2024年10月28日
2024年10月4日に開催された風越学園の寄付者向けイベント「焚き火のつどい」の様子をご紹介します。このイベントは、寄付という形で学園を応援してくださっている方々へ、風越の現在地を味わっていただくために企画されました。
前半は、本城(以降、しんさん)からのオリエンテーションのお話を中心に。後半では、児童生徒との交流の様子や学園の事業やプロジェクト紹介をした時の様子をお伝えしていきます。
朝から校舎エントランス前のファイヤーピットに火をつけて、木の長椅子を拭いたり、お昼にかまどでごはんを炊くために薪割りをしながら、お出迎えの準備をする。焚き火を囲んでおしゃべりしつつ、しんさんの『ぼくはぼくのえをかくよ』(作・絵 荒井良二)の絵本の読み聞かせからスタート。
読み終えた後、この絵本から受け取った風越づくりへの思いを語るところから、オリエンテーションがはじまりました。ここからは、当日のオリエンテーションでしんさんが語った内容をできるだけそのままお伝えしていきます。
(以下、本城)
オギャーとこの世に生まれてから人は何歳になっても「ぼくはぼくのえをかくよ」と思いながら生きているんじゃないかと思っています。でも、子どもが「ぼくはぼくのえをかくよ」と思って、せっかくクレヨンを手にして「ぼくのえ」を描いているのに、大人や学校という場が「iPadで描いた方がいいんじゃないか」とか、「最近は赤よりも緑が流行っているよ」とか、「そろそろ中学生なんだから、油絵もやってみようか」などと声をかけたり手を出したりしてしまうことって、ありますよね。その人の「ぼくはぼくのえをかくよ」という気持ちを押しのけて、大人の思いや願いを押し付けてしまっている。悪気は決してないんですけどね。
最近の流行や、「これが今は重要だ」「これからはこれが必要になる」といった大人の先回りが、どうしても生じてしまうことがあります。僕自身も、そういった先回りしたい気持ちが自分の中にあることを感じています。でも、一人ひとりの子どもたちも、大人たちも、お互いに「ぼくはぼくのえをえがくよ」という気持ちを尊重し合えるような場が生まれたらいいなと思って、軽井沢風越学園をつくってきました。
様々な波がありながらも、開校から5年目を迎え、コロナ禍も過ぎました。そして、これまで寄付してくださった方々に向けて、「焚き火のつどい」という形で今日を企画しました。寄付者のみなさんとの集まりにもかかわらずコーヒーはセルフサービスだし、もっとちゃんとした場所で、といった声もあるかもしれませんが、焚き火を囲んで風越らしい形で進めていきたいと思っています。
今回のイベントは、最初に「寄付者イベント」という名前でスタートしました。僕はネーミングをとても大切にしています。名前がつくことで命が吹き込まれ、そこから物語が動き始める。そうやって、物事が生まれてくると感じています。
今回、どんなイベント名が良いかを考えた時に、焚き火のイメージが浮かびました。みなさんが薪を運んでくださったり、気持ちのよい風が届いたり、少し寂しい時には火を灯してくださったりして、学園全体があたたかくなる。そんなイメージと、みなさんと一緒に焚き火を囲みたい、という思いを重ねて、「焚き火のつどい」という名前にしました。
「火」という存在は、学園にとっても大切なキーワードなんです。人類の歴史をたどってみると、火は常に人とともにありました。さまざまな動物の中で火を自在に扱えるのは人間だけです。諸説ありますが、人類はおよそ70万年前から火を使っていたと言われています。火山の噴火や雷が森に落ちて自然発生した火から「何かすごいものがある」と人類は気づいたのかもしれません。
では、人類が火から受けた一番の恩恵は何でしょうか。明るさやあたたかさもあると思いますが、「食べ物」もそのひとつだと思います。火を使って調理できるようになった。そのことで食べられるものの範囲が広がり、保存もできるようになったし、調理の幅も広がりました。これにより、体外的にも体内的にもエネルギーが大幅に増えていったのです。
火は、人類にとってまさにエネルギー革命でした。そして、学園においても、この「火」や「エネルギー」はとても大切な要素です。
風越学園がどんな学校かというと、学びの側面から一言で表すと「探究」を軸にした学校です。「探」という字の由来を紐解くと、暗い穴の中に火をかざして物を照らす様子から生まれています。人々は、暗い穴の中に何があるのかを知りたくて、火を使って覗き込んだのです。風越学園の探究の学びには、この「火」に相当するものがあると感じています。
僕はこれを「三つの火」と呼んでいます。まず一つ目の火は「好奇心」です。穴の中に何があるんだろう、ちょっと覗いてみたい、もっと奥まで行ってみたい―そうした好奇心の火が、探究の最初の原動力になります。二つ目の火は「経験・技術」。好奇心のもとでさまざまなチャレンジや失敗を「経験」し、「技術」が培われていきます。何かが上手になりたい、できるようになりたい、もっと試してみたい。たとえ怪我しても構わない。そうやって、経験と技術が身についていくんです。そして三つ目の火は「知識」。好奇心と経験、技術をつなぎ合わせる「知識」が加わることで、探究は広がります。この知識も非常に重要ですが、順番を間違わないことが大事だと思います。知識が先ではなく、まずは好奇心がたっぷりと育つこと。そして、その好奇心に支えられた経験と技術が、身体にしっかりと根付いていくことが大切だと考えています。
