2023年12月26日
今年の年長どらにゃごは、たくさんやりたいことがあふれている人たち。「どらにゃごみんなでやりたい」や「ようちえんみんなでやりたい」もあれば、泥団子づくりのようにそれぞれが「1人でじっくりやりたい」もある。その一方で、春頃は大人がいないとできないと思っていることも多いなと感じていた。”くまがでたぞ”という鬼ごっこのような遊びでは大人にクマをやってもらいたがり、大人がオニをする、お題を出すような遊び、大人がいないと成り立たないような遊びを好んでする人がいた。そういった遊びの姿は、日々の暮らしの中でも見られて何かするときには、自分で考えたり、試したりしてみる前に「これやっていいの?」「これどうしたらいいの?」と大人に聞いたり、大人の判断を求めるような姿が気になっていた。
そんな様子から、庭のにわとりの卵を使ってホットケーキ作りをしようと決まったとき、「失敗してもいいから、まずは自分たちでやってみよう!」と材料だけを手渡してみた。3~4人のグループでホットケーキミックスの裏の作り方の絵を見ながら自分たちで「次はこれ入れる?」「今度はわたしやってみる。」と相談・協力して、ときにはぶつかりあいながら作っていく。牛乳をこぼしたり、卵の殻を入れちゃったりしながら、自分たちでできた!を実感できる一歩目となった。
そこから、「みんなでパーティーしたい!」や「鳥に会いに鳥の森に行きたい!」などのそれぞれのやりたいをみんなのやりたいにして一つずつ実現していき、どらにゃごならできる!みんなならできる!の自信をつけていった。そんな中でも、やりたいけれどちょっと不安、こわい、と気持ちが揺れたり、1人ずつ抱えている思いが違ったりしたのが「キャンプ」と「おとまり」。やりたいの声は春から上がっていたが、結局動き出したのは寒くなってきてからだった。それだけの時間が必要だったのだなと終わった今だから感じている。多くの幼稚園や保育園はお泊まりは夏から秋ごろなどと決まっていると思うが、風越では子どもたちの気持ちや自信が積み上がってきてから、そのタイミングを子どもと決められたことは大きかった。
春には、自分は絶対に1人では泊まれないと不安を口にしていたクルミ。秋の相談会では、「暗くなるまで幼稚園にいる練習をしてみるのはどう?」とみんなに提案した。暗くなるまで遊ぶ練習の日にお休みだったナツハ。「練習してないから、自分だけ泊まれないかもしれない。」と友だちの家に泊まりに行くという自主練を決めた。家庭では「泊まれない。夜は帰る…。」と弱音を吐いていたけど、みんなの前では強くかっこよくありたいとがんばっていたダイセイとカンダイ。みんなには言えないけど、不安を出し合える仲間がいたことはこれからの彼らを支えつづけてくれるだろう。
このキャンプについては話し合い、準備から本当にいろんなドラマがあり、それぞれの人たちに物語があるのだけれど、全ては紹介できないのでその中で、「自分たちでできた!」につながったテント張りのことを書き残しておく。
子どもたちがキャンプだからテントを張りたいとKAIさんに自分たちで直談判に行った。いつもは3年生以上のアドベンチャーを担当しているKAIさんが、年長児のテント張りにはどう関わるのだろうか。3,4年生のキャンプで使ったものと同じテントをどらにゃごの人たちがどこまで自分たちでできるのだろう。私の中でも大人がどこまで手助けするといいのか、その塩梅が見えないままスタートした。KAIさんは、「3,4年生は1時間かかったけど、どらにゃごはどうかね~(笑)」となんだか楽しそう。
倉庫から子どもが自分たちでテントを運んできて、さっそく袋から出していく。そんな子どもたちにKAIさんが伝えたことは、「テントは斜めじゃなくて、平らなところに張るといいよ。石があったりするとゴツゴツするからどかしたり、違うところを選んだりしてね。さあ、あとはとりあえずやってみよう!」ということだけ。そこから平らな場所、良さそうなところを自分たちで探して決める。とりあえずこのポールを伸ばして組み立てるっぽいと子どもたちが気がついて動いていく。すると、「どこかにそのポールをさす場所があるはずだよ。」と進み具合に合わせてちょこっとヒントを出したり、高いところはさっと手伝ったり。子どもたちはあーでもない、こーでもないと試したり、上手くいかないと隣のテントを見に行ったりしていく。自分でやり方を見つけたり、気がついたりするとぐっと熱量が上がり、進んでいく。そんなKAIさんの声掛けや関わりを私は傍らで見ながらこれは職人技だなぁと感心しどおし。
