあげていくのかってことが大事だよなぁと思うし、いろんなスタッフのいろんな気持ちがある中で、自分はどうしようかな、どう関わろうかというのはすごく悩むなー。
__きっと、俺やろうかってゴリさんが自分で実践したら早いかもしれないけど、そうじゃないもんね。それ以外にできることってなんだろう。
岩瀬:もっともっと、シンプルにできないかなって思ってる。子どもたちや保護者からおもしろいプロジェクトの提案がでてきた時に、「いいね!すぐやろうよ」と言えるくらいにシンプルに。今だと、そういう提案があったときに誰とどこの時間でできるか迷うというか、余白がないなってなっちゃう。
本城:難しいよね。でも、「幸せな子ども時代を送ってほしい」という願いに戻ることは大事なんじゃないかなぁ。幸せな子ども時代が送れる場所ってどういうところだろうって考えることで、4月から毎年違う学校になるくらいの気持ちを持てるといいよね。校舎はもう一回つくれないけど、この中で起こることは何度でもつくっていけるはずだから。
__ もっとシンプルになったら、どんなことが起こるんだろう。
岩瀬:3回目のアウトプットデイ(12/23に開催)、よかったな、感じが変わったなぁと思っていて。自分の学びとか自分でやっていることを自分の言葉で語る子が増えたよね。
本城:5・6年生のテーマプロジェクト「森とつながるアースデイ風越」の発表とかね。
岩瀬:そうそう。プレゼンの持ち時間が1分しかないのに5分話しちゃうみたいなことも起きてたじゃない。それってすごく幸せなことだなあって。話したいことがどんどん出てくる。全然リハーサルもせずに、その場で出てくる言葉をそのまま話す感じなんだけど、それもスラスラ出てきて、すごくいいなあって。
で、そういう姿が出てきているというのは、自分の手元で自身の探究や学びをしていると実感している子が増えているってことだと思う。それは、スタッフの中にも「そういう学びがいいよな」っていう人が増えているからだとも思うんだよね。
あとは、3・4年生の2つのテーマプロジェクトは、それぞれのプロジェクトが関心を持ち寄る機会を設けたことで、子どもが「私もキャンプしたい!」って、もう一つのプロジェクトに越境するし、スタッフももう一つのプロジェクトに関わろうみたいなことが起きていった。
さっき話した「森とつながるアースデイ風越」のプロジェクトも、あのグループだけ2回連続で同じテーマを探究したから、2本目にぐっと変化が起きておもしろくなっていった。今、そこから更に「これを続けたら、もっともっと探究が深まりそう」っていう手がかりを子ども自身が感じている気がしていて。担当スタッフのたいち、ぽん、ざっきーも手応えを感じてきて、「探究ってこんな感じだよね」というのが見えてきていると思う。
つまり、大人の計画の外にあることから、新しいことが生まれ始めているんだと思うんだよね。それがプロジェクトアウトプットデイでも結構見えたなあって思うな。
岩瀬:今、7年生のアイリたちがあげてくれている声って「本当はこういうことしたいのにできない、試したいのに試せない」ていうように聞こえていて。
スタッフの中にもやりづらさを感じている人もそうだと思うんだよね。調整コストが高すぎてやれない、調整しなくちゃできないならじゃあやらなくていいやみたいに、事前に諦めちゃう。そういうことがエネルギーを削いじゃうから、やってみたいと思ったらやれるということが、大人にも子どもにも増えるといいのかなって、特にここ2〜3週間は感じているかな。
本城:調整コストという言葉がでたけど、個人にもチームにも委ねる部分を多くしていっても、それが孤立の動きになることなく、協力とか協同的な学びとか活動が出てきてると思うんだよね。子どもも大人も、自分自身で決めていける、つくっていけるということの経験を積んできていると思うから、もっと委ねていけるといいんだろうなあ。
ただ、「委ねられても…」という不安もあれば、「委ねて本当に大丈夫なんだろうか」っていう不安も今はまだ若干残っているかなあとも思う。でも、つくり手につくることは任せていかないと。
岩瀬:自由な動きがいっぱい生まれるとカリキュラムになっていく、とも思うんだよなぁ。
本城:後から。
岩瀬:そうそう、後から。「やってみたい」をやったことから結果として出来上がっていくことっていっぱいあるんだなと思うんだよね。
シンノスケの水族館もそうで、あれを目一杯やることで生まれてきていることがあるし、アイリ(7年)たちの「カリキュラムに関わりたい」という動きから生まれてきそうなこともある。子どもたち発で大人が想定していなかったことがどんどん起きて、おもしろくなっていくと思うんだよね。コントロールしようとすると、つまらなくなっていっちゃう。
それは大人もそうで。カリキュラムどうしようかって細かく計画を立てて、コントロールしようとすると小さくなっていきがちだから、大人も子どもも裁量が増えていくといいなって思うなあ。おもしろいことって大抵、そういう裁量の中の思いがけないことで起きるから。
