風越の教室に入ってみた 2023年12月22日

【第15回】おとしものツリー:モノに命を

かぜのーと編集部
投稿者 | かぜのーと編集部

2023年12月22日

ご無沙汰しております,神戸大学の赤木です。バタバタしていたせいで,およそ10か月ぶりの「かぜのーと」となってしまいました。ただ時間がやっとできてきましたので,ぼちぼちになりますが,かぜのーとを再開させてもらいます。

今回の記事は,かなり前になりますが,5月26日・27日に開催された「まなびのかたちをつくる会」をインスピレーションにした内容です。今とは,少し様子が違うところもあるかもしれません。その点,ご容赦いただくとともに,この間の風越実践の変容をとらえるきっかけにしていただければ幸いです。

●まなびのかたちをつくる会

この会は,「建築・教育関係者対象」と明記されているように,教育関係者に加え,校舎や空間デザインに関係のある建築関係者も参加されていました。学びを,環境とのかかわりでよりひろく考えようという趣旨でした。

校舎を設計された仙田満さんや,仙田さんの事務所のスタッフも参加される超豪華な会でした。そして,私は,仙田さん,スタッフのあすこまさんと分科会をご一緒するというなんとも恐縮しまくりな機会にめぐまれました(仙田さんにサインをもらおう!と思って,かばんに仙田さんのご著書をしのばせていたのですが,モジモジしてしまい,サインをお願いできなかったのが心残りでした…)。

●「遊環構造」をモチーフにした校舎

分科会では,仙田さん・あすこまさんの話,および参加者のご質問や感想から多くの刺激を受けました。なかでも仙田さんのお話に学ぶ・考えるところが多くありました。仙田さんから,風越学園の敷地も含めた校舎の設計について,学校教育の歴史にも触れながらお話いただきました。設計の中心理念は,仙田さんオリジナルの「遊環構造」にあります。風越学園で,ユニークな学びがあちこちで起きているのは,この「遊環構造」という空間が下支えしていることを実感します。例えば,偶発的に異年齢の子どもどうしでやりとりや学びが起きているのは,教室の境界が曖昧であることと関係しているでしょう。風越学園独特の時間帯によって,同年齢・異年齢など様々な他者と学んでいく流動的なカリキュラムも,遊環構造を背景とした風越学園の校舎があってのことだと思います。

●落とし物が多い風越学園

5月の会の詳細については,いくつか報告(例えば,参加者の富田さんによる記事が書かれていますので,そちらを参照ください。今回の記事では,風越学園の独特の環境を別の角度から考えたいと思います。

別の角度とは,「落とし物・忘れ物」です。まずは,この写真を見てください。今年12月に撮影した風越学園の落とし物の写真です。

玄関を入ったところに,落とし物がところせましと並べられています。鉛筆や筆箱といった文房具はもちろん,靴下,手袋,帽子などの衣類,さらには,ダウンジャケットなど,「それを落とすか?帰りはどうするの?」的なモノまで,さまざまな落とし物があります。他の学校との定量的な比較はできませんが,体感的に,また,スタッフと話す限りでは,「まぁまぁ多い」かと思います。
落とし物の原因は,さまざまです。ただ,「子どもの忘れ物の意識が弱い」とか,「保護者のしつけがなってない」「スタッフの指導がなまっちょろい」が主な原因には思えません(もちろん全くないわけではないでしょうが)。そうではなく,校舎やカリキュラムという「環境」が,落とし物に影響を与えているとにらんでいます。
風越学園の子どもたちは,1つの教室で,1つの机で,ずっと学ぶスタイルで過ごしていません。曜日や時間帯や活動によって,学ぶ場所も,一緒に学ぶ人も異なります。そのため移動が多くなります。さらに,移動するときも,様々なルートをとれます。移動のしかたが本当に多様です。そのため,一度,ものを落とす・忘れると見つけるのが難しくなります。かくいう私も,風越学園で,よくものをなくして探してウロウロしてます。
「物の置き場所を決めたらええやん」という意見もあるでしょう。それ,めっちゃわかります。実際,風越学園でも,子ども1人1人に決まったロッカーはあります。ただ,校舎で過ごせばよくわかっていただけるのですが,移動が多く,かつ,校舎自体が広いため,そもそも自分のロッカーに「取りに戻る」「置きに帰る」こと自体が難しく,個人のロッカーが,一般的な学校に比べて機能しにくいのです。結果として,落とし物がどんどん多くなり,先の写真のようになってしまうのです。

●落とし物対策

もちろん,だれも落とし物が多いことを「よい」とは思っていません。私は,落とし物・忘れ物が多く,ひどいときには月に2回財布を落としたこともあります。そのような私ですら,「あまりよいことではないなぁ」と感じます。スタッフも繰り返し丁寧に注意をするなど,対策をとってこられましたが,決め手はなく…という様子でした。それに,そもそも,落とし物をゼロにすること自体,相当難しいことですよね。大人の様子を見れば,そのことはすぐにわかります。

●おとしものツリー

なんとなく気にはなるなぁ,しかし,校舎やカリキュラムの問題もあるので,そう簡単には変わらないなーと,ちらちら思っているうちに,落とし物のことを気にしなくなっていました。そんなとき,衝撃的なかぜのーとの記事を見つけました。以前,インターンとして風越で働き・学んでいたえりんぎさんの記事です。

