2020年6月16日
長いオンラインの日々から分散登校を経て、6月1日より毎日の学園生活が始まった。一人ひとりがこの学園でどんな出合いを積み重ね、自分たちの生活をつくっていくのだろう、私は毎朝ワクワクしながら子どもたちを迎えている。
学園のまわりに広がる森はすっかり緑が濃くなり、1メートル先は鬱そうとして見えなくなった。子どもたちの目の前には虫や草、花、木の実、小さな命が溢れている。その中で子どもたちの心は大きく揺れ動いていた。
森の中にはそれぞれの目に飛び込む関心事が用意されている。
ある日、シュウゴとノブシゲに「秘密基地を作ったんだ、いい椅子もあるよ」と森の中へと誘われた。カエデ、ナオ、ヒノキ、カホと一緒についていく。
行ってみると朽ちた枝数本が1本の木に組まれていて家の様になっている。そして引っ掻いたような跡がある木を指して、ノブシゲとシュウゴは「これを見たら熊がいると思うから人が来ないでしょ」とヒソヒソ声で話す。いいこと考えたでしょ、といった何とも誇らしげな表情だ。
『いい椅子』は湾曲になった長い蔓だった。「ほら、かえでちゃんも座ってみる?」カエデは誘われて蔓によじのぼろうと試すが高くてのぼれない。諦めた様子でその場を離れ、木々の葉の下を潜り抜けてなにやら探索が始まる。しばらくすると「かえちゃんのちょうどいい椅子みつけたよー」カエデの声が聞こえた。行ってみると、お尻の髙さで湾曲になった蔓に跨ってそれはそれは気持ちよさそうに揺れていた。自分にとって「ちょうどいい」が見つかるって嬉しいのだ。
ヒノキは苔むした石を見つけると駆け寄りしゃがみこんでほっぺにつけた。手から感じた感触を身体全体で、瞬時に感じ取ろうとしていた。
私の手をぎゅっと握っていたカホは枝を描き分けたり、くぐったりしているうちに私の手を離して歩く。私が鍋に見立てた樹皮の上に葉をのせてカレー作りを始めると、小枝を掲げたナオがニヤニヤ顔で「からい唐辛子買ってきたよー」と走ってくる。カホの表情が緩む。そしてカホの心は足元の多様な小枝や木の葉、苔へと向き、買い物ごっこに加わった。あっという間に鍋の中には「からいからいかれー」が山盛り出来上がった。
どの姿もまわりの世界、一つ一つにじっくりと出合い、手に取り、身体ごとそのものを確かめているようだ。それがまた他の子への刺激となって、「おもしろい」「たのしい」が広がっていく。今この瞬間を共に感じられることが嬉しい、そんな森の中での出合いが生まれていた。
ある朝の集いでのこと、私の肩にぶら下がって止まった尺取り虫。
それに気がついたマルは、尺取り虫を抓んで自分の指にのせる。ナオも触りたくて手を伸ばす。勢いあまってつぶれそう。棒に這わせるとなんとも愉快な動きをする。じーっと目をまん丸にして見ていたマルは「私、この子とお友だちになるつもり」「この子の名前はちゃぴらちゃん」「瓶に入れて土と葉っぱを入れたら涼しいんじゃない」と尺取り虫との出合いにウキウキしていた。
するとその声を聞いたノブシゲが「お友だちになんてなれないんだよ」続けて「餌食べなかったら死んじゃうんだよ」「自然に戻してあげないと」と。いつもとは違った、声を荒げたノブシゲの声にその場の空気が一変した。
マルはノブシゲの声に眉間にしわを寄せて「でもわたしはお友だちになりたいの…」と。
ノブシゲ「…….でも無理だよ」
すると、リキが「ごはん探せばいいんじゃないの?」
ノブシゲ「でもどの葉っぱ食べるかなんてわからないでしょ」
リキ「じゃあちょうちょ博士に聞いてみるのはどう?」
小さな命を愛でる思いと、小さな命への取り扱い。それぞれの思いが交差し、揺れていた。どちらも尺取り虫を物としてでは無くそこに宿る命に対して共鳴している思いだった。
