子どもと一緒に読みたい本 2022年8月22日

『いのちの秘儀 レイチェル・カーソン『センス・オブ・ワンダー』の教え』(若松英輔、亜紀書房)

奥野 千夏
投稿者 | 奥野 千夏

2022年8月22日

「読書は不思議な営みだ。書かれていることが十分に理解できなくても、行間にある何かがある確かさで感じられる場合がある。文字に表れていない何かを知性とは異なる認識の力が把握するのである。むしろ書かれていることだけを理解する読書の貧しさをこの頃、強く思う。大切な人からの手紙も同じだろう。」

たまたま見かけたこの短い文に魅かれ「この人の文章をもっと読んでみたい!」と、批評家で随筆家の若松英輔さんの本を数冊ポチポチした。その中の1冊が『いのちの秘儀 レイチェル・カーソン 『センス・オブ・ワンダー』の教え』若松英輔 亜紀書房。

この本では、レイチェル・カーソンの著書『センス・オブ・ワンダー』を若松さんが読み解いていく。若松さんはレイチェルをこのように紹介している。

『センス・オブ・ワンダー』

「レイチェルは第一級の科学者ですが、同時に優れた詩人でもありました。(中略)彼女の言葉と思想の根底を流れているのは、冷徹な科学者の眼だけでなく、「いのち」とのつながりを決して見過ごさない詩人の魂でもあるのです。」

「レイチェルが興味深いのは、「いいあらわすことのできない」ところで止まらないことでもある。言葉にならない、という現実を引き受けながら、どうにかしてそれを他者と分かち合おうとする。これこそ、詩人の止みがたい思い、詩人の衝動というべきものなのです。」

保育の世界、子どもの世界はこの「いいあらわすことのできない」にあふれている。私は保育の世界に入ってからずっと、「いいあらわすことのできない」をなんとか言葉にできないだろうかと四苦八苦し続けている。

「センス・オブ・ワンダー」という言葉自体もそうだ。最初は「驚異の感覚」と訳されていたが、訳者の上遠恵子さんが「それでは訳しきれないことがある、現代の日本語では十分に表わすことのできない何か、翻訳してしまったらこぼれ落ちてしまうもの、それを大切にしたい」と、この表現を選んだのだそう。日本語に訳しづらいだけでなく、言葉で説明すること自体が難しくもある。

この春から夏にかけて、風越学園の今年度のカリキュラム改訂について、義務教育学校のスタッフと一緒に話し合いを重ねた。年少から中学3年生までの12年間、探究の学びが続いていくことを大切にしたいと話したが、幼児の姿を思い浮かべるとまだ探究ではないのではないか。そのベースになっていくものは絶対にあるけれど、それってなんなのだろうと話した。探索しながら、この世界に出会っていく段階。土、水、季節によって変わる風の感触、虫などの小さな生き物、見えないものも含めた森のいのち、自分とちがう他者とその思い、そういった自分の外側にあるものたちに出会いながら、驚き、よろこび、畏れ、心が動く出会いを通して、自分とも出会っていく。

幼児期に大切にしていることは、突き詰めるとそういった「センス・オブ・ワンダー」を育むことではないかと思うのだけれど、その一言で表わしてしまうのはどうしても躊躇があった。なんとなくいいことというのはわかるけど、結局それってどういうことなの?という、あいまいさも感じる。そんなことを考えていた時に、この本に出会った。

言葉とコトバ

この本の中で何度も、「言葉」と「コトバ」という捉え方について語られている。哲学者の井筒俊彦が「言葉」と「コトバ」という表現を使い分けて考えていることを若松さんが『センス・オブ・ワンダー』の世界観と重ね合わせて紹介している。

「言葉」は、文字や声になるいわゆる言語としての言葉。
「コトバ」は、色や音、あるいは香りや形、余白や沈黙といった通常の言語とは異なる意味の顕れ。

このカタカナの「コトバ」という捉え方が私には興味深かった。しかし、これも「センス・オブ・ワンダー」と同じように一言では言い表すことが難しい。イメージや感覚としては自分の中に落ちているが、それを人に伝えようとするとなかなかしっくりくる言葉がみつからない。渡り鳥の声をきいたレイチェルの言葉とそれを読み解く若松さんの言葉を借りて説明してみる。

「わたしは、その声をきくたびに、さまざまな気持ちのいりまじった感動の波におそわれずにはいません。わたしは、彼らの長い旅路の孤独を思い、自分の意志ではどうにもならない大きな力に支配され、導かれている鳥たちに、たまらないいとおしさを感じます。」

レイチェルは鳥の声を聴いているだけでなく、その姿にコトバを読み、容易に語り得ない愛おしさを感じると書いている。『センス・オブ・ワンダー』はもちろん本なので、言葉を使って書かれているが、若松さんはこの本には言葉というよりもコトバによって記されているように思うと書いている。

鳥の姿や生きざまから発しているメッセージを受け手である私がコトバとして受け取っている。それは、どちらか一方だけでは存在できない、その鳥と私の間にあるものなのではないか、と私は捉えたのだけれど、それでもまだピタッとくる言葉にまでには至っていない気がする。

言葉は余分なものを削ぎ落して一般化していく骨組みや枠組みのようなものであるが、削ぎ落された余分なものにこそ大切なものがあったりする。でも、一方で若松さんが言うように、行間や余白で語ることができるという側面もあると私も思う。行間にある何かを読むには読み手側にもそれを受ける感受性や余白のようなものが必要なのではないか。そこから、その人が自分で想像力を働かせ、そのものに思いをはせ情景を描いていく。その感受性や思いをはせる、情景を描くには、実体験で心を揺さぶられるような経験をたくさん積み重ねる必要があるのではないか。

分かち合う

レイチェルは、いろんな側面から出会いのよろこびにふれ、語っているが、それをより豊かにするには、ひとりでよろこぶのではなく、それを誰かと分かち合うことだといっている。

それぞれの経験や身体性、身体知というのは、その人個人のものだけれど、心が動くようなものに出会ったり、経験したりすると人はそれを誰かと分かち合いたいと願う。私にとっては、自然の中での出会いも、本との出会いも同じだ。この本を読み終えた後にも、この喜びを誰かに伝えたいと強く思った。さらに、今回は自分の中にそれを言葉にして残したくなったので、かぜのーとに書いてみることに。まぁ、読後の感動の5割ほどしか伝えられてないような気がするが。気になった方はぜひこの本を読んでみてほしい。そして、分かち合いたくなったら、お声がけください(笑)。

「地球は言葉では語りません。しかし、豊かなコトバでいつも語りかけている。」

毎日同じ場所で見上げても表情のちがう空、森の中でふと感じる暖かな木漏れ日、頬をなでる心地よい風、足元の小さな虫たち、子どもたちと一緒にいるとたくさんのコトバに気がつく。小さな声で語りかけてくる豊かなコトバに耳を傾けられる人でありたい。自分にできることは少ないけれど、これからも子どもたちとともに、その喜びや驚き、美しさを分かち合える人でありたい。

※センス・オブ・ワンダーは『』は本、「」はその言葉自体を示している。
「子どもと一緒に読みたい本」というより、「子どもに関わる全ての大人に読んで欲しい本」です。

#2022 #スタッフ

奥野 千夏

投稿者奥野 千夏

投稿者奥野 千夏

自然体験活動・環境教育のインタープリターから保育者へ転身。絵本とおもちゃの店の店員や、保育雑誌のライティングに携わった経験も持つ。軽井沢風越学園で新しい教育づくりに関われることにワクワクしています。

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