2025年5月27日
「ふっしぁん(藤山)にインタビューしてみませんか?」と声をかけてくれたのは、2024年度の一年間、彼女と一緒に5・6年生のラーニンググループを担っていたあすこまさん(澤田)だった。「2020年5月のふっしぁんのインタビューを読んだんですけど、この5年間で、すごくたくましくなったなぁと思っていて。だから、なんかインタビューしてみてほしいなって」と、あすこまさんは今年度も一緒にラーニンググループを担当する同僚のことを語った。そう、彼は子どもの育ちだけではなく、同僚のこともうれしそうに話す。
開校して間もない頃、まだ緊急事態宣言が出ていて子どもたちは通学できず、オンライン登校が続いていた2020年5月のインタビュー記事を久しぶりに読み直し、ふっしぁんに声をかけた。
__[本城]大学院を卒業してすぐに風越の準備財団に入職して、設立準備で2年間。その間に、軽井沢町内の公立小学校でも臨任として担任を持ったよね。2020年4月に開校した時には、1,2年生のラーニンググループを担当していた。この時の5月のインタビューでは「まだまだこれっていう確信を持てる日々は過ごせてない」って言っているけど、今はどうなの?
[藤山]あの頃は、確信を持って過ごせない日々を過ごしていたけど、5年経ってだんだん馴染んできたかな。風越の人たちの中で過ごし、話しを聞いてもらえるな、自分を出していいんだなという感覚が積み重なってる感じ。意識はしてなかったけど、この人たちとならやりとりできるっていう信頼がある。何か子どものことで悩んでいる時に相談したとしても、「それはまだあなたの経験が足りないからだよ」とか評価したり、批判されたり、そういったことがまず最初に来ない人たちだなというのはある。わたしの考えを、まずは聞いてくれるっていうのが、「馴染んできた」という感覚には大きくつながってるのかな。
お腹からゆっくり声が出ている。入職してすぐの頃は、話している途中でふと笑い声を挟んでいた。そして、よく泣いていた。笑いは照れ隠しだったのかもしれないし、涙は隠した感情が溢れていたのかもしれない。でも、今はそんな様子に出くわすことはない。今日はどんな話の展開になるのか予想がつかないが、言葉が途切れたところで質問を投げかけてみる。
__中学校数学の教員免許を取ろうとしているんだよね?
そうなんです。中学生の授業も担当できるようになりたいなと思っていて。それを決めたのは、キズキ(風越が開校した時に1年生として入学し今年度6年生)の一言がきっかけだったんです。2024年の5月頃だから、キズキが5年生の頃ですね。「手仕事」をテーマにしたプロジェクトで、粘土を一緒に捏ねていた時に、おもむろにキズキがこんなことを話しだしたんです。「ふっしぁんってさ、俺らが1年生の時も担当のスタッフだったじゃん。それで、これまで、ずっと一緒に上がってきてるじゃん。だから、このまま俺らと9年生まで一緒にいて、卒業したらどう?」って言われたんですよ。びっくりして。キズキがどこまで深い意味を込めて言ったのかはわからないけど、風越を卒業して、その次に特にしたいことも思いつかないから、自分の中で区切りとか先の見通しみたいなのはなかったんだけど、キズキにそうやって言われて、「ああ、それいいね!この人たちと中学校に一緒に上がろうかな」って思って。風越卒業するかどうかはさておき。
中学の教員免許は持っていないから、一緒に中学に行くためには、何かの教科の免許は必要。それで、取るなら数学かなと思ったんですよね。数学に強い関心があるというよりも、どちらかと言うと、この人たちと一緒に学年を上がって、2028年度をひとつの目標にしてみるのはありかなって、一年前にちょっと思ったんです。自発的に動くというんじゃなくて、自分になにか機会を与えてくれるのは、つくづく人なんだなぁっていうことをあらためてその時に思いました。
__なるほど、そういうきっかけだったんだ。1年生から風越に入って来た子どもたちが、今年度は6年生なんだよね。他の小学校を知らない人たちが6年生になる。ふっしぁんは、今年度も引き続き5,6年生のラーニンググループ担当で、その人達とずっと一緒に過ごしているわけだけど、6年間の変化や育ちをどんな風に見てるの?
