2020年8月27日
「学校のすぐ近くにほっちのロッヂというところがあるんですよ。」とまではスムーズに説明できるのだけど、「ほっちのロッヂって…」とどんなところか説明しようとすると、いまだに困る。僕は診察してもらって薬を処方してもらったことはある。その日、窓には外に向けて絵が飾られていて「窓の外美術館」が開催されていた。先日うかがった時には、玄関先で大量のじゃがいもをキッチンスタッフがうれしそうに並べていた。昨日は、「人生、是、喜怒哀楽プロジェクト」のアウトプットDAYだった。ココハ、イッタイ、ナニヲ、スルトコロ?
紅谷さんは医師だ。そして医師らしからぬことをけっこう言う。紅谷さんが仲間と共にほっちのロッヂでやろうとしていることを僕はまだちゃんと理解できていない。ほっちのロッヂと風越は、体格も、歩幅も、ペースもかなり違う。でも、なんかたぶん体臭は近い気がする。そこが僕がほっちのロッヂ、紅谷さんに魅かれている理由なんだと思う。
ー〔本城〕4月にほっちのロッヂを開所して3ヶ月が経ち、4ヶ月目に入るところですけど、最近どうですか?
〔紅谷〕3ヶ月経っても、良い意味で落ち着かないです。最近だと、デイサービスやインターンの受け入れをはじめたりして、どんどん新しいことが起きている。なんていうか、永遠に“できていく”と“できない”のプロセスを重ねて進んでいくんだろうなぁという、不思議な感覚がありますね。
ー 計画的に進める、ともまた少し違う歩みをしている感じなんですかね。
計画通りにいかないことを楽しめるようになってきた、という感じかもしれません。コロナの影響もあって、計画通りにいかないぞということがたくさん起きているので、その中で「そのプロセスを楽しもう」とできるようになってきたというか。
風越の内科検診もそうでしたけど、手探りで進んでいるので、「君たちは何やるの?はっきり言いなさい」なんて求められてしまったら、「まだはっきり決まってないけど、当日を迎えちゃいました。すみません」という感じで(笑)。でも、それもみなさんが許してくれて、動き出せている。
本来は、完璧にコーディネートをして完成したところに子どもたちを呼び入れるのかもしれないけど、検診をしていく中で、「こうやれそうだね」とか「これがいいね」って、子どもたちと一緒に形づくる感覚がいいなって。だから、プロセスのままシェアしています。
ー プロセスのままシェアしていく。今回の検診も、やり方によっては1日で終わるところを、丁寧に何日にも渡ってやってくださいました。
今回、前期の子どもたちの身体測定は、日にちを分けて行ったんですよね。そうすると不思議なんですけど、やることは一緒なのに、毎日、新しい違うことが起こるんです。でも、5日とも出ている僕たちからすると、全く別のことが5つ起きているんじゃなくて、「昨日はこういうことがあったけど、今日のホームではこれに加えてこういうことが起きた」みたいに、なんとなく日々積み上がっていくものも感じて。
いやー、でも今回の内科検診は本当衝撃でした。検診中にしんさんにお会いした時に、「疲れた」と言いましたけど、エネルギーをすごい吸い取られた(笑)。本当、全力で頑張った検診でした。
ー ははは。
ここからまたまとめていったりしたいんですけど、それこそプロセスというか、状態を評価するのではなく、うごめきっぷりを見ていきたいなと思っています。
ー 状態を評価するのではなく、というのは、まさにほっちのロッヂが実践している「ポジティヴヘルス」の考え方じゃないかなと思うんですけど、改めて、ポジティヴヘルスってどういう考え方なのか、教えていただけますか?
