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風越のいま 2023年4月21日

一人ひとりが世界とつながるアンバサダーになろう! ーワールドアンバサダー フィリピン渡航の記録(前編)ー

根岸 加奈
投稿者 | 根岸 加奈

2023年4月21日

Part I ワールドアンバサダープロジェクトのはじまり(ぽん)

「ヘーイ!パーティ?」
真夜中に扉をノックして、ウィンクしながらお茶目に言うスペインの友人が恋しい。もう、そんなふうに夜中に起こされることも、冷蔵庫のものを勝手に食べられることもないし、鍋でお出汁や具材に気をつかうこともない。

ハタチを過ぎてから4年間、世界各国から集まった個性豊かな人々と暮らす機会があった。文化も言語も違う人々との共同生活は、正直大変なことも多かった。宗教の違いによってルームメイト同士がけんかしたことも、食文化や掃除の習慣の違いに悩んだことも何度もあった。それでも、大変なこと以上に楽しいことが多く、人の温かさや異文化と出会うおもしろさを感じる毎日だった。

あの日々に自分が学んだことの数々を、改めて思い返している。世界はとても広いということ、自分の常識は数ある常識のうちのほんの一つにすぎないということ。

みんなの話を聞いていると、不思議と自分の悩みがちっぽけに思えた。もっと気楽に、でもがむしゃらにやってみようと思えた。各地で奮闘する仲間の存在が、自分の原動力のひとつになっていた。風越学園でチャレンジしてみようと思った理由でもある。

「この国際交流プロジェクトが、世界の役に立つときが、楽しみです!」

ー2020年6月、はじめてフィリピンとオンラインでつながった日の国際交流プロジェクトリーダー・コウタロウの言葉。

それから3年弱が経った2023年1月、私は実際にフィリピンに行ってきた子どもたちの報告会で、戸惑い、葛藤、きらめき、発見、愛情、その他もろもろの温度感にあふれたアツい語りを聴きながら、「こういうところから世界平和につながっていくのかもしれない」と、大げさじゃなく心の底から思ったし、そう子どもたちにも伝えた。

私は風越学園開校の2年前、2018年から設立準備に関わってきた。

カリキュラムづくりは大変なことも多かったけれど、それぞれのスタッフが大切にしていることをベースに理想を描く大切な時間を過ごしてきた。外国語や国際交流まわりのカリキュラムを考えながら、窮屈さが苦手な自分が世界とつながってずいぶん視野が広がったこと、世界のつながりや友人の存在に幾度となく救われてきたこと、何より異文化のおもしろさに魅了されてきたことを思い返していた。風越学園における外国語カリキュラムでも、世界とつながったリアルな交わりや温度感を大事にしたいと思い描いていた。

にも関わらず、コロナ禍でのスタート。これまでの計画を大きく変更し、スタッフ、子ども、時には保護者や地域の方々の力も借りながら制約の中でできることを模索してきた。

開校後まもなく、風越学園の外国語を子どもたちも巻き込んで考えていきたいなと思っていた時、ホームで一緒だったコウタロウが、国際交流プロジェクトを発案してくれた。当初、「貧しい国をたすけたい」「世界とつながって何かしたい」ーそんなコウタロウの言葉を、外国語スタッフのさんだー(山田)と私はどうやって受け止めればいいのか悩んだ。そこで、コウタロウと相談しつつ保護者でもあるワクワーク・イングリッシュの山田貴子さん(やまちゃん)、森住直俊さん(もりぞー)に協力してもらい、フィリピンとつないでもらうことにした。

その日のやまちゃんの振り返りにはこんな言葉があった。

先週、風越の子どもたちと「たすける・支援」と「いっしょにつくる・共創」について、フィリピンとつないで一緒に対話し考えた。

子どもたちからは、たすけるのイメージはどんどん出てきて、いっしょにつくるのイメージはなかなか出てこない。そんな時、ある子どもが「かざこしと一緒だ。かざこしもいっしょにつくるだ」という。

その瞬間、他の子どもたちも、そうか!風越だ!と。

そうか、子どもたちはこの学校を一緒につくってるんだねーと。改めて、グッときた。教える・教えられる、あたえる・あたえられるを超えた場がここにはあるんだなぁと感じた。援助する・される、その関係を超えるヒントはいまここにたくさんあるね。