育ってますよ、すごく育ってる。もし、今の6年生の今しか見ていないとすると、悩んだりすることもあるのかもしれないけれど、1年生からこんな風に育ってきたっていうのを実感としてわかっているから、なんだろうな、無責任かもしれないけど「大丈夫」って思っている。だって、1年生で出会った時は、ひらがな書けないとか、ずっと鏡文字書いていたとか、本だって一文字ずつゆっくり読んでたとか。でも、そういう人たちも今は文章をどんどん書いてたり、すごい分厚い本を読んでる。それに何よりも人間関係がずいぶん変わった。もちろん変わっていない部分もあるんだけども、たとえトラブルが起こっても、その後のやりとりとかが結構変わった、育っている。だから、誇らしいなって思います、本当に。だからこそ、今の6年生には、「もっと前に出ていいぞ」って思ってる部分も結構あるかな。
__もっと前に出ていいぞ、か。
ラーニンググループだけで見ていると、当然どんどん前に出てくる人たちはいます。でもそういう人たちも、風越全体ってなると、やっぱり7,8,9年生の存在もあるからか、割と遠慮してたりとかしているんですよね。そういう姿を見ていると、もっと前に出ていいんだぞ、遠慮せずに前に出ていいぞ、それだけの力はあるぞって思う。結構、そのことは本人たちにも伝えているんです。
__それは、僕がふっしぁんに思っていることと近いね。「もっと前に出ていいぞ」って。そして、最近はすごく前に出てきてる感じがしている。今年度は、アウトプットデイのことを担ってくれるんだよね。
そうですね、そう考えると、前に出るタイミングは自分が決めるってことなのかな?わたし自身は、1年目は昔インタビューで話していたように確信を持って過ごせない日々を過ごしていた。でもそうしているうちに、この風越の人たちの中で馴染んできて、話や声を聞いてもらえる、受け止めてもらえるとか、自分を出していいんだとか、そういう経験が積み重なってきて、確信がたまってきて、そうして前に出られるようになってきた。開校1年目に、「前に出ていいんだぞ」って言われても絶対出れないし、今だって、誰かに背中を押されて前に出るというのも違うと思う。ただ、他の誰かから「ふっしぁんの強みは、こんなところだよね」とか伝えてもらうことで、「そうか、そうなのかも」と確信が深まっていくのかもしれない。
すべてにおいて確信を持っているわけではないけれど、確信を持てている部分があるっていうのが、自分が日々風越で過ごす時に、貢献できているなという実感を持つことにつながっている。風越の一人になれているなというふうには確かに思っているかな。
わたしも、6年生にはこんな力があるんだからって、背中を押すようなことを伝えることも多い。それを伝えたからといって、すぐに前に出れないのもわかってるけど、でも、伝え続けようとは思う。いつかきっとちゃんとその人が選択する時が来るのはわかっているから。だから、わたしの思いは伝える。伝えたいと思うことは、伝えてるんだな。
__確信が持てている中で、何かチャレンジが生まれてきているの?
3月末にあすこまさんと2人でおしゃべりをしたんです。その時に「来年度はこういうふうにしたいっていうこととかありますか?」と質問されて、「んー、ないです」って答えたところから始まったんです。わたし、何かコンテンツを子どもたちに手渡したいとか、教科の専門家になりたいとか、そういう「したい」っていうのは自分の中にはないんです。でも、何かを「したい」と思っている人のことは、全力でサポートしたい。それは子どもであっても、大人であっても。
__「したい」のサポートがしたいんだ。
そうですね。でも、やりとりから逃げるとか、やりとりを諦めるっていうことはしたくない。それは譲れない。やりとりをせずに決めるとか、その当事者がいないところでやりとりしたくない。そういうのは譲れないなあと思う。いま、「諦める」っていう言葉を使ったけど、それはわたしの願いでもあるんです。やりとりしたいっていう願い。やりとりを諦めて、どちらかが折れたり、妥協した方が楽かもしれないんだけど…。でも、そうしちゃうと、しこりみたいなのが、やっぱ残るなって思っていて。ただ、やりとりはすごくエネルギーも使うし、自分も相手も傷つける場合があるから、無理にそれを強いることはできないんだけど、でも、わたしはやりとりを諦めたくないっていう願いが、わたしにはある。
__その人がやりとりできるようにサポートしていくんだね。
例えば、「やりたいこと」が違う2人がいる。どちらからもそれぞれの話しをわたしは聞く。でも、その2人が直接話す機会は、なかなか生まれなくて。心の中では早くやりとりしてほしいと思うんだけど、2人がやりとりできないのにも、理由があるのはわかってる。でもどうにかして、この2人がやりとりできるようにサポートしたい。それは、やっぱりそういったことを乗り越えた先に絶対いいものが生まれると思っているから。そこは、結構こだわってきたんです。1対1の関係だったとしても、納得いくまでやりとりを重ねるっていうことにこだわってる。
