2020年7月8日
NHKで番組制作ディレクターをしていた、佐々木知範(通称:ササ)。昨年末、学校や教育とは全く異なるフィールドから軽井沢風越学園へジョインし、現在は事務局のスタッフとして、行政対応を中心とした学校事務、保護者とのコミュニケーション、日々の記録撮影のほか、最近では後期の子どもたちのプロジェクトに伴走しながら過ごしています。
なぜ、映像の世界から風越へ入ってきたのか。今、何を感じ、どんな未来を思い描いているのか。ササのお気に入りの場所でゆっくり話をしようと誘い、浅間山と空を覗ける浅間テラス前のおおきなソファに座って、ゆっくりと話を聞きました。
ー そもそもなぜ軽井沢風越学園にジョインしようと思ったんですか?
去年の夏、しんさんと出会って風越のことを聞いたんだよね。その当時、僕はまだテレビの制作ディレクターをしていたから、「そんな学校あるんだ。面白そうだな、取材したいな」と思って。
でも、すぐに「いや待てよ。取材とかじゃなくて、学校を新しくつくることに自分が参加したいんじゃないのか」とわくわくするようになったんだよね。
ー 映像制作と学校づくり、全く異なるものだと思うんだけど、ササはどんなところにわくわくしたのだろう?
映像の世界から学校とか教育という世界に来たということ自体は驚かれるかもしれないけど、僕の中で“つくる”という共通点はあるんだよね。
ー つくる、という共通点。
そう。僕、ゼロからつくるのがすごく好きなんだよね。番組づくりもそうだったんだけど、とことん調べて、考えて、人を巻き込んで、つくってみる。そのつくったものをまた壊して、つくっては壊して…と、ものづくりをしていく。
番組づくりって100調べるけど、実際にロケするのは10くらいで、編集してオンエアされるのは3みたいな世界で。でもその“できる限りよりよいものをつくっていく”ということが好きだし、わくわくするんだよね。
風越だとそれを子どもたちと一緒にできる。そんな楽しいこと、他にはないなと。
あと、元々大学生の時に野外教育に関わっていて、子どもと一緒にキャンプに行ったり、スキーのインストラクターをしたり、子どもに興味関心はあったんだよね。実はNHKにも、メディアの中で教育に関われればいいなという思いで就職して。
だから、やっぱり教育に戻ってきたな、子どもに関わりたいというところに戻ってきたなという感じが、自分の中ではあるのかも。
ー 実際、今どんなことを感じていますか?
事務局の一員としてまずは日々の学校運営をしっかりする。でもその上で、自分も大いに遊んで楽しみたい。僕に限らず、事務局の仲間はみんなそう思っているはず。いわゆる事務仕事をしに学校に来ているわけじゃないって。
教員免許は持っていないから、できないことはいっぱいあるけど、教員ができないことや苦手なことで僕ができることもいっぱいある。その中で今、子どもたちとこんなに関われるというのが何より嬉しいかな。
ー 自分は教員じゃない。とすると、どんな心持ちで子どもたちと一緒にいるのでしょう?
いちばん身近な社会の人かな。家族でもない、友だちでもない、先生と生徒でもない。社会人という言葉は嫌いだけど、いちばん身近な外の世界にいる人で、子どもにとっては斜めの関係性を持てる人。
子どもに教えるという経験がないからこそ、フラットに共感したり、ダメ出しもできたりすると思うし、親戚のおじさんがこっそり面白いことや悪いことを教えてくれるみたいな存在かもな、とか(笑)。
自分自身の原体験もあると思うんだよね。うち、親戚がめちゃめちゃ多かったり、父親の会社の人がよく家に来たり、大人と関わる機会が多くて。
通っていた小・中学校も、いろんな実験を行っていた学校で、今風越がやっているように、外の大人と一緒にプロジェクトを進めていく経験もして。
ー 知らないことを知っていてちょっと刺激的だったり、好きなことが一緒でいつまでも話ができるような大人がいるっていいですよね。
ブラタモリの講演会を各地でやっていた時も、最前列って小学生が並んでくれていたんだよね。子どもたちの興味を伸ばしたり、学びを伝えることって、単純に免許だけの問題じゃないんだ、自分でもできるんだっていうのは、その時すごく感じたな。
ー ササ自身が「つくる」ということに面白さを感じはじめたのはいつだったのか、覚えていますか?