この記事のなかに,落とし物について,少しだけではありますが,しかし,とても興味深い取り組みが紹介されていました。

1・2年の子どもたちとの取り組みのなかで,なんと,落とし物を「ツリー」にして飾ってしまうという「おとしものツリー」を考案されたのです(写真は上記のかぜのーとより転載)

落とし物をあろうことか,飾りにするのです。靴下は,クリスマスだけになんとか許せそう。しかし,そもそも,冷静に考えると,落とし物で遊んでいるように見えます。不謹慎な匂いがしません? こんな取り組みよりも,真正面から,ものの大事さを伝えるなどして落とし物撲滅運動を推進したほうがいい気がします。でも,私としては,なぜかワクワクするのです。やってはいけないことを見てしまったドキドキと,同時に,なにか本質が隠されているような予感が,まぜこぜになってワクワクが湧き上がってくるのです。
…ということで,5月に,えりんぎさんにインタビューを敢行し,おとしものツリーの取り組みの意図を尋ねることにしました。

●えりんぎさんに尋ねてみた

 えりんぎさんに尋ねてみたところ,いくつかのことを教えていただきました。「おとしものツリー」のアイデアの根っこは,ごみ山から「アート」を生み出す長坂真護さんの作品を東京で見たことがきっかけだそうです。ちなみに,長坂さんは,ガーナの大規模なゴミ山からアートをつくることで,環境問題の課題解決をはかる取り組みをされています。長坂さんの作品をみて,風越の子どもの落とし物問題に対して,「違う方向性からせまってみる」ことを思いついたそうです。アートでもありつつ,落とし物をなくすという課題解決の意図があったとのこと。
そして,取り組んだ時期は,ちょうどクリスマス。工作が好きな子どもたちもいる。そこで,ツリーを作成して,取り組んだそうです。子どもたちと一緒に,ラボにある廃材でツリーをつくったり,S字型のフックをつくったり,折り紙も使ったりしながら飾りつけをしたそうです。子どもたちの反応は様々で,生き生きと取り組む子もいれば,「くさい」「きたない」と言って引く子もいたそうです。たしかに熟成された靴下もありそうですしね (笑)。さらには,落とし物を種類別によって数えて,どれが一番多いか,などのスピンオフ的な取り組みも生まれたとのことでした。

●落とし物が,息を吹きかえす

 えりんぎさんのお話を聞きながら,(えりんぎさんの意図とはちょっと違うかもしれませんが),次のことを感じました。
それは,落とし物が,「モノ」として,息を取り戻したなぁ,という感想です。変な表現ですが,落とし物って「死んでる」んですよね。ただそこにいるだけですし,何の役にも立たない。役に立たな過ぎて,「風景」になっています。誰も気にしない。特に毎日すごしていると,「いるのにいない」状態です。落とし物は文字通り死んでいます。
しかし,「落とし物」が「飾りつけ」として表現されると,落とし物は息を吹き返します。「~ちゃんのハンカチかな?」「なんかええ感じの匂いがする」「泥めっちゃついてる」「数えられる」「あ,おれの靴下や!」など,それまで「いるのにいなかった」落とし物が,触られ,臭いをかがれ,所有を確認され,数えられていきます。感性と知性を経由するなかで,モノは息を吹き返していきます。
そうなると,子どもからは,「落とし物」が見えてくるようになるはずです。生きているのですから。そして,「落とし物を探したく」なるはずです。だって,命があると気になりますから。えりんぎさんも,おそらく,落とし物をなくしてほしい,のではなく,落としたものを探してほしい,とねがっていたはずです。実際,えりんぎさんが,この記事のなかで「なくしたら、探してほしい。」というメッセージを書いていることからもわかります。おとしものツリーは,落とし物を「なくす」指導ではなく,「探したくなる」仕掛けなのです。
で,実際に,落とし物は減ったのか?ということですが,「一時的に減ったが,けど,また増えた」とのこと。あぁぁぁ。道のりは遠しです。そう簡単にはうまくいかないですね,でも,「うまくいく/いかない」以上に重要な問題提起を含む取り組みだと感じています。

●「困ったときはアートにしちゃう」

 このフレーズは,えりんぎさんにインタビューしたとき,えりんぎさんの口からこぼれでました。私にはまったくこのような発想はありませんでした。「困ったときは考える」とか「助けてもらう」くらいしかありません。ですが,今なら,少しだけ,えりんぎさんの言わんとすることがわかる気がします。えりんぎさんは,「アートにすると自分を出せる」ともおっしゃっていました。
 おとしものツリーは,メジャーな取り組みになることは,あまりない気がします。ただ,一方で,解決しづらい状態のときに,「正論」や「説得」や,さらには「対話」でもなく,「アート」が位置づくというのは,私たちの思考や規範を奥行きのあるものにしていく可能性があります。そして,きっと子どもたちの知性と感性を経由して届いていく取り組みだとも思います。

最後に。えりんぎさんが,「このアイデアは風越にいたから出たかも」とおっしゃっていました。個人の資質だけではなく,風越学園のもつ「環境」そのものが,自由とフシギと素敵さがいりまじるアイデアを生み出すのでしょう。

ちなみに・・・この原稿を,風越学園に行く途中の新幹線で書いていたのですが,軽井沢駅の改札を出ようと思ったら切符を落としていることに気づきました。大変困りました。落とし物をなくす道のりは遠いですねぇ。なかなかです。

#2023 #赤木和重

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かぜのーと編集部です。軽井沢風越学園のプロセスを多面的にお届けしたいと思っています。辰巳、三輪が担当。

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