風越のいま 2025年9月29日

「オキナワ」~語る人たち~のはじまりによせて ーりんちゃんの国語の授業にまざる①ー

奥野 千夏
投稿者 | 奥野 千夏

2025年9月29日

かき氷のブルーハワイを思い起こさせる夏空の下、那覇空港のロータリーで待つ私を見つけると、りんちゃん(甲斐)は笑顔のまま全速力で走り寄ってきた。「走らなくていいですよー!!」と叫びながら私も笑顔になる。夏休みのハイシーズンに沖縄に来ることになるとは、1ヵ月前には思いもしなかった。りんちゃんとの2泊3日の弾丸沖縄取材旅行はこうして弾丸ではじまったのだった。

「りんちゃんが2学期に『オキナワ』を単元に中学生の国語の授業をするんだけど、それをかぜのーとの記事にしてみない?」と辰巳さんに声をかけてもらったのは7月に入ってすぐくらいだっただろうか。その後、「りんちゃんが沖縄に取材に行くって。一緒に行って来たら?」とまたうれしいお誘い。両方に「やるやる!」「行く行く!」と即答した。2年前にもりんちゃんは「オキナワ」を単元にしたことがあり、その時も同じように夏休みに取材に行っていた。夏休み明けにお土産のちんすこうをいただきながら「自分の夏休みを使って国語の授業のために沖縄に行っちゃうりんちゃん。そのエネルギーのもとを知りたい!」とひそかに思っていた。それが2年後にこんな形で実現するとは。

沖縄に行く前に読んでおくといい本はありますか?とりんちゃんに聞いたら『平和は「退屈」ですか 元ひめゆり学徒と若者たちの五〇〇日 』(下嶋 哲朗著 / 岩波現代文庫)をすすめてくれた。「戦争体験のない者が、戦争体験のない者を相手に、戦争体験を語る」沖縄戦をテーマに、元ひめゆり学徒たちと一緒にこの難しいプロジェクトに挑んだ高校生と大学生の試行錯誤の日々を追っている本だ。行きの飛行機の待ち時間と移動時間で読み切った。簡単に読める本ではないけど、ぐいぐい引きこまれた。見知らぬ人が周りにいる状況にもかかわらず、もうボロボロと涙がこぼれてきた。戦争体験者がつらい過去と向き合いながらも覚悟をもって平和やいのちのために語り続けている姿。それを聞く側、受け取る側の姿勢や態度。他人事や無関心はどこからくるのか。著者は「戦争体験を語り継ぐとは、戦争体験者の魂の深みにまで降りてゆき、見たこともないもの、新しい価値を発見して、ふたたび上がってくる創造的な仕事だと思う。」と言っている。著者の学生たちへのまなざしや彼らの成長が丁寧に描かれている。一人の高校生の言葉が印象的だった。「平和を伝えてもらうんじゃなくって、自分から平和を探しに行くこと。それは自分のこころに平和が残ること」過去の戦争の悲惨さを知り、そこから学んでいくことは決して楽しいことではない。しかしこの本に出てくる学生たちの心の変化や成長には希望がある。自分たちが体験していない過去の戦争を知り、過去から学んでいくのだが、平和を考えるのは未来のこと。彼らがこれから生きていく未来のことなのだ。今回の取材で出会った方々のお話とも共通することがいくつも見えた。

取材したのは、戦争体験者の次の世代で親や祖父母が戦争体験者である「語り継ぐ」人たちだ。沖縄には過去の戦争から学び、未来の平和への思いを強く持ち活動されている人が多くいる。私を含めて本土の人たちとの温度差を感じずにはいられなかった。それは、沖縄で地上戦が行われたこと、その体験が世代を超えて家族間で戦争トラウマとして続いてきたからなのか。米軍基地の問題が今も沖縄の人たちの暮らしに大きな影響を与えているからなのか。ただただ、私を含めた本土の人たちの無知や無関心によるものなのか。

