2019年6月18日
実験を中心に、生徒たちが興味をベースに自由に遊びながら学ぶ、そんな授業を、本人の言葉を借りれば「子どもたちと一緒につくって」きた井上太智。
東京の高校と中学校で理科の教員として10年間の経験を経て、2019年4月から軽井沢風越学園設立準備財団に仲間入りしました。
軽井沢に移って約1ヶ月。これまで歩いてきた道のり、いま見えている景色、そして今後の展望についてインタビューしました。
楽しそうな大人たちが周りにいた
− 教師になりたいと思ったきっかけを聞かせてください。
中学で子どもたちに任せてくれる先生がいて、その頃から先生っていいなと思ってましたね。
中学2年のとき、サッカー仲間の3人で「よし、学校を変えよう」って生徒会に立候補したんです。僕は副会長で当選して、校則を変える経験をしました。
当時、ペットボトルは学校に持ってきちゃいけないってルールだったんだけど、「便利だよね」「夏とか凍らせて持ってこられるからいいよね」っていう意見が上がったから、僕たちで何とかしよっか、って。
でも、先生に談判しに行ったら、「ゴミ捨てて帰るからダメだよ」って言われた。
それで、試験的にペットボトルを持ってきてよしとする期間を設けて、毎日放課後にゴミ拾いしたんです。2週間の試行期間を終えて、最終的に何本落ちていたか調査したら、1・2本しか落ちてなかった。それで再度交渉してペットボトル持参OKになったんですよ。
そういう経験をとおして、自分たちの生活はつくれるということ、大人に与えられた枠組みだけじゃなくて、いじれるんだ、という感覚を持ったかもしれない。何かを変えられるって大きな体験ですよね。
高校のときの先生は楽しそうだったんですよ。なんだか人間らしかったというか。
テスト前に質問しにいくと職員室にはいなくて、体育館でバレーボールして遊んでいたり、体育教官室の前で七輪で魚焼いて食べていたり(笑)。生物の先生がどこからか豚を1頭調達してきて、みんなで解剖して、1週間それを食べ続けたこともあります。その間は学校にお弁当を持っていかずに済んだりして。
ほかにも、声が小さくて優しい化学の女の先生。生徒40人中37人は寝ちゃうんだけど、起きている3人はめちゃくちゃおもしろいと思って授業を聞いていました。僕の進路先を親より先に決めちゃうアツい数学の先生もいた。
そういう、魅力的で、楽しそうにしている大人たちに大きな影響を受けました。
「カリスマ教師」から「共同研究者」へ
− 教師になってからの10年間、どんな風に授業をつくっていましたか?
若い頃はカリスマ教師になりたくて(笑)。自分の授業で生徒が脳内物質ガバガバ出しちゃう、ていう感じを目指してたけど……それは違うんだなって、2年くらいで気づきました。
というのも、そういう授業をする中でどうしても僕の世界に入ってこない子がいたんです。それを僕は教材や授業の研究をすることで何とかしようとしていたけど、そうではないと途中で気がついた。
教師ひとりの力で授業を楽しいものにするということをあきらめて、もう少し子どもたちと一緒にとか、子ども同士で学び合うようにしてみたら、全然違う世界が見えてきたんです。「あ、子ども同士ってこんなに学べるんだ、子どもってすごい力あるんだな」と、あらためて気づきました。
そのときの僕の役割は、課題を与える、目標を示すことでした。「今日はこれを学ぶよ、みんなで考えよう」という具合です。
そうすると、次第に授業の中に生まれた余白の時間で子どもたちが自分の問いを探究するようになったんですよね。「これってなんでだろう」って、僕が与えていない問いを探し出して勝手に実験するようになった。
例えば「植物」という題材は同じでも、興味を持つところは一人ひとり違う。それぞれが目をつけたところに対していろんな実験が生まれていったんです。
そうなると僕の立場は、「一緒にその場をおもしろがる人」って感じに変わりました。僕が用意した課題じゃないから、僕でもわからないことがたくさんあった。子どもたちと一緒に考えて、一緒に試行錯誤していました。ラボでいうと共同研究者になっている感じ。
そうやってどんどん子どもたちに委ねていって、最終的に「今日この時間で最低限やること」を示すことすら手放しました。
僕の教室って、見学に来た人に「幼稚園とか保育園みたい」って言われるんですよ。その場や子どもの動きが。
− それは、子どもが自由に遊んでいるという意味で?
それに近いのかな、まあ遊んでますよね。
それって枠組みの設定で変わると思うんです。座ってなきゃダメ、これしなきゃダメ、ここでこうやって発表する、って決まってたら、遊びって生まれないじゃないですか。でも、もっとざっくりと、余白をたくさんつくっておくと、子どもは勝手にそこで遊ぶ。それが僕の教室で起こり始めたことですね。
「じゃあこれから8時間でこの内容学ぶよ~、最後に発表するからね」という感じで。そしたらたっぷり1時間は遊べちゃうんですよね。その1時間の遊びが、子どもが問いを探し出すことにつながっていくんです。
「幼稚園のような教室」の原点
− いまの授業づくりにつながる原体験みたいなものはありますか?
