2024年3月27日
感情的な関わりが人と人との絆を強くする。対立を恐れるな、違うことを楽しもう。
(狭山市在住60歳男性)
今年度のセルフディスカバリープログラムは、振り返りの方法を変えた。「体験の共有の時間」という。方法は以下のようなものである。
「体験の共有の時間」となっているが、行われていることは「感情の共有」である。振り返りは通常、やったこと、見たこと、感じたこと、考えたことなどを思い起こし、そこに意味づけを行い、最終的に次へのアクションプランを生み出すところまでサイクルを回すが、ここでは「感じたこと」を共有するだけに留めることになる。ただただ、じっくりと一人一人が感じたことを語る。それをていねいに聞く。もっと詳しく聞きたければ質問すればいいし、答えたくなければ答えなくてもいい。課題を達成するためのアイディアを出し合ったり、改善策を考えたりすることを目的とはしない。(結果的に自然とそうなることもある)
共通の体験をしていても、感じることは人それぞれ違う。チームの仲間がその時何を感じていて、今何を感じているかを知る。そして、それが自分と共通点をもつのか、相違点をもつのかを知る。さらにそれを知った時に起こる感情を知る。出てきた感情は、自分のものも含めて評価しない。自分には正直に、他者への違和感もそのまま受け止める。
メンバー内で感情が共有されると、他者への関心が高まることと、自分への関心が高まることの両方が起こる。
セルフディスカバリープログラムでは、自分への関心が高まる(自分について発見する、または再確認する)ことを目的としている。自分が表明した感情に対して、メンバーは評価もフィードバックもしないが、他のメンバーの感情を知ることが、実は自分へのフィードバックになる。評価するのは自分自身だ。
さらに共有の程度が深くなればなるほど、他者を思い、気遣い、共感するようになる。自然とその行動は自分の感情に無理することなく変容していく。それが前の記事の内容になる。だが、感情の共有がなされずにチームとしての行動目標だけが設定されると(得てしてそれは真っ当であり、かつ効果的であり、なかなか簡単には反論できない)、チームは「課題達成マシーン」と化し、メンバ一人一人の感情はないがしろにされてしまう。
以下に、2023年度の9年生セルフディスカバリープログラム2日目、チーム1の3人の子どもたちの振り返りの動画を紹介する。彼女たちの言葉の中から、「これがよかった」「あれは悪かった」…「だから明日からはこうしよう」という言葉は一切出てこない。自分の感じたことをただ話し、仲間はそれをただ聞く、そういう時間になっている。
正直に言うと、ここでの振り返りの場は、私たちスタッフではなく、子どもたち自身が自分たちでつくり進めている。スタッフたちで食事をとっている時に、先に食事の終わった子どもたちが自分たちで振り返りをはじめたようで、慌てて私はそこに行き、動画を撮っているだけである。上記の「体験の共有の時間について」というフリップも、子どもたちには提示していない。(このフリップは、この時の子どもたちの振り返りと、ガイドのムネがいつもプログラム後に行っている振り返りの方法を参考に、9月に行われた7年生のセルフディスカバリープログラム用に私がつくったものである)
「振り返り」はどうしても、今日あったことを思い起こして、なんでそうなったのかを分析し、「次どうする」ということをみんなで意見を出し合って考え、目標設定して共有することを目的として行われる。それはそれでいいのだが、そのプロセスの中に「感情の共有」が不可欠なのではないだろうかと思う。いや、もうそれだけで十分なんじゃないかと思う。大人が無理に目標設定を目指していろいろしなくても、子どもたちには、自他共に大切にしながら、自分たちで進んでいく力があると信じている。
アドベンチャーではないけれど、ぜひこの記事も読んでみることをお勧めしたい。伝えたいことは一緒だと思う。
「なるべく正直に話してみる」>> https://kazakoshi.ed.jp/kazenote/now/33069/