「どういう状態が健康か?」という問いがあった時、医学部ではその答えを、WHOの定義でもある「病気がないことが健康」と習ったんです。つまり、病気を駆逐していった先に健康があり、その状態こそ医療者の目指すものだと言われてきました。
でも、WHOのいう「身体的、精神的、社会的に完全である」ということを健康とすると、実際の現場では、本当に健康という人にはほぼ会えないし、重い病気を持っている人だけど、その人の生き様を見たり、話を聞いていると、「この人健康的だなあ」と思うことってよくあるんですよ。特に、在宅医療の場合にいると。
その時に、ものすごく大きい病気を持っている人に向かって「この人、健康的だな」って思っちゃう自分って、WHOの定義からもずれているし、医療者として間違っているのかもしれないと思ったこともあったけど、「健康とは、状態ではなく能力だ」というポジティヴヘルスの考え方に出会って、ああこの感覚って間違ってなかったんだなと思うようになりました。
ー 健康とは、状態ではなく能力だ。
つまり、自分が望んだり、自分がやりたいという状況に向かおうとするエネルギー(本人がその状態に順応し、自分主導で考えて発信している「能力」)があることは健康だ、ということです。
ー ここでいう能力は、できる・できないの能力ではなくて、向かっていくエネルギーがあるか・ないかということですね。
そうです。難病で、体は指が少し動くかどうかという状態なのに、自分で会社を経営して、新しいことを動かしている人だったり、癌になって余命は短いんだけども、「俺の人生はこういうところがよかったんだ」って堂々と話されている方を、かっこいい、健康的だと思ったのはなぜだったのか。その答えが、「ポジティヴヘルス」という考え方にはありました。
オランダの家庭医で、2011年にこのポジティヴヘルスを発信したヒューバー先生(Dr. Machteld Huber)は、
「“ヘルスケア”って言葉があるけど、病気や治療にばかり囚われているヘルスケアは、実際は“ヘルス(健康)ケア”ではなく“疾病ケア”でしょう。医療者が、本当の意味で疾病、ではなく“健康”を扱える時代が来ないといけない。社会の医療化ではなく、医療の社会化が必要なんだ」
ともおっしゃってました。
ー ポジティヴヘルスの考え方だと、いわゆる治療(キュア)ということも大事ではあるけれども、ケアをより大事にしているように思います。それも、医者と患者という関係性を超えて、人と人という関係としてのケアを。
もう本当、その通りです。
ー でも僕、ケアする・ケアされるという風になっちゃうと、なんか違和感があるんです。例えば、子どもに「しんさん、おべんとうあけて」と言われた時、ちょっと迷うわけですよ。きっと、今までは幼稚園でもおうちでも、困ったら大人があけてくれてたんだなと思うんですけど、でもあけてあげる前に、まずは自分でやるチャレンジを促そうかなぁとか。
「き にのぼらせて」とかも、僕は安全上も、その子の挑戦とか失敗ということを考えた時にも、登らせてあげるというやり方で手を貸すことに躊躇することがあるんですよね。つまり、どう関係性を築いていこうかなって、迷うんです。だからポジティヴヘルスのケアってどういうものを指すのか、聞いてみたかった。
「健康は能力」と定義した時、ケアは「その能力(エネルギー)を高め合えるような関係性であること」かなと思います。
ー 能力を高め合えるような関係性、ですか。
たとえば、病気で体が動かしにくいけど、絵を描いたり表現することが得意な方がいた時に、すごく狭い意味のケアで考えると、手伝ってあげて、やらせてあげるみたいな方法が浮かぶかもしれない。でも、本来のケアは、その人が自己表現を達成する満足度を考えて、一緒に動かないなりに工夫してやれることを見つけていくことだと思うんです。
そう考えると、100%やってもらった・やってあげたという関係性というよりも、その到達感、達成感をお互いに半々で受け取る関係性になっていく。つまり、昔は患者と呼ばれた人と、ケアする人と呼ばれた人というのがいたかもしれないけど、もっと対等になっていくというか。ケアする・されるという考え方自体なくなっていくんだろうと思うんですよね。
昨日、ほっちのロッヂで起きた話でいうと、研修できている薬剤師さんと振り返りしてたら、「人生で初めて車椅子を押しました。医療業界で20年いても、薬剤師が車椅子押すってよっぽど機会ないとできないことで、良い時間でした」って、目を輝かせて言っていたんです。ぱっと見、車椅子のおばあさんと薬剤師がいたら、誰でもケアされる人(おばあさん)とする人(薬剤師)だと思うと思うんですよ。でも昨日は、明らかに逆転すら起こっていて。
インターンの学生が拙いながら食事の手伝いをしている時にも、待ってくれているその人の様を見て、「ケアする・されるは入り混じって、溶け合っているな」と感じました。
ー 両者の関係において、ケアするというものがうまれるというか、実はどちらのポジティヴヘルスも高まっているということなのかもしれないですね。
