2023年7月27日
4月から新たに3名の新入生を迎えてスタートした年中チームの”のらねこぐんだん”。この3ヶ月あまりの間にも様々なストーリーが生まれた。それは風越学園での12年の学びの場のスタートのほんのひとコマではあるが、庭と森の中で生まれた一人ひとりの歩みに思いを馳せ、そのかけがえのない日々をかぜのーとに少しだけ記しておきたいと思う。
朝と帰りに行っているのらねこぐんだんの集いの様子はというと、春は、誰かがどこかで遊んでいるということが毎日起きていて、全員が集まるということは稀であった。そんな遊びに没頭している姿や友だちへの関心の高まりに感嘆する面もあるけれど、集いにも出てほしいなという気持ちもあって声をかけると、「今、はじめたばっかなの!」と煙たがられた。
5月のある日には、帰りの集いが始まっている中、エイタとトイとソナタがまだグラウンドのトイレ近くにしゃがみこんでいた。近づいてみると、弾んだ声でやり取りしながら一つの鍋を囲んで何かつくっているみたい。「何作っているの?」と聞くと、「チョコレートだよ。葉っぱ入れたの、おいし〜よ〜。食べる?」と。
その弾んだ声から、あー、この3人は帰りの時間ということは一旦置いて、そこにお鍋とお玉があったから作りたくなって今、その楽しいことを満喫しているんだということがわかった。
時間は降園時間5分前。
気を取り直して、「帰る人はいますか?」と聞いてみる。
すると、「かえるー」ソナタ「じゃあ、これはお母さんが来たら続きしよう、お鍋を持っていこう」と、集いの輪へ鍋に入ったチョコレートをせっせと運んだのに、帰りの集いが終わると川遊びを始めていた。さっきの思いはどこに行った?という感じだし、切り株の上にはチョコレート鍋がさみしげに置かれることになった。
庭ではカナトとコウスケがフライパンに入った幼虫の動きをニヤニヤしながら見ている。声をかけると、見つけた幼虫をどうしようか、話し合う感じになっていく。コウスケ「明日虫かごもってくる」カナト「今日は幼虫に畑のお仕事してもらうか(畑に返すということ)」コウスケ「でも、お母さんに幼虫飼ってもいいか聞かないと」….。話し合っているようで脱線が多くて、気づけば幼虫に釘付けになって再びその動きにキャッキャ言っている。そんなこんなしていたら帰りの集いは終わっていた。そして、幼虫フライパンは『つづき』の棚に置かれた。
わかっているけれど『やる』というのは、自分の意思でそうしている人もいるだろうが、そうではなく、思わず吸い寄せられて、没頭して、それしかその瞬間は選択肢が無くてやっているだけで、自分の意思でそうしているわけでは無いんだ、と感じる。瞬間を生きる人たちと共に居るってこんな感じ、と改めて考えさせられた時間。
こうして、『つづき』の棚にはそんな人たちの遊びの足跡が並ぶことになった。
そんな7月のある日のこと、
宅配のカレー屋さんを開いていたソナタに帰りの時間であることを伝える。すると、ソナタ「みんなに(このケーキ)見せる!お知らせしたい!」と。それは、土と水で作られたソナタの配合でちょうどよく作られた大事なケーキであった。たっぷんたっぷん揺れてるケーキを見つめながら真剣な眼差しで集いの場へと運んでいる。そして「ケーキだよ」と見せて廻った。「いいものつくったでしょ」となんとも誇らしげな表情だ。ソナタは次の日の朝の集いでも「かれーやさん一緒にやる人〜?」とみんなに呼びかけた。ソナタのワクワクした表情は他者へと伝播してカレー屋さんが賑やかに。ソナタのおもしろい!が広がっていった。
今、7月も後半に入り、みんなで集まるのもいいな、と感じている時間が増えてきているようにも思う。コミュニティの中で、自分の中から湧き出てくる『おもしろい』と、お友だちの『おもしろい!』が絡み合い自分の手で遊びをつくる喜びを味わっていけるように…と願う。
今年度、入園した3名の人たちの中で「みんな、どこで何をして遊んでいるのかわからない」というような思いがあるようだった。それは、そうだ。この広い敷地の中でみんな方々に散って遊んでいるように見える。何をして遊んでいる?僕は何をしたらいい?緊張感を抱いた新生活の中で決めるのは容易ではない。
