風越のいま 2023年1月25日

「 I can do or not.」 私はできるか、できないか。

甲斐崎 博史
投稿者 | 甲斐崎 博史

2023年1月25日

Don’t decide by whether you want to do or you don’t, decide by whether you can do or not.

やりたいかやりたくないかで決めるのではなく、できるかできないかで決めよう。

(狭山市在住58歳男性)

7年セルフディスカバリー3日目、光ヶ原高原キャンプ場より妙高方面夕景

アドベンチャーカリキュラムの3本の軸のひとつ、「セルフディスカバリー」(以下SD)は、自己発見を目的としたプログラムです。長期遠征のアドベンチャープログラムで、6年生と9年生で実施します。9年生は、4泊5日で学校から新潟県上越市の日本海までキャンプしながら自転車で走破するプログラム、6年生は、冬季に3泊4日で小谷村周辺の雪山登山や雪洞泊を行うプログラムです。しかし、昨年度の6年生は新型コロナウィルスの影響で実施することができませんでした。そこで、7年時に違う内容で行うことになりました。

選ばれたコースは「信越トレイル」です。長野県と新潟県の県境に連なる関田山脈をメインルートとした全長110kmの日本でも屈指のロングトレイルです。そのトレイルの西側の起点斑尾山から牧峠までの45.1kmに、斑尾山、牧峠、光ヶ原高原までのアプローチルートを含めた全長56.7km、獲得標高約3000mのコースを4日間で歩き抜きます。4日分の着替えと装備(寝袋、マット、生活道具等)、1日分の食料と水分を大きなザックにパッキングして背負います。宿泊はすべてテント泊、風呂もシャワーもありません。1・2泊目のキャンプ場には電気も水道もありません。歩いたり登ったりするだけでもきついところに、休めるはずの宿泊地でも非日常的な慣れない生活、中には不快に感じることもあるような生活を強いられることになります。心身の状態は天候にも左右されます。2日目の夜には雨が降り出し、テントの中まで水浸しになるチームも。しかし、なぜこんなきつくて辛いことをやるのでしょう。

4日分の荷物を背負ってひたすら歩く…

SDプログラムの目的は以下の2つです。

  1. 冒険を通して、他者と関係性を築き、その中での自分への気付きを得る。(セルフディスカバリー) 
  2. 次のステージへの出航準備をする。(アウトワードバウンド) 

さらに、7年生(本来は6年生)のSDの目的には以下の3つが追加されます。

  1. 中学校というステージで、こうありたい自分・自分自身が願う自分を知る。 
  2. 「風越づくり」に、自分はどのように関わるのか目標をもつ。 
  3. リーダーとフォロワーの両方を体験し、自分と仲間を信じ、関係性を生かして目標達成に向かう。

「セルフディスカバリー(self-discovery)」という言葉の本来の意味は、「自己発見」です。「自分への気付きを得る」とは、自分自身のことについて何かを発見することです。それは新たな発見かもしれないし、再発見かもしれません。この「自己発見」の機会を、日常生活の中でつくることはなかなかに難しいところがあります。なぜなら、自分自身に意識が向く時は日常生活ではそうそうなく、どちらかというと自分の外側に意識が向かっていることがほとんどだからです。ではいったいどんな時に自分に対して意識が向くのでしょう。

SDでは、「冒険(アドベンチャー)を通して」、「他者との関係性の中」で自分への気付きを得るとしています。前記事にも書きましたが、アドベンチャーには「予期せぬチャレンジ」があります。そして、それは逃げられないチャレンジであり、なんとかして自分で(またはチームで)乗りこえなければなりません。この課題を自分はクリアできるのか、そのために自分は何ができるのか、こういう時って今まで自分はどうやってきたっけ?クリアするには何が必要でどのような方法があるのか、今の身体状況は?心は折れてない?乗り越えられる精神力はある?仲間の助けは必要?など、様々に考えを巡らせながらチャレンジしていきます。そして、チャレンジ後にまた自分についてどうだったか振り返ることになります。何をして、何を考え、何を感じて、何を望んでいたか、そういう自分についてどう思うか…。アドベンチャーには自分と真剣に向き合う時間がたくさんあるのです。その中で、自分について気付きを得ることができます。

今回の7年生のSDの中で、「自分自身への気付き」を確かに得たであろうと思われる印象的な場面があったので、その様子を紹介します。

それは3日目のルート上でのことです。3日目は、桂池キャンプ場から仏ヶ峰、鍋倉山、黒倉山とピークを伝って関田峠へ、そこを新潟側に下った光ヶ原高原キャンプ場までの全長12.7km、獲得標高約1500mのルートです。鍋倉山は行程上2番目の高峰で、そこまで不明瞭な足元のやせ尾根が続く4日間の中で1番の難所です。折しも昨晩からの雨で、足元はとても滑りやすくなっていて、そこを重いザックを背負って歩くことになりました。