子どもの一言「この国際交流プロジェクトが、世界の役に立つときが、楽しみです!」にさらにグッときた。これから、国際交流プロジェクトがどこに行くのか楽しみだなー。

正解がないから、わたしもずっとこの問いにむきあっている。これからも子どもたちと一緒に探究したい。

そうか、一緒につくる、か。たしかにかざこしといっしょだ。子どもたちの言葉に私もハッとした。コロナ禍でまっさらの状態からはじまった国際交流プロジェクト。むしろまっさらの状態からのスタートでよかったのかもしれない。子どもたちの姿をいつも隣で一緒におもしろがってくれる二人を味方につけ、大人も子どもも手探りながらも全力で一緒につくっていくことがスタートした。

それから、オンラインで何度もフィリピンとつないで、オンラインランチをしながらお互いの自己紹介をしたり、お昼ご飯を見せあったり。お互いの名前を呼び合いながら、オンラインキャッチボールをしたり。アウトプットデイでは子どもたちが問題から景品、途中でフィリピンチームとZoomで話す仕掛けまですべて用意した「フィリピンスタンプラリー」を全校に向けて開いたり。外国語カリキュラムの中で、フィリピンの仲間と英語でつながるZoom英会話も開始した。

風越の子たちは、初期は「フィリピンの人」とくくって呼ぶことが多かったところから、オンラインであれ色々なかたちで交流を深めていくなかで、次第に「一人ひとり」と出会っていく様子があった。

私が今でも忘れられないのは、風越のアウトプットデイにフィリピンの人たちをオンラインで招待し、モニターでつないでいた時に、「あ!○○だ!」「○○じゃん!Hello〜!」と、画面の向こうにいる一人ひとりの名前を呼んで手を振っていたこと。その姿をみた瞬間、グッときた。

だんだんと「いつか会いたいな」「フィリピンに会いに行きたい」ーそんな声が強くなってきた頃、うずうずしている子たちと一緒にうずうずしていた私は2021年6月になって、「わたしをつくる」の時間にプロジェクトを立ち上げることにした。

年齢に関係なく興味関心で集まって、ある目的にむかってチャレンジしていく「わたしをつくる」の時間。そこで、一人ひとりが世界とつながるアンバサダーになろう!そして、一つのチャレンジとして今までつながってきたフィリピンに実際に行くことを目指そう!という「ワールドアンバサダープロジェクト」を呼びかけ、当時四年生〜中学二年生の5学年にわたる子どもたちが集まった。もともと国際交流プロジェクトに参加していたり、フィリピンに行きたいと言っていた子たちはもちろん、実は興味があると参加してくれた子たちもいた。

そのメンバーに、「世界とつながってどんな自分になりたい?」という問いを課題として投げかけ、家で書いてきてもらった。驚いたのは、それぞれが「一体どこにそんなパッションが隠れていたの?」というくらい、ものすごい熱い思いを文にのせて語ってくれたこと。新しい自分と出会いたい、自分の世界を広げたい、自分の興味を広げたい、マイプロでしていることを世界でも・世界中の人としたい、英語で誰とでも話せるようになりたい、友達を増やしたい、世界の人と関わることのおもしろさを知りたい、さらなる自分の可能性や世界を見つけたい、世界各国に友達を一人はつくりたい、世界が私にとってどんな存在か知りたいーーーここには到底書ききれないくらいの思いがあふれ出していた。この子たちとプロジェクトを共にできることはどれだけ幸せなことかと改めてじんわりした。

これだけ頼もしい子どもたちだから、もっと「一緒につくる」をしたいなと思い、企画段階から子どもたちにもぐっと協力してもらうことにした。引き続きフィリピンをはじめ海外とオンラインでつないで交流するだけでなく、軽井沢にあるインターナショナル・スクールISAKにて、コンタクトをとる段階から子どもたちに任せ一日留学体験を実現したりもした。

