2023年11月24日
今年度1ターム目終わりの7月のアウトプットデイ。私が担当をしている3,4年生の子どもたちも「フィードバックください!」と自分たちの発表を聞いてくれた人たちに声高に呼びかけていた。フィードバックという言葉が、子どもたちの中で共通言語となりつつあった。
色とりどりの付箋に書かれたフィードバックを、子どもたちは発表ブースのテーブルやホワイトボードに貼っていく。「こんなにもらったんだよ!」「僕たちは20枚!」と嬉しそうな顔。しかし、「どんなことが書いてあったの?」「誰からのフィードバック?」その問いかけには、ほとんど反応がなかった。そして、片付けのとき、床に散らばった色とりどりの付箋たち。一枚一枚に、小さな文字がぎっしり並んでいる。
先輩、保護者、訪れて下さった方、スタッフ…。風越は、こんなにも子どもたちの学びに思いを寄せ、心からのメッセージを送ってくれる人たちが集う場所なのだと思う。「これ、誰のー?」聞いてみたが誰の手も挙がらない。「もらったフィードバック、大事にしようよ。」そう呼びかけてみたものの、「届いてないな」という感触と「何か違うな」という違和感があった。
大事にするってどうすること?
私は子どもたちに何を伝えようとしているのか?
フィードバックってなんだろう?
たぶんこのときの違和感が自分の中で小さなしこりとなって残り、2ターム目のテーマ設計をするとき、一つの軸になっていったのだと思う。
夏休み、ふっしぁん(藤山)と「光」をメインテーマに2ターム目のテーマプロジェクトの設計を始めた。
子どもたちが大事にしたくなるフィードバックとは、どういうものなのだろう?
ゴール地点でのフィードバックでは、一生懸命やってきたからこそやってきたことを認めてほしい、成果を褒めてもらいたいという思いが強くあるだろう。その気持ちもわかる。しかし、もらって満足して終わりになってしまう気もする。手渡す側もその先に活動が続くわけではないから、ここまでやってきたこと、よくできているところを褒める。それも子どもたちの力にはなっているのだが、もっと子どもにとって手応えのあるフィードバックにしたい。だが、数々のフィードバックの中で、何がその子に響くのかなんて分からない。何を受け取るかは、一人ひとりに委ねられているのだから。
フィードバックを求めるピークに、もらえるタイミングを合わせることならできるのではないか。フィードバックが欲しいときって、自分ならどんなときだろう。行き詰まったとき、不安なときかなあと想像する。アウトプットデイを、ゴールではなく中間報告の場にできたら…。そのあとも活動が続くのであれば、フィードバックに求めるものや受け取り方が変わるのではないか。手渡す側の意識も変わるだろう。でも、アウトプットデイ=テーマプロジェクトのゴールでないのなら、このプロジェクトのゴールはどう設定するのか。
「キャンプはどうですか?アウトプットデイを越えて、3回目のキャンプまで続ける。キャンプで使えそうなもの、持っていけそうなものを作るとか。」(※今年度、3,4年生はアドベンチャーカリキュラムとして、3回[5月末、8月末、10月末]のキャンプがあった。また光プロジェクトを行った第2タームは、8月末〜10月初めのアウトプットデイまでとなっていた。)
ふっしぁんの提案で、このプロジェクトのゴールは10月末にある3回目のキャンプとし、サブテーマは「光を使って、キャンプを『ちょっぴり』明るく」とすることに決まった。3回目のキャンプはブッシュクラフトなので、置かれた自然環境を味わうためにも、あまりキラキラし過ぎるのはそぐわないだろうと『ちょっぴり』も入れた。名案だなあと思ったゴール設定だったが、これはいずれ、変わっていくことになる。
光プロジェクトが動き始め、こぐまさん(岡部)とたいち(井上)に図工的、理科的側面からのインプットをしてもらうことになった。
その打ち合わせを終え、オフィスにいると、こぐまさんとたいちがやってきた。話の概要は「このプロジェクトを通して、3,4年スタッフは子どもたちに何を手渡せたらいいなと思っているのか。それを、学年スタッフでもう一度話してみた方がいいんじゃないか」というものだった。
もう一度も何も、そういう話をしていないなあとはっとした。プロジェクトの本質が空っぽのまま動き出していたことになる。テーマプロジェクトの設計で最も考えなければならないことは、このプロジェクトの本質をどう捉えるのかということだったのだと突きつけられる。
「光とかげでつくってあそぼう」(こぐま)、「あかりをつくろう」(たいち)での子どもたちの様子を見ていて、キャンプで使えそうなもの、持っていけそうなものを作るというゴール設定に違和感を感じた。作れないことはないのだけれど、形を変えた様々な灯りがそれぞれのテントの前に並ぶ。それだけになってしまう気がした。それはこの光プロジェクトのゴールとしてふさわしいのだろうか。どうしてもしっくりこなかった。
そのことを夜のオフィスで居合わせたたいちとこぐまさんに話してみた。「え、今さら?」そんな反応を思い浮かべながら。でも二人は「そんなのしょっちゅうだよねえ。」「ていうか、そんなのばっかりじゃない?」と顔を見合わせて笑っていた。むしろワクワクしているようにも思える顔の二人から「プロジェクトってそういうもの」「そこが面白い」そんな言葉を勝手に受け取った。
学年スタッフでは、身近にあふれているはずなのに、普段は意識することが少ない光を見つめ直してみようと考え、「私たちは暮らしの中で「光」をどのように生かしているのだろうか」という問いを置いた。
これは、夏休みに設計を始めたときから、みっちゃん(大作)に問われ続けていた「本質的な問い」を、ひとまず文言化したものでもあった。しかし、3,4年生の子どもたちに、そのままの文言ではこの問いを手渡せないなあと、曖昧なままになっていた。というのも、問いが具体的になれば子どもたちにわかりやすくはなるが、思考や活動を限定してしまう気がしたからだ。かと言って、抽象度が高くなると、子どもたちがこの問いを自分のものにしづらいだろう。
このプロジェクトで見たい子どもの姿を思い描いてみる。自分の手元で光をつくったり、使ったりすることを通して、光を生かして楽しむ姿。それが見られたらいいなと思う。自然光も人工の光もあるのが当たり前の環境だけれど、その光をただあるものとして享受するだけでなく、使ったり、つくったり、楽しんだりして、自分の暮らしの中に意識的・意図的に取り込んでいく。光の使い手、つくり手になるイメージだった。
そこでこのプロジェクトのサブテーマを見直し、「光を使って、わたしの暮らしを『 』」として、子どもたちに手渡すことにした。サブテーマにある『 』をめざして活動していくことで、子どもたちが本質的な問いに迫っていく。そんな流れの方が自然で、かつ今の3,4年生の子どもたちに合っているのではないかと考え、そのような手渡し方にした。
また、この時点で子どもたちは2回のキャンプを経験していることから、キャンプが子どもたちの暮らしに含まれているだろうと考えたのだが、やはりキャンプは子どもたちにとって非日常であること、また、キャンプの経験があるからこそ、ヘッドライトやランタンといった灯りに馴染みがあり、キャンプという枠組みが子どもたちの発想を狭めてしまうのではないかということから、ゴールを3回目のキャンプから、アウトプットデイ後に保護者の方を招いて「光を使って、わたしの暮らしを『 』展」を開くことに変えることにした。
インプットから発想を得て、子どもたちの中に作りたいものが描かれ始めていく。でも、「何を作るか」だけでなく、それによって自分の暮らしをどのようにできそうか、つまり「このプロジェクトで自分が何をめざすのか」を子どもたちに考えてほしかった。仲の良い友だちと何かを作るのではなく、めざす目標が同じ仲間たちと、自分のめざすもの(作りたいもの)を作っていってほしい。そうすることで、このプロジェクトを一人ひとりが自分のものにできると思ったからだ。
子どもたちから出てきた目標をもとに、「楽しさ」「癒し」「便利、安心・安全」の3グループを作り、アウトプットデイでは、それをめざして自分がやっていること、今困っていることを発表し、この先の自分の活動に生かせそうなアドバイスをもらうことにした。フィードバックは一人ひとりが持っている「光ノート」に直接書いてもらうことで、失くさず、いつでも読み返すことができるようにした。「アドバイスだけだと、感想だけの人が書きづらくなるかもしれない」という子どもの言葉を受けて、スケッチブック見開きで1ページはアドバイス、もう片方は感想と大まかに分けることにした。
アウトプットデイは、ちょうど子どもたちが作品をひと通り作ってみた辺りでやってきた。多くの子はひとまず完成というタイミング。でき上がりと思っている子もいれば、作ってはみたのだけれど…という子、さっぱり思ったように進まないという子もいた。アウトプットデイがゴールではないと伝えていたのだが、子どもによっては「まだできていないの…」と途中経過を発表することに戸惑いや抵抗を感じているようだった。
