この地とつながる 2023年2月26日

自然界のふしぎと子どもたちが教えてくれるもの

佐藤 美智子
投稿者 | 佐藤 美智子

2023年2月26日

オアシスな空間

校舎のエントランスを入ってすぐのライブラリーの一角に水槽が置かれている。開校してまもない頃、シンノスケ(当時5年)、オカショー(当時7年)がみんなに魚を見てほしいとつくったエリア

少しずつ関わる子も増えていき、今では朝登校してくると、餌をあげにやってくるアラタ(4年)の姿や、「水槽汚れてるぞ!」といつもチェックしているハヤト(7年)の姿が。魚も餌がもらえることがわかるのかアラタが来ると気配を感じて水面に寄ってくる。「この魚なんていう名前だっけ?」「ウグイだよ」「大きくなったね」そんな会話も聞こえてくる。

毎週何曜日に集まって活動をするというよりも「水が汚れてきたな」「そろそろ水換えないとね」「じゃ、今日の放課後にここで!」「OK!」といった感じ。でも、そんな子どもたちのペースでとはいえもう3年。魚が好きだという思いで始まった活動だが、これまでの日々の積み重ねのなかで「みんなにも魚を見て楽しんでもらいたい」といった思いも育まれてきているように思う。もちろん魚が飛び出して死んでいたり、いろんな「事件」も起きるのだが・・・。

チームメンバーが中心だけど、その日によって顔ぶれも様々、水槽まわりが賑やかな日もあれば静かな日もある。

水槽は、近くの川に棲む魚やエビ、どじょうやヨシノボリなど、「淡水」に生息する生き物を育てている水槽と、海に棲むカニや貝を育てている「海水」の2種類の水槽がある。海水の水槽では、夏から仲間入りしたモズクガニがすくすくと成長して倍の大きさ近くなって、子どもたちと一緒に驚いています。

通りすがりに水槽をのぞいている子もいれば、ライブラリーにやってきた幼稚園の子がじーっと魚の様子をみていたり、校舎のなかのオアシスのように生き物のいるスペースとして機能しているなと思う。

チャレンジをした先の困難

そんな魚好きな子どもたちとサケの稚魚を育て放流することを始めて3年目。開校前の認可外保育施設かぜあそびから数えると4回目の飼育が今年も進行中。

「なぁに、これ?」
「これ、サケのあかちゃん。イクラだよ」
「え?イクラってお寿司の?」
「そう」
「え!?」と大抵の子が驚く。

ふ化したばかりの稚魚。しばらくはお母さんからもらったお弁当(臍嚢)で育つ

風越学園の子どもたちとはじめて放流に試みた年、当時一緒に活動に取り組んでいたスタッフのたまちゃん(日野市教育委員会より派遣)が粋な名前をつけてくれた「シャケなベイベープロジェクト」。サケの回帰能力に思いを寄せて、川の匂いを覚えさせるために近くの川の水を運んで水槽に入れたり、川で稚魚を育ててみようと試みたり、いろんなことを試していました。(川での活動は産業への影響を考え現在中止)

学校裏の川から水を運ぶシンノスケ。これをきっかけに他の子どもたちも川に足を運ぶことが増えた。

サケの卵の写真を撮り記録を残すオカショー。

そして、放流にむけて準備を重ね、いよいよ明日は放流日という前日。漁協や放流場所など各所に手続きをしていたものの、「放流は見合わせてほしい」との連絡が水産試験場から入る。前日に起きたこの予想外のことに私の頭は大混乱。どうしたらいいんだろう….。その状況に、今までの経験から私には「明日の放流は中止」といった思いしか頭に浮かんでこなかった。


けれど、その状況を子どもたちと一緒にしんさんに相談すると、「みんなでそこに集まってみたら?サケを放そうとしていた場所がどんなところなのか見にいくことも大事なんじゃない?」と思いもよらない言葉が返ってきました。そこからパソコンをひらいて他に方法はないのか調べる子どもたち。他のスタッフも夕方遅くまで一緒にどうしたら良いか考えてくれました。中止はせずに、できる限りの方法で。

次の日、心整わないないまま朝を迎え、上田の道の駅へ。川に集まった人たちにそのままの状況を伝える。しばらくの沈黙のなか、ここからどうしていいのか言葉も見つからずにいた時、「僕はサケが元気でいてくれたらそれでいいな…」とセイタロウ( 当時1年)の一言。
その声がその場の雰囲気を変えてくれた。河川清掃をした後、上田の川の水のにおいを覚えていてもらうように水槽に川の水を入れ、そこから行ける人で1時間以上移動をし、まだ雪の残る飯山市の千曲川辺でサケたちの旅立ちを見送りました。