張っている途中に風でテントが転がったり、右往左往しながら、結局1時間半かけて3つのテントを張り終えた。うれしくって、自分たちで張ったテントの中で飛んだり跳ねたり踊ったり体全体で喜びを表現する人たち。この時の様子をキャンプが終わった後に保護者の方に話していたら、マキノが「KAIさんってテントの張り方知らないんじゃないかな~。高いところはちょっと手伝ってくれたけど、ほとんど私たちがしたんだよ。」とお家で話していたと教えてくれた。この言葉を聞いて、KAIさんの子どもたちへの関わりはまさに「仏様の指」じゃないか!と一人感動してしまった。
仏様の指とは、りんちゃんから教わったこうありたいという教師像で、りんちゃんのお師匠様大村はまが、また自身のお師匠様が言った言葉だそう。
「仏様がある時、道ばたに立っていらっしゃると、一人の男が荷物をいっぱい積んだ車を引いて通りかかった。そこはたいへんなぬかるみであった。車は、そのぬかるみにはまってしまって、男は懸命に引くけれども、車は動こうともしない。男は汗びっしょりになって苦しんでいる。いつまでたっても、どうしても車は抜けない。その時、仏様は、しばらく男のようすを見ていらしたが、ちょっと指でその車におふれになった。その瞬間、車はすっとぬかるみから抜けて、からからと男は引いていってしまった。」
「こういうのがほんとうの一級の教師なんだ。男はみ仏の指の力にあずかったことを永遠に知らない。自分が努力して、ついに引き得たという自信と喜びとで、その車をひいていったのだ。」(『教えるということ』大村はま)
マキノはKAIさんの絶妙なヒントやフォローを気にとめることもなく、自分たちでできたと自信を持って言っている。自分では、自分たちでは少し難しいようなことも、ちょっとした足場かけで階段を上っていく。そのときに、その足場もかけてもらったのではなく、自分で自分たちでかけたのだと思えるような関わり。まさに職人芸。
子どもたちには、大人が決めたからとか、手伝ってもらったからとか、大人がいたからではなく、自分でできたんだという実感を持って欲しいと思っている。今回のニャゴベンチャーキャンプは、テント張りだけでなく、お家の人から離れて子どもたちだけで泊まるという大きなチャレンジだった。不安な気持ちを友だちと聞き合ったり、ライトやぬいぐるみを持ってくるなどの解決方法を考えたり、家庭で励まし続けたりしてくれたけれど、結局その一歩を踏み出す決断をしたのは自分自身。そこを乗り越えたことは子どもたちにとって本当に大きな自信になったのだろう。
子どもと対等な保育者でありたいと思ってはいるけれど、立場や声の大きさ(発言力というか)からしても、本当の意味で対等であることはできない。だからこそ、いつも子どもたちといるときに自分がどうあるかを考えさせられる。目線やちょっとした一言でも大きな影響を与えてしまうことがある。それはきっと保育者も保護者も一緒だろう。そんなとき、この「仏様の指」は私の一つの道しるべになってくれている。「自分でできた」って、元をたどると、自分の感覚を信じて、自分で考えて決めることなのかな。もちろん決めるプロセスにはいろんな人たちの考えや思いが影響するけれど、自分で決めたという実感があることって自分でできたにつながってくるのだろう。子どもたちのチャレンジを見守りながら、子どもたちが自分でできた、自分たちならできるという実感を持てるような仏様の指。いつか私もそんな職人芸ができるよう、日々子どもたちと向き合っていきたい。
自然体験活動・環境教育のインタープリターから保育者へ転身。絵本とおもちゃの店の店員や、保育雑誌のライティングに携わった経験も持つ。軽井沢風越学園で新しい教育づくりに関われることにワクワクしています。
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