風越のいま 2020年12月21日

「ふりかえり」をふりかえる(高田 ひなの)

かぜのーと編集部
投稿者 | かぜのーと編集部

2020年12月21日

「”私にとってふりかえりを書くとは”を言語化してみるといいと思います。」11月の終わり頃、そんなことをゴリさんから伝えられた。

インターンとして初めて風越学園にやってきた6月末から、日々書き続けてきたふりかえり。感じたこと、考えたこと、素朴な疑問やモヤモヤしたこと。いろんな想いがつまった、自身の実践記録としてのふりかえり。今では毎日の日課として、ふりかえりを書くことが当たり前になっているのだけど、はじめからそうだったわけではない。

はじめは、書くこと自体が自分にとっては負荷のかかるものだった。風越に来る前、私は大学に通いながら子どもたちと川遊びやハイキング、キャンプなどを行う野外活動の団体に所属していた。そこでも「ふりかえる」ということはしていたけれど、あくまで必要最低限の情報共有のためで、起こった出来事を細かく文字として言語化するということは、なかなかなかった。

もちろん、子どもとの関わりに迷ったときなど、一度立ち止まって考えることはあったけど、深く振り返れていなかったなと今なら思う。だから風越にきて、「毎日ふりかえり書いてみよう。」と言われ書き始めた当初は、正直しんどかった。

文字に起こすことにも時間がかかる。モヤモヤしている気持ちがなかなか言葉にならず、ふりかえりを書くことが重たいと感じることもしばしば。そしてなにより、ふりかえりにかかる時間に対して、どこまで価値があるものを書けているのかも分からない。そんな中で書き続けることにしんどさを感じていたのだと思う。

だけど、毎日書いた。なんでだろう。ふりかえりには、毎日ゴリさんが丁寧にフィードバックをくれた。自分の行動、子どもたちへの関わりに言葉が与えられる。「そこにどんな想いがあったのかな?」「ここ、面白いね。もう少し深めてみよう。」と、自身の振り返りをより深堀するきっかけをくれたり、新しい視点をもらったりもした。

9月からは2人目のインターン生としてあさはがやってきて、もっている興味や関心で、日々のふりかえりの色が変わってくることにも気づいた。同じ出来事でも、見方が違ったり、違う価値観にも触れることで、自身の想いもより色濃く表現できるようになった気がする。

そしてリフレクションを書き始めて3・4ヶ月たった頃、ようやく、「あ〜、リフレクションかいててよかったなぁ。」と実感するようになった。いまさらなのだけど(笑)。だけど、ふりかえりの意味をじわじわ実感し始めてからのふりかえりだけが、自分にとって意味のあるものだというわけではない。意味も分からず書き続けてきたふりかえりの数々が、「ふりかえり書いていてよかったぁ」と思えるための大事な大事な土台になっている、と思う。

私にとって、ふりかえり1つ1つをただ眺めていてもあまり意味が感じられない。もちろん、一歩立ち止まって言語化することによって、思考が整理されたり、すっきりしたりもするのだけど、どちらというと1つ1つのふりかえりは忘れないように書き留めておくというという感じで、続いている日々の中で、ふりかえりも一つのつながりとして見ていったときに、不思議なことが起こる。

”自分の学びを自分でつくる” ”子どもの学びに伴走する”など、ふだん何気なく使っている言葉・概念が、自らの実践を伴って自身の言葉として表現できる瞬間があったり、子どもの変化を感じられたり、その時はよくわからなかったことの背景が、別の出来事とつながって、言葉にできたり。自分の中で、「そういうことだったのか!」と視界が広がるような感覚になるときがある。そんな気づきの瞬間が自分にとって、ふりかえりを書く意味を感じられることなのかもしれない。そして、あれだけ書くことに対して苦手意識を感じていた私だけど、書くってことが案外嫌いではないとまで思い始めた。その変化に自分自身が一番驚かされている。

12月からは、ゴリさんに変わって、むーちゃんに振り返りの伴走をしてもらっている。また新たな視点でフィードバックをくれるむーちゃん。その変化は今は言葉にならないけれのだけど、きっと後々言葉にできる、そう思う。

ふりかえりを書くこと、そこからのやり取りを通して見えてくる、私や他者の価値観、その人を通して見えている世界に刺激を受けて、今日も私はふりかえりを書く。

文:高田ひなの

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かぜのーと編集部です。軽井沢風越学園のプロセスを多面的にお届けしたいと思っています。辰巳、三輪が担当。

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