風越のいま 2022年2月16日

軽井沢の冬と原風景

奥野 千夏
投稿者 | 奥野 千夏

2022年2月16日

ある日の朝、登園してきた子たちと真っ白に雪が積もったグラウンドに足を踏み入れると、動物の足跡らしきものを発見。

「こっちにつづいているよ」
「あー、ここでみえなくなった。もりにいったのかな?」
「だれのあしあとかな?うさぎかな?きつねかな?ここにとりみたいのもあるよー」

また別の日。朝のつどいが終わると、レイとカズハが「ねえねえ、来て来て。こっちに動物の足跡があるよ~」。

そばにいた数人で見に行くとなにやらかわいらしい肉球の足跡が点在してます。

私が「この大きさ、クマかな?でもここにしかないね~。どっちにいったのかな?」と不思議そうにしていると、レイとカズハがニヤニヤ。

「じつはこれ、わたしたちがつくったあしあとでした~!」とタネあかし。

すると、まわりで見ていた人たちも雪の上に思い思いの足跡を描いていき、そのうち恐竜の大きな足跡まで登場!

風越のグラウンドは森と地続きになっていて、整地していなく、中には大きな木がいくつもあります。私の所属している暮らしグループ「どんぐり5丁目」のシンボルツリーもそのうちの1本。

このグラウンドに雪が降り積もった朝には動物の足跡やフンを見つけることができ、さらに幼児はそこから自分たちで遊びの世界をつくり広げていきます。かれらの遊びの中で育まれる想像力たるや、本当に豊かで大人のそれをはるかに超えていつも驚かされています。

日中子どもたちが遊んでいるグラウンドには夜の間に動物たちが通った跡があり、探険にでかける森は動物たちの暮らす場でもあります。動物と人がその場を共有している、動物たちと共に暮らしているということを風越の子どもたちは体感として感じ取っているのではないでしょうか。

私はいろんな園の保育者と学びあう「実践を研究するゼミ」に通っているのですが、昨年の春の課題で「今、自分が広げたいと考えている保育」についてこんなことを書きました。

【土地の文化や地域性を大切にした保育】

風越学園では、軽井沢では身近な動物でもあるクマのことを知るために、クマの調査と保護活動をしているピッキオの方にクマの話を聞く機会がある。ここは元々はクマが住んでいた場所で、そこに私達が住まわせてもらっているということを改めて考える。そして、この地域の動植物とともに生きていることを保育中にも実感する。子どもたちが森に入る時は、大きな声で「おじゃまします。今から入りますよ~。」と声をかける。クマ鈴をつけて森に入る。いつも姿が見えていなくても動物たちを身近に感じながら育っていく子どもたち。土地特有の自然環境や文化がここに暮らす子どもたちの原体験、原風景となっていく。

都市部でも、周辺を散歩すると街の風景、人びとの暮らし、季節の移ろいを感じる街路樹や道端の草花などの自然に出会える。日本全国画一的な保育ではなく、その土地に暮らす子どもたちと保育者が一緒に作り出す唯一無二の保育、その土地にあった活動をしていくことの意味をもう一度とらえ直したい。

ゼミの先生から「小さい頃に自然や野外で体験するのがいいことというのはわかるが、その評価はむずかしい。原風景というキーワードで深めてみたらおもしろいんじゃないか。」とアドバイスをもらいました。

その時に薦められた本『子どもと文化』(古田足日)がおもしろかったので紹介させてください。

「四 原体験・原風景」の冒頭は「その人間をその人間たらしめているものを、人はどうのようにして獲得していくのだろうか。」とはじまります。赤ちゃんは人間としての成長発達の方向性はあっても具体的実現は可能性のまま。ここに文化が働きかけ、人は人になっていく。古田はこの手がかりになるのが原体験・原風景という言葉ではないかと言っています。「その人をその人たらしめているもの」、私もすごく興味があるところです。


「原風景はイメージだが、原体験は原風景として保存されている。原体験とは、自分の直接体験のうち、この経験自体の意味をはるかに超えた巨大なものへの認識の萌芽を含んだ体験が自分個人のものとしてとらえられた場合をいうのではないか。そうした衝撃的な原体験を核とする原風景と、もう一つ幼少年期に形成される日常生活的原風景がある。それは、ともだちといっしょに遊んだ野原、くやしさにこぶしをにぎりしめた教室等、自分の行動、感情の動きがあってその風景は内面化され、保存される。」

その人の身体(五感)を通した体験や心が動いた出来事から得たもの。それがその時の風景と共にその人の中に残っていくのが原風景で、それはイメージだけではなく、当時の行動や感情の動きとセットなんですよね。

私の考える原風景とは…

・その人の根っこ、ベースになっていくもの
・その人のアイデンティティの構成要素の一つ
・これからいろんな壁や困難にぶつかって揺れた時に、それはきっとその人を支えてくれるもの
・実在の場所だけではなく、その人の心の中につくられる帰れる場所

「森にはさまざまな動植物がいて、人間とともに暮らしている」「軽井沢の厳しい冬の中で自分ではどうにもならない自然と折り合いをつけながら生きていく」ということを、知識として知っていることと、日々の暮らしの中で体得していくことには大きな大きな差があると思うのです。こういった体験がその時に過ごした風景と共に彼らの中に残っていく、彼らの一部になっていく。それがその人の価値観や根っこをつくるものになっていき、その人をその人たらしめるものの一つ、原風景になるのではないでしょうか。

軽井沢の厳しい冬も少しご紹介します。関東や温暖な地域に住んでいる人にとって、最高気温が氷点下になる日もある環境をどこまで想像できるでしょうか?(私も3年前まではその一人でした)

手袋(スキー用の分厚いやつ)をしないと手が痛くていられない。素手では数分も持たないような日もあります。手袋を忘れてしまうとここでは死活問題。

氷づくりをしようと容器に水を入れると、次の日を待たずにその日のうちに凍りはじめる。

コトホ、キキ「みてみて!!たいへんだよ。あさまやまがふんかしてる!!」(頂上付近に雲がかかっているのですが)

しみじみと「あさまやまきょうきれいだね~。」という人がいたり、雪で白くなり始めた時期に、浅間山に冠雪があるのに気がついて周りの人に自慢げに教える人がいたり、子どもたちの会話に登場することが多い浅間山。山も子どもたちの大切な原風景の一つのようです。動植物と同じように共に暮らしている感覚があります。

肌で感じたピリッと痛いくらいの寒さや手先のジンジンする冷たさ、身体やお弁当を温めた焚き火のにおいやぬくもり、風の強さにどうにもならず涙したこと。そのときの感覚や心動かされる体験もこの景色に織り込まれていく。

同じ体験や場を共有していても、重なるものもあれば人それぞれ残るものが違っていたりします。だからこそ、人は多様でおもしろく、その人をその人たらしめるものになっていくのでしょう。

みなさんの中にある原体験、原風景とはどんなものですか?

#2021 #前期 #幼児 #森

奥野 千夏

投稿者奥野 千夏

投稿者奥野 千夏

自然体験活動・環境教育のインタープリターから保育者へ転身。絵本とおもちゃの店の店員や、保育雑誌のライティングに携わった経験も持つ。軽井沢風越学園で新しい教育づくりに関われることにワクワクしています。

詳しいプロフィールをみる

感想/お便りをどうぞ
いただいた感想は、書き手に届けます。