2023年4月21日
ワールドアンバサダープロジェクトは、これまで多くのスタッフや関係者、寄付者の関心や応援に支えられながら、2年(国際交流プロジェクトの立ち上げから考えると3年)という長い時間を過ごしてきた。今回のフィリピン渡航は、これまでかけてきた時間や思いと比べれば、本当にあっという間の<5日間>。しかし、そこにはたくさんの学びが詰まっていた。
渡航期間は2022年11月20日から26日、活動できるのは中5日。この5日間を通して、ワクワークの日本人・現地スタッフの協力の下、子どもたちの「やりたい!」が現実になっていった。
子ども11人、大人3人の私たちの5日間のアドベンチャーをここに記したい。
軽井沢からの12時間以上にも及ぶ、新幹線・電車・飛行機という長い長い旅を終え、フィリピンセブに降り立ったのは午後10時すぎ。冷房が効きすぎた空港を抜け、外に出ると、じめっとした空気に、人気の少ないバスターミナル。空港の明かりは明るいが、あたりは真っ暗。ホテル行きのシャトルバスを待っていると、1匹の痩せ細ったのら猫が通りすぎる。猫好きのチーとチイチイコは「可愛い〜」と声を漏らすが、そのみすぼらしい姿に言葉を失う子どもたちも。
バスに乗ると、目まぐるしいスピードで「異文化」が飛び込んでくる。次々飛び込んでくるこれまで知らなかったフィリピン・セブの姿にそれぞれがポツリポツリと言葉を発し、少しずつ連鎖する。
「電線が蜘蛛の巣状態!」
「犬多いね。ガソリンスタンドにたくさんいる。餌とかもらえるのかな。」
「ゴミたくさん捨ててあるね。環境問題やばそう。」
「貧富の差すごいね。」「どこから感じるの?」「車の周りでお金をせがむ子もいるけど、車に乗って(着飾って)楽しそうにしている人もいたし。」
「壁に絵を描く人たち、もっといいことに使えたらいいのに。」「そんなに甘くないよ」「そうかな」
「立ちションしてる!笑」
一人ひとりの持ってきた問いが違えば、目に入るものがこんなにも違う。
「治安悪い!」「確かに、治安わる!」
誰かの言葉を皮切りに、溢れてきた言葉が少しずつ「治安が悪い」という言葉に集約されていく。私は何かを言いたい気持ちをぐっとこらえて、子どもたちが感じたものや出てきた言葉に浸ってみた。「治安が悪い」に子どもたちが込めた想いはなんだったのだろうか。
活動日1日目は、セブのシティーツアー。街の中心のカルボンマーケットやサント・ニーニョ教会を巡った。Zoom英会話でお世話になっているマーリー先生の住む村の子どもたちも一緒に来てくれた。小さいグループになって、市場を案内してくれることになっていたが、日本人チームもフィリピンチームもなかなかそれぞれのグループを崩せない。にこりと目を合わせては、それぞれの言語で助けを求め合う。勇気を出して「ハロ〜」とか細い声で挨拶するも続かない。間にスタッフが入ってなんとか自己紹介を終え、教会、そして、市場へ向かった。
フィリピン内をマーリーさんの村の子どもたちに案内してもらった。マーリーさんと村の子どもたちに会えたとき、「ここまで自分たちが来れたんだ」という実感をやっと少し持てた。また、初日とは違った街の雰囲気や市場の人だったり、昨日の悪かった印象は実は先入観で決めていて、本当はあたたかい人ばかりで少し安心した。休憩中、スタッフなしで子どもたちとお話をしたとき、翻訳機を使わず言語の枠を超えて話すことがとても楽しかった。でも、まだ自分の英語能力に対するレッテルを背負っている部分があって、自分から話しかけにいくことに躊躇してしまう自分もいた。(学びの記録より抜粋(2日目・ハヅキ))
調べた通り野良猫・野良犬が居たり、夜でも子供が外に居た。雰囲気が怖い=治安が悪いと思っていた。この時はまだ夜のフィリピンしか見れていないから心配と不安だらけ。でも、次の日は夜とは全く違った雰囲気。すごく明るくて人柄が良かったことが印象的。最初の「治安が悪い」「荒れている」という考えを通して、偏見について学べた。見た目と雰囲気で決めつけないで、そこを乗り越えたら違う面が見えるんじゃないかと感じた。(学びの記録より抜粋(エナ))
