風越のいま 2023年2月24日

カリキュラムとしての枠組みと余白

岡部 哲
投稿者 | 岡部 哲

2023年2月24日

今日は風越学園の学びについて、少し込み入った話を書いてみようと思う。軽井沢風越学園では探究の学びを軸においている。と、一口に言っても、探究の学びには様々な段階と形がある。探究の学び自体は基本的に子どものしたいから始まる駆動力、すなわち「楽しいと思うこと」が前提として中心にあると考えるが、初めから「楽しいこと、自由にどうぞ。」と言われても、多くの子どもたちが自由になれるわけではない。そこで、子どもたちが自由になるための足場かけが必要となる。これには、カリキュラム的枠組みや大人の関わりなどいくつかあるが、今回はこの辺りについて考えたいと思う。

探究のグラデーション

風越学園は来年度に向けて今年もカリキュラムの改訂真っ只中だが、義務教育学校における探究の学びの大きな枠組みとしては、以下の三つがある。まず、教科の本質に触れる大人から発信される「土台の学び」。そして、大人と子どもが一緒につくりあげる「テーマプロジェクト」。さらに、完全に子どもの「したい!」から始まる「マイプロジェクト」である。

風越学園では学校生活においてこれらの学びすべてが、探究的に学んでいることを目指しているが、私たちスタッフはこれらの学びが子どもたちにとってどのような探究の段階として手渡されているのか、つまり探究のグラデーションと共に、子どもたちがどのような段階で学んでいるかを意識する必要があるだろう。これは、子どもたちが自由に学び、自由に生きることができるために、大人の構成度合いを変える、という一つの手立てである。

この図は目安で、常に子どもの姿から構成の必要性や内容を考える必要がある。

さて、このような大人の仕掛ける学びの枠組み(時間割・ホーム・ラーニンググループなど)が大切な一方、子どもたちの持つ個性は枠組みには収まり切らないことが多々ある。そこで、子どもたちがどう学んでいくか、学びたいのかということを見とるためには、ある程度の余白、余裕を持った構えをとる必要があるのではないだろうか。しかしこれが難しい。そうした大人の構えとしての余白がないと、子どもはこれまで通り窮屈でもあるし、枠としての余白が大きすぎても子ども自身が扱うことはできない。そこで、枠の外でも子どもの姿を見とる大人の姿勢があることが、ちょうどいいように感じる。子どもの経験の総体をカリキュラムとして捉えると、子どもにとっては枠組みも大人との余白的な関わりも等しくカリキュラムなのである。

枠をはみ出しての探究

ライブラリーの色んな場所で、いつも本を読んでいる4年生のソラ。彼が読む本の量は実に豊富で、ジャンルも多岐に及ぶ。絵本、動物、地理、歴史、、、。


そして、なんらかの枠組みの時間に行き詰まると、ラボにやってくる。ここでするのはたいてい、読んだ本の内容を、自分なりに再解釈して絵や立体に表すこと、あるいはプロジェクト以前に、単に色や素材の面白さを試すこともある。

今、ハマっているのは、日本の城。安土、松本、大阪城・・・いろんな城について学んだことを、「伊達ハム城」という想像上のお城に組み込んで、面白いと思うことを次々と広げていく。彼にとってはライブラリーなどで学んだことが、ただ知識を得て終わるにとどまらない。

ソラ「こちらが本丸です。じつはこれ櫓門(やぐらもん)と言って、中から敵を射撃できるようになっている。」と言う。続きを見ていると、次にお堀、水攻めや石落としの仕掛け、大砲。。。次々と新しい仕掛けや設備が城下に整っていく。

翌る日は、「本丸に狩野永徳さんを呼んで、屛風絵をつくろう。」この日も、引き続き見ていると、屏風絵から大阪城に想いが繋がって、金の茶室に床の間がつくられていく。するとテオ(3年生)が「この茶室は本当は4畳じゃなくて3畳なんじゃないか?」とか、「ここにある床の間や茶器はどうなっているんだろう。おじいちゃんのうちに黒いヤカン(鉄瓶)があったから、写真を送ってもらってつくろう。」と、次々と問いや想いが広がっていく。

彼らにとってはこんな試行錯誤が満載のプロジェクトも、面白いからやっているだけなのだが、一緒に城をつくるテオと共に、学んだことや歴史を再編成し、自分なりの学びへと繋がっているように見える。

ちなみに、本丸は天守や黄金の茶室以外にも、風呂の間、絵画の間、居間などとあらゆる場所に趣向が凝らされている。

葛飾北斎の版画とともに、自作の獅子などの名画が飾られた天守閣。

城門から天守を望む。正面には大きなカニのオブジェ(?)がある。その中には食糧としての蟹味噌が入っていることを、ある日テオは驚きをもって発見した。

城には堀や城壁の他に、蔵や井戸もある。
ソラ「城で一番大切なものってなんだと思う?実はね、食糧なんだよ。昔は塩や味噌は貴重だったから蔵に樽を入れよう。」つくることを通して学んだことを実感しているようだ。

「 足軽が殿様を運べるように、籠をつくりたい。」からの、「ねぇ、モールってある?あと、ストロー。」

このような学びの連続性が出てくるには、面白いと思ったことを実現できる余白に加え、それを受け入れる環境と大人の姿勢が必要だ。冒頭を思い出してほしい。この活動は多くのみんなが一緒に同じことを学んでいる時間を跨いでおり、彼は自分のチャレンジが終わったらまた、LGやホームなどのグループに帰っていく。その上で大切なのは、この学びを彼が自分の中にとどめることなく、LG(2学年のラーニンググループ)やアウトプットデイ(学びの発表の場)に持ち帰ってみんなと繋がっていること。きっと、学んだという実感と共に徐々に自分の世界が広がる感覚を彼自身が感じているからこそ、次に繋げていくことができると思われる。

余談だが、わたしをつくる時間は、子どもたちの多くが思い思いにみんな違うことをしている。

ソラとテオの伊達ハム城の横には別の城が睨み合っているし、その隣には女の子たちのミニチュアのデザート。また、どの容器ならプラバンになるか試す人もいれば、その隣で中学生が水彩画を描いているし、同じ空間の中で養蜂の蜂の巣箱をつくっている子もいる。このような混沌とした活動を見とることは容易ではないのだが、風越ならではの風景であり、この上なく面白いことなのである。

アウトプットデイ。伊達ハム城の横には、歴史や城に関する4冊の本が積まれていた。

 

 

#2022 #ラボ #わたしをつくる #探究の学び

岡部 哲

投稿者岡部 哲

投稿者岡部 哲

どういうわけか、大変な方に転がってしまうんです。楽しいけど。

詳しいプロフィールをみる

感想/お便りをどうぞ
いただいた感想は、書き手に届けます。