5月頭のこと、庭を見渡していたコウタもその1人であった。数日、森探検に誘った。「いかない」「どこまで行くの?」とあまり乗り気では無かったが、ある日「きつねの銀行にいきたい」と言い、この日は勇んで数名の人たちと探検に出かけた。(きつねの銀行とは幼児がお買い物に出かける時に自分で作ったお金とお店で使えるお金を交換してくれる森の中にある銀行で、銀行員の狐が待っている)日に日に青葉が増えてきた森は鬱蒼としていた。狐に会えるかもしれないと楽しみにしているからだろうか、この時のコウタの足取りは軽く、どんどん森の奥へと進んだ。が、そんなとき、小さな黒い虫(目追い虫)がコウタの顔の周りを飛び回った。
コウタは「やだー、やだー、もう、もどりたい」「はやくもどろうーよ」と、途端にゲンナリし始めた。
不快な気持ちをこんなに訴えられるようになって良かった、と思う反面、森が嫌いになるのは避けたいから帰ろうか、と思っていたが、そんな時、「きてー」とカナトの声がした。あっという間にカナトの元へ駆けていくコウタ。コウスケが「ツルツルしてるよ〜」と木肌を触っている。するとコウタもその木に触れる。にこーっと、笑みが溢れる。
コウスケとカナトが木の皮をめくり始めると、コウタもめくり、捲った木の皮を撫でている。そして、徐に足元のクローバーを摘みそれにのせてくるくる〜と巻き、「はい」と私に届けてくれる。何かな?と思ったが、名前をつけてしまうともったいない感じがしたので、聞かずに受け取る。
木の皮をめくり続けていたカナト「みどりになった!」
それを見てコウタも口を開けて見入っている。そして、手を伸ばし、そーっと触る。
コウタ「ぬれてる?」
カナト「うん!!」
コウスケとカナトが見つけた不思議に思わず吸い寄せられたコウタは帰りたい気持ちも忘れ、木の不思議に魅了されていた。
数日後の雨の日。
大きな屋根から落ちてくる雨たち。その下にカオルとタイセイがお皿やバケツ、お鍋を置いている。コウタもその音に聞き入り「ポップコーンみたいな音だね!」と弾けた笑顔を見せた。その後、雨樋で水を流す仕組みをつくることになった。コウタは様々な大きさの角材を雨樋の横に置いて、雨樋を固定しようとしている。するとその姿を見たタイセイが「コウタ、これ!」と角材を差し出し、コウタは「はい」と両手で受け取った。
タイセイとコウタのやり取りが続き、雨樋は固定された。
それまで、「この人」と言われることもあったコウタだったが、名前で呼び合う時間が生まれていた。
子どもたちは広い敷地の中で鋭いアンテナを張りながら、自分にとっての『おもしろい』を掴もうとしている。その日々は「自分のおもしろい」を鮮明にし、「周囲の人のおもしろい」に出会う日々だ。じっくりとした時の流れの中で「おもしろい」が出会う喜びが生まれていた。
雨の森を探検に出かけた。すると赤い実を発見。
カイト「これ、知ってる。食べられるんだよ」とお口に入れる。味わう。「すこし甘い」
すると、カオルもそーっとお口へ。「あまい!!」
それはウグイスカグラの実だった。
先日、ヘビイチゴの実をコウスケが「これは毒なんだよ」と言い、スタッフが食べて「ほら、だいじょうぶそう」と言ってみたものの、それをじーっと見ていた人たちは誰一人口にしなかった。この日はカイトが食べて見せると次々に食べ始める人たち。スタッフへの信頼の無さも見え隠れしていたが、『毒』という言葉には強烈な響きがある、と感じた。
また7月のある日のこと。
クルミの青い実を見つけたケンジ「こんなところに梅が!」ホントだ!ホントだ!と梅探しが始まる。今、梅ジュースを仕込んでいて楽しみにしている人たちの確信に満ちた表情が溢れる。今度はアブラチャンを見つけて「それは毒だ!!」と言い、それを聞いた人たちの伸ばそうとした手が引っこむ。沈黙と共に緊張が走った。
「なんで毒だと思う?」と聞いてみると、「こういうのは毒なんだよねー!!」と。そこで少し爪で削って嗅いでみる。じーっと嗅ぐ。「カレーの匂いがする」と。緑色の皮を丁寧にめくっている。すると透明の球が現れた。
「これはたまごだね!」「そうだ!土に埋めておくか」と、そのものを愛でる気持ちへと変化していた。
子どもたちにとって『毒』という概念は多様な物との出会いを躊躇させるようだ。でも、森には『毒』があるということを、不思議に思ったり排除しようとしたりする姿は見られない。子どもたちは『そういうものだ』と感じているようだ。「こわい」という感性、愛でる感性、様々な感情を抱くことの積み重ねの中に、これからどんな眼差しが生まれ、学びが生まれていくのだろう。
