2020年5月27日
プロジェクトや、リーディング(注:リーディング・ワークショップ[読書家の時間]のこと)、それ自体がよいのではなく、結果としての子どもの姿です。
ある朝、プロジェクトの定義やリーディング・ワークショップの進め方に悩むスタッフに、社内SNSでゴリさん(岩瀬)が上の言葉を投げかけていた。
そうなんだよな、自分はつい「どういう枠組みが子どもたちにとって動きやすいんだろう」なんて頭になってしまうけど、「子どもたち」と複数形で捉えようとするのがどだい無理な(なんなら失礼な)話。
一人ひとりの子どもが没頭できているかとか、学べているか、それぞれの子にとってどんな形がいいのか、というところを徹底的に考えよう。考えて、やってみて、様子を見て聞いて、なにか違う感じがしたら「ごめん」と言ってやり直そう。オンライン開校から1ヶ月弱、分散登校が始まって2週間が経ち、改めてそんなことを考えた。
僕がホーム「け」でペアを組んでいるむーちゃん(村上)は、「みんなでつくる」を中心に据えている人。昨年度から話はしてきたけれど、実際に子どもを前にすると、それがなおさらくっきりとする。
たとえば、ホームみんながZoom上で顔を合わせたオンライン朝のつどいの初日に、「これから、この朝のつどいをどうやっていくか考えていきたい人〜?」と子どもたちに投げかけていた。「えぇ、もう!?」と横でびっくりはしたけれど、たしかにそこから一緒につくっていくのは大事。
何より手をあげた子たちは、オンライン朝のつどいをかわりばんこにしっかり進めていくし、さらにはすごいスピードで改善していく。大人が先回りしてサポートしてしまわなくても、みんなでつくることができるってことを、最初にガツンと知らされた感じがした。
また、子どもたち同士のやり取りも、本音というか、言いづらいことも出し合えるようになってきつつあるなと感じる。
「分散登校の日に、何をして遊ぶか」を考えるプロジェクトチーム(通称:半日風越)から、ホームみんなでやってみたい遊びについて提案があった後で、「みんなで1つの遊びをやらずに、それぞれがグループを作ってやればいいんじゃないか」という意見がある子から出た。その後、議論は思いがけず深まっていった。
カイノスケ:え、でもそれみんなで遊んでる意味なくない?
カズアキ:そんなにみんなでやりたいの?
カイノスケ:みんなで遊ぶことに重点を置いてるから…みんなで遊べてみんなが面白くできるものを選んだらいいんじゃないかなあ。
カズアキ:隠れ鬼とかさ、さっき話してる時に反対意見も出てなかった?えーやだーとか。それを押し通して決めるの?
テッペイ:みんなが楽しめるようにしないとさ。
ワカナ:意見がある人は、プロジェクトに来ればいいと思います。
マレ:あたし、プロジェクトチームとかじゃないんですけど…全部が自分の思い通りに行くってわけでもないと思うから、たとえばなんか我慢したら、逆にいいことがあるかもしんないってことも、これからあると思うから、そこをちょっと我慢してなんかやってみた方がいいと思う。
カイ:すぐにやだやだって言うのは、それが楽しいと思っている人にもすごい失礼なことだし、本当はその遊びが楽しいことだったのに気づけないってこともあるから、どうしてもじゃないときは、あの、その、まずやってみた方がいいと思う。それで嫌だったら、次からはもうやんなくていいと思う。
カイノスケ:周りに迷惑をかけないことはすごい大事なことだと思うけど、それで自分の意見を殺しちゃだめだし、嫌だったら言わなきゃいけないと俺は思う。みんなはどう思ってるかしらないけど、いやだったんだったら言ってみんなで解決すればいいんじゃないかなーって。
カイ:ここがちょっと自分にはあってないとかそういう風に説明してくれたら、もともとある遊びをその人に合わせながら遊んでいけるかもしれない。
「まずやってみるのもいいんじゃない?やってみて、嫌だったら改めて嫌と言えばいいし」みたいに口をはさもうとしていた自分は、はさまなくて本当によかったー!と心底思いながら議論を聞いていた。これまた、子どもたちと一緒につくりながら修正していけばいいんだなと、改めて思わされた。
こんな風に子どもたちに任せてきているけれど、当然のことながら万事うまくいっているわけでは全然ない。
2回目の登校日。図工室やラボで自分のつくりたいものをつくるのに没頭している子もいる一方で、特にやりたいことが見つからず手持ち無沙汰になってしまう子も。帰りにお迎えの保護者に「今日の後半することなかったー」と言っていた子もいて、そのうち見つかるから焦る必要はないよと思う気持ちと、とはいえ見つかるためのサポートがもっとできるんじゃないかという気持ちとで、揺れる自分もいた。
でも「自分には見えていないものがある」「うまくいかない」なんて当たり前のことを言って足を止めるんじゃなく、「自分に見えている、一人ひとりの姿」から始めていくより他ないんだろうな。
風越学園がプロジェクトやリーディングワークショップという手法を取り入れているのは、そうやって一人ひとりと目を合わせて話ができるからなんだと今は思っている。
「この子は何を考えてるんだろう。何を望んでいるんだろう」「自分はそのために何ができるんだろう」―考えてやってみてはいるけれど、バチッとハマることばかりじゃ全然ない。子どもが軽やかに一歩踏み出せるためのサポートがもっとできるようになるまで、先はまだまだ長そうだ。