2024年7月23日
大事なことを、大事なときに残しておこう。私にとって「評価」は苦い子ども時代の象徴です。小学生の時の業者テストをこなしていた記憶、中学生になり人が数字で判断されることを知ると(1、2、3、4、5という、いわゆる評定)、誰がなんの基準で一人の人間を区切っているのだろうかと思春期らしい感情を抱きました。そんな子どもだったからなのか、音楽の授業中に先生に意見をしたら、「2」の成績をもらったときも苦笑いして通り過ごしてきました(それ以外の理由もあったかもしれませんが)。他方で定期試験のためだけに勉強をして、それなりに成績が上がるのと反比例するように、学ぶ楽しさは遠くにありました。なんとも切ない子ども時代だったなぁと思います。
風越学園では、カリキュラムは子どもたちの経験の総体として捉えていますので、区切られた学びの時間があったとしても子どもの生活・学びは地続きです。義務教育学校には一斉の定期テストがなく、土台の学び(教科)で必要な時期に、それぞれのスタッフが考える方法で評価をしています。そもそもプロジェクト型の学習は要素が複合的ですし、子ども一人ひとりの学びをどのように評価するのがよいのか、風越に来る前からずーーーーっと考えてきました。
そんな訳で、このかぜのーとでは、風越が取り組んできた評価のあゆみと、それにつながる記録についてのあれこれを私の視点から残しておきたいと思ったのです。
「風越学園が考える記録と評価は、「一人ひとりの学びの軌跡を蓄積し、 共に価値づけるプロセス」です。記録は、子どもに関わるスタッフはもちろん、子ども自身が自分の学びの軌跡を蓄積していきます。そして、それをもって、スタッフと子ども、時に保護者や地域の方々が共に学びを価値づけていくプロセスを大切にします。そうして、子ども自身が、自分自身の学びを自分で自己評価できるようになっていくことを目指していきます。」
(わたしたちのカリキュラムより)
2020年度、私は7・8年ラーニング・グループスタッフとして主にテーマプロジェクトを担当していました。テーマプロジェクトは複数の教科を横断して授業づくりをするため、毎回テーマが終わると教科の学習領域の学びについて記録を整理しています。あるいは、日々の活動では子どもたちが書いたリフレクションをスタッフで読んだり、スタッフが記録をしたドキュメンテーションを持ち寄って子どもの見とりやスタッフの関わりについてチューニングをして、子ども個人やコミュニティの姿を評価しながら進めていました。
この在り方は子どもに正直だなと思いながらも、スタッフの負担感が大きいほか、子どもはどう受け取っていたの?と尋ねられると、カリキュラムに書かれているような「共に価値づける」プロセスにはなっていなかったと思います。
ですが、私はラーニング・グループのスタッフに、過去の自分の記録や評価の方法(教科ごとにB5サイズに授業のねらい、内容、子どもの取り組み、スタッフからの評価を書いたもの)を伝えて、「それでやってみましょう!」と言って引かなかったんです。みんな一度経験したら、良さがきっと伝わるはずという考えもあったからです。けれど、、、これが失敗その1。評価の方法だけではなく、子どもにどう手渡すかが大事であって、そこまでをつくって初めてスタッフや受け取り手の感情にはたらくものなのに。スタッフにとって、きっと「大変だった」だけの経験になってしまいました。
年度末が近づくとなんだかそわそわしてきます。今までなら通知表なるものを管理職に提出してチェックを受けて…ということがないものですから、無いならいいじゃないという人の心がはたらくものです。私たちが実践していること、子どもたちが学んだことを測ってくれるものなのでしょうか。それに、私たちの日々の実践・授業は子どものためにありますので、子どもにとって意味があるものを追求していかなくっちゃと意気込むわたし。
2020年度にラーニング・グループの中での評価の苦い思い出を引きずりながら、2021年度に入ってから年度はじめに何を準備しておくとよいのか考える機会をもらいました。そこで、各教科で12年間を見通したねらいや学習の場面などを書いたシートをベースにして、「そのシートに各教科の評価の観点を入れてみてください!できそうでしょうか?」とスタッフに投げかけたけれど、反応はいまいち(苦笑)。
今の私なら、あらあら、じゃ一度持ち帰るわね、と言えるのですが、当時の私は猪突猛進、一生懸命。絶対よくなるはずと信じるあまりスタッフの気持ちは置き去り。それも場から受け取っていたのですが、やると決めたことはやれるはずと思っていて、「ともかく、やってみましょう」と言い切った…んだなぁ、失敗その2。真剣に考えるからこそ感情が現れる。それも大事だなと思いながら、もうあんな風に場に立つことはできそうにありません。りんちゃん(甲斐)の遠い目が脳裏に焼きついて離れない(苦笑)。
風越のスタッフ会議に多数決はありません。だから時間がかかる。一人ひとりの感情を受け取りながら「困り感がある」という声をどう受け取るか考えて一歩ずつ前に進む感じ。2023年度にはもう一度、評価のことを考えながらもその前提にある「記録」にフォーカスをあてて考えることにしました。
カリキュラム・ディレクター(幼稚園、義務教育学校のスタッフ数名が担当)の一人であるたいち(井上)とアドバイザーのゴリさん(岩瀬)に声をかけてじっくりスタッフとやりとりを往復しながら進めたものの、いろんな声が表出してきて、個を大事にしようと思う気持ちと、前に進みたい気持ちがぶつかったこともありました。オフィスの真ん中で、私が「私たちのコミュニケーションが大切にされていないように感じる!」とたいちに言い放ったり、たいちが「ゴリさんの言いたいことはわかるけど、受け取れる感じがしない。」とゴリさんに言ったりして(笑)。同僚のことを思うスタッフ同士のぶつかり合いなんだけど、私たちはまず子どもたちのことを真ん中において考える。その上で、スタッフの働きを考える、というこの順番を間違えたらいけないなあと思います。きれいごとにしていても、子どもを置いていくような大人の姿は子どもに見破られてしまいますよね。
そんなこんながありまして、これはディレクターが進めるのではなくて、私たち困ってま〜すと両手をあげた方がいい(たいちやゴリさんと納得のうえで!)、ワーキンググループをつくることにしました。結果、あすこま(澤田)、いくら(依田)、えっちゃんプラス(片岡亜由美)、こぐま(岡部)、とっくん(片岡利允)、ぱわー(力久)、ほりけん(堀内・2024年3月派遣終了)、ようへい(佐々木)、ゆきちゃん(外館)、とたくさんの仲間が集まってくれて、放課後の時間を使い、2ヶ月くらいの期間をかけて、それぞれの実践を持ち寄りながら評価の前提となる「記録」にしっかり焦点を当てて考え続けました。
例えば、こんな記録を持ち寄りました。
ラボでは作品を写真でこまめに記録をしています。それについて、こぐまはプロセスの事実、思考、スタッフの関わり、今後の展開を記述しています。
えっちゃんプラスは、「誰でもできる!15分で書ける記録」として、やはり写真一枚について事実と見とりを200文字程度で書いたものと、えっちゃんプラスの子どもへの解釈が書かれたものを提案してくれた。
このほかにも、あすこまの国語、ぱわーの地球と人(社会)、ようへいの数学、たいちの科学者の時間(理科)と、お互いが大事にしている記録と評価をはじめて知ったことも多い時間になりました。こんな時間を経て、ある日のスイゴゴ(毎週水曜の放課後に実施しているスタッフ研修)では、幼稚園スタッフが実践している「付箋記録」とそれを元にしたスタッフ共有の時間を学び、2024年1月には、各スタッフが自分の実践で大切にする記録と評価を決め切って3月まで実践することができました。大きな一歩じゃないでしょうか!?
評価表の項目を統一したり、評価のやり方を一つにすることはスタッフの多様性を生かすことに繋がらない。その一方で、「風越ではこの評価表です」と言わないという事は、より一人ひとりのスタッフには、子どもたちに返る記録と評価のあり方を追求する責任が求められることになるわけで…つくづく、風越のスタッフはストイックだなぁ〜。
2024年3月には、例年実施してきた子ども・保護者・スタッフ三者の懇談会「自分プレゼン」を改めて「わたしアウトプットデイ(わたプット)」を行いました。大きな変更は、子どもたちが他の子どもたちや自分の保護者以外の大人に一年間の学びをアウトプットすることです。パートナースタッフを中心に共にプロセスをつくり、子どもの学びを価値づける機会としました。
発案者のたいちがぎりぎりまで悩んでいたけれど、わからないけどやってみたい!そんな気持ちが感じられて、ラーニンググループのスタッフはそれぞれ不安もあったと思うなかで実施されました。はじめてのことは誰でも不安。登ったことのない山道はどこを選んだらいいのかも分からない。先人の道がない中で「この道で行こう!」と声を出すのは勇気がいるし、一緒についていく仲間は自分や仲間の命(この場合は子どもたちも)が関わってくる大事な場面。そんな時、5・6年生のラーニンググループのメンバーから、子どもたちと「わたプット」をキックオフするときに、私とたいちとゴリさんに来てもらえないかという声がかかりました。どんな世界を見ようとしているのか、直接子どもたちに語りかけてほしいというリクエストに応えられるように、この登山道にはこんな景色があるんだよと、心の中で精一杯描いた情景を子どもたちに伝えました。
わたプットを迎えるまでに、子どもたちは日頃の振り返りを見直したり、スタッフとおしゃべりしたりして自分を見つめ、その中から何をアウトプットするのか考えて準備をしました。当日、2階の各ルームや青床では、さまざまな学年の子どもたちが自分をそのまんま表現している姿がありました。5年生の発表に「どんな学びがありましたか?」と質問をする7年生や、涙ながらにある部分での自分の成長が感じられないと発表した7年生に「今はその価値がわからなくても、あとから絶対わかるから、今は深く悩まなくていいんじゃないかと思う」と声をかける9年生の姿。もちろん、わたプットを聞いてもらう相手を家族とスタッフだけに選択した子どもたちもいました。チャレンジ・バイ・チョイス(自分でチャレンジを選べること)です!
スタッフも保護者も、何度と涙する場面があったことでしょうか。あとに保護者のうち46名もの方からアンケートで声を寄せていただきました。
ある中学生のお子さんの保護者の方は、「人はどうしても評価や比較をしてしまうものですが、比較はするもののそれ以上ではないと思えたことが一番の収穫。あの子すごいなぁ、我が子はもう少しこんなところを頑張れたらいいのにと思ったことに対して、その子はその子なりの葛藤や苦しみや乗り越えてきた時間があり、それは今の我が子を点で見れば同様なんだと思えました。どの子もどんな状況にあっても、一生懸命でも一生懸命になれなくても、ただただ愛しいなあと思いました。
何より、発表者に対する、子どもたちの目線やコメントがとても温かく、そして鋭く絶妙で、これが風越学園の文化と言えるものなのだろうなと感じました。
すごいものはすごいと感心しあい、自分の弱さもさらけ出せる安心感の中で、挫けそうな気持ちにはエールをみんなで贈る。とってもとっても温かな場でした。
同じ学年だけでなく、小学校低学年が中学生の話を真剣に聞いたり、難しいなぁと素直に表現したり。お互いを大切にしましょうとか、仲間を信頼しようなどと言わなくても、すでにそこに体現されている。」
わたプットだからこそ感じられた我が子と他者との比較の受け止めへの気づきや異年齢の間で自然と起きたことと風越の4年間を意味づけてくださっていることがうかがえます。他にもたくさんの率直な感想を読ませていただきました。
次年度に向けて共有の形をたずねたところ、意外にも自分プレゼンとわたプットの形式のどちらが良いかについて「どちらとも言えない」という回答が多くありました。
例えば、次のように、どちらの良さを受け止めてくださっていることがわかります。
スタッフや子どもたちの声も聴きながら、2024年度も10月は自分プレゼン、3月はわたしアウトプットデイとして実施することに決めましたよ。どちらも、いい時間になりますように、子どもとスタッフと共につくっていきましょう!
2023年度末に向けて、もう一つ形づくったこと、それが幼稚園から中学生までの子どもたち一人ずつの未来につながる現在を積み重ねる記録と評価の「宝箱」です。
日頃の記録、形成的につくられる評価を選びとりファイルに綴じました。表紙には12年間分のお家の人から我が子に向けたメッセージを書き留めるページが加わりました。このファイルのために特別に作られる学習の記録ではなく、日常の記録の積み重ねを大事にして、またスタッフだけがつくるのではなく、子どもたち自身がお宝を取っておきたくなるような、そんな「みらいをつくる」ファイルになりますように!
大人になるにつれて外部基準と自分の力を試さなくてはならないことがあるでしょう。資格試験や入学試験…ただ、未来に向けて子どもたちが自信をつけてほしいと願う気持ちはスタッフみな思いは一つだと思います。
ここまで読んでくださったみなさん、風がふわっと通ったかしら?それとも渦巻いてしまった感じかしら?あまり表出することの少ないスタッフの学校づくりのことを書き残してみました。
最後に子どもたちへ。自分の「学びを評価する」という、コントローラーのボタンを一つ増やしてほしい。どんな視点でわたしを見つめるのか、どんなものを自分のために残していくといいのか、仲間やスタッフなど身近な人のフィードバックはどうあるといいのか、もっといい感じの「わたしをつくる」のは誰なのかしら?見えない自分の未来の姿を想像すること、自分を信じること、愛すること。想像することは人に授けられた自由だよね。ありのまま、ありのまま、真面目に、能天気に、楽しんでいこうよ。
本は親子をつなぎ,友だち同士をつなぎ,自分自身をエンパワーしてくれる。ライブラリーでは,せんせいと子どもたちがどんな風につながっていくのだろう?自由な読書と学びと連動したメディアの活用の可能性を探り続けてきた,動ける(からだを動かすことがすき)司書教諭です。
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