2019年7月22日
*この記事は、5月に開催された学校づくり途中経過報告会で4人のスタッフが話した前任校での実践紹介をまとめたものです。軽井沢風越学園のカリキュラムとは異なる可能性があります。
2019年5月時点でのカリキュラムの軸として、「探究の学び」、「土台の学び」、「探究の芽・土台の芽」の3つを考えています。
まずは、子ども自身のやってみたい、知りたい、解決したい、つくってみたい」などという本人から出てくる「〜したい」という情熱を出発点とした探究の学びをカリキュラムの中心に据えます。
この探究の学びについて、井上太智と馬野友之のこれまでの実践と軽井沢風越学園でやってみたいことをご紹介します。
井上太智です。僕は東京の高校で化学の実践を2年間、公立中学校で理科の実践を8年間続けてきました。その中で僕は授業に余白をつくることを大切にするようになりした。余白があることで、子どもたちからあそびや問いが生まれます。
先生がずっとしゃべっている、生徒がやらなければいけないことが決められている授業には、余白はほとんどありません。僕も以前、そんな授業をしていました。でも、子どもたち一人ひとりにあった学びを考え始めると、だんだんと僕が話す時間が短くなりました。授業の冒頭に、僕が5分から10分ほどでその日の課題や実験を簡単に提示し、残りの時間は子どもたちが何を誰とどのように学ぶか、子どもたち自身で問いを立てて進められるようになります。そして自分がやりたいこと、プロジェクトのようなものが始まっていきました。その様子を簡単にご紹介します。
ある日の理科室では、子どもたちが日常的に思い思いの学びの時間を過ごしていました。たとえばある日は、テスト勉強をする子どもたちの横で、「植物」の学習から生まれていった梅仕事に勤しむ子どもたちがいたり、授業の途中で自分たちで作った畑に出かけたり。
うまくいかないことも含めて、やってみたいことの試行に次々と取り組む子どもたちの姿に触発されて、関わる周りの大人が徐々に増えていきました。梅を採る子どもたちに、梅ジュース用の瓶を用意してくれた事務の先生。校長先生に体育館の裏の土地を畑に使ってもよいか許可を得た子どもたちは、畑の開墾に夢中になり、最後は畑で採れた野菜で調理したおでんをふるまっていました。
下の写真は、子どもたちの問いから生まれた実験です。何を調べようとしているでしょうか。
教科書のある箇所に「植物は下から上に水を吸い上げる」と書いてありました。それを読んだある子が、「先生、本当にそうかな?上から下に水はいかないのかな?」と問いを持ったのです。
そこで、セロリの下の部分を半分に切り、左側だけを赤い食紅のついた水に浸してみました。もし下から上に水を吸い上げるのであれば、左側半分だけが染まるはずです。さて、どうなったでしょう。
すると、セロリの右部分も紅く染まったのです。これを見た子どもたちから、さらに新たな仮説が生まれます。葉っぱを介して水が循環しているんじゃないかと考え、葉っぱを切り落として再び実験。これも両側が染まりました。茎をどんどん切っていき、染まらなくなるポイントを突き止めました。
次に、異なる植物を試してみよう。アスパラガスだとどうかな?
アスパラガスが染まったのは、左側だけでした。
こうして、子どもたちから生まれた問いは、期せずして、植物の多様性の中に共通点を見つけようとする実験になりました。
授業の中に余白があると、やらなければいけないことがやりたいことになり、単元や教科を越えていきます。また、やりたいことを実現しようとすると、様々な問題に出会います。台風が来ると聞けば、畑をどうやって守ろうかという相談が始まり、実験のための道具がなければ、道具を作るところから学びが生まれていきました。
僕が軽井沢風越学園でさらにやってみたいことは、たっぷりと遊びひたり、探究の学びへと深めていくことです。自然とともに存分な遊びを経験した子どもたちと一緒に、じっくり学べることが今から楽しみです。
続けて、馬野のこれまでの実践を紹介します。
馬野友之です。埼玉県の公立中学校で12年間、社会科を担当してきました。僕は、幼少期に過ごしたシンガポールや香港で多様な文化や人に出会い、大学院時代にはフィールドワークを通じて、それぞれの地域で、悩んだり、工夫をしたりしながら、生活を豊かにしていこうとするたくさんの人の生き方に触れてきました。僕が体験してきたこの多様な世界を子どもたちに伝えたいという思いで社会科の中学教師になりました。