ああ、それは幼児期だと思いますね。原体験は。
僕、幼稚園の2年間が本当に充実していて。ひとりの人間として大事にされてたなーって思うんですよね。僕が通っていた幼稚園って、一日の予定が決まってなくて、朝登園すると「今日何する?」からスタートだったんです。
今でも覚えてるんだけど、その幼稚園って牧師がいて、ある日友達と「牧師を落とし穴に落とそうぜ」って企てた。「いいねそれ」「落とそう落とそう」「じゃあどうする?」みんなで穴掘って、水入れて、新聞紙引いて、落ち葉かけて、それだけだと牧師をうまくこっちに呼べないから、泥団子作って落とし穴の前に置いといて、「牧師!泥団子作ったよ」って呼びに行って。
落とし穴のこっち側で見守ってたら、あと一歩のところで牧師が飛び越えちゃって。まあ大人から見たらバレバレだったんだろうけど、「あああ〜……」ってガックリして。何がダメだったんだろうね、ってみんなで本気で反省会しました。
お弁当も好きなところで食べてよかったから、木の上で食べたり、中には木の上からお弁当落としてるやつもいたり(笑)
ゆったり過ごして、自分のことは自分で決めてたし、寝っ転がりたいときは寝っ転がって風を受けていました。
− 楽しそう。井上さんがつくる授業そのものですね。
「今日はこれをしよう」「この順番でしよう」って、子どもが自分のことを自分で決めていく感覚って幸せなんじゃないかなあと思って、そういう遊べる余白を残した実践をするようになりました。
その中で、僕の授業で起きていることを「遊び直し」と言う人もいました。しんさん(本城)もそのひとり。
要は、幼少期に遊び足りなかったから中学校で遊んでいる、という指摘です。確かに幼稚園・小学校でめちゃくちゃ遊んできてたら今これやらないかもなって思うことはありました。糸電話で遊ぶとか、山を作って水を流すとか、中学の授業で子どもたちがやっていたことですけど、これって小学校で遊び尽くしてきていいことかも。そうしたら僕の教室で起こることも違っていたのかもしれない。
中学の教師だと、どうしても中学からしか関われない。だから「遊び直し」になっちゃう。
「遊びひたる」ってやってみたいな、と思って幼小中混在の軽井沢風越学園に惹かれたのかもしれないですね。
これまでの経験はいったん横に置いて
− いまはどのように設立準備に取り組んでいますか。
基本的に1日のデザインを自分たちでしています。たとえば「ブッククラブ」と呼んでいるんですが、1冊の本をみんなで読んで感じたこと、メモしたことをお互いに話す時間を取ったり、カリキュラムの背骨となる部分を、実際に具体物をつくって考えたりしています。
いまイメージできるもの、いま手に届きそうなものって、まあまあありそうなもの。そうなっちゃいけないと思うんですよ。だから、僕がこれまでにやってきたものも一回置いて考えないとな、と思っています。油断するとこれまでの経験とかこれまでの“当たり前”が自分の思考の中に入ってきて、「あ、置かなきゃ置かなきゃ」みたいな感じ。
風越のメンバーもかなり多様です。大事にしているものは近い気がする。でも、視点や考え方は違います。風越の目指す学校像は良しとしつつ、まだイメージの中にいるなあって気がするんですよね。
混ぜるっていいよね、でも混ぜるってどういうこと?となると、解釈や受け止め方がちょっとずつ違っている。だからたっぷり対話して、何が違うのか、どう考えているかを分かろうとしている感じです。
最後まで違うなって思うこともあって、それが僕はすごく好き。違うってわかった上で相手を認められるのはいいなあって思う。どっちかにならなくちゃいけないんじゃなくて。でも手は取り合うよみたいな感じ。
風越に来ているけれど、公立校のことはとても気になっています。仲間もたくさんいるし。
公立校にとっても意味があることをしたい。でもいまは、ほかの学校にも手が届きそうなことを、と考えるのではなくて、風越だからできることを大胆につくりたい。
ただ、風越だからこんなに良かった、風越だからこんな風になれた、っていうのは……そういう表現はしたくないんです。矛盾するようですけど。
− 「風越じゃなくてもできるよ」「みんながいる場所でもできることなんだよ」と言いたい?
いつか言いたい。10年後くらいに言いたい。公立・私立とか関係なく、本当にみんなが「楽しく」……と言うと薄っぺらくなるけど、子どもにかかわるすべての大人がその人らしくいられる教育現場が増えてほしいなあ。
そうしないと、「風越じゃないとダメ」になっちゃうから。子どもも大人も。
(2019/4/23 インタビュー実施)