4月19日、『チリとチリリ はらっぱのおはなし』(どい かや / アリス館)の絵本に出てきたはちみつボールカステラやキラキラキャンディにうっとりしていた人たちは、風越の森に、カステラの中に入れる蜜があるかもしれない、ということで、キラキラ宝石と蜜探しの探検にでかけることになった。
森の中に入るとスミレの花やウグイスカグラの花がぶら下がっているのを発見!少しいただき、庭に持ち帰って密をとってみよう、ということに。
ナナコ「どうやってとるの?」
サクタロウ「ここを(花びら)切って中にベタベタしてるのが入っているんだよ」
ということで、花びらを落として、開いてみる。雌しべや雄しべがひらひらと落ちる。ナナコはそれらをそーっと抓みながら….、首を傾げている。
ナナコ「あーー、これはもう誰かが(蜜を)とっちゃったってことだ」と。
他の花も開いてみるが、やっぱり出てこない。
サクタロウ「わかった、これを(花)森に持っていって、その下に瓶を置いておけば、垂れてくるってことだよ」
一方、ナナコは水の中に入れておけば、蜜が出てくると考えた様で、容器の中に水と花を入れていく。
サクタロウが「冷やそう」というので、冷蔵庫と冷凍庫の中に入れて次の日を楽しみに帰った。
次の日、匂いを嗅いでみたり、舐めてみたり、味は….、首を傾げている。
この日をきっかけに毎日のように蜜集めの探検にでかけ、森と庭とを行ったり来たりする日々が生まれていった。
4月20日。この日は小さなすりこぎ棒を持って森の中へ。
容器をゴリゴリさせながらその変化を感じ合う。
ミワ「きいろくなってきた?」
ミア「枯れてるはっぱいれるときいろくなってくるよ」
ミワ「夜になるとひかるかもよ」
ミア「みあちゃんのお部屋、暗くなったら星が見えるんだよ、これも電気消したら光るんじゃない?」
4月21日。蜜探しの探検をしていると、丘の斜面にユキヤナギが満開に咲いていた。それぞれ気に入ったユキヤナギをいただく。
ゆきちゃん(ユキヤナギをゆきちゃんと名付けていた)こちょこちょ〜と追いかけっこをしたり、こちょこちょマンとなったユキヤナギを『ティアラ』のようにしたり。
すると
ティアラをつけたツヅルが「ようせいだ!」と言ったことをきっかけに次々に花の妖精が生まれた。
それを見ていたナナコは「魔法のステッキつくる!」と、ものすごい勢いでステッキの形をつくっていく。
センはその様子をじーっと見ている。少しづつ近づいていく。そして、道具の場所をヒナノに教えてもらいグッズを作り始めた。妖精という同じ世界を共有したことで「やってみたい」の気持ちが湧き起こり、この日始めて自ら、つくる輪へと加わっていた。
それから梅雨を迎えた6月15日。
妖精のレストランを開くため、材料集めに森へ出かけることに。へびいちごを摘んだり、蕗の葉を力いっぱい抜いたり、ウグイスカグラの実を食べ歩きしたりしていた。
そして、レストランの準備が始まっていく。
アル「シートが必要」と、ヒナノと一緒に大きなシートを広げた。
ヒナノは卵パックの中に「いちご味と桃味とかりん味…」とシロツメクサを丸めていろんな味の飴を並べた。
ナナコはへびいちごが入ったジュースをテーブルの上へ。
アルは「色付きらーめんもありますよ」と言って、毛糸一本一本にポスカで色をつけている。
あいこ「いいですね、ラーメンください。デザートにチョコレートケーキはありますか?」
ツヅル「ありません」
あいこ「ココアはありますか?」
ツヅル「ありません、茶色いものはありません」
あいこ「メニューはありますか?」
ツヅル「ありません」
すると、アルが板を持ってきて、「これは色付きラーメンです。これは冷たいラーメンです。これは飴です」と言って板と棒を用意した。それはタッチパネルだった。
そして、今度はリリが板を持ってきて、
リリ「これを押してください」それは店員さんを呼ぶブザーだった。
セン、ミワ、ミア、タイセイ、マキノと、どんどんお客さんが増えて、お客さんがブザーを連打するものだから、店員さんは大慌て。大興奮の店員さんはいつのまにか、円を描いて踊りだしたのだった。