本気で世界と出会いたいと取り組む子どもたちの視野やつながりが少しでも広がっていくようにと、大人の方でもいくつか出会いを用意していった。たとえば、留学経験者1800人以上のレポートが集まったトビタテ!留学大図鑑をひたすら読んで、会ってみたい!話を聞いてみたい!先輩を見つけて、Zoomでインタビューをしたり、世界の壁画アーティスト・ミヤザキケンスケさんにゲストとして来てもらって、世界で活動されてきたお話しを聞き、他者とともにつくる・描く擬似体験をしたこともあった。「フィリピンのみんなとも、何か一緒につくりたい!」との声も聞こえてきて、アートや表現は、国境を超えるコミュニケーションツールということを身をもって実感したのではないかな。

途中、コロナの壁がますます厚くなってしまい、風越内ですら学年を超えて会うことが難しくなることもあり、5学年が集まったワールドアンバサダープロジェクトのメンバーが対面で揃えない時期もあった。それでも、オンラインで集まった時には、「今は日本でできることをしていこうよ」「フィリピンに行くために英語の勉強も進めてるよ」という前向きな言葉が子どもたちから聞こえてきて、諦めない姿勢にスタッフの方が励まされた。フィリピン渡航だけでなく、世界とつながるアンバサダーとして一人ひとりが今置かれている状況で何ができるか考え行動していく。そうしたプロセスまるっとふくめて大事なチャレンジをしていて、この子たちなら新しい世界を開いていけるんじゃないか、そんな気がしていた。

その後、私は産育休に入り現地まで行くことができなかったものの、最後まで熱いパッションを持ち続けた子どもたちと、初年度から一緒に伴走をしてくれていたさんだー、やまちゃん、もりぞー、後編を担当してくれたあず、アンディをはじめ風越スタッフの心強い大人たちがこれまた子どもたちに負けないくらい熱いパッションで寄り添い続けてくれた。産育休中、思うように関われないもどかしさと申し訳なさがありながら、子どもたち・大人たちの姿に本当にたくさん励まされた。

Part II フィリピン渡航前夜(さんだー)

「私はまだ、フィリピンに行けると思ってるよ」

2022年度が始まってすぐ、産休に入るぽんと授業やプロジェクトの引き継ぎをしている中で、彼女がそう切り出した。ぽんが2021年度に始めた「ワールドアンバサダープロジェクト」は、国際交流プロジェクトの立ち上げから考えると3年目に入っていた。

「9年生にとっては最後の年。思いっきりチャレンジできると思う」

彼女がアンバサダーに注いでいた情熱は感じていたから、たとえぽんがお休みに入っても、火を絶やさずチャレンジしよう!と思った自分は、10月に自分も育休に入ることは決まっていたものの、ワールドアンバサダープロジェクトを引き継いで、フィリピン渡航に向けて全力で取り組んでいくことにした。

当初は8月に渡航するつもりで、それに向けて6月中旬頃、保護者に自分たちのパッションを届けることを考えていた。

セブ島の地図上に、空港の場所をはじめとして、行きたい場所を書き込んでいく

しかし、本気で取り組みだすと見えてくる、いろいろな壁。日々変わるワクチン接種についての情報、未成年が保護者の同伴なしで渡航する際の書類づくり、各ご家庭負担の費用以外にかかる諸々の費用、行く時期が決まらないと旅費その他が決まらず、旅費が決まらないと保護者としてもOKを出せない、となると行く時期が決まらない…など、大人の側の想定不足でプロジェクトが停滞してしまったことも、正直あったなと振り返っている。また、現地での行程を計画する、と言っても、ネットで調べることが主だと、観光地的なところの情報ばかり出てくる。今思うと、もっと「いっしょにつくる」に立ち戻って、フィリピンチームとのやり取りを中心にできたらよかったなと思うけれど、当時は「それって観光と何が違うんだろう?」「(一人ひとりにとって)わたしがフィリピンに行く意味って?」というところは、まだ考えきれていないようにも感じていた。