__そのこだわっていたり願ったりしている背景には、風越をこうしたいという思いが、ふっしぁんの中にあるんじゃないかなっていうように感じる。風越をどんなところにしたいの?
ちっちゃいことでも、やりとりを重ねていって、問題を乗り越える学校にしたい。たとえそれがすごく時間のかかることだったとしても。新しいものをつくるっていうことは、そういうことだから。違っているように見えても、おおきな願いは多分そんなにずれてないから。やっぱいろんな人がいるから、意見が合わないとかもちろんある、分かり合えないということも、それが大前提。なんか違う、受け入れられない、受け取ってもらえないということを前提として、当事者同士でやりとりする。でもね、そういうことを避けて、片方が妥協するとか、本当に納得していなくても乗っかってみるとかの方が楽なのかもしれない。やりとりするのに割くエネルギーはもったいないし、非効率だし、時間も有限。それはもちろん頭では理解できるんだけど…。
__もったいないとか非効率だとか、頭では理解できるんだけど、なぜかこだわってしまう。
そう、なんでこだわってるんだろう。自分がそこにこだわってるということは、ようへい(佐々木)に言われて気がついた。確かに、子ども同士のトラブルとかでも、そういう関わり方するなぁと思う。当事者同士がやりとりせずに、「あいつがこんなこと言ったみたい」「こんなことをあいつがやったらしい」ということをあっちこっちで噂しているのを耳にしたりすると、「それ、直接本人に確かめたの?」「それをイヤだと思っていることを、本人に伝えたの?」ってつい言ってしまう。「いや、本人には伝えてないけど」と返ってきたら、「じゃぁ、伝えてみたら?本人に伝えずに、ここでああだこうだ言っても、本人には絶対に伝わらないよ」というようなことを言っちゃう。
__当事者同士のあいだに入るのではなく、本人が本人に伝えることを後押しする。
当事者同士の問題って言っちゃうと、その人たちだけの問題になってしまうイメージがあるけど、それだけじゃないなと思っていて。その人が、自分が当事者なんだって思えるように関わりたい。当事者意識がないと言ってしまうと、その人の問題になってしまうけど、そういう自己責任にはしたくない。環境とかその人をとりまく関係も要因であったりするから。例えば、わたしが5年前に当事者意識があまり持てなかったのは、周りがすごい人だらけで自信が持てないな、ということもあったから。
本当は、風越にいる一人ひとりがみんな当事者だから。その存在を消したくない。その存在があってないようにはしたくない。だから、一人ひとりとのやりとりを大切にしたいなって、思っています。
なんかそうだな、プロセスを大切にしているって言いがちだけど、それって何を大切にしてんだろう。そこに関わる一人ひとりが、その人としてあって欲しいと思っている。なんか、声の大きい人の話だけが通るんじゃなくて。どの人も同じ一人だから。うん、ちょっとあまり言葉にならないけど⋯。
__なんだかたくましくなったなって思いながら聞いています。無事に中学数学の教員免許、取れるといいね。人事配置のことはどうなるかわからないところもあるけど、今の6年生と学年が上がれるとおもしろいだろうなぁ。そうやって、子どもたちと一緒に長い時間をかけて育っていけるのは、風越ならではのことだから。そしてもし9年生まで一緒に過ごすなら、その学年の卒業証書の文面はふっしぁんが書いたらいいんじゃないかな。
え、卒業証書、書くんですか?!
__うん、たぶん、ふっしぁんじゃないと書けないことが絶対にあると思うんだよね。
うーん、どうなんだろうと思いますけどね。ずっと一緒でね、もう鬱陶しいなって思ってる人もいるかもしれないけど。まぁ、じゃあ、考えておきます。
2017年、大学院2年生だったふっしぁんに会いに、熊本まで出かけたことがある。彼女が学生時代にずっとバイトしていたという居酒屋に行くと、彼女が人から愛されているということがすっとわかった。その雰囲気は、ずっと変わらず。きっとこれからも変わらないだろう。ふっしぁんのインタビュー、次は2028年度末にしよう。キズキ、ふっしぁんにナイスな提案をありがとう。
インタビュー実施日:2025年4月8日
何をしているのか、何が起こっているのか、ぱっと見てもわからないような状況がどんどん生まれるといいなと思っています。いつもゆらいでいて、その上で地に足着いている。そんな軽井沢風越学園になっていけますように…。
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