この日、マルはベニカミキリを見つけタッパーに入れ蓋を閉めるときに潰してしまうという出来事にも出合う。「死んじゃったみたい」というマルは俯いていた。そして「お墓を作って埋めてあげたい」と言い、土を掘って埋めた。しばらくしてから「あの虫さんどうなったか見たい」と再度掘り起こすことに。そして土まみれになったやっぱり動かない虫を確かめる様にしてじーっと見入った後、そっと戻した。動かない、という現実がマルの心にじんわりとしみわたっていく。
土に埋まった虫はこの後はどうなっていくのだろう、彼女の心は得体の知れない、寂しさのような物を感じているように見られた。
森の中では虫だけでなく、動物の死にも出合う。ある日、死んでしまった狐を見つけ、土に埋めるという場面に出くわした、カエデ、ケイ、ナオ、カオル、サヤコ、タイスケ。ライブラリーに行こうとしていた6人だったが「みにいきたい」という事で合流した。
死んで顔と骨と皮だけになった狐を囲んで見ていた。しばらくの間ただただじっと見つめていた。そして「なんで死んじゃったんだろう」「病気かな」「車にひかれたとか」「土に埋めるの?」「天国にいくんだよ」「天国って何?」「食べられない様に埋めよう」「2メートルくらい掘らなくちゃ」それぞれから思いがあふれてくる。その後、一緒にスコップで掘ることに参加した。
命あったものが動かなくなるという現実に出合い、どうして死んでしまったのか、言葉を持たない生きものたちの死に対して思いを馳せていた。
カオルは毎日のように虫取り網を手に、肩には虫かごと水筒をぶら下げてちょうちょ探しに没頭する日々を送っている。カオルの前に蝶がふわりと現れると「ひょうもん!」「るりたては!」まるで呼名しているかの様に叫ぶ。飛んでいる蝶でも見分けているから驚く。
そして何よりもその蝶を追う真剣な眼差しは、声もかけづらいほどまぶしく見える。そんな彼の世界に付き合ってみると、なるほど、羽の模様の微妙な違いで種類、名前が変わり、その模様はよく見ると不思議さが感じられ興味深いものだった。その姿を自分の手元でまじまじとみたくなる子どもの世界に入った時、あーそういうことか、と気づかされる。
虫網をふわりとすり抜けていく蝶に「くやしー」と声をあげる。そして急に「おれは絶対にちょうちょ博士になる!!」と宣言し、その後も2時間程、蝶を追うカオルだった。
彼は蝶を捕まえるとパラフィン紙に挟んでいた。蝶の標本を作るそうだ。紙の中で蝶が微かな音を立てて羽を動かしている。傍にきたナオ、カホがその様子をじーっと見ていた。
私が「なんだかくるしそう….」と言うと、
カオルは蝶を見て「…..大丈夫だよ、メスは捕まえないから」
ハク「卵を生むのがだめになっちゃうからね」と。
彼らのなかでそんなルールを決めているんだと知る。
彼の真剣な眼差しは蝶の持つ不思議さ、その命の興味から生まれているように感じた。彼は蝶からどんな世界を広げていくのだろう….。
生きているものを手にしたい、じっくり見つめたいと思う事、そして生きていたものが動かなくなる死に出合う事、どの経験も子どもたちの心にじわじわと伝わるメッセージがあるようだ。それは『生きているものとわたし』のつながりを心の奥深いところで感じているからではないだろうか。子どもたちはじっくりと出合う日々を積み重ねて物事を見つめる眼差しを育んでいく。
いきものたちとの様々な向き合い方がある。そんな中でこれからも様々な体験を共有しながら互いの思いの違いを知り合い、それぞれの世界観を広げていけるよう、学びあっていきたいと願う。
子どもたちの世界は面白くてワクワクします。一人ひとりの「おもしろい!」の世界を大切に実体験を通して深め、拡げていけたらと願っています。そして暮らしの中で見つける小さな喜びや気づきを一緒に積み重ねていけたら幸せですね。
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