午後は、マーリーさんの村を訪問した。中心街からジプニー(乗り合いのミニバス。窓やドアはない。)で約30分、うねうねと山道を登った先にマーリーさんの村はあった。村の入り口からは、家と家の間の細い小道を村の子どもたちを先頭に進んでいく。いつも歩き慣れている村の子どもたちは、駆け足で進んでいく。家先に繋がれた鶏や放し飼いの犬、捨てられたプラスチックのゴミなど足元に目を奪われていると、村の子どもたちのスピードには到底追いつかない。なんとか追いつこうと勢いよく曲がり角を出たジュンが犬に吠えられ一目散に戻ってくる。その姿を見て村の子どもたちは声を出して笑いながらも、次に通るときには犬が来ないように見張っていてくれる。村の人々も通り過ぎる見知らぬ異国人に対して、ニッコリ笑顔で”Hello.” “Welcome.”と言ってくれる。その優しさに、子どもたちも、”Thank you.” “Hello.”と少しずつやりとりの言葉が増える。
村の中央につくと、翌日のワークショップに向け、村の大人たちがテントを準備してくれていた。その姿に触発されてか、翌日以降にワークショップがあるグループはマーリーさんと念入りに確認をする。ゴミを使ってアートを作ろうと考えているアオコとミヤッチは、村の「ゴミ捨て場」やそこで遊ぶ子どもたちの姿を目の当たりにし、口をあんぐりと開ける。これまで考えてきたワークショップをここで形にすることのイメージが湧いてきただろうか。 マーリーさんの村での活動がないバジャオ族チームのジュンとコウタロウは待っている間、村の中央にある広場でバスケを始める。すると少しずつ村の子どもたちも参加してきて、かなり長い時間楽しそうにプレーしていた。スポーツは万国共通。遊びを通してぐっと距離が縮まった瞬間だった。
活動日2日目から少しずつ個々のプロジェクトが考えた活動がスタートする。午前中はバジャオ族の村を訪問した。バジャオ族は、「海底の遊牧民」とも呼ばれ、元々は大洋を回遊しながら漁を行い、海の上に移動式の住居を構えながら海の上で一生を送る民族だった。現在はアジアのいくつかの国々の海岸沿いに住み着き、現代に合わせた形で自然と共に暮らしを続けている。風越でも森川プロジェクトなどを通して森の暮らしを考えているコウタロウが、自分の興味とセブでしかできないことを掛け合わせて考えた結果、バジャオ族にたどり着いた。現地スタッフも「地元の人もほとんど交流がない」というこの民族の住む土地に足を踏み入れることができたのはコウタロウの熱意があってこそだ。
街からジプニーに乗ってバジャオ族の村につくと、村長が出迎えてくれる。村長に案内されて進む道は、街で感じる以上にゴミや水の腐った匂いがする。コンクリート壁の高床の家々の間を抜け、村長の家へ向かう道中、子どもたちは少し不安そうな表情だった。村長の家は、決して広いとは言えないが、棚や椅子など家具は十分に揃えられ、棚には写真や装飾品が飾られていた。お話を聞くために11人の子どもたちと部屋の中に入ると、部屋は鮨詰め状態。それでも、村長はみんなが座れるようにと椅子を出してくれた。そして村長は、村について、バジャオ族について、漁について丁寧に話してくださった。ジュンは日本から持ってきた釣具などを見せながら釣具や釣法について、コウタロウとソウタは準備した質問が書かれたノートを開きながら海での暮らしについて質問を村長にぶつけていた。
(ゴミが散乱していたり、匂いがきつかったり、ついた時の)悪いイメージでうろたえていたが、靴を脱いで村長の家に入れてもらうと、木の床の普通な家だった。初めて話すバジャウ族の人で緊張していたが、笑顔で接してくれ、楽しそうにたくさんの話をしてくれた。
