2020年10月5日
学園がはじまって半年がたった。早い。6月下旬頃から課題に感じていたことは、(特に後期の)子どもたちが意外と外で遊ばない!ということ。広い森があり、たっぷりとした時間(昼休みは1時間半)があっても、校舎の前の芝生や校庭はシーンとしていた。
コロナ禍も多分に影響していると思うが、それにしても、いくら環境があっても自由な遊びは自然発生しないんだと痛感している。
昼休みの1時間半、一体何をしているんだろう…?校舎をうろうろしていると、後期の子はChromebookで時間を潰している子がけっこう多い。これを「遊んでいる」ということもできそうだけれど、「潰している」と書いている時点で、ぼくはあんまりステキだと思っていないのが滲み出ている。子どもたち、楽しくないわけではないが没頭しているわけでもない、でもなんとなくいじって楽しむ、そんな感じに見えていた。このchromebook問題は朝も放課後も同様だった。
もちろんのんびり読書をしていたり、ダンスの練習をしていたり、プロジェクトの続きをしていたりと、楽しそうにしている人たちも少なからずいたけれど、全体としては時間を持て余している人が多いように見えていた。
学校づくりの初期、3年前ぐらいに描いていた情景では、そこかしこで異年齢で遊び浸っているイメージを持っていた。朝来た人から遊んでいる。昼休みも、放課後も、毎日たっぷり遊びたっぷり学ぶ。この2つはつながっているはずなんだけど、正直なところ、まだまだ絵に描いた餅の状態が続いていた。
日々遊びひたる中にこそ「〜したい」の種が転がっている。遊びの中に子ども時代の大切な原体験がつまっている。ぼくはそう確信している。
カリキュラムとは「子どもの経験の総体」のことだ。となると、ぼくらはもっと積極的に「遊び」に向き合いたいし、休み時間や放課後も積極的に考えていきたい。ちょっと思いきって言うと「子どもの自由な時間だからね」と放置しているのは無責任なのではないか、ぐらいに思い始めている。
よし、環境やかかわりを変えてみよう。
秋シーズン(いわゆる2学期)になって、幼稚園は大きく環境を変えた。スタッフも積極的に新たな遊びが生まれる働きかけをしていた。それによって日に日に遊びはダイナミックになり、「きのうのつづき」が増え、遊びひたる姿がふえてきた。それぞれの居場所で幸せそうに暮らしている、そんな感じがしている。環境が変われば、大人のかかわりが変われば、遊びは生まれていく。
ぼく自身も、7月の始めの朝、暇そうにしていた人、chromebookをのぞいている人たちをドッチボールに誘ってみた。
「おーい、ひまなら体育館一緒に行こうぜー。」
ぼくをいれてたった4人でのドッチボールからスタート。毎朝、体育館に向かう道すがらに声をかけてドッチボールを続けていくうちに日に日に人は増えていった。
この流れは、子どもの「運動しようぜプロジェクト」に引き継がれ、スタッフの依田、石山の伴走もあって、日常的にドッチボール大会やバレーボール大会が開かれるようになった。朝も昼も、体育館は毎日にぎやかなようだ。
きっかけがあれば遊びが広がる。つまり、今はきっかけが少ない。これは大人側の問題でもある。
野外も環境とかかわりが変われば、遊びが生まれていくはず。つい遊びたくなる環境づくりをしたい。そう考え、9月に入って冒険遊び場(プレーパーク)に見学にいった。そのことも刺激になって、今じんわりと動き出しているところだ。
たとえば、校庭で寂しそうにしていたフットサルゴールを、フウダイ、ノイ、シュウゴ、リョウマ、タイセイと一緒に、登校の時に多くの子が通る芝生に移動させた。
登校の通り道にあればうっかり遊ぶ人が増えるんじゃないか、という考えだ。ただ、置いておくだけでは風景になってしまいそうなので、スタッフの井上と一緒に毎朝サッカーボールを蹴りながら子どもたちを迎えてみた。
「おはよー。サッカーやってるの?おれもやる!」
毎日サッカーをやる子がじわじわと増えていった。それは昼休みや放課後にも派生して、いつの間にか芝生にはいつも人が集まってサッカーが始まるように。異年齢でボールを蹴り合っている様子は、まるで昭和の空き地のようだ。
ある保護者は、放課後に大縄を持ってきてくれて、そこにも人が集まり始め、楽しそうにジャンプしていた。
その横で木登りをしている人、鬼ごっこをしている人、座って観戦する保護者など、それぞれがそれぞれの時間を過ごす感じも生まれて、なんとも幸せな光景だ。
エントランスでは焚き火で、林で拾ってきた栗を焼いて食べている人も。焚き火を囲んでお喋りしているスタッフもいる。
遊びと暮らしが自然と混ざり合うような情景が、少しずつ少しずつ生まれ始めている。
軽井沢風越学園は、子どもの「〜したい」という情熱から出発することを何より大切にして試行錯誤している。そのために、「〜したい」が刺激され、それを真ん中におけるような遊びと暮らしの場を構想したい。
それは、遊びと暮らしが混在しているイメージ。サッカーをしている人の横でベーゴマ を回している人がいて、畑をやっている人がいて、火を囲んでいる人がいる。そういう場はきっと、ライブラリー、ラボとともに、子どもたちの「〜したい」と関係性を刺激し、支えてくれるはずだ。
ライブラリー、ラボ、遊びと暮らしの場としての野外。この3つが重なり合うように子どもの「〜したい」のベースの環境となるイメージがぼんやりと浮かんでいる。
本城は今週から毎週金曜日を「森の日」にして、保護者と一緒に枯れ枝を拾ったり、枝を払ったり、森を明るくする活動をする。森と子ども、森と大人の関係を、もう少し近いものにしていくようだ。
先週は、幼児が6・7年生を誘って、ケイドロをしていた。
うんうん、いろいろ呼応し始めている気がする。
さらにいうと、軽井沢風越学園は、学区域が広いので放課後に家に帰ってしまうと「友達と遊ぶ」みたいなことが起きにくい。放課後の遊びも、これを機会に保護者と一緒にあれこれ考えて、あれこれ試してみたいな、と思う。
幸せな子ども時代を過ごせる場とは?過去の経験や仕組みにとらわれず、新しいかたちを大胆に一緒につくっていきます。起きること、一緒につくることを「そうきたか!」おもしろがり、おもしろいと思う人たちとつながっていきたいです。
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