好きなことへの情熱は駆動する力になる

そんな初年度の出来事からサケを飼い続けることは難しいかと落胆したものの、子どもたちは「好きなこと、ワクワクすることへの情熱」を持って諦めませんでした。水産試験場の方や県の方と話し合いの場をもち、アドバイスを受けながら活動を続けることを選んだのだ。

水槽のサケの水の処理に配慮したり、地域の産業に影響の及ばないように、注意をして飼育をする。それだけでなく、活動を続けることで、信濃川水系で活動されている新潟水辺の会の方たちとつながり協力してもらったり、卵をわけてもらうだけでなく、水辺の会で行っているサケの卵の埋設放流にボランティアとして参加するなど活動が広がりました。問題にぶつかっても「好きなこと、ワクワクすることへの情熱」を真っすぐにもっている子どもたちの姿に、プロジェクトとしてうまく進まない時に、仲間やそのことに対する情熱も大きな力になることを、私自身が学んでいます。

水産試験場の技師による、放流前の稚魚の健康チェック

昨年はコロナの影響で県の放流式が行われず、大雪に見舞われたために放流場所を探すことに苦労したが、県の方や地元の小学校に放流場所を教えてもらう。新潟水辺の会の加藤氏もかけつけてくれてのバケツを下ろしての放流。

サケが戻るふるさとは子どもたちにとってのふるさと

信州では、ダムが建設される以前は佐久あたりまでサケが遡上していたそう。実際、長野市近くの屋代遺跡では縄文時代の土からサケの骨が見つかっていたり、真田の時代には千曲川に遡上したサケを徳川家に献上されていたことが古文書に記されているなど、信州のサケ文化は根強いということを感じています。

また信濃川水系の歴史を知ることで、宮中ダム(新潟)の電力が都内の山手線などを動かしていることに驚いたり、信州サーモンの産業のことなど現代の社会のなかのしくみと自然の生態系のしくみを守ることなど様々なことを考えることにつながっていきました。

小さな卵から命が生まれ、3~4年くらいかけて成長し自分の故郷の川を目指して戻ってくるサケの母川回帰の力。科学技術やコンピューター技術がこんなに進んでも解明しきれていない自然界の不思議の一つでもある。そんな自然界の不思議に触れることで子どもたちの心に育つものがあるのでは…という思いもあるのだが、単純に私自身がそのサケの不思議やロマンを感じながら学びを深めているのかもしれません。

持続可能な方法として工夫された自然の力を利用した川床埋設放流。新潟水辺の会の方達と。

私たちの育てたサケが戻ってくるのはかなり低い確立ですが、最初に放流してから3年。そろそろサケたちが帰ってくる頃。そう思うとなんだかワクワクします。

アラスカなどの外国の海で長い旅をして広い海から川の匂いを嗅ぎ分けて自分の育った川に戻ってくる。本当に不思議な能力です。更に信濃川は日本で1番長い川なので、サケたちにとってはかなり長い旅の道のりを子孫を残そうと戻ってくるのです。

長野県の西大滝ダムでは2022年秋に2尾の遡上がありました。たった2尾でも戻ってくるサケがいることは可能性0ではない。人間の手によって自然の仕組みを断ってしまわないように、サケが遡上できる川を残していきたいとも思います。

「長い旅のあと、鮭は夫婦で産卵を終えて死んでいく。その姿は「ほっちゃれ」と呼ばれている。死んだ身体はやがて土に還っていく。それがまたミネラルとなって自然を豊かにしてくれている。そうやって鮭は生きてるんだね。だから鮭という字は魚に土が二つでしょ。」 

上田の道の駅の石井さんが(新潟の水辺の会のサケの放流活動に関わっていた時に)実際に上田に遡上したサケのはく製を子どもたちに見せて話して下さった言葉が今も心に残っています。

今は遠くの県北の川まで行かないと放流できないが、もう少し身近な川で放流できる日がきたら、子どもたちが当初から願っていた「身近な川に関心を持って自然を大切にして欲しい」といった思いをもっと多くの人と一緒に分かち合いながらこの活動に取り組むことができるようになるかもしれない。心からシャケなベイベー!できる日がきますように!!

 

#2022 #探究の学び

佐藤 美智子

投稿者佐藤 美智子

投稿者佐藤 美智子

ぐんまちゃんエリア住み。苦手なものはカエルと辛い物。
小さなころから動物とともに。子どもたちの眼差しの先にあるものを自然を通して自分も感じることが好き。絵を描くのも好き。
最近はファインダー越しに心に響くものを切り取って表現する楽しさが心地よい日々。

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