しかし、初めは緊張し、かしこまった言葉で話していた子も、「いや、そうじゃなくて!」「それもやってみたんだけど、うまくいかなかったの。」とだんだん言葉に力がこもる。見に来てくれた人たちも、子どもたちのめざしていること、言わんとしていることを理解しようと、真剣に耳を傾け、上手に語りを引き出してくれる。語る側が伝えることを妥協しない。聴く側もわかろうとすることをやめない。形だけではない、熱のあるやりとりがあちらこちらで交わされる。ここが、風越のすごいところだと改めて実感させられる。
保護者の方からも、「一人一人がたっぷり語るから回りきれなかった」「『 』展までにどうなっているか楽しみ」という声が聞かれた。子どもたち、保護者、スタッフ、かかわってくれる人すべてで、このテーマプロジェクトを一緒につくっていると感じることができた1日だった。アウトプットデイを中間報告の場にしてみてよかったと思った。
子どもたちがもらったフィードバックは、読み返す時間をとることで、もらって満足ではなく、ちゃんと受け取れるようにした。その後の活動では、私たちも子どもたちに「どんなフィードバックがあったの?」「どのフィードバックを生かしたの?」と問いかけ、フィードバックを風化させないようにした。
フィードバックを生かしていくのは子どもたち。私にできることは、問い続けることで、一人ひとりの真意を知ること。そして、共に問い続けること。それも「伴走する」ということなのかなと思っている。
『 』展では、何色かの付箋を用意し項目を設けるなど、フィードバックのもらい方を工夫する子も現れた。「今日で活動が終わりだから、ここまでがんばったねとか、ここがよかったよっていう感想が多かったかな。」そんなことを言う子もいて、子どもたちの中でフィードバックというものが別の側面をもってきたことを感じた。
しかし、レノンのふり返りには、「『やわらかい形に変わってました。作品がぶじにできてよかったです』みたいなことが書かれてました。それを読んだら、ちゃんとみてくれたんだなという、ほかほかした気持ちになりました。もう一つは、『レノンの思いすてきだな。そんなものがつくれるとうれしいね』と書かれていて、思ってた通りのものはできなかったけど、できたときうれしかったし、楽しかったから、私の気もちが書かれててうれしかった」と書いてあった。
また、風力で発電しその電気をためて使えたら、キャンプなど屋外で過ごすときにも「便利」だと考えたガクはふり返りで、「アウトプットデイでもらった一番印象的なフィードバックは、『少ない電気でつく電球もあるから、それなら明るくなるかも』と言ってくれたので、がんがん進みました。」と書いていた。
私はどこかで、フィードバックに厳しさや鋭さという側面を求め、子どもたちにそれを受け取れる強さを求めていた。子どもたちがテーマプロジェクトの中で学んでいく姿を、活動を究めていく姿でイメージしていたのだと思う。でも、やりたいことや面白そうなことを探してみる。ちょっと気になったことを探ってみる。それも学んでいる姿だ。そして、その過程にある失敗も楽しむ!いいな、見たいなと思うのは、そんな子どもの姿だ。フィードバックには、子どもをあたたかく支え、励まし、勇気づけるという大きな力があることも、忘れてはいけないと思った。
ちなみにガクは、その後も目標を叶えられたわけではなかったが、あのフィードバックがあったからこそ、活動ががんがん進んだ手応えを感じ、学びに向かい続けられたのではないだろうか。『 』展が終わったあと、家でも試行錯誤を続け、プロペラが回るようになったと教えてくれた。「でも、電気はためれてないし、豆電球がやっとつくくらいだけどね」と笑いながら。
ガクは風力発電を究められたわけではないだろう。暮らしを「便利」にできたわけでもない。しかし、自分のやりたいことに向かって、その方法を探り続け、試し続けたことで、確かな学びを手にしたのではないか。ガクの豊かな表情が、そう伝えてくれているように感じる。
「大事にしたくなるフィードバックとは?」ーそんな問いをもちながら、設計してきたテーマプロジェクト「光」。
子どもたちが大事にしたくなるフィードバックは、自分の学びや自分自身への本気のフィードバックではないだろうか。それを返してくれる人の存在がここには確かにあると感じた。それは、本気で伝える子どもの姿があるからだろう。子どもたちが本気で伝えたくなる、語らずにはいられなくなる。そんな思いが活動を通して育まれていく。そういうプロジェクトを、これからもつくっていきたいと思う。
岩手県生まれ。好きなこと探しは、自分探し。好きを見つけ、好きに囲まれ生きていこう。
子どもたちの学び・育ちにかかわることができる幸せと感謝をかみしめながら、日々を過ごしていきたいです。