2019年6月15日
東京にある中高一貫校で国語(現代文)の教員として15年の経験を持つ澤田英輔(通称:あすこま)。2019年4月から軽井沢風越学園設立準備財団に仲間入りしました。
「風越にきた意味があったなと実感できるのはきっと10年後くらいだと思う」ー飾ることなく、そう自分の気持ちをまっすぐに表現する澤田。
いま何を考え、どのように過去を振り返り、どんなこれからを思い描くのか。
じっくり話を聞いてみました。
ー 軽井沢風越学園設立準備財団にきて1ヶ月半(インタビューをしたのは5月中旬)が経ちましたね。いま何を感じていますか?
自分のなかに、“ふたりの自分”がいることを感じています。
一人は、教科のアカデミズム重視の自分。
もう一人は、こどもに寄り添うことの大切さを感じている自分です。
僕が風越にくるまで働いていた学校は、前者の自分と価値観が同じ人が多かったんです。職員は皆アカデミックだし、学術的に価値があることとか新しい学説をちゃんと勉強して授業に活かすとか、教えるコンテンツの専門性を高めることが命だった。
その学校は僕の母校でもあるので、こども時代も大人時代もその価値観を持った人ばかりの、ある意味均質な環境で育ち、過ごしてきたわけです。
でも風越には、スタンスも価値観も異なる多様な人たちが集まっています。そしてまず、何より先にこどもの視点で物事を考えている。
だから葛藤しているといったら大げさだけど、えっと思うことや、正直前にいた環境のほうが楽だなと思うこともあるんですけど、でもそのちがいを面白がる自分もいたりして。
「こんな視点でこども一人ひとりをみるのか」と気づかされることもたくさんある中で、ふたりの自分が共存しながら、新しいカタチを探っている最中だなと。
ー ずっとアカデミズム重視の環境で過ごしてきたあすこまさんが、どのようなタイミングで「こどもに寄り添うことの大切さ」も感じるようになったのか気になります。
20代後半の頃、雑誌に自分の授業を取り上げてもらったことがあったんです。
その時に記者の方が、「こどもたちもみんな授業に参加しているし、まるでオーケストラの指揮者のような先生ですね」とすごく褒めてくださって。自分でも「僕、結構できるじゃん」と思っていたんです(笑)。
でもある時ふと「どれくらいの生徒が授業に参加しているんだろう?」と思って、手をあげている人数を数えてみたことがあるんです。そうしたら半分弱くらいだったんですよ。
僕の印象だとみんな活発に手をあげていたのに、実際は半分弱。それが結構ショックだったし、「ああ、都合のいいことしか見えなくなってしまっていたんだな」と気がついて。
それからどうやったらこどもたちが主体的に国語という教科に取り組むのか興味を持つようになって、2008年にライティング・ワークショップ(※1)とリーディング・ワークショップ(※2)に出会いました。
そこで、「読み書きの力の重要性」や「一人ひとりに最適なタイミングで自分の持っている知識を渡してあげなくちゃいけないんだ」ということを学び、それをやるためには「一人ひとりのこどもをちゃんとみることが大事なんだ」ということを、ここ数年で感じている、という感じかなあ。
風越にいるスタッフはそういう「一人ひとりのこどもに寄り添う」という考え方を持っている人が多いなと思うんですけど、僕の場合は出発点はそこじゃなかったんですよね。
※1 ライティング・ワークショップ:実際に文章を書くプロセスの中で書くことについて学ぶ作文教育の方法。子どもが自分で書きたい題材を選んで書く中を、教員は一人ひとりに必要な質問をしたり、自分の知識を譲り渡したりするなど、カンファランスと呼ばれる働きかけを通じて、書く力を伸ばしていく。
※2 リーディング・ワークショップ:実際に本を読むプロセスの中で読むことについて学ぶ読みの教育の方法。子どもが自分で読みたい本を選んで読む中を、教員は一人ひとりに必要な質問をしたり、自分の知識を譲り渡したり、次の本を勧めたりするなど、カンファランスと呼ばれる働きかけを通じて、読む力を伸ばしていく。