んー、いつだろう。中学生の時にはHTMLでホームページをつくったり、高校生の頃は部活の練習試合が少なかったから、いろんな高校の友だちに呼びかけて勝手に大会をつくったりしてたかな。今思うと、その高校生の経験が大きいかも。本当にゼロからつくりあげたという経験だった。
そのあとも大学生の時にはキャンプをつくったり、仕事では紅白歌合戦なんて日本最大級のお祭りみたいなものだから、毎年文化祭をつくっている感じ(笑)。大変なことももちろんあったけど、楽しかった。
ー それぞれ対象や形態は違うけど、“場”をつくることをやってきているんだなと思いました。その中で、ササが大事にしている軸みたいなものがあるのかな。
何かをつくって誰かの心を動かしたいということももちろん大事なんだけど、根本には自分自身が真に楽しめているか、興味があるか。今という瞬間に、一番熱量あることをやっているかどうかかな。
将来の夢が1年生の時と6年生の時で変わってもいいように、やりたいこと、熱中することはどんどん変わっていいと思っているから、今その瞬間熱量があって、後悔しないこと。やらずに後悔するより、やって後悔する道を選んでる。
ー 今、風越の中でいろんな仕事をしてると思うのですが、それこそやりたくないこととか熱量高く取り組めないこととかないのかなと気になりました。
やりたくないことはないんだよね。仕事をはじめた時に、「イチローでも3割」という言葉をいただいて、イチローでも10本のうち3本しかヒット打てなくて、その数字を伸ばすかどうかは自分次第。仕事10のうち、好きなことが10なはずないやと思って。だから、10の仕事のうち1でも自分が真にやりたいことがあるなら、実はすごい幸せなことだと思っているし、それを3にするか5にするかは、自分の努力次第だなって。
あと、関係ないことはないと思うんだよね。番組を制作していた頃、これ生物のことだな、地学のことだなって、小・中学生の時に勉強していたことと繋がる機会が何度もあって。どこで繋がるかは分からないけど、仕事をしていく上で、生きていく上で、関係ないことはないなって思ってる。だから、どのことにも全部興味を持てているのかも。
ー そう考えると、自分の目の前にあるモノの捉え方が全然変わってきますね。
そうそう。やらなきゃいけないことじゃなくて、全部やれることというか。風越に来てからも、大人になって歳を重ねてもこんなに新しいことを学べるのねって実感してる。本当に、すごく楽しいんだよね。
ー 教育のことや学校のことに関しては、きっと初めて知ることもたくさんあったんじゃないかなと思います。
もう本当ゼロベース。だから基礎資料から調べようと思って、まずは法律から調べ始めたよ(笑)。
ー 最後に、これから思い描くことや、チャレンジしたいことはありますか?
自分のことでいえば、世界中を見回してもどこにもいない、唯一無二の学校職員になりたいな。
子どもに関しては、まだ顔と名前が一致しない子もいるんだけど、この子たちが12年間風越で過ごしたら、どんな人生になるんだろうというのがすごく楽しみ。
どんな15歳になって、どんな未来を描いていくのか。高校に進学する子もいれば、「俺、起業するわ」みたいな子がいたり、「私、海外に行きます」っていう子もいたりするのかなって、考えるだけでわくわくするよね。
あと、自治体や民間の企業とも連携して、これまでにない学校づくりをしていきたい。新しい試みにどんどんチャレンジして、学校という場や、子ども、保護者、スタッフが、より幸せになるためにどうしたらいいんだろうということを模索していきたいな。
インタビュー実施日:2020/06/26
北海道生まれ。NHKで番組・映像を「つくる」仕事に携わり、地域やそこに暮らす人々の魅力を伝えてきました。風越学園では事務局業務を担当しながら、こどもたちと一緒に「つくる」経験を楽しみたいと思います。甘いものが好き。資格多数。
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