しばらくすると、その店員さんは….ゴロゴロと寝始める。アルが水をつけた手拭きをヒナノの額に置いて看病している。どうやら家族で経営しているレストランだったらしい。
お客さんはというと…、出てくることも無くなったご飯を楽しみに待っていた。
森にあるものの変化を感じながら、自分にとっていいもの、を戴いて、遊びに取り入れる日々。自分が手を加えることによってそれらが変化し、それぞれの感性を通して新たなものが作られる。そして「それ、いいね!!」と共有できる嬉しさに満ちていた。
今年初めて庭に作られた川におたまじゃくしが還った。
5月8日、サクタロウがお玉で掬ったオタマジャクシをタライの中に入れた。そこにやってきたユイはオタマジャクシを抓み、グニグニしながらその全容を隈なく、顔から横から尻尾からじーっと観察していた。
モンドが「そんなに強くやったらダメなんだよー」と声を上げているが、その声はユイには届かない様子。私も思わず、あー、早く水に戻してあげて、命に気づいてほしい、と思ったが、ユイの洞察しているような鋭い眼差しはその思いを打ち消すくらいに魅了されるものがあった。
ユイはしばらく観察すると、タライにオタマジャクシを戻して、足早に去っていった。タライの波に放たれたオタマジャクシはフラフラと漂い、その後、ながーいうんちをした。その様を見た人たちは「お腹いたいのかな」「きっと下痢したんだよ」と、この頃、下痢症状に見舞われた人たちは口々にそうだ、そうだ、と話している。そして次の日には動かなくなっていた。
ユイはその後も毎日のように様々な虫たちに出会っては、何度も何度もその手の中でまじまじと見入っている姿があった。
それから2ヶ月後のこと、妖精ごっこをしている人たちが密レストランを開くため、森へ材料探しに出かけるという輪に、ユイも「いくー」と加わった。
ヘビイチゴを見つけて摘んでいると、
リリが「なにこれ?」と尺取虫が糸を絡ませながら、家を作って並んでいるのを発見した。
リリ「なんか、こわい」
すると、ユイもその声に駆け寄ってきた。
ユイ「これはすごい!!」
リリ「掴まってるかんじじゃない?」
ツヅル「マンションだよ」
ユイ「お祭りしてるね〜」
リリ「なんか、きれい」
ユイがこの時尺取り虫が沢山集まっている様を『おまつり』と表現していたことに驚き聞き入った。それは、そのものをじっくりと見つめる眼差しだけでなく、幼虫の世界に入り込んで世界を捉えようとしている姿だった。
そして、7月のある日、ユイは川へ砂利を取りにいく飛行機チームさん(年少チーム)の輪に加わった。
川でたっぷり遊んだユイの服は川の水を含んでとっぷりと重たくなった。帰り道、ユイはエイタと一緒に川づくりに使うために集めた砂利が入ったバケツを持った。その道は枝が張っていて1人通れるくらい細い。
ユイの前には飛行機チームのトウカが進んでは止まりを繰り返し、ちょっとずつちょっとずつ進んでいた。トウカの後ろを歩くユイは、小刻みに足を進めたり、立ち止まったり、少し間が空いてから進んだり…、微細な感性を使いながら、トウカのペースを感じながら歩いているようだった。待つことに地団駄を踏んで苛立つことが多かったユイのこの変化にただただ驚いた。ユイのこの姿は尺取虫に出会っていたときの心持ちとも繋がるように感じた。
森の命たちは、私たちが会いにいく、というよりは、足元にあったり、目の前にいたり、匂いがしたり、気づいたら身体に飛び込んでくるようなものだ。それは自主的に、というよりは受け身の生活である。受け身の生活の中で子どもたちは身体全部を使って自分なりの関わり方をつくっているように思う。そのものを感じ、わかろうとすることがそれぞれの中に渦巻き、繋がりながら生活をつくる日々だ。
春と夏の森に出会い、庭で共に暮らしてきた人たちはもうすぐ夏休みに入る。そして、秋、冬と季節が移ろう中で、これからもそれぞれの眼差しで捉えたものを味わい合いながら、じっくりと育んでいこう。
子どもたちの世界は面白くてワクワクします。一人ひとりの「おもしろい!」の世界を大切に実体験を通して深め、拡げていけたらと願っています。そして暮らしの中で見つける小さな喜びや気づきを一緒に積み重ねていけたら幸せですね。
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