ところが、教え始めて最初に壁にぶちあたったのは、「社会科って、暗記教科でしょ。何が大事なの?何がテストに出るの?」という子どもたちからの声でした。「社会科って、自分の生き方について考えたり、世界が広がるわくわくを感じられたりする教科なんだよ」ということを伝えたくて、なんとか子どもたちに社会を好きになってもらおうと、楽しい授業を目指しました。たとえば、あるときは火縄銃を買って教室に持ち込んだり、ひたすら歴史のおもしろい話をし続けて子どもたちを笑わせたり。気づけば高校入試などでもいい点数をとってくれる子どもが現れ、自信満々の日々が続きました。ところがある日の放課後、職員室に高校1年生の卒業生が現れました。その子は「高校の社会科の授業がつまらない。先生の授業じゃないから、もうやる気をなくした、今から社会科の授業してください」と言って、教科書をぼんと出したのです。とてつもなく、ショックでした。僕は、中学を卒業した後も社会科を楽しく学んでもらいたいと授業を作っていたはずなのに、いつのまにか僕がいないと学べない子ども達を育ててしまっていた。そこから悩みに悩み、授業のやり方を大きく変えて探究中心の授業をつくってきました。
これは、中学3年生が3学期に取り組んだプロジェクトの1つです。「持続可能な社会をどうつくればいいかについて、自分なりに探究して発表しよう」というテーマで、ある子は平和と自然のすごろくをつくりました。
完成したすごろくのマスは、約150。1つ1つのマスに、中学校3年間で平和と自然に関して学んだことを他の教科も含めて書いてあります。たとえば…「トランプ大統領が北朝鮮で会談を行い、平和になった。平和ポイントが2上がる。ただし、二国間の貿易が活発化して環境に負荷がかかったので、自然ポイントが2下がる」、といったような具合です。
このような探究の時間で、子どもたちは変わっていきます。探究に浸っていくと、休み時間も放課後もどんどんやります。受験を控えた子どもたちでしたが、中には夜中の3時半まで熱中するほど、取り組んでいた生徒もいます。ここまでやる、と子どもたち自身で決め、それをやりきったときの表情は清々しいものでした。
受験期にこんな学びでいいんだろうか、と言われたこともあります。でも僕は中学校最後の学びだからこそ、こういう学びを子どもたちに体験してほしかった。中学校を卒業したときに、自分の頭と手足を使って考えられるようになってほしいと願い、このような探究中心の授業をつくってきました。
でも、普通の授業をしてくださいと言われることもありました。そこで「Umatube」というYoutubeのアカウントをつくり、教科書の見開き2ページを5〜10分くらいの動画にまとめることにしました。3年間かけて動画をつくり、今では150近くアップしています。予習で使う子どももいれば、復習で使う子ども、好きなときに何回も繰り返し見られることで、自分のペースで知識をつけることができていたようです。
僕が軽井沢風越学園でやりたいことは、他教科のスタッフと一緒に授業をつくることです。通常、中学校では異なる教科の先生と授業づくりをすることはほぼありません。でも、子どもの学びは教科で分けられるものではない。前任の学校で一度だけ、美術の先生と一緒に授業をつくってみるとどうなるだろう、と試してみました。
子どもたちは、社会科の歴史の授業で「どうすれば戦争を防ぐことができるのか?」という問いを考えていました。そして、「人々にアートでそのメッセージをどのように伝えるか?」について、具体的な可能性を美術の先生に話してもらったところ、僕が思いもしなかったアートでの表現方法があったのです。子どもたちの制作過程でも美術の先生からアドバイスをもらった結果、ドミノを使ってコマーシャル映像を作った子、校庭の端っこで、土や葉っぱを活かしながらレゴを使ったアニメを作った子、紙粘土で戦争と平和を表現する作品を作った子などなど。子どもたちは、今まで経験してきたレポートや新聞でまとめるという方法を手放し、僕の予想を大きく超えてきたことが、ものすごくおもしろかったです。軽井沢風越学園には、それぞれの専門性のあるスタッフがたくさんいて、彼らと一緒にカリキュラムをつくれることに、すごくわくわくしています。
そして教科の枠だけでなく学校の外とつながり、地域や企業、保護者の皆さんと連携して、社会と繋がる学びをしていきたいです。そうすることで、多様な「もの」や「こと」、「人」に出会い、学びの輪が広がっていくんじゃないかと考えます。自分自身が動くことで、自分の学びが変わる、地域がより良くなっていく。軽井沢風越学園を卒業する15歳が、世界をよりよくする力は、自分たちの手の中にあるんだ、という実感を持てることが、僕の願いです。
次の記事では、「土台の学び」について澤田からご紹介します。