風越のいま 2021年12月20日

大事なことって、なーんだ?

片岡 亜由美
投稿者 | 片岡 亜由美

2021年12月20日

ホーム東・年少じゃぶじゃぶチームの10月13日の朝の集い。

久しぶりの本格的な雨。登園してきて、タープのしたになんとなくいると、「ここならえほんよめるねー」とカホが言い、「ここであさのつどいする?」とマキノ。「テーブルもあるからいいね〜」とアンノ。「じゃあ、緑の椅子持ってきて、丸くなって朝の集いをしようか」と声をかける。

私(てんてん)が、YY(幼児の室内スペース)に行くと、ダイセイとカンがちょうど連れションへ。長靴を脱ぐのが億劫になった私は「トイレ行ったら、てんてんのリュック持ってきてくれる?」と声をかけると、「いいよー」とトイレへ。ダイセイが戻ってきて、トイレのスリッパをきれいに並べてから、私のリュックを探す。カンも戻ってきて、「あー。これだぁ」とリュックを発見。中には6冊ほど絵本が入っているので、なかなかの重さだけれど、二人で力を合わせて私のところまで持ってくる。「サンキュー」とお礼を言い、タープへ。

「まーるくなーれ わーにーなーれ いーち にーの さーん」と歌いながらも座ると、こんな感じ。



入園してから今まで、この11人は、から松林のいつもの場所で自分たちでやっとこさ運べる重さの丸太に座っていたので、自分の思う「まるくなる」を表現したのは、ここが初めて。
本人たちは気づいてないけれど(笑)。

「どう?」と聞くと、「なんかへんなまるだな〜」とそれぞれ手でまるの形を作って確かめている。

「てんてんのとなりにだれかがきて、だれかのとなりにまた誰かが来て。。。」と伝えると、少しずつ動き出す。

「なんか、め(目)みたいだね」とジュタロウ。
「もっとおおきくしたらいいんじゃない?」とカホ。
そして、少しずつまた動き出す。

そんな様子を見ながら、「コウタくんのいすがないなぁ」と取りに行くコウタ。


「まるになるとね。みーんなの顔がそれぞれみえるんだよ。だけど、あんちゃんの顔がてんてんからはみえないなぁ」

「あんちゃんもてんてんのかお、みえない」

「てんてんが少し後ろに行こうかな」

すると隣のマキノも「これくらい?」と後ろに下がる。

アンノもてんてんの顔が見えるように移動する。

「あ。あんちゃんの顔見えた。みんなの顔見えるかなぁ」と言いながら、コウタもちょうどいい場所へ椅子を置き・・・

じゃぶじゃぶの◯が完成。自分と相手と周りを意識しての環境づくり。

この様子を振り返ると、そうか、いままでスタッフが環境を整えて、安心して集いに参加できるように、落ち着いて友だちの声が聞けるようにと意識していたけれど、そこから徐々に自分たちでつくっていく段階にきたか、と感じた。

この日から、徐々に集う場所を自分たちで決めるように手渡していく。

11月11日の朝の集いの様子。このときには、どんどん横にくれば、まるくなっていくというところまで意識が向いている。



けれど、若干ななめ横になる角度をつけないとまるくならなくて、しかくになる。
なので、てんてんの椅子を置くと、そこに合わせて隣にくるので、まあなんとかまるになる。

そんなこんなして、なんとかまるになれたこの子たちをみて、まるになるやり方を覚えられてよかったー、と思っていた。

そして、次の週に、年少から小学校2年生までのホームとは異なる小グループでの暮らしグループ編成が始まった。


暮らしグループ、もみじ1丁目26名の2日目。朝、気づいた人が椅子を並べていって、ある椅子の場所に座ったり、座る椅子がなかったら自分で出してきて、場所を見つけて座る。そしてこんな感じで、ハンカチ落としならぬ帽子落としをしている。

どうだろう?全然きれいじゃない(笑)。誰がだれの顔がみえているかなんてわからないし、むしろ「まる」でないような。。。

でも、この人たちはこれで落ち着いて参加している。私自身も、こんなへんてこな「まる」でも、嫌じゃない。

いつのまにか、きれいな「まる」を意識していたけれど、考えてみたら、じゃぶじゃぶで丸太で集いをしているときも、いつの間にか丸太が大量にあるなかで、とびとびに座っているなかで集いをしていたり、ここで絵本が読みたいんだ!と言われ、駐車場の近くの丘でなぜか集いをしたこともあった。これこそ1列。

集いに来ている人の顔をみれるのは大事かもしれないけれど、まずはその子が集いにきた集団のなかでどんな位置だったら安心して参加できるかを選択できる環境が必要だったなぁと思う。始まりは、顔なんか見合わせなくても、声が届けばいい気もするし、存在がお互い確認できればいい気もする。

だからじゃぶじゃぶへの「まるくなる」の声掛けは、ほんとお節介だったなぁ。

私は、集いをしなくちゃっていう感覚がないので、朝来て遊びが始まっていたら、集いしなくてもいいなって思う時もあれば、集団として意識をつけたいときには、集いに重きをおいたりする。

どんな集いでも大事にしていることは、話し合うということよりも、聴き合うこと。これは、どの年齢の集いでも、どんな人数の集いの単位でも大事にしている。聴くことから相手のことや集団への意識が向けられていくように感じるから。聴くからはじまる感じ。

もみじ1丁目も、1ヶ月ほど過ぎて、「まる」がこんな感じになってきた。

面白いでしょ?自分は1丁目の一員として生きてるでしょ?

前回よりは「きれいなまる」の中でも、この子の隣なら安心する、この位置なら森も見えて安心する、とかその子なりに安心する場所や落ち着く位置を決めて、参加している。

ちなみに私のまるの位置は、絵本を読むことになったときに、子どもたちが絵本を見てまぶしくない場所、まだ集いにきてない子が向かっているのが確認できる場所、ゆっけとアイコンタクトができる場所、という、安心も落ち着く感じもない居場所をいつも選んでいる。季節や天気によって若干考えて選べるのが、楽しみでもある。

こういう集団での居場所を自分で考えられると、どんなに大きな集団や見知らぬ人たちの中へも入っていける気がする。そうして、そこから聴くから始まって、一緒になにかしあえる段階になっていく。前期の子どもたちが年齢を重ねたら、当たり前に聴き合うことを、今は学園全体として聴き合うことの土台をつくっていきたいな。

#2021 #前期 #幼児

片岡 亜由美

投稿者片岡 亜由美

投稿者片岡 亜由美

今しかできないこと、今だからできること、当たり前ではない今日を、子どもたちと共に生きて学んで経験していきたいと思います。

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