ー 「読み書きの重要性」というキーワードがでましたが、もう少し詳しく教えてください。
探究的な学びや個の学びが大切だと言いますけど、そのスタイル自体がいいわけじゃなくて、それによって“生きる力がつく”ということが大事だと思うんです。
国語科だと、読み書きの力ですね。
自分のペースで自分が好きなものを、たくさん読んで、たくさん書くこと。それによって読み書きの力が身につくと、いろんなものが読めるようになる。そうすると、自分で本を手にとって自分の行きたい方向にいけるし、探究もますます進む。
その力を育てるきっかけを手渡してあげるというのが、僕の仕事の大事なことだろうなと。
あ、あと「自分が好きな文章じゃないからといって、存在しないものとしてしないでほしい」というのが、ぼくの授業の目標のひとつなんです。
たとえば、授業で小説を扱った時に、生徒が「この話好きじゃない」ということもあると思うんですよね。それは多分文体とか、今まで自分が読んできた経験上好きじゃないとか色々あると思うんですけど、でもその文章好きじゃないからいいや、もう読むのやめようじゃなくて、なんで好きじゃないのか、そこまで考えてみてほしいなと思っているんです。
どんな読み物にも必ず、書き手がいるわけじゃないですか。だから、好みじゃないかもしれないけれど、その文章の良さにも気づける、その書き手に寄り添って文章が読める人になってほしい。
ー 文章の話をしているはずなのに、人との関わりかたの話を聞いているように感じました。好みじゃないからと思考をストップするのではなく、自分の側にいったん視点をもってきて、捉えなおしてみるんですね。
リーディング・ワークショップもライティング・ワークショップも、自分の好きから出発するんです。まずは好きなものをたくさん読んで、たくさん書く。
そこから出発して、自分の好きなものを肯定して、自分の評価基準みたいなものがなんとなくできてきたその先に、他の人の評価基準も認められるというのがあるんじゃないかなと思うんです。
ー あすこまさんの話を聞いてきて、「“自由”に生きるための力と“自由の相互承認”の感度を育む」という風越の理念が頭に浮かびました。
たしかに「“自由”に生きるための力と“自由の相互承認”の感度を育む」という考え方に共感したことが、風越にきた一つの理由でもありますね。
前に勤めていた学校も、自由をとても大切にしている学校だったんですけど、ある時生徒に「先生、この学校の自由は強い人のための自由ですね」と言われたことがあるんです。
それはなにかっていうと、みんなが自由でいろいろチャンスが掴めるよというだけだと、能力が高い子や積極的な子が強者になり、その強者だけが自由を掴めるんじゃないかというわけですよ。この一言は衝撃でしたね。
僕自身は、学生の時も教師として関わってきた時もその自由が好きだったけど、でもこの自由をそういう風に受け取る子もいて、その子が言うように、ただ自由というだけだと、みんなが自由になるわけじゃないんだなという新しい視点をもらって。
それ以来「じゃあみんなが自由を獲得するためにはどうすればいいんだろう」ということをずっと考え続けてきて、「自由の相互承認の感度」という考え方にピンときたからこそ、今ここにいるんだと思います。
ー これから風越で過ごす自分を、どう想像しますか?
最初に「自分のなかにふたりの自分がいる」という話をしましたが、ぼくが風越にきた個人的な目標のひとつに、こどもに寄り添う現場を経験して、国語科の教員としてまたちがう展開をしたいというのがあります。
教科の専門性を高めることと、一人ひとりの個をみるということ。両方やってこそプロフェッショナルだと思うんです。どちらかだけがあればいいというものではない。
だから、きっとこれからも勉強し続けるんじゃないですかね。そのなかでふたりの自分のバランスみたいなものを探って、磨いていけたらいいなと思います。
ただ僕はそんなに柔軟じゃないので、わかったなと実感できるまでに、少なくても10年はかかる気はするんですけど(笑)。
インタビュー実施:2019/5/9