生活していると当たり前なんですけどね。自分が得意だからやる、苦手だからやってもらうだけじゃなくて、もっと複雑に入り混じっていて、お互いの関係性をの中でハッピーって成り立っていく。そう考えた時に、そのパーツわけをしようとしたこと自体が、なんかもうね。
古い意味でのケアで考えて線引きしちゃうと、「ケアされるばかりで悪い」とか、「ケアするばかりで疲れる」という気持ちってうまれてくる。でも、ケアする側もそうすることでそこに自分の存在価値を見いだしたり、ケアされる側の「ありがとう」という言葉がケアする側を支えてたりすることってあるんですよ。それって自然な人間の営みなんだろうなと。
でも僕たちは、医者はここまで、看護師はここまで、ヘルパーはここからって線を引いちゃてたんですよね。けど、それは開いちゃったほうが気持ちいいなと思うんです。
子どもたちは、そういうところがすごくフラットですよね。この前の検診でも、「ここ苦手だから手伝って」と言うこともなく、苦手そうな子がいたら他の子が手伝っていたり、本当は自分でできるんだけど、得意そうにやってくる子がいるから仕方がないからやらせてやるかっていうこととかが起きてました(笑)。
ー 今の紅谷さんの話を聞いて、「クモの巣マップ」を思い出しました。この前の検診でも使っていましたよね。
そうですね。ポジティヴヘルスでは、“健康になるために必要なのは専門職による評価”ではなく、“本人主導の対話”だとされていて、その対話を促すためのツールとして「クモの巣マップ」を使用しているんです。
ー 6項目について、子どもたちが0から10まで自己評価をしていく。でもそれを、「君、身体的な項目が低いから、何ポイントにできるようにしよう。ここ、こうすると何ポイントになるよ」みたいなアプローチはしなくて、クモの巣マップを一緒に見ながら、「どう?気になるところある?」みたいな会話をされていました。それが、ケアする・されるみたいな関係性でのはじまりではないなと思ったんです。きっと子どもも、「なんかこの人、自分の状態を一緒に見てくれそうな人だな」って、そういうところから関係性を築いていくんじゃないかなと。
そう思った時に、このクモの巣マップも評価ツールではあるけど、いわゆる学校の評価と性格は全然違うものなんだなって。僕の時代だと、国語読み5、書き4、数学2みたいについていて、「3だったものは4にしたほうがいいし、4になったものは、5にしたほうがいいし、1だったらもっともっと頑張りなさい」というメッセージがあるし、そこに対するアドバイスがあって、その評価の在り方から起こる、教師と子ども、大人と子どもの関係性が固定化される。でも、クモの巣の在り方や扱い方を参考にすると、なにかそこに変化が起こるんじゃないかなと感じました。
今回、子どもたちに必ず「6項目書いてもらったけど、今のあなたにとってどれが一番大事だと思った?」と質問をしたんです。そうすると、みんな違う答えを結構言うし、すごく悩んで答えてくれる子もいれば、すぐに揺るぎなく「ここだよ」と言う子、「仲間が高ければ他が低くてもなんとかしていける」みたいなことを言う子もいたりして。
そこに、自分が評価者でもなんでもなく、ただ一緒にいるという感覚がすごく面白かったし、この時間がその子のエネルギーを引き出す装置にもなっているなぁと思いました。
ー ケアってやっぱり、する・されるじゃなくて、2人とか3人の間に関係性があって生まれてくるものなんだよなあ。その時に、僕は、保育をしてきた中で「過不足なく関わるってどういうことなんだろう?」ということをずっと考えてきたんですけど、関心や焦点を行動に当てて相手と関わると、“過”の方向に走っちゃうなと。キュアのほうになるというか、手を貸すっていう感じになるから。でもその子の感情に焦点を当てて関わっていくと、もう少し過不足ない関わりが生まれたり、そこにケアというものが生まれたりするのかなって思いました。
医療でいうと、その人の体の状態に焦点をあてるけど、ほっちのロッヂや紅谷さんが福井で開設された オレンジホームケアクリニックも、全部ではないかもしれないけど、中核に持っているのは、その人の感情や気持ち、エネルギーに向かって関わることなのかなと。
そう言われると、すごく嬉しいですね。保育とか教育では、人が伸びる、人が成長していくというところにスポットが当たると思いますが、医療ではどうしても、痛いとかかゆいということにスポットを当てがちになってしまう。でも、人は変わっていく、変わっていけるというエネルギーは、僕たちも医療的ケア児と関わったり、保育者と一緒に働くようになってすごく感じているんです。
そうすると、余命1週間の末期ガンでおうちに帰ってくる癌のおじいちゃんも、老衰であと半年で亡くなると言われているおばあちゃんも、認知症で今日と明日の区別もついていない方たちも、まだまだ変わっていくんだなって感じられるようになって。福井のチームなんかは、子どもと関わるようになってから、認知症や癌をお持ちの方への関わりがよくなったんです。つまり、変化を見ていけるようになった。
ー 子どもの変化する姿を見て、大人の変化にも目が向けられるようになったんですね。
僕らのチームだと「見通し」という言葉を使いますけど、「この人は、3ヶ月後、半年後、3年後どうなっているだろう?」というのを、意識的にディスカッションするようになりました。病気だと、生存率というものが統計データとしてでたりするし、なにが起こるか想像つかないこともたくさんありますけど、でもそれはさておき、まずはどうなっているんだろうと想像してみようと。見通すことで、次の一手を考えられる医療チームであろうと。
子どもだとわかりやすくて、1歳で人工呼吸器をつけて退院しますという子がいた時に、多くの医療現場では、血圧をどうコントロールするか、呼吸をどうコントロールするかという、今の処置に対して医者からいっぱい詰め込まれるんです。それはもちろん大事なことだし、僕たちもやるんですけど、それだけじゃなくて、半年後、2歳になったの時にはどんな体の発達をしているかな、5年後、小学生になった時にはこの子は特別支援学級がいいのか、地域の学校がいいのかどうだろうかとか、15年後、義務教育が終わる時はどうなっているだろうということをみんなで話し合う。そうすると、今日の痰や胃の処置をする方法も、今を楽(症状を改善する)にしたいだけの処置と違ってくる。
例えば、気管切開をしていて、吸痰で痰を吸う必要がある小さな子がいた時、今だけに目を向けると安全にやるのがいいので、医師や看護師、お母さんが処置するのがいいんですよ。でも、お母さんが仕事に復帰したり、たまたまそばにいない時にはどうするの?ということを考えると、5歳のお兄ちゃんもできたらいいかもねって。これって医学的には結構リスキーなので、やめておきましょうと言われるかもしれないけど、でもその子の家庭環境やお母さんの仕事への情熱などを考えると、それもひとつの手かもしれないねと。
医療の正しさだけに目を向けるのではなく、そこをどう生活に合わせていくのか、考えたいし、工夫したい。そこに、その子やその家族の生活や未来に幅が生まれてくると思うんです。
ー ここまでは、エネルギーが高い状態にある人とのケアの関係性の話が多く出てきましたが、エネルギーが低い状態の人もいると思うんです。そういう人に対しては、どう関わりを持つようにしているんですか?
エネルギーが縮小している時というのは、クモの巣マップの6角形が小さくなっていることが多いんです。そうすると、対話をしても、何を言っても入らないという状態ができていたりするので、“何もしない”ですね。
最初、この“何もしない”をやり始めた時は、頼ってきてくれているのに何もしなくていいのかって葛藤もありましたけど、でもひとつ信じていることは、人のエネルギーは海の波と一緒、だということ。どこまでひくんだろう、このまま返ってこないのかもしれないと思うんですけど、絶対返ってくるんです。こんなに遠くまでいってしまっているのは、その前に大きな波がこちら側にきていたからで、寄せる力があったからこそ苦しんでいるんだなということや、本人も「このままあっち側に落ちてなくなってしまうんじゃないか」という恐怖の中にいたりするということを理解しつつ、「少なくてもそばにいる僕は、戻ってくることを確信しています」と思いながら、そこにいる。
「相談してるのに、何もしてくれない」とか言われることもあるし、結果何もしないんですけど、また会いにいくし、会いにきてもらうし、返ってくると信じて、“何もしない、をする”んです。
ー 最後に。さきほど「見通しをもつ」という話がありましたけど、3ヶ月後のほっちのロッヂはどうなっているのか。どんなイメージをお持ちなのか、お聞きしたいです。
この3ヶ月で、プロセスを楽しむことが大事だと気づいたと言ったんですけど、それだけだと不安というか、立ち上げとかコロナとかを言い訳にして、手を離しきれない部分もあったし、段取りしたほうに逃げていたなぁと思います。だから、ここからは本格的に手を離したり、動きに身をまかせるというのを、チーム全体としてもっとできていくといいなと。
つまり、段取りもするんだけど、それを達成していくものじゃなくて流れとして捉えるんです。そうすると、段取りしたところまでできるかどうかの達成・未達成の二分の評価だったのが、「こんなになっちゃったね」「違うけど、こっちのほうが面白かったね」って。そういうことが、もっともっと起きてくるんじゃないかなと思っています。
ー そもそもほっちのロッヂって、何している場所なのかよくわからないですもんね(笑)。
本当にそうで、この前もお母さんに「病院行くよ」と連れてこられた子が、ほっちのロッヂで過ごしている時に、「ねぇママ。いつ病院行くの?」って(笑)。
ー 最高の褒め言葉ですね!
帰りたくないって(笑)。病院から帰りたくない子がいるっていいなって思いました。
(インタビュー 2020年07月14日)
何をしているのか、何が起こっているのか、ぱっと見てもわからないような状況がどんどん生まれるといいなと思っています。いつもゆらいでいて、その上で地に足着いている。そんな軽井沢風越学園になっていけますように…。
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