そうした壁を乗り越えきれず、8月渡航が現実的でなくなってしまい、延期することにした。渡航後、当時を振り返って子どもたちに聞くと、「渡航が8月から延期になったときにモチベ(ーション)保つのがむずかった」と語る子も。途中で自分自身「これは無理なんじゃないか…」と何度か思ったけれど、結局そんな自分を奮い立たせたのも、やっぱり子どもたちの姿だった。「さんだー、ホントにフィリピン行けるの?」と毎回聞きながら、セブ島のどんな場所に行きたいか、どんなことをしたいかをいつも考えていたキホ。「ワクチン摂取についての情報が新しくなったみたい」と日々声をかけてくれたジュン。どの子もパッションを絶やさず、フィリピンに行くという大きな目標に取り組んでいた。それを本当に親身になって支えてくれるワクワークのやまちゃんやフィリピンチームの温かさも感じながら、11月末でスケジュールを確定させ、そのために9月中にみんなのパッションを広く伝えて応援・寄付を募り、目標額に達したら渡航しよう!と決めた。

そこからの子どもたちの動きは、本当にすごかった。学校を飛び出してロータリークラブ(各地に支部がある、国際的な社会奉仕連合団体)の例会に参加させてもらってプレゼンをする機会をいただくと、フィリピンチームにもコンタクトを取って計画を練り直し、学校でのプロジェクトの時間はもちろん、週末もオンラインで集まってプレゼンの確認をしてコメントしあっていた。当日は、大人でも緊張するであろう大舞台で堂々とプレゼンし、興味を持って応援してくださる方を増やした。

ドキドキのプレゼン前。チィチィコは本を読んでリラックス!

他にも、コウタロウはたまたま学校見学に来ていた東京のテック企業の代表の方を捕まえて自分たちのパッションや計画を話す機会をいただき、支援につなげていた。改めて一人ひとりの「〜したい」から始まったプロジェクトだったことを思い出す。プロジェクトの規模が大きくなればなるほど、大人の側で考えるべきことも増えるのは事実。それでも、どこまで子どもたちと一緒に考えられるか、悩めるか。自分にとっても、プロジェクトについて考える大きな原体験となった。

全力で駆け抜けた9月末、ギリギリのタイミングで目標金額が集まり、渡航が可能になってきた。自分は後ろ髪を引かれる思いで育休に入り、この記事も実際の渡航編は、後半の記事に譲ることとするー。

Part III 「一緒につくる」の価値(やまちゃん・ぽん・さんだー)

前編の最後は、ぽん・さんだーと、開校当初から風越学園の外国語カリキュラムに関わってくれており、今回のフィリピン渡航にも伴走していただいた、ワクワーク・イングリッシュのやまちゃんとで、「一緒につくる」について、改めておしゃべりしてみた。

山田

「一緒につくる」の価値について、話したいな。上の記事中にも出てきたけど、自分も、今回やまちゃんはじめフィリピンチームと、すごく一緒につくってきた感覚がある。今回のフィリピン渡航を知った低学年の子が「俺も行きたーい!」って言った時に、渡航した子どもたちが「ただ連れてってもらえると思ったら大間違いだよね」って言ってて。苦労も含めて、「一緒につくる」の価値をすごく感じているように見えた。僕らスタッフも、改めてその価値をもう少し言葉にして持っておきたいなと思ってます。

山田(貴)

やまちゃん:初日2020年6月5日の、「“支援する”と“一緒につくる”の違い」をみんなで話したのが、やっぱり印象的だったな。「風越と一緒なんだ」っていう子どもたちの声が心に残ってる。

根岸

一般的な学校だったら、海外研修プログラムって先生が準備して提供してくれる。でも風越ってそうじゃないよな、と。自分たちでその機会をつくる、つながりもつくっていく。それが私が思い描く風越らしさ、みたいなところでもあったりして。

山田(貴)

あとは、すごくねばり強くみんな思いを持ち続けたんだなっていうのも感じてますね。現地の子たちと何回かオンラインでつないでご飯食べたり、Tリーグ(注:コウタロウが考案した、オンライン的当てゲーム)やったり、Zoom英会話で先生たちと会ってたり、ああいう時間が「この子たちに会いたい、フィリピンに行きたい」っていう思いを育てていたのかなーと。これが与えられてたプロジェクトだったら、たとえ渡航できなくなっても、あ、中止になったんだ、そっかーって終わったんじゃないかな。