話の内容をまとめると、バジャウ族として海での生活に誇りを持っていた。村の大きな問題はしっかりとみんなと話し合って決めていた。(民主的)寄付金によって村に小学校ができた。子供たちが外国が発展している様子に気付いた。(バジャウ族の誇りが消えていくことを心配していた。)
バジャウ族の村長は、とてもやさしくて野蛮な印象は全くなかった。話を聞いていると大人はしっかり物事を考えていて、日本の大人と話している時と同じ印象だと感じた。(学びの記録より抜粋(ソウタ))
午後はマーリーさんの村での初めての活動日。交流チームが折り紙や福笑いを準備していた。村についたら準備が始められるように、ジプニーの中でお互いにプログラムの概要と手伝ってほしいことなどを共有するように声をかけるも、ボソボソっと説明が行われ、周りからの質問も少ない。心配しながら見ていると、村についてからもしばらくぼーっとしているままに時間が過ぎる。流石にこのままではこれまで準備したことが無駄になってしまいそうだったので、一度みんなで集まり、どんな時間にしたいか、どんな関わりをしたいかを出し合うことにした。
「用意した折り紙や福笑いを楽しんでほしい。」
「来てくれる子が笑顔になってほしい。」
「一緒に遊びを楽しみたい。」
「今日は自分の活動がないから、交流チームをサポートしたい。」
みんなそれぞれに思いはしっかりある。あとはそれをチームとして形にできるかだ。思いを受けとった私は、あとは子どもたちがどう場をつくっていくのか見守ることにした。幸い、ワークショップの話を聞きつけて多くの村人が集まってくれていた。そしてマーリーさんの提案により、まずはフィリピンの遊びからやってみることになった。村の子どもたちは、体をたくさん動かしてルールを説明し、一緒に遊ぼうとしてくれた。そんな姿に子どもたちは引き込まれ、風越メンバーもいつしか一緒に楽しく遊んでいた。そしてそこから流れるように、ワークショップが始まった。準備した自己紹介や説明は全く使えなかったけれど、子どもたちが叶えたかった「遊びを通して友だちになる」と言う姿に一歩近づいた瞬間だった。
1日目のマーリーさんの村との交流が終わり、感じたこと学んだことは、自分達が事前に用意してきたことが思い通りにはならないと言うことだ。
最初と最後の挨拶を事前に考えていたけど、小さいこも予想以上に沢山いたり、バラバラに来たり、時間ギリギリまで日本の遊びをやってくれていたので、挨拶をせずに活動を行った。
でも、お互いに名前を聞いたり聞かれたりしながら自己紹介をした。 最初にみんなの自己紹介しなくても、遊んでいるなかで自己紹介して聞き合えると言うことを感じて、学んだ。
他にも英語が話せる子が少なく、フィリピン語を話すと聞き、どうコミニュケーションを取ろうかなと心配をしていたけど、何となくで伝わって私は、英語が話せなかったけど、一緒に行った子に聞いたり、ジェスチャーなどを使い、コミニュケーションがとれた。その時、コミュニケーションの形は英語だけでは無いと言うことを感じて、学んだ。(学びの記録より抜粋(キホ))
活動日3日目の午前中は、現地の犬猫保護団体の訪問を行った。訪問を計画してくれていた犬猫チームは、アンバサダーとは別のプロジェクトで、かねてより日本の犬や猫の保護について活動していた。フィリピンの現状を知ることで、フィリピンの良いところを日本の保護団体に取り入れたり、逆に日本の良いところをフィリピンの団体や人々に紹介したりしたいという思いがあった。今回訪問したマヤリ・アニマル・レスキューも、犬猫チームのチーとチイチイコが自ら探し出し、メールで連絡をとったり、行き方を調べたりしながら、「行きたい」という思いをなんとか形にした。
事前に、施設の方に質問したいことをリストにして、英語に訳し、二人で練習する姿もあった。その甲斐あってか、施設を管理するダニエルさんから、保護の仕方やこの活動への思い、苦労している点などたくさんお話をきくことができた。