戦争トラウマという言葉を私は取材の中ではじめて知った。戦争を体験している沖縄のおじい、おばあは花火の音を怖がり、戦争を思い出すので花火を見に行けない人が多いという。つらい体験は家族の関係にも影を落としていく。戦争は国の問題ではなく、個人の問題として残っていくと話してくれた人がいた。戦争には終わりがない、沖縄には戦後はないと言う沖縄の人たちの言葉が重く心に残った。

戦争体験の継承よりも未来の話をしたいという人もいた。戦争は人を変えてしまう。戦時中は教育で軍国少年を育ててしまった。そうならないためにも戦争のない社会をつくりたい、未来の平和をつくりたいという思いが強いと。ただ、過去を知らないと過ちを繰り返してしまう。だから私たちは未来のために過去から学んでいるんだという言葉が、はじめに紹介した本の著者下嶋さんの言葉と重なった。

りんちゃんに今回の単元をはじめる思いを聞いた。

「2年前の『オキナワ』を単元にしたときは『声なき声を聞く』をテーマに置いたが、今回は戦争体験者でない私たちが『語る人』になるということに挑戦できるのではないかと考えた。戦争を経験していない人が戦争を語るというところにフォーカスしていく。知識では語れない。語るという根底には『その人になってみる』『その体になってみる』がある。

今回の沖縄の取材は転換点になったと思っている。今までは負の遺産を知らせていく、次の世代へ渡していくという視点しかなかった。もちろん、それが一つの使命として大事なことは変わらないが、それにプラスして次の世界をつくる人、未来を語るという体にしていくということが新たに必要だと思った。戦争当事者の人たちは、どういうことがあったのか、その時どんな自分であったのか出来事を語れる。それを受けて、その先をどうしたらいいのかという未来のことを話せるのは次の世代の人たち。

今回お会いした人たちは、戦争体験者から次の世代で引き継いでいる人たち。未来をつくるというのはどういうことなのか。その先を一緒に考えていこうという視点。言葉として未来を考える。問いを立てる。未来を志向する言葉。

今回の取材で授業者としての重点、幅の広がりができたと思っている。」

実はまだこの「オキナワ」の単元は始まっていないのだが、すでに重厚な「種まき」の授業を重ねている。『女川一中生の句 あの日から』 (小野智美著 / はとり文庫)から、二つの句と卒業生の答辞を読み、その中から「未来」の言葉を探した。ハンセン病回復者で沖縄出身の作家伊波敏男さんの『ハンセン病を生きて: きみたちに伝えたいこと 』(岩波ジュニア新書)の「はじめに」の文章から問いを考えた。『へいわってすてきだね』(安里有生 著 / 長谷川義史 イラスト / ブロンズ新社)の絵本を参考に、今の自分の言葉で平和を考えてオリジナルをつくった。さらにその後、国際法学者の最上敏樹さん、ハンセン病回復者で作家の伊波敏男さんの2名のゲストティーチャーを迎えた。これらが「オキナワ」の単元がはじまる前の「種まき」だというから驚きだ。

りんちゃんの師匠の大村はまは「生徒が自分でほんとうに追究したくなるという場面をつくれたら、もう、それで先生の仕事はほとんど終わりだと言っていいかもしれない」というようなことを言っている。やらされているのではない、自分がやりたいことをやっているときに人は多くを学ぶ。そのための「種まき」なのだそう。

沖縄の地へ行き、今の沖縄を生きて語り継ぐ人たちの声を聞き、りんちゃんはどんな時間を子どもたちとつくり出していくのだろう。この授業を傍で記録し、子どもたちと同じように学び、思考し、つたない私の言葉をつむぎながら、みなさんと一緒に味わえる記事にできたらと願っている。「オキナワ」のはじまりによせて。

#2025 #スタッフ #土台の学び

奥野 千夏

投稿者奥野 千夏

投稿者奥野 千夏

自然体験活動・環境教育のインタープリターから保育者へ転身。絵本とおもちゃの店の店員や、保育雑誌のライティングに携わった経験も持つ。軽井沢風越学園で新しい教育づくりに関われることにワクワクしています。

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