この地とつながる 2020年11月21日

もし、僕が「森の中で何が育つの?」と聞かれたら。

かぜのーと編集部
投稿者 | かぜのーと編集部

2020年11月21日

10月から、風越のひとつの風景になった「森の日」。毎週金曜日、しんさんと保護者が一緒に森に入り、暗い森を明るくするための作業をする。

11月13日(金)は「ここから森の奥へ 158歩」というお誘いから、森の中へ。



158歩(私[三輪]は146歩だった)進んだ森の中には、焚き火を囲んで置かれたベンチと、自由に手にとれる森をテーマにセレクトされた絵本。



第6回目のこの日は、森を明るくする作業はおやすみして、
「森と子ども」をテーマにしんさんがたっぷりと話をし、参加者同士でおしゃべりをする時間を過ごしました。



この記事では、当日しんさんが語った「森と子ども」のエピソードからいくつかを紹介します。

「焦げた手袋」

楽天の創業に関わっていましたが「ここ(楽天)は30歳で離れる」ということを、初めから決めていました。でも、辞めたら何をするかということまでは、実はあまりはっきりとは決めてなかったんです。

でも、あの個性の強い社長を説得するには、壮大なことを言わないとダメだろうな、と。それで、「学校つくります」くらい言えば納得してくれるだろうと思って、「学校つくります」って伝えたら、「ある学校が売りに出ているぞ!」とか言われて(笑)。「いやいや、そうじゃないんです。学校をゼロからつくりたいんです」という冗談のようなやりとりも重ねて、最後はあたたかく送り出してもらいました。そんなこんなで、教育に軸足を移すことになりました。

当時は、”すごい学校”をつくらないといけないんじゃないかって気負いも結構あったので、全寮制の中高一貫エリート養成校をつくろうと考えました。そのために、全国各地まわって、色んな学校で授業させてもらったり、公立の新設校で校長をやってみたりしながら経験を積んで。いよいよ全寮制の中高一貫校をつくろうとした時に、どんな場所につくるのがいいかなと思って、全国各地探したんです。

その時に、東京の子どもたちをターゲットにした全寮制の一貫校がいいだろう、と。マーケットはそこだろうと思って、東京から新幹線や特急で1時間くらい、熱海や三島、宇都宮、那須の方はどうかなっていくつか候補が出てきた中で、2006年に初めて軽井沢にやってきました。

軽井沢は、いわゆる有名な人や財界の人もいっぱいいるし、金曜日の夜にそういう偉い人、すごい人たちに話をしてもらって、そのあと懇親会をして仲良くなってまた来てもらう…みたいなことができて、ちょうどいいんじゃないかと。それで、実はここではないんですけど、土地の契約ももう決まる、というところまでいったんです。

それに合わせて、我が家も引っ越しをしようと、2009年の1月に子どもたちの保育園や幼稚園の見学にやってきました。パウロ幼稚園や軽井沢幼稚園、町立の保育園などいろいろ見学する中で、不動産の方に「森の中で毎日遊んでいる幼稚園もあるんですよね」って教えてもらって、当時まだ2年目だった『森のようちえん ぴっぴ』も見に行きました。

見学に行ったのは1月ですから、雪も結構積もっていたし、遊具も何もない。でも、その森の中で、2歳児の子どもたちが遊んでいました。よく遊ぶなぁとは思ったんですけど、子どもって寒くても、遊具がなくても、身体をつかって遊ぶものだっていう感覚はあったので、あまり驚きはありませんでした。でも、子どもをいれるならこういうところがいいなぁとは思って。

それで、見学を続けていて、おひるごはんの時間になったんですけど、みんな焚き火の周りで立って食べるんですよね。寒いから。その日のおひるごはんは、焼きおにぎりと煮込みハンバーグでしたけど、みんな手袋外して、右手に焼きおにぎり、左手に煮込みハンバーグを持ちながら立って食べる、みたいな、そんな状態でした。

そうしたら、当時2歳児、今中3になりましたけど、ヒサミチ君という男の子が、手袋をぽんぽんと外して、焚き火を囲っている石の上にふたつ置いたんですね。

僕はその様子を見て、「手袋がちょっと火に近いな」って思ったんです。何かしたほうがいいなと思って、二人いたスタッフの方をチラッと見て、そのうちの一人が今、風越にいるわこさんというスタッフですけど、手袋は見てるのに何も言わないし、何も手を出さなかったんですよね。それで、僕も見学者だし、あまり出しゃばるのもあれだなあと思って、じーっと見ていて。