「バジャオ族チームのメンバーは、朝釣りに行くから朝4時半起き!」これは渡航前にはなかった予定だ。軽井沢の自然とともに暮らす生活についてまとめたファイルを持参し村長さんに話を聞くコウタロウや、「現地で釣りをしたい!」とルアーや餌まで持ってきたジュンやソウタの熱意に動かされ、村長は海との暮らしについてたくさんのことを語ってくれた。そして、子どもたちからの提案に村をあげて協力してくれた。時期は禁漁期。販売のための漁は禁止されている時期にもかかわらず、子どもたちのために早朝から船を出し、釣りに付き合ってくれた。自前の竿を日本から持っていったジュンが釣果0匹で帰ってきて、「どんないい道具があってもだめ。その土地にあった釣法をすることが大事だと身をもって感じた。」と語ってくれた。行って、やってみなきゃわからない。計画を超えたからこそ見えてきた、リアルな学びだった。
後から聞いたのだけど、ワクワークのフィリピンメンバーの中にはバジャウ族に対して偏見を持ってた人もいて、今回の訪問を心配していたそうなのだが、村長のあたたかい歓迎に、「コウタロウのおかげで、新しい出会いができた」と話していたとのこと。フィリピンの人同士をつなぐ場をつくるなんて、ほんとにすごい。
午後はマーリーさんの村で、コミュニケーション・カフェ・プロジェクトの活動。釣りから帰ってきたメンバーも合流し、初日以来久しぶりに全員で過ごすことができた。
大きな声で村の子どもたちに説明をするアオコ。どんなサポートが必要か声をかけにいくキホ。ワークショップに参加できない子たちと一緒に習字をするコウタロウ。現地の遊びを教わりながら一緒に活動するチー。それぞれが「計画」になかったことにどんどんチャレンジしていく。この一週間で生まれてきた、11人の関係性が結実したように感じる。そして、準備したプログラム以外のところで、自然に関わりあったり遊んだりしている姿に、この5日間で生まれた風越メンバーとフィリピンの子どもたちとの繋がりを感じる。
DAY5
カオハガン島は、今から30年ほど前に日本人の崎山克彦さんが島の保護のため自身の退職金で購入し、それ以降島の人の暮らしや自然を守りながら保護活動を行ってきた場所だ。現在は島の魅力に惚れ込んだ杉浦佑子さんが住人として生活しながら、観光客にカオハガン島に流れるゆったりとした時間を提供し、持続可能な観光業を行っている。
午前中、2人1組で村のお家にお邪魔して、掃除や洗濯、漁などの生活体験をさせてもらった。午後は、カオハガン島のゆったりとした時間の中で、4日間の旅をゆっくりふりかえった。一人ひとりが思い思いの場所で自分とつながる時間を過ごした後、みんなでサークルになって語りたいことを語る。それだけで、もう日は暮れていた。
この1週間、風越で起こっていることが凝縮されてた感じがあったなあ。テーマプロジェクト的にマーリーさんたちの村と繋がってその人たち会いに行くっていう全員で取り組む活動と、マイプロ的にバジャウ族に会いに行くみたいに、現地行ってからも毎日「さあどうする?」みたいな感じの、その場で生まれていくような活動と、ずっと交差しながら進んでいってた。そのどちらもがある価値、みたいなものが5日間に凝縮されてた。テーマ的なものがあったからその11人のチームもどんどん深まっていったし、マイプロ的なものがあったから、ひとりひとりの関心が届いてきて、より近く感じていったし。どっちかだけでは、11人の関係は生まれなかったなって気がする。お互いのプロジェクトに関心を寄せ合うことで「一緒につくる」が深まっていったよね。 「一緒につくる」は風越の11人もそうだけど、フィリピンの子どもたちも含めて「一緒につくる」だったよね。終わったあと「子どもたちの一緒につくる」を伴走しきった感じがすごくあって。これまでフィリピンでずっと活動してきた立場でユニークだなと思ったのは、フィリピンの子が先に泣いたということ。今までそんな姿は見たことなくて、それがなぜ起こったのか、明確な因果関係はわからないけど、「一緒につくる」を伴走し切った化学反応の結果の一つだなと思ってる。 