さっき幼稚園の子どもたちが「薪を小さくする道具ある?」と言ってここに来ました。キンドリングクラッカーというその道具は実は結構重いんですけど、それを数人で力を合わせて運んでいました。子どもたちは、「この太い薪のままじゃ燃えないから細くしたい」と経験から学んでいたんですね。斧が使えればいいのですが、幼児は斧は使えないので、代わりにその道具を使いますが、それでもやっぱり難しい。割りやすい木と、割りにくい木があるんです。広葉樹は割りにくく、針葉樹はそれに比べて割りやすい。当然、指にトゲが刺さって痛い経験をすることもあります。そんなことをきっかけに手袋を使おうという発見が生まれるんです。
こうして子どもたちは、経験を重ねる中で、自然と技術を身につけていきます。そして小学校の3、4年生ぐらいになると、「あれは広葉樹だったんだ」「あれは針葉樹だったんだ」というふうに、経験が知識と結びついていくんだと思います。
こうした好奇心、経験・技術、そして知識を身に着けていく、広げていく、深めていくということは、まさに「生きる」ことそのものだと思います。子どもたちは、学ぶことと同時に「生きる」ということを体験している。この軽井沢風越学園で、「生きているんだ」という実感を積み重ねていくのです。「生きる」というのは、もちろん日常生活を営むことでもありますし、自分自身を活かしていくことでもあるんです。
「生きる」と「活きる」を漢字で見ていくと、まず「生」はご覧の通り、植物が土に根を張り、光に向かって伸びていく様子を表しています。子どもたちにとっては、大地にしっかり根を張りながら成長していく、そんな姿を象徴していると思います。
一方、「活きる」の「活」という字は、もともとは水の流れを表しています。川の水が石などの障害物にぶつかりながらも、音を立てて流れ進んでいく様子です。人生でも、困難や障害にぶつかることがあります。何かができなかったり、思うようにいかなかったり、人と衝突したり。そんなことが生活の中では、当たり前にそして頻繁に起こるんです。
これらの困難に対して大切なのは、自分を変化させていくことです。大地に根を張るように安定して生きることと同時に、水のように状況に応じて柔軟に変化していくこと。この安定と変化の両方が生活の中で必要なことです。そして、それが探究の学びにもつながっていくのだと思います。
風越学園が大切にしているのは、こうした両方の側面を結びつける「つくる」という行為です。そして、「つくり続ける」ということ。これまでは「つくる」で十分でしたが、開校から5年が経過する中で、今では「つくり続ける」ことの重要性を感じるようになってきました。「つくり続ける」というのは、時には壊したり、創(きず)つけたりすることも含まれます。いろいろ整ってしまうと、それに満足してしまい、新たな挑戦が生まれにくくなります。だからこそ「つくり続ける」ことが大切なんじゃないか。2種類のオノマトペを対比して考えてましょう。「するする・つるつる・さらさら・すべすべ」と「がたがた・ざらざら・がちゃがちゃ・でこぼこ」。スムーズで心地よいものと不安定で粗いもの。つい前者の快適で満たされた環境を急いでつくろうとしがちです。しかし、実際には後者の不安定で不足した環境こそが、人が育つためには必要であり、可能性があるのではないかと考えています。
「つるつる」した環境では、手応えがなく、学びの可能性も狭まってしまうことがありますが、「でこぼこ」していると、その不安定さが足がかりやとっかかりになり、手を伸ばして遠くまで届く。風越ではこんなことがありました。2020年の開校当初、風越学園ではコロナ禍に対応するために、小学3年生以上でChromebookを使って、AIを活用した学びのツールを導入しました。このツールは、計算間違いがあれば、その原因をAIが分析し、その分析に基づいてその人にとって必要な計算問題を出してくれる。正解であれば、その次のステップの問題にどんどん進めるようになっています。しかし、半年ほど経つと、子どもたちはこのツールを使わなくなってしまいました。それは、カーナビの道案内のように目的地には到達できるものの、実際に自分で道を覚える感覚が得られないのと同じだからかもしれません。学びに手応えがなく、迷子になっている感覚だったのでしょう。
AIを使った学びは確かに便利で効果的に活用するべきだとは思っていますが、子どもたちにとっては手応えのない「つるつる」した学びで、不足感がないために挑戦する機会が奪われてしまうのでしょう。不足感を感じながら進む「でこぼこ」した学びが、子どもたちの意欲を引き出し、さらに仲間との協力やつながりを生むのだと思います。
こうした経験を経て、風越学園は4年半が経ちましたが、「まだまだ」「こんなもんじゃない」という思いが僕にはあります。学園のさらなる可能性を信じ、みなさんからも引き続きご支援をいただければと考えています。
今日はこれから1時間半、校舎内をたっぷりとご案内します。今日は特別な日ではなく、普段通りの授業が行われている日です。ただし、全国から20名ほどの教育関係者が「幼小のつなぎを考える〜何をつないで、何を変えるのか〜」をテーマにした実践ラボ(※「大人も自立した学び手であってほしい」という願いから、風越学園のスタッフが研修会やワークショップのような形で、実践を外に開く場づくりのこと)に参加しています。
見学を終えた後、12時半から昼食です。今日は羽釜でご飯を炊き、スープも用意しています。さらに、栗拾いも行い、焼き栗も爆発も含めて楽しんでいただければと思っています。では、一緒に校舎をまわっていきましょう。
(後半に続く・・・)
たくさんの皆さんの支えによって、軽井沢風越学園は「つくり続ける」冒険と挑戦ができています。風越学園へ薪を運んだり、風を送ったり、火を灯すように、ご寄付という形でもぜひ力を貸してください。2023年度の風越づくりレポートも公開しています。よかったら以下のページをご覧ください。
>> https://kazakoshi.ed.jp/donation/