ヒサミチ君は、そんなことも知らず、美味しそうにおひるごはんを食べてました。でも案の定、手袋がぷすぷすと焦げちゃったんですね。それを見てヒサミチ君は、うわーーーんと泣きました。

それで、わこさんに「やっぱり近かったですよね」って話しかけたら、「そうですよね、近いですよね。でもヒサミチ君、先週は燃やしちゃったんですよ」って。

僕、その「燃やしちゃったんですよ」っていうのが、かなり衝撃的だったんです。先週燃やして、今週焦がした。つまり、ちょっと学んでるんですよね。先週よりほんの少しだったかもしれないけど、ヒサミチ君きっと手袋を置く位置を、火から離したんだと思うんですよ。どちらも失敗なんですけど、でも、ここはそういうふうに安心して何度も失敗できる場なんだって思いました。

スタッフのわこさんたちは、手袋が火に近いことに気づけば「ほら、先週手袋燃やしちゃったでしょ」って手袋をどかしてあげることもできたし、「また焦がしたの!」って声を掛けることもできたと思うんです。でもそうするのではなくて、たっぷりと失敗させてあげるんだなって。

もちろん、手袋もタダじゃないので、「先週燃やしたんだから、今週ちゃんと注意してくださいよ!」って、保護者との関係によっては、そういうふうに言われてしまうこともあると思うんですけど、焦がしても大丈夫な信頼できる関係性を築けているんだなとも思いました。

その、安心して失敗できる、しかも何回も、という姿を見た時に、僕自身がやろうとしていた全寮制の中高一貫エリート校というのが、りんごの木に例えると、同じ大きさで、同じ色合い、同じ甘さのりんごを中高の6年間の間に上手に実らせて、みんな有名な大学に行きますみたいな、工場のような学校をつくろうとしているなって気づきました。

成功体験をたくさん積んで6年間で出荷、みたいな学校をつくろうとしていたけど、それよりも、目の前で起こったような安心して失敗できることのほうが豊かだなって。

それで、東京に帰って、中高一貫校をつくるのは辞めようと決めて、その日の夜には「手伝わせてください」と、当時ぴっぴの代表をしていたマユさんにメールを書きました。ちなみに、自分の子どもたちは一緒だとやりづらいので、別の保育園にして、僕だけぴっぴに。「お前たちは大丈夫、俺が付いているから」って(笑)。

マユさんに「何ができるの?」と言われて、僕その当時、中高生や大学生は相手にしていましたけど、幼児は全く相手にしてなかったので、「ダッチオーブンとかの料理なら得意です」「じゃあそれ!」という感じで、おひるごはんを作る手伝いを担当しながら週2日保育に入らせてもらって。週2日だったのが、だんだん増えて、毎日のように森で子どもたちと過ごすようになりました。

「かっこいい棒」

男子って棒遊び好きですよね。なんでこんなに棒が好きなんだと思うくらい、森の中に入ると必ず棒を手に取る。

うちの玄関にも、子どもたちが森で拾ってきた棒が結構ありましたけど、同じ棒って絶対ないんですよね。子どもたちに聞いても、「これは〇〇君の棒」ってわかるくらい、本当、唯一無二の棒なんですよね。

しかも、その子その子に「かっこいい棒」っていうのがある。鉄砲みたいなYの字になっている棒に憧れる子も結構いて、こういう棒を森の中で探すわけです。


当時年中だったダイスケ君って男の子も、当時、棒が好きでした。その日も、かっこいいYの字の棒を見つけて、「ばんばーん!」って鉄砲みたいにやりながら、気持ちよく遊んでいたんですよね。

そうしたら、隣にいたユキヒト君が「ダイスケ、おれそうだよ」って。よく見たら、たしかにちょっと折れかけてたんですよね。ダイスケ君は気づかずに遊んでいたんですけど、ユキヒトは気づいたわけです。

ユキヒトに言われて、ダイスケもハッと気づいて。どうするかなって思ったら、そのYの字のところをじっと見て、ボキッて折って。「あげる!」ってユキヒトに半分渡したんです。

おもしろいですよね。ダイスケはどういう気持ちだったんだろうって。ちょっとムッとしたりしたのかな、プライドが傷つけられたりしたのかな、とも思ったんですけど、一緒に遊び始めるんですよ。ユキヒトも嬉しそうに。