本城:ヒコ(5年)がChromebookでゲームやっている子たちに、「今はゲームをする時間じゃないぞ。誰にも迷惑はかけていないかもしれないけど、ゲームをするということは自分に負けているっていうことだからな」って声をかけたんだってね。注意しているというより問う感じで。その共有を読んだ時、ヒコ、変わったなあって思った。なんかそういう動きや変化があるよね、子どもたちの中で。
岩瀬:うんうん、そうやって変化している人たちがいる。この前、かぜのーとで書いたハルノの言葉も、結構痺れたんだよね。
ハルノ(小5)は、「これから風越がどうなっていくといいと思う?」の問いにこう話した。
「みんなが自分の好きなことを探究できるといいな。やりたいことを見つけられて、自分の世界を広げられるといいなと思う。自分の熱中できることって強いじゃん。強いっていうか、自分の個性ができていくっていうか。」
やりたいこと見つけて自分の世界を広げていくという感覚を彼女自身が感じて言葉にしたんるんだなと思ったんだけど、大人もそうあるといいよね。自分がやってみたことで世界が広がっていく、みたいな。
そのためには、みんなで相談してみんなでやっていく、まずはミーティングひらいて…だとやりづらいこともあるから、もっともっと自由に試せるようになるといいよなあ。それは、マインドもあるけど、仕組みで解決できることもあると思う。
岩瀬:去年の設立準備中、春から夏にかけて2つのチームに分かれてカリキュラムのこととか考えていたじゃない。学校の中に2つの学校をつくることでスタッフに裁量を渡して小さな試行錯誤の数を増やせないかっていう試みだったけど、最近ひっきーやたいちに「ゴリさん、今こそ小さな学校ですよ。あのころは使いこなせなかったけど、今なら使いこなせる気がする」って言われたんだよね。
だから今みたいに、一つの仕組みとか一つのシステムで回そうとするのは、目指しているものと相反している気がするんだよね。
本城:最終的には子ども一人ひとりの学校になっていくだろうからね。幼稚園の年少はもしかしたら24人が一つのシステム、入り口から始まるのかもしれないけど、7年生とか8年生とか年齢があがるほど、子どもが35人いれば35通りの学校になっていく。上にいけばいくほど広がっていくようなイメージになっていくのかもしれないねぇ。
風越で過ごす中で自分で自由を獲得していく、というか、自由になっていく。で、その先に一人ひとりの進路がある。
岩瀬:もし学校に子どもが1人しかいなかったら、その子の関心からスタートして、外の人とつないで、活動を広げていくと思うんだよね。2人でもそうするなと思う。10人くらいもそうするし、「せっかくだから10人でなんかやらない?」っていうこともやるかもしれない。どの数からそれができないなという気持ちになったり、枠組みで動いてもらわないと動かなくなるって思っちゃうのか。学校ってそうやってできたわけだけどさ、そこを超えていきたいよね。
昨日、ビデオグラファーの丸尾さんと話してたら、「アイリ、セツにインタビューしたら、すごく面白かった。アイリとセツが、今のこの状況をすごくわくわくしているって言ってました」って。たぶん彼女たちは、この学校が変わっていく種があるって直感しているのかもしれない。僕もそう思うんだよね、彼女たちが自分たちもカリキュラムづくりに関わりたいって言ってくれる動きに種があるなあって。
で、その時に大事なのは、じゃあ試してみようっていう裁量をちゃんと子ども自身に渡せるか。
__子どもの意見を聞いて、大人で考えておくね、じゃなくてね。
岩瀬:そうそう、意見をもとにこうしたよじゃなくて。子どもが声をあげるということは、「ここは、その余地がある場だ」って、「この声は聞いてもらえるはずだ」という信頼があるから言ってるわけで。それに応えたいよね。
そのためには、スタッフ自身もやりたいことをやれていることがすごく大事だとも思う。
__大人がやりたいことを我慢していると、「そんな好き勝手言って」ってなっちゃうもんなぁ。
岩瀬:だから、「やってみたらいいじゃん。そこからなにか生まれそうだよね」ってなっていきたいよね。
本城:そうなっていける関係性も、生まれてきているよね。
岩瀬:そうそう、実際スタッフはそうやって子どもと一緒に考えていて。それってすごいことだなあと思う。子どもの力を信じているよね。子どもたちも「ぼくの、わたしの手元にちょうだい」って言ってる。だから、今が大事な転換点にきているんじゃないかなって思うなあ。
12月25日の終業日翌日、スタッフは研修日で出勤。その日の午後、一緒にカリキュラムつくりたいという6・7年生3人と一緒に現時点でスタッフが考えているカリキュラムについて意見を交わしたり、開校前に書かれた情景を読んで交換したりした。
セツ(6年)はその時間の最後に、「1年目だから、言い方悪いけど、カリキュラムのこととか、スタッフが考えていることの実験台になってもしょうがないと思っていた。でも、どうせ実験するなら、自分たちが考えたカリキュラムのアイデアを、自分たちで実験をしたい」、と話したそう。学校の、そしてスタッフの役割って何だろうと何度も考えます。
( 2020/12/ 2・12/15談)