根岸

リアルで会えたら一番だと思ってたけど、でもコロナで難しい中で、3年という時間をかけて、オンラインでいろいろな試行錯誤しながら、じわじわ絆を育んでいった感じがあったよね。

山田(貴)

今日卒業式で(注:このおしゃべりを行なったのは、2022年3月21日、9年生の卒業式当日の夕方だった)、卒業するハヅキ・ユマ・ソウタに、フィリピンのメンバーから動画が届いたんですよね。一人一人に違う写真を送って「おめでとう!」って伝えてくれて。一緒につくるっていうか、お互いに思い合ってるっていう感じがすごいいいなあと。行った期間は一週間だけど、それまでの交流とその後の関わりで、お互いの人生を重ね合わせたと思う。海外の子に中学卒業する時祝ってもらえることなんてないですよね。それでこっちは今日の動画を送ってあげたりして。

山田

すごくいいなあ!学校が海外研修プログラムみたいに提供してたら出てこない動きだなって思うし、「一緒につくる」の価値のすごく大事なところ。関わる人を増やすとか自分ごとに考えてくれる人を増やす、みたいなところもありそう。一緒につくるんだって意識があるから、コウタロウも、帰ってきてから、フィリピンの村長さんにメール書こうとしたりとか。

山田(貴)

そうそう。村長さんの家の住所を教えてくださいってコウタロウからメール来ました。「確認するけどあそこに住所があるかわからない」って返したんだけど。笑

根岸

帰ってきた子どもたちが村長さんの話や釣りの話を生き生きとしてたりして。ほんとそれぞれの「らしさ」を大切にしながら渡航して、たっぷりいろんな経験をして、成長して帰ってきたんだなぁと思って。「”一緒につくる”と”支援”の違い」は、ずっと子どもたちの中に印象に残ってるみたいで、たびたび振り返りに子どもたちも書いてたりする。2020年度の国際交流プロジェクトの始まりの時、スタッフだけだったらきっとその問いにたどりつかなかったと思う。やまちゃんとモリゾーが入ってくれたからこそ、子どもたちの中で「そういう考え方あるんだな」って、「一緒につくる」につながっていったなって思う。私たちスタッフも、一緒につくらせてもらったな…っていう感じ。

山田(貴)

風越の日常の中に「一緒につくる」があるから、「風越と一緒だ」っていう感じが持ててるのは強みだなって思いました。「一緒につくるって、じゃあどうつくるの?」って普通思うと思うんですけど、「風越と一緒だね、僕らも風越つくってるから」っていうその感覚、すごいなぁって思う。

山田

もうすぐ開校4年目ですけど、つくり手意識をどう持ち続けられるかっていうのが次のチャレンジになり始めるんだろうな、とも思ってます。たとえば今日終わった卒業式も、来年また違うにしても、今日のイメージは残ってているところからどうつくるかが問われる。ここからはまた別のチャレンジだなって思います。つくり手であり続けるのは、すごいエネルギーが要りますしね。

山田(貴)

そこがぽんちゃんが記事の中でも言っている「わたしをつくる」ともつながってるような気がしていて。常に「わたし」がそこにいる。だから、つくり続けるんだけれども、そこにいる「わたし」は常に変わっていくじゃないですか。だから「わたしをつくる」が「一緒につくる」を変化させていく。あとは、「わたしをつくる」って、その瞬間にわたしがつくられるかというとそうとも限らない。10年20年経ったとき、あのときにフィリピン渡航にチャレンジして、行って、現地の子たちが最終日の夜お別れしたけどまた次の日会いに来てくれて。そういう経験が、もうちょっと後になった時に振り返ったら自分の一部になって、「わたしをつくる」になるのかなあ、とか。また二十歳くらいになった彼らと話したいですね。

山田

ですねー!

根岸

ホントホント!

後編はこちらから:

#2022 #わたしをつくる #探究の学び

根岸 加奈

投稿者根岸 加奈

投稿者根岸 加奈

人との出会いやつながりに支えられてきました。温度感があるものには、はかり知れないパワーがあると思います。多様な人びとや物事が混ざりあい、温度感にあふれた環境で遊び学べたらいいな。

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