2020年8月31日
5月の分散登校で校舎に来るようになってから毎日、1~2年生は1日のおわりに「振り返りジャーナル」というノートを書いています。ゴリさんは子どもとつながるチャンネルとしてはじめたものなのだそうです。(『「振り返りジャーナル」で子どもとつながるクラス運営』)
1,2年生がどこまで自分で一日を振り返って書くことができるのだろうかと、はじめるまでは私はよくわからずにいました。でも、一緒に1,2年生を担当しているKAIさんの「はじめて風越に登校した日から卒業するまでの9年分がたまっていったら、ぜったいおもしろい!」という言葉に、たしかに!と、とにかくやってみることにしました。
私のホームではその日にあったこと、思ったことなどを帰りのつどいでホームのみんなで話してから、それぞれがB5のキャンパスノートを半分に切ったものに書きます。
始めた当初は何をどう書いていいのか戸惑っていた人ももちろんいました。最近は書くことが毎日の習慣になり、その日にあったことを思い浮かべながら、「今日は何があったかなー。書くことないなー。」という日もあれば、一言も話さずにもくもくと書き始める日もあります。内容はほとんどの人が、遊びの時間やセルフビルドの時間のこと。これらの時間はそれぞれがやりたいことをやりたい場所でやっています。
夢中で振り返りジャーナルを書いている姿や、興奮気味に話しをする様子から、今日は充実した時間を過ごしていたんだな、とか逆にやりたいことが見つからずにいたんだなということも感じ取れます。ふりかえりジャーナルは文字で書く人もいれば、絵で描く人も、両方を使っている人もいますが、私のホームの人たちはその日に心が動くようなことがあったときには絵で描くことが多いようです。
そんな子どもたちの振り返りジャーナルから思い出したのが、昨年行われた軽井沢市立西部小学校との合同研修で聞いた、佐伯胖先生の「文字」的思考と「絵」的思考についてのおはなし。人間は文字や数字で考えるようになるまで何万年もの間「絵」で物事を考えてきたといいます。私自身、人の成長を人類史に置き換えて考えることを時々するのですが、そうすると文字に出会う前の「絵」で物事を考える時間をたっぷりとることの意味があるような気がします。
わからないながらに始めた振り返りジャーナル。文字で書くこと、たくさん書けることを私が子どもたちに求めてしまったり、目指してしまっていなかったかなと夏休みに思いかえしました。文字を書くということは、どうしてもこう書かなくてはいけないという決まりのようなものがあるし、豊かな表現は文字を学び始めた人たちにとっては全てをそこで表現する難しさもあります。そうすると、せっかくその人の中にある豊かな情景が外に出るときに委縮してしまう気がするのです。
東京子ども図書館の松岡享子さんは「本をよむためには、ことばが表わしているものについての知識だけでなく、ことばが描き出す情景を生き生きと心の中に再現する能力や、主人公の気持に同化する能力、つまり想像力が必要になってきます。」(『サンタクロースの部屋』)とおっしゃられています。
情景を再現したり、主人公の気持になったりすることこそ、絵で考えることなのだろうと思うのです。豊かな情景は、その時に体験したことだけでなく心が動いた感情や気持ちとセットでその人の中に残っていきます。心踊るような体験はその人の感情のフィルターを通してキラキラして、逆に気持ちが沈んでいるときには同じ体験でもどんよりしたりして記憶に残っていくのではないでしょうか。
豊かな情景を思い浮かべるということ、表現したいものがあるということ。そういった気持ちや情景を人と共有するために絵や文字があり、それがあることでさらに豊かな知的世界へ魅了されいくのだろうと思うのです。
文字が書けるようになることはうれしいことでもあるのだけれど、その前の豊かな情景を育む体験と描画、造形、音楽的、身体的などさまざまな表現活動に出会うこと、その人らしい表現方法を見つけて欲しいなと思います。私自身はお話や本が大好きなので、言葉の表現もとても豊かだなぁとしみじみ思う経験をたくさんしてきているので、そこにももちろん出会ってほしいなと思っています。
自然体験活動・環境教育のインタープリターから保育者へ転身。絵本とおもちゃの店の店員や、保育雑誌のライティングに携わった経験も持つ。軽井沢風越学園で新しい教育づくりに関われることにワクワクしています。
詳しいプロフィールをみる