2024年3月27日
地球の美しさをよく見つめる人は、生命が続く限り持ち堪える大きな力に気づくだろう。
(レイチェル・カーソン アメリカの生物学者)
2023年夏のブッシュクラフトプログラム、立場川キャンプ場での2日目朝、日が登ってからしばらくして、キャンプサイトに張ってあるタープのひとつから、ごそごそと這い出る子がひとり。その子は寝床のシートを引きずり出し、ひょいと肩にかけて、サイト下の河原に向かう。河原の真ん中におもむろにシートを敷き座る。髪を少しいじって整えた後、膝を抱えじーっと景色を眺めながら座っている。私は、彼女が向き合う景色の中に彼女がいる景色を遠くから眺めている。この瞬間が私は大好きだ。
前々回の記事でチームのことを書いたのに、その真逆の「ひとりになる」とか書いていてどうなのかとも思うが、チームでチャレンジしていても、ふっとひとりになる瞬間があるってことを書きたいと思う。そこに何があるのかは想像だけど。
チヒロのように、自分からみんなのいるところから離れてひとりになれるのは、ブッシュクラフトのプログラムに時間的余裕がたっぷりあるからである。次の写真のミオもひとりで山を眺めているが、ちょっと離れた右側には、実はチームのメンバーも座っている。でも、ちょっとチームから気持ちが切り離された時、ふと目の前の自然に、目や心が向かう瞬間がある。それは山だったり、火だったり、川の流れだったり、そそり立つ岸壁だったり、一輪の花だったり。
ことさらにそれを見るためにここまできたわけではないけれど、ふと目に入ったその景色をじっと見つめる。たぶん、心の中はけっこう無に近いのではないかと思う。雑念がないというか、しーんと凪いだ水面のような感じ。これは、自分自身もそんな体験をしてきて、感じたことでもある。陳腐な言葉だが、自然と一体になるとか、自然とつながるとか、そのような感覚、これに近い。これ、ひとりだからなんだと思う。ひとりじゃなきゃこの感覚は得られない。
日常生活では、なかなかこの「ひとりになる」という時間を過ごすことが難しい。ひとりになっても「何もしない」というわけにはいかない。ひとりでボーッとしていると、「大丈夫?」とか聞かれちゃう。
ボーッとしているときも無に近いものがあるんだけど、そのファインダーに「自然」があるのとないのでは大きく違うと思う。先にも述べたが、ひとつになる、つながるという感じを体験してほしい。
風越学園のアドベンチャープログラムは、そのほとんどがチームでのチャレンジだけど、いつか自分でアドベンチャーの計画を立てられるようになったら、子どもたちにはぜひソロでのチャレンジをやってほしい。そして、いつでも好きなときに、ボーッと自然を見つめてほしいと思う。
ひとり静かに自然に向き合うというのとはちょっと違うかもしれないけれど、「してやったぜ!」的なチヒナのこの姿も好き。