キャンプ場を出発する時には雨予報でしたので、とりあえず最後のエスケープルート(天候急変や、傷病者などのトラブル発生時に、正規ルートを外れて下山するための道)がある仏ヶ峰登山口まで行って、そこで先に行くか行かないかを自分で決めようということになりました。仏ヶ峰登山口までの3kmの行程にも細かい登り下りがあり、足元は滑りやすく、転んでしまう子もいました。気持ち的にはかなりテンションが下がる状況です。「行きたくないな」とか「おれ、エスケープしたい」という声も上がっていました。私の感覚では、ここに到着する時点でエスケープすることを決めていた子は半分以上いたのではないかと思っています。

仏ヶ峰登山口に全チーム到着した後、これからのルート状況と予想天候を伝え、今の自分の体調とここまでの登山道での様子を考えて、エスケープするかチャレンジするか判断するように伝えました。そして最後に付け加えた言葉が冒頭の文です。

やりたいかやりたくないかで決めるのではなく、できるかできないかで決めよう。」

「できるか、できないか」と問いかけていますが、問いかけた時点ではまだ行動を起こす前ですので、自分に対して「できそうか、できなさそうか」と問いかけていることになります。「やりたいか、やりたくないか」という感情も含めて、今の自分の体調や体力、集中力や忍耐力などの精神状態、山登りに対するスキルや経験、困難に立ち向かう時に自分はどうなってしまうのかなど、メタに自分を見る必要があります。「やりたいか、やりたくないか」という問いはほぼ思考を必要としません。気持ちの話です。でも「できそうか、できなさそうか」という問いは自分に向き合って考える必要があります。

「やりたいか、やりたくないか」という感情にどうしても引きずられてしまいますが、その上に「できるか、できないか」という上位の判断基準があります。すなわち、「できそうだから、やりたい」はあるけど、「やりたいから、できそう」は必ずしもそうなるとは限りません。同様に「できそうにないから、やりたくない」はあるけど、「やりたくないから、できそうにない」は必ずしもそうとは限りません。ですから、「やりたいか、やりたくないか」という判断基準で行動を決めると、「できるか、できないか」という自分の可能性に気付くことができない場合があるということです。

「やりたいか、やりたくないか」という判断基準を捨てさせた段階で、「できそうか、できなさそうか」という判断を子どもたちは強いられました。「できそうだ」と判断した子どもたちはいいのですが、「できなさそうだ」と判断した子どもたちに何が訪れたかというと、「どうやったらできそうか」という新たな問いです。ここになんらかの答えを見つけないと「やる」という判断になりません。結果から先に言うと、「やらない」という判断をした子は2名、いずれも体調面からの苦渋の決断でした。それ以外の25名の子どもたちは「やる」という決断をしました。さて、この時、子どもたちの心の中には何が起こっていたのでしょう。

個人的には「できそうにないけど、私は簡単に諦めたくないからやりたい!」というチャレンジングな心境や、「やりたくないけど、できそうな気もするからいっちょうやってみるか!」という、やってみなくちゃわからんだろ!という感じとか、「やりたくない(orできそうにない)けどここで引き下がったらなんか自分がダメになる気がする」というような自らを奮い立たせるような切迫した感情とかが一番アドベンチャーだなぁと思っています。実際子どもたちの心の中では、いろんな感情が渦巻いていたんだろうと思います。自分に真剣に向き合っていた時間だったと思います。

それと同時に起こっていたのはチームメンバーとのやりとりです。個人で判断した後、その判断をチームメンバーと共有する時間をもちました。ここでもいろいろな葛藤が起きていたと思います。エスケープするということを表明するのはチャレンジするということを表明するより勇気がいることです。同様に、「自信がない」とか「できそうにない」というネガティブな感情を表明することも。もしかしたら、なかなか判断できず、みんなの考えを聞いてから決めようと思っていた子もいたかもしれません。

「自信がない」「できそうにない」というメンバーに対して、そこで交わされた会話は、励ましや勇気付け、クリアするためにはみんなでどうすればいいのかという作戦的なこと、でも本人の気持ちを最優先して考えてあげることなど、一人一人のメンバーについてみんなで考えることを大切にしたものになりました。そして、このような他者との関係性の中で「自分はどうするか」「何ができるか」ということを考える時間になりました。これが「他者との関係性の中」で自分への気付きを得るということです。

結果的に、体調不良の2人の子どものエスケープに対してはその悔しい思いをみんなで受け止め、歩けるかどうか不安な子には、荷物を減らしてそれを元気な人が背負うという作戦でチャレンジすることになりました。

他のメンバーの荷物を背負って歩く子どもの姿

「仏ヶ峰登山口」での出来事は、エスケープできるという逃げ道ができた途端ひよってしまった自分、そこに突きつけられた無慈悲な冒頭の問い、一転して簡単には逃げられないとわかり真剣に自分に向き合った瞬間、これらがギュッと詰まったエピソードでした。

この場面は4日間の中の一場面ですが、よくよく考えてみると、行程中は常に子どもたちには課題が突きつけられていたんです。細かな登りや下りにさえも「自分はできるのか」と自問自答していたはずです。1日目、しょっぱなの斑尾山への急登で、「マジ無理」と思った子がほとんどでしたが…笑。

3日目、難所を乗り超えた鍋倉山山頂にて(チーム4メンバー)

#2022 #7・8年 #アドベンチャー

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