2024年10月9日
夏休みのうち、8日間をほっちのロッヂで過ごしてみた。
「学校」と「学校医」という枠を超えて、これまでもいろいろな場面で連携しながらきたけれど、今回の時間を通して、「連携」というよりも「つながれた」感じがしている。
ほっちのロッヂ(以下、ロッヂ)で時間を過ごしてみて、今までも感じてはいたけれど、言葉にならなかったものが、ふつふつと言葉として立ち現れてきている感覚がある。
2022年に書いたかぜノートのタイトルは『「今こんな感じ」のやりとりがしたい』だった。
子どもたちと日々「今こんな感じ」とやりとりを重ねているけれど、今回は私自身の「今こんな感じ」を言葉にできたような気がしている。
開校から5年目になった今だから思えることもあると感じていて、たとえそれがもやもやするものであっても、感じていることを持ちながらこれからを過ごしていきたいなと思っている。
風越も、ロッヂも、いろんな方向に開いて、活動や場を作ろうとしていると感じている。だけど、同じように「開こう」としているのに、それぞれ全く違う動きに見えるのは、分野が違うから、というだけでは片付けられない、何かがあるような気がしていた。
具体的には、「地域への開き方」「地域とのつながり方」は、風越はまだこれからもう一歩と感じていて、そこを丁寧に楽しそうにやっているのがロッヂ、という印象を持っていた。
イメージでいうと、風越は「今あるものをみるというより、まだ見ぬ何かをを追い求めて手を伸ばしている」感じがあって、ロッヂは「今の状態を見ながら、根を張ったり、横に手を広げて手をつないでいる、そこをまず大事にしている」感じがあった。
新しいスタートに向けて0からつくる動きなのは、風越もロッヂも同じ。だからこそ、ロッヂでの8日間を過ごしてみたことで、自分が大事にしたいと思うものだったり、なにに違和感を抱いていたのか、整理できたような気がしている。
私は風越が開校する一年前から、風越学園設立準備財団のスタッフとして参画した。ロッヂもその頃からオープンに向けた準備を進めていて、ロッヂのスタッフとも出会って、やりとりを重ねてきた。
当時ロッヂで働いていたスタッフから、「軽井沢の町の区長さん全員に会ったよ」という話を聞いた。そのスタッフは、単に挨拶をしに行くだけじゃなく、同じ活動に参加しながらコミュニケーションを重ねる姿もあって、立場として、じゃなく、その人が好きなものだったり大事にしているものを共有しながら知り合っている様子に、羨ましい気持ちもあったと思う。
町に新しくできる学校のスタッフとして、私も同じように、顔を見てご挨拶したりやりとりしたりできたらいいな、という気持ちを持ちながら、開校に向けた動きと、組織の一員としてどう動こうかという気持ちとで、結局何もできないまま開校になり、コロナ禍と重なり、物理的にも開けない状態が続いた。
そのロッヂのスタッフのおかげもあり、近隣の区長さんにご挨拶に行くことも叶ったけれど、目の前のことでいっぱいいっぱいな状況の中、さらに関係を広げたり深めたりしていく難しさを感じていた。
風越の現在地として、活動の中で地域のお店などに出向いていったり、アウトプットデイを地域の方に開いていこうとする動きも生まれている。そんな状況に、いいな、と思いながらも、どこかスッキリしない気持ちと、ぐっとそこに踏み込めない自分とに、もやもやした気持ちがあったんだと、今になって思う。
べにさん(紅谷 浩之さん。ほっちのロッヂを運営する医療法人オレンジグループ代表)から「ロッヂをつくるにあたって、地域医療をやるのに、地元の医者が誰もいないのは意味がなくて、そこに地元の医者がいることが絶対だった」という話をきいた。
学校は、暮らしの中に組み込まれた場で、それが新しくできるということは、その地域の暮らしの中に新しい流れが組み込まれていくことのような気がしている。
すでにある暮らしの中に、風越の存在だったり、風越があることで生まれる流れだったり、そういうものが少しずつ溶け込んでいけるといいな、という気持ちを持っていたんだと、思い出させてもらった。
ロッヂの場合は、地元のお医者さんがいること、だったけれど、風越の場合は、なんだろうか。「風越」を主語にすると少し大きくなってしまうから、「わたし」を主語に、暮らしの流れに溶けていきたいなと思った。「ひととつながること、小さくてもいいから勝手にやろう」、そう思った。
地域の方が、風越のことを「よくわからないなにか」じゃなくて「体感したこと」として誰かに話してくれるとか、小さくても、顔が見える、つながってる誰かがいる、そんな空間にじわじわなっていくといいなと思っている。