よく、「分けると増える」っていうふうに言ってたんですけど、所有って自分だけのものですけど、誰かと分かち合うことで喜びや楽しさは増える。悲しさや悔しさは、分けることで逆に減っていくのかもしれないですけど、「分けると増える」って感覚が、森の中の子どもたちには育つなあって思います。

「痛いの?」

森っていろんなものが出てたりしますし、凸凹ですから、転ぶんですよね。子どもたちは、転ぶと泣きます。泣かずに起き上がることもありますけど、痛いと泣きますよね。

その日、タイガ君も転んで泣いていたんです。泣いて、起き上がらないんですよね。多分誰かに声かけてほしいのか、助けてほしいのかわからないけど、起き上がらず、倒れたまま泣いていました。

そこに、ユキヒト君がパッと駆けていって。「いたいの?」って聞くと、タイガ君は首を横にふって。「いたいの?いたいの?」ってユキヒト君も何度も聞くんですけど、やっぱりタイガ君は首をふるんですよね。

そうしたらユキヒト君がちょっと考えてから、「いたくないけど、いたいきもちなの?」って。そしたら、タイガ、ちょっと間を開けてから「うん」って頷いたんです。

ああ、そういうことあるなあって、痛くないけど痛い気持ちなんだって。でも、そんな言葉かけられないなって。「痛くないけど、痛い気持ちなの?」って。

子どもに寄り添うってよく言いますけど、「痛くないけど、痛い気持ちなの?」って寄り添っているとはまたちょっと違うのかもしれないですけど、俺もそんな風に関わってほしいなって思いましたし、ユキヒトみたいに人に関われるといいなと思いました。

森の中で子どもたちは育っているんですけど、保育をしている、関わっている僕自身が、育てられてるなって思う出来事でした。

「願いごと」

お誕生日のお祝いって、幼稚園や保育園でもしますよね。いろいろなお祝いの仕方があると思いますが、当時は「つもりのプレゼント」をお誕生日の子に1人ひとりから贈っていました。

どこにも売ってない、誰も持っていない、その人にぴったりなものを想像して、そこにある”つもり”で手渡すのが、「つもりのプレゼント」です。

その日は、ルカ君の6歳のお祝いの日でした。4年間、森で過ごして育ったルカ君です。よく忍者ごっこをよくしていたルカ君に、リオちゃんは「月まで届く星の手裏剣。月まで届くと願いごとが叶います。」とプレゼントしました。

うれしそうにうけとるルカに、僕は「どんな願い事する?」と質問したんですね。すると、ルカくんは「うまく転べるようにお願いする。」って。転ばなくなりますように、じゃないんだなぁと。

転ぶこと=よくないことっていう感覚ではないんですね。転んでもいいんだけど、できればうまく転びたいっていう気持ち。安心して失敗を積み重ねてこれたからこその、願いごとだなぁと思いました。

「森の中で何が育つ?」

森ってやっぱり、人を拒むところもあると思います。人が入ると、地面が固くなりますし、あっという間に草が生えなくなる。でも少し手入れをしてあげないと新陳代謝がよくならなかったりもするので、森と人って難しい関係だなと思いながらも、風越の子どもたちや大人にも、少しずつ、それぞれの距離感で森に関わってほしいなと思っています。

「森のようちえん ぴっぴ」に関わっていた時に、“森のようちえん”って言葉はちょっと違うんじゃないかなって思うところがありました。森のようちえんだと、森がないと育たないみたいな感じになってしまうけど、僕らがやっている保育だったり、子どもとの関わりは、別に森がなくたって、都会のど真ん中の保育園や幼稚園であっても、しっかりとできるってことが大事なんじゃないかなって。

だから、森“の”じゃなくて、森“な”ようちえん、保育園とか、森“な”学校、森“な”関係であれたらいいなと思います。

森“な”ってことを思うと、森の中で育つものっていうのも、〇〇力とかそういうふうに端的にまとめることって難しいな、できないな、むしろしたくないなって思ったりもします。でもその一方で、森な体験とか、森な関係を積み重ねると、確かに育っているものが一人ひとりにあるなぁとも感じでいて。しかもそれは、同じものが育っているんじゃなくて、少しずつ違うものが、その子その子、その人その人に育っていってるなって思うんですよね。

だからもし僕が「森の中で何が育つの?」と聞かれたら、「たしかに、一人ひとりに何かが育ってる」としか言いようがないなって、日々、実感しています。

 

#2020 #幼児 #森

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かぜのーと編集部です。軽井沢風越学園のプロセスを多面的にお届けしたいと思っています。辰巳、三輪が担当。

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