2020年2月9日
(書き手・馬野 友之/2023年3月 退職)
「そうですねぇ、軽井沢宿までは、あと半分ってところですねぇ」と、僕の期待を打ち砕く、衝撃の一言がさらりと発せられた。
まだ、半分!?。心肺機能がおいつかないぞ。雨も寒いし、ちょっと休みたいな。
れいかさんとアンディは、さすがに速いなぁ。あすこまさんも、木の枝をつきながら頑張っている。
負けられんなー。
しばらく最後尾からゆるゆる着いていったら、僕の願いが通じた。
ラッキー、みんなの歩みが止まった。ほっとする。
みんなの視線は、その先の道に注がれていた。
降り積もった雪の上に、誰かが歩いた足跡が残っていて、それを見ているようだ。
そこで、またもや衝撃の一言が発せられた。今度は、興奮を隠しきれない口調で、
「この道は、私が発見したんです。これが本当の中山道なんです。私の本を持っていないとこの道は分からないんですよ。嬉しいなぁ。足跡が残っているということは、誰かが通ってくれているんだなぁ。いやぁ、本当に嬉しいなぁ。」
この声の主は、中山道69次資料館・館長の岸本豊さん。
1月23日に、僕らは坂本宿(中山道69次のうち江戸から数えて17番目の宿場。群馬県安中市松井田町坂本)から軽井沢宿(同18番目の宿場。長野県北佐久郡軽井沢町)までの約12キロ歩いてみた。
前日に岸本さんに初めてお会いして5分で、「明日?歩くの?ぜひ一緒に歩きましょう。」と即決してくれたフットワークの軽さから、只者ではないとは薄々気づいていた。
本物の探究者だった。
岸本さんは『中山道分間延絵図』や『伊能図大全』を片手に20年以上も何度も中山道を歩いていて、ガイドブックに載っているのとは違う「本当の中山道」を探究している。徳島県の高校教師だったときから、金曜夜に車でご夫婦で軽井沢まで来て、そこを拠点に調査をし続けたのだそうだ。
それだけでなく、みんなが歩きやすいように自分が発見した道にロープをはったり、道の整備をしたり、日本橋から三条大橋まで、150個以上の「中山道」と書かれた木製看板をもって歩き、分かりにくいところにおいていったそうだ。
無事に碓氷峠を越えて、軽井沢宿が近づいてきた。
だんだん知っている景色が広がってきて、足取りが軽くなる。
途中、昨年の台風19号で道がくずれて、配管が剥き出しになっている箇所が2箇所あった。自然の恐ろしさを前に、僕の思考は沈黙した。中山道が崩れているのをみて、岸本さんは、悲しそうだった。
あたたかい季節になったら、一緒に直したい。
岸本さんの情熱にふれて、ともに歩いて、僕にとっても中山道が昨日より身近なものになってきている。
最後に、いまは何に興味を持っているんですか?と聞いた。「甲州街道です」
また、これから歩くんですか?「いえ、歩き終わりました。もう原稿書き終わって、今年中に本が出ます。次にしたいことはー」と、とどまらない探究心を持ち続けている姿におそれいった。
今度は、風越の子どもたちと一緒に岸本さんと歩きたい。
そのときまでに、僕は体を鍛えておこう。
以下、「岸本豊『改訂版中山道69次を歩く』(信濃毎日新聞社、2011)」より