フィリピンの子どもたちにとって、風越の子どもたちとの出会いは大きかったんだなって。ゲストとホストって関係を超えたつながりができたんじゃないかな。 フィリピンの子たちは、ワークショップを手伝ってくれるというより、本当に一緒につくる関わりをしてくれたよね。自分たちが計画したわけじゃないんだけど、自分の使える言葉で補ったり、今持ってる関係みたいなのを活かしたりして、どうやったら風越の子たちと一緒に場をつくれるか、みたいなことをすごくやってくれてたなあと思う。 ゴミを集めてきて本当に楽しそうに活動していたワークショップの後、またその場にゴミを捨てている現地の人の姿を見て「あっ捨てちゃうんだ」みたいなことをミヤッチが話してたよね。「繋がってる」とか「同じ人間だな」という感覚と同時に、やっぱり違う文化に生きてる者としての体験とが、どっちも濃いものとしてボーンと届いてきてるんだなあって感じがした。
一緒だけど、違うなと思うこと、いまだにあるんですよ。フィリピンのメンバーと10年一緒にやっててもあるなぁ。あの場でもたぶん、一緒に作ったからこそ体験した、「一緒だけど違う」っていうのが、すごく本質的だなぁって。
フィリピンと日本とかじゃなくても、一人と一人の間にありますもんね。近くなった人とは、一緒だけど違うし、違うけど一緒だって感じを体験すると思う。
ワールドアンバサダーっていうひとつのプロジェクトだったんだけど、そこにいろいろなプロジェクトが交差して、そんな世界があるんだみたいなことをお互いに知れたっていうことが大きかったです。わたしも保護犬の施設とか行ったことなかったし、それが日本のものと違うっていうことはチィチィコたちがいたから分かったし、バジャウ族の村もコウタロウがいたから行けた。それぞれに関心を寄せるってちょっと高度なことだけど、みんなで取り組む一つのプロジェクトを通して、それぞれに関心を寄せることって結構できるなって。自分のプロジェクトは小さいかもしれないけど、深まりとか幅がどんどん増えていくんだろうな、それが本当に「私をつくる」ってことだなって思う。
今のあずの話聞いて、「私から始まる」ってスタッフであれ子どもであれ、やっぱり大事なんだなと思った。このプロジェクトも、ぽんちゃんの「私」ってところから始まったプロジェクトなのかな。ワクワークって活動もやまちゃんの「私」から始まってる。我々の恩師で井上英之という日本でマイプロを始めた先生がいるんですけど、「マイプロを進めていくとその道の第一人者になるタイミングが来る」、「みんな関心はあるけどやる人がいなければ、それをやったっていう時点で第一人者になる」、みたいな話をよくしてるんだよね。今回のメンバーの11人が繋がりはじめたタイミングって、みんながその道の、ある意味第一人者になっていったところなんじゃないかな。犬猫でフィリピンの保護猫施設に行くとか、バジャウの村長に会って釣りに行くっていうのも、普通に面白い話。みんなどんどん第一人者になっていくみたいなことが起こって、動きがダイナミックになってきて11人が繋がるというかお互いに関心を寄せ合うみたいなことが起こったのかな。
誰から始まったかはそんなに重要じゃないかもしれないけど、でも全部私から始まってる。
私から始まったことが、海を越えたことによってやっぱり第一人者にどんどんなっていった感じがしたかな。
「私から始まる」の「私」にやっぱりすごく熱量があること。何か分かんないんだけどこの人めっちゃ楽しそうだなとか、めちゃくちゃこれ好きなんだなみたいなことが、まずちょっとずつ広がって。受け取った人の中で形を変えて、それぞれの形で大きくなっていく。それがまた他の子に移ったり他のプロジェクトで広がっていくみたいなことがあるのかな。きっかけはもしかしたらスタッフだったり今あるプロジェクトかもしれないけど、それを受け取って、そこから新しく生み出すことをやめてほしくないな、躊躇してほしくないなあって思います。
前編はこちらから: