2019年9月21日
森のガイドとして15年の経験を持つ、井手祐子(通称:ゆっけ)。「こどもたちと自然を見続けたい」という想いから、軽井沢風越学園設立準備財団に仲間入りしました。
今回聞き手を務めさせてもらった私(編集部:三輪)は、認可外保育施設「かぜあそび」で月に一度、ゆっけと共に保育をしています。その中で感じた彼女らしい在り方から、話をはじめることにしました。
ー かぜあそびのこどもたちと初めて森探検に行く前に、ゆっけがしていた「クマ」の話がとても印象に残っています。こどもたちを過剰に怖がらせることなく、でも嘘をつくわけでもなく、そこに暮らしているツキノワグマについて、丁寧に話をしていて。
わたしは、自然の中で生き物と本当に出会った時、2・3歳の人でも、大きく心が動くと思っています。感動だったり、時に畏怖だったり。それは、本物との出会いでなければ感じられないものだと思います。
だからクマの話をした時も、「くまさん」ではなく、そこにいる「ツキノワグマ」というリアルな存在を伝えたいなと思ったんです。目の前にあるものに関しては、物語とかファンタジーの世界ではなく、その生き物が表現していることをできるだけ、100%は無理だろうけど伝えたい。
こどもたちにも空想のものとしてではなく、なるべくその存在をしっかりと感じとってほしいなと。
ー その存在を感じとってほしい、ですか。
たとえば、こどもたちがバッタを捕まえて『これなぁに?』と聞いてきたら、正解を伝えるのではなく「一緒にみてみようよ」、「どんな体や口をしてるかな」、「こういうところを見てみるのも面白いんじゃない」と、繰り返し一緒に感じたいんです。
そうすることで、バッタとしてしか見えていなかった存在が、『バッタの“あし”ってこんなにジャンプできてすごいな』とか『バッタの“くち”ってかまれたらいたいね。はっぱをかみきるちからもあるんだよ』と見えてくる。
そういう見方ができるようになると、その生き物が“面白い”から“すごい”に変わっていくんですよね。そしてそれが、科学的なものの見方にだんだんと繋がっていく。
ー こどもが生き物と関わっていると結果的に死んでしまうこともありますよね。そういう様子ってゆっけはどう捉えているんだろう?
この前ちょうどそんな場面があって、私が捕まえていたバッタを『じぶんでもちたい』と2歳の男の子が言って、手に持たせてあげると指先で強く挟みすぎて、バッタがぐったりしてしまったんです。
「バッタ苦しそうだよ」『バッタげんき!』「バッタの体から何か出してるね。血かな」『バッタげんき!』「本当に?バッタ動かないね」『…。』
幼少期に生き物で遊んだり、時に殺めてしまうことも必要な経験だと考えているけれど、自分の目の前で死んでいく生き物をしっかり見て、生き物の命を感じられるようになってほしい。だからこそ、生き物の様子から読み取れることをその子が理解できる言葉で届けることを意識してやりとりをしました。
周りもいた子どもたちは「かわいそうだよー」と声をかけていましたが、その子がその生き物と向き合えているかが大事だなと。私はそんな自然との関わりを、こどもたちと一緒にしたいんだと思います。
ー ゆっけは元々、森のガイドをしていたと聞きました。
そうそう。小さい頃から「どこに行きたい?」と聞かれたら、「どうぶつえん!」と答えるくらい動物が好きで、野生動物の保護や自然保護について学べる大学へ入ったんです。
大学時代は、マレーシアへ象の調査に行ったり、尾瀬の国立公園でサブレンジャーや、こどもたちのキャンプの手伝いもしながら、どっぷり自然と生活をしていて。その中で「わたしは自然を調査したり研究することよりも、自然や生き物を他の人と一緒に感じたり、その姿を伝えることがしたいんだ」ということに気がついて、ガイドになりました。
ガイドってね、本当に面白くて、毎日同じ場所を歩くんだけど生き物との出会いは一度として同じことがないの。知らないことが日に日に出てくるというか、ああ、知り尽くせない、分かったつもりにはなりたくないなって思わせてもらえる。
