2021年6月9日
(書き手・丸山愛美/22年3月退職)
日々、たくさんの感覚と感情と情報を取り扱っている。たくさんたくさん頭と心をつかっているはずだし、そのときそのとき思考しているのだろうけど、サラサラと、スーッと、流れていく感覚がある。とどめておかなくちゃ、と思いながらも、それすらも自然な営みとして受けとめていたい、とも思うのです。
でもその中でも、子どもたちの毎日の「いきる」がとてつもなく大切なんじゃないかと感じている。子どもたちの「育ち」って見本があるわけでも、教科書通りでもなくて、「いまここ」を積み重ねて、あるときビュンと表出されるのではないだろうか。そこを絶対に見逃してはならない。きちんと見守りきれる大人でありたい。子どもたちの姿からそんなことを感じているのです。
4月。新しいホームになってから、初めて「名もなき川」へ向かった。去年から風越にいる子どもたちにとっては「いつもとかわらない川」がそこにあったのだと思う。
斜面をおりたところに川が流れ、その先にほぼ90度の斜面が待ち構えている。斜面からは木の根っこがブラブラさがっている。
ユイはどうやらそこに登ろうとしているらしい。根っこにむかって手を大きく伸ばす。左右の足を使って身体を支える。何度も何度も手足の置く場所を変えて挑戦しなおす。でもその日、90度の斜面にのぼった子はだれもいなかった。
数日後、「またいきたいね」というユイ、カナメの声から2回目の「名もなき川」へ。到着すると、川には目もくれずさっそく斜面へと向かう。
ユイ:90度の斜面のぼりにトライ。3・4回繰り返すも滑り落ちる。
カナメ:90度の斜面のぼりにトライ。サクサク進んでいく。頂上に着くと、「いけたー!」と大きな声。
カナメの挑戦(思い)をおって、ユイが登ってくる。その場に向かう真剣な表情。両手を大きく伸ばし、左右の足も使って体重を支える。初めて到達した斜面の先で「できたー!」とガッツポーズ。
「みんな、ユイたちできたよー」。みんなに出来たことを知らせたいというよりも、「私(私たち)できちゃったんだよ」っていう感覚。その思いだったり、言葉にはなりきっていない温かいものだったりが、こちらにも伝わってくる。
カナメとユイは、斜面をおり、川へと戻っていく。途中、足を滑らせたユイのおたけび。斜面から川へおりるとカナメが発狂。その近くでは、ユニが斜面のぼりに挑んでいる。彼女もまた叫んでいる。それでも彼女たちは笑う、進む、「面白いね」っていいながら。
川を通って再び90度の斜面にもどってきたユイ、カナメ、ユニ。
ユイ 「川に行って良かった、ね。」
カナメ「靴下の替えないんだけど。」(再びおたけび。)
ユニ 「ユニちゃん(自分)がこんなに怒る(叫ぶ)とは知らなかったー。」(発狂気味。)
ユイ 「ちょっと、もう一回挑戦してみるね!川にいってよかったー、ほんと。なんかわかんないけど、いいんだよ~。」
挑戦と向き合い、繰り返す。それは彼女たちにとって遊びのなかで行われている。遊びだけれども、等身大の自分で、偽りなく、本気で、貪欲に、向かっていく。その時、彼女たちはその先の結果がイメージできていたとしても、そこに重きをおいていないように思う。
そしてその中で、誰かの「したい」が、誰かの「したい」に影響を与える。それは互いが自覚(認識)しているものもあれば、そうではないものもある。その作用が「波動」になって、感覚として伝わり合う。自分で感じて、選んで、進む。叫んでは自分を奮い立たせて、おたけびをあげては感情を共有し合って。ただただ、かっこよくて、輝かしい姿。
やりたかったら、やったらいい。自分の思いに向かって、等身大の自分で、偽りなく、本気で、貪欲に、突き進む。その想いやエネルギーに突き動かされて、同じ道を歩もうとする人たちがいる。「たいせつなことはいつも子どもたちが教えてくれる」。
5月。西の国、年長児と年中児で高架下の川へ向かった。「川探検団」が出来上がり、ナオ、ヨウ、シンノスケ、カナメ、ユイ、エマが上流へ向かう。
ナオを先頭に、進む、進む、どんどん進む。しかし、途中、子どもがしゃがんでやっとで通れるくらいのトンネルを目の前にして「もうやめよう、帰ろうよ。」「いくよ。何があるかわからないよ!」との声。進む中で、迷いがでてくる。それでも自分で決めて、探検隊の言葉に心動かされて、いかなきゃ困るぞという思いに突き動かされて、進みだす。
長い道のり、まっくらトンネルをぬけて、ツルツル坂をのぼり、狭い狭いトンネルを通るのをあきらめて、自分の身体を使って道まで登って…。平坦な道のりではない。それでも、「ほっちのロッヂについちゃうかもよ!?」なんて話をしながら進んでいったら、本当にほっちのロッヂについちゃった。
ヨウ 「もう帰ろうよ。」
カナメ「カナメ帰るね。」(一人で道を引き返す)
ナオ 「まだ終点じゃない。」
ユイ 「いこうよとりあえず、何かがあるかもしれないから行こう。もっと楽しいよ。」
話し合いの末、結局、引き返すことに…。ヨウとカナメは道から、ユイ、エマ、シンノスケ、ナオは川から帰る。先頭を歩き、先へと進みたいと主張していたナオの足取りが重い、進まない。
すると、声には出さなかったけど、その場で時間を共有していたシンノスケが急にUターン。ナオの場所まで戻って、ギュッと手を握る。それを受け入れるナオ、また歩き始める。
そのやりとりに言葉はない。ナオの足取りが戻ったのを感じたのか、もう手を離しても大丈夫だと思ったのか、自然に手を離すシンノスケとナオ。そのやりとりにも言葉はない。だけど、確実に2人の中でやりとりが成立している。
言葉での表出が全てではない。スタッフは感情、時間、空間をともにはできるけれど、「こたえはいつも子どもたちの中にある」。その子がだした「こたえ」だからこそ、尊いのだと思う。
新しい環境、新しい