例えばこれから、ロッヂとつながった地域の方と私がつながって、風越にきてくれて、過ごした結果、私じゃない誰か(大人じゃなくても子どもでも)に会いに来る、とか、風越の空間を利用しに来るとか、アウトプットデイに来てくれるとか、そんなことも起こるかもしれない。そんな流れができたらおもしろいかもしれないと思う。地域に、名前を呼べる人が増えていったらいいなと思う。
これまで風越のスタッフとしてお仕事をさせてもらって、「風越」の「養護教諭」の「はるちゃん」だから、つながれたことも、できることもたくさんあると思っている。そんな状況に感謝しながらも、いつの間にか「風越」とか「養護教諭」の肩書きにとらわれて、「わたし」がどこかにいっちゃってたのかもしれないな、そういうところあったかもしれないな、とも、今回の時間の中で気づかせてもらった。
それは、ロッヂで過ごす中で、ただの「はるちゃん」でいさせてもらえたからだろうなと思う。「ただの〇〇」になれるのは、「ロッヂの魔法」じゃないかと、結構本気で思っている。
肩書きや資格は、いろんなところに行けたり、ドアをノックできるチケットだと思っているけれど、その自由さよりも、肩書きや資格からくる「ねば」「べき」に少しからめとられていたかもしれない。だから、ロッヂで子どもたちや大人も含めて、みんなとただ一緒にいることができたことがすごく嬉しかったんだな、と、しみじみ感じている。
ロッヂでの朝の共有の中で、「Being:どうあるか」と「Doing:何をするか」の話が出てきた。訪問看護でお伺いした先で、ロッヂの看護師さんが対応する姿を見ながら、「私にも何かできることがあればいいんだけど」と訪問先のご家族がつぶやかれた、というエピソードから「Being」と「Doing」の話に展開した。
その話をききながら、私は何をしたくて、どうありたかったんだろう、とあらためて思った。何かやっていた方が気が紛れて、楽で、わかりやすいのだけど、私は子どもたちのそばで「ただいる」「Being」な立場でいたかったんだと思う。
その子の力を信じながら、その子と同じ目線でとなりにいたいと思っていた。「何かをする」ことの前に、「何もしないでその子のリズムをそのまま眺めてみる」ことを大切にしたかった。
「Doing」を伴うときは、子どものペースとか声よりもこちらの判断優先でぐいっと引っ張ってしまう感覚があって、それが必要なときもあるけれど、肩書きの権力みたいなものを振りがざすようなことはしたくないな、と思っていた。
「Being」でいることは、自分をさらけ出すような感覚に近い感じもあって、以前の私は、私はこう感じるからそう行動するけど周りから見たらどうなんだろう、とか、この立場としてどうなんだろう、とか、そんな疑問や不安が伴うように感じていた。けれど、ロッヂの環境でたくさんの安心感とともに「ただのはるちゃん」でいる「Being」の時間をたっぷり過ごさせてもらえたからこそ、自分のありたい姿がストンと腑に落ちたのだと思う。
「養護教諭」でいると、事務作業だったり、その肩書きゆえの「Doing」としての仕事もいっぱいあって、それが全部好きかと言われたら、苦手なことも正直いっぱいある。でも、「Doing」が求められるから「Being」の時間を削らなきゃいけないわけでも、それを蔑ろにしなきゃいけないわけでもなく、その違いや、今はこっちの時間だなという感覚に、自覚的にあれたらいいんだろうな、と思っている。「Being」な時間を意図的に作ったらいいし、「Being」と「Doing」を混ぜることもできるだろうし、いろんな方法でいろんな形を見つけることで、自分も救われるような気がする。
べにさんが、自分は「うなずき役」だと言っていて、医者ではないさとちゃん(藤岡聡子さん。ほっちのロッヂ共同代表、福祉環境設計士)が話す、今後の展望を、医者のべにさんが横でうなずくことで、さらに現実になっていくことを「社会実験」だと話していた。この感覚にわくわくしたし、「養護教諭」にも当てはめられるんじゃないかと思った。
「養護教諭」の肩書きは教育に限らず、医療や福祉や子どもが関わる分野ならば、比較的いろんな場に入っていけるように思っている。養護教諭をやりながら、ロッヂに潜入してみたり、いろんな分野にも踏み込んでいったり、教育分野と何かを掛け算していったり、「わたし」が大事だと思うことに突き進んでみたりすることで、何がうまれるのか、それもまた「実験」だなと思う。
風越は、いろいろな場面でスタッフの裁量で動けるところがあり、ありがたい環境だと思っている。いろんなことを期待されたり、期待したり、ということもたくさんあるけれど、それも自覚しながら「実験」してみようと、今は思っている。