でもその一方で、ここでこんな鳥が子育てをしているとか、毎日自分で歩くからこそ見えてくる変化やその生き物たちの営みもあるんですよね。それに出会えることが、本当に楽しかった。
ー でも自然の世界からこどもの世界へ、次のフィールドに行くことを選択したんですよね。
わたしの中に「自然とこども」というキーワードは、大学時代にキャンプの手伝いをした時からあったんです。その思いを持ちながら15年自然を見続けて、ようやく自分なりの自然の見方はこれだと思えるようになったから、よし、そろそろこどもに軸足を置いてみようかなと。
あとは、ガイドでもこどもたちに自然の見方を伝えることはしていたんだけど、レジャーではなく、毎日過ごす日常の原風景として 軽井沢の自然がこどもたちの中に残っていったらいいなと思うようになったんです。
ただ楽しかった、ここの特別な環境を楽しんだ、だけで終わってしまう「自然とこども」に関わることにだんだん物足りなくなってきたし、その子の原風景として目の前にあるこの自然が残ることが、10年、20年後にこの風景(自然)が残っていることにも繋がるのかなとも思ったんです。
ー 「生き物のことを知り尽くせない、分かったつもりになりたくない」と言っていたけど、そこにゆっけの周りに存在するものに対する関わり方や尊敬の仕方の軸みたいなものがあるのかなと感じました。自然に対する関わり方とこどもに対する関わり方に、近いものがありそうだなと。
あー、たしかにこどもが以前一度言ったことをまた同じように言ったとしても、心のなかで感じていることは違うかもしれないと思っているところはありますね。
こどもたちは日々成長しているし、昨日と今日とでは感じ方も違うかもしれない。だからとにかく、今日その子が発してる言葉や表現しているものを新しく聴こうという気持ちではいるかなぁ。
ただ、自然とこどもとではちょっと違うところもあって、自然のなかで生き物を見る時は、あまり今日・明日という視点では見ないんです。一回一回の出会いをどう捉えるかの積み重ねというイメージで。
でも保育では、遊びを発展させて深めていくみたいな、つながりを意識した捉え方や関わり方も大事になるでしょう。そういうところが自分にはまだまだ経験が足りなくって、どう寄り添って、どう声をかけていくのか、毎回悩んでいますね。
ー その時その時、悩みながらもこどもの心に寄り添うことの連続が保育なのかもしれないなと思ったりします。声掛けや関わり方の引き出しも大切だけれど、それが今目の前にいるこどもにとってベストかというと、そうじゃない時のほうが多いんじゃないかなぁ。
うんうん、自分が誠実に向き合っていれば、その日にこどもとうまく対話ができなかったとしても、翌日また向き合うことができる。失敗しながらも、その中でわたしとこどもの関係が変化していくんだなということを感じているから、できないこともたくさんあるけれど、向き合うということは、それだけは日々大切にしていきたいと思っています。
ー 最後に、ゆっけの中にある自然とこどもの情景をひとつ教えてくれますか。
たまに言葉にならない思いを抱えている子がみんなから少し離れて、ひとりで森の中にいることがあるんです。その光景を見ていると、ああいう時間ってすごく大切だなと心から思います。
そこにいると癒えるというか、自分と向き合うことができたり、まあいっかと切り替えられたり。自然に包まれることの心地よさや、私たちも自然の一部なんだと感じられたら、大人になっても自分を癒したり、充電したり、ささやかな幸せを見つけられる生き方ができるんじゃないかな。
インタビュー実施:2019/08/29
生き物たちのドラマに魅せられて、軽井沢で森のガイドを15年。子どもたちと自然を見続けたくて軽井沢風越学園へ。学園の森の保全しながら、子どもたちと自然の不思議や面白さを見つけていきたい。幼少期は、近所で評判のお転婆娘。実は、冒険や探険に誰よりも心躍らせている。
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