2020年4月1日
(書き手・馬野 友之/2023年3月)
今のところ僕にとってファシリテーターとは、「人」の力を信じて待てる人のことです。あり方もやり方もどっちも大事だけど、僕自身はあり方に寄っています。
2010年8月7日に、とある勉強会の合宿で初めてゴリさん(岩瀬)と会いました。教師にはファシリテーターという役割があるということを教わったその日の夜、自分の学級経営がうまくいかなくて、子どもたちとの関わりかたを後悔しているということを相談させてもらいました。そのときのアドバイスがメモで残っています。
「うまっちは、子どもたちのことを信じていないんだよ。信じて待つことが大事だと思うなぁ。その子が気づかなくてもOK。先生が教えようと思うと待てなくなる。その子は、必ず自分で答えを出せるんだ、という信頼のもとひたすらに観察する。待つとは、受動的なものではなく、ものすごい積極的で能動的なもの。」
このときから「ファシリテーターってなんだ?」って考えるようになりました。
教師なのに、「教えようと思わないってなんだ?」と最初は疑問でした。
でも、良かれと思って教え与えつづけることが、その子どもの持っている力を奪っているのかもしれないと思う出来事がありました。そして、自分たちで学ぶ力があると信じて待つことが、その子どもの幸せにつながっていくと思うようになりました。
ファシリテーターとして関わる機会が1度だけしかない研修のような場であっても、担任学級のように1年続くような場であっても、どちらにも共通しているのは、ずっとその「人」と一緒にいられないということです。僕は、ファシリテーターとして関わったことで、その人自身がもうすでに持っている力を引き出せたらいいなぁと思っています。そして、その人が、自分の力を信じて自分らしく生きることで、幸せを感じて生きていってもらいたいなぁと思います。
そう考えると、僕にとってファシリテーターとは、人が自分らしく幸せに生きていくために関わる人、とも言えるような気がします。
では、開校したら、どんなことを試してみたいか。
それは、担当する子どもたちの学年や、ホーム、それぞれの立場など関係なく、スタッフがお互いのチャレンジを後押しできる場を継続してつくっていくことです。具体的には、授業のことや子どもの姿を話しながら、そのスタッフの「〜したい」が引き出されたり、後押しされるような場づくりです。そういう場は、日々のちょっとしたやりとりを工夫していけばできるのでは、と思っています。例えば、放課後の15分くらいで、2人くらい集まって「今持っている互いの悩みや問いについて聞き合う」「今日書いたふりかえりを読み合って、書いてあることに質問してみる」など。
今までやったことのないチャレンジをたくさんするから、子どもが来たらこの1年間経験してきたことよりも、遥かに悩むだろうし考えると思います。日々のその悩みの中には、それぞれのスタッフの「〜したい」が込められていたり、それぞれの子どもの「〜したい」が込められたりしています。人の力を信じて待つというあり方で、聞き合う。そんなことを大切にしながら、それぞれの「〜したい」をちょっとずつ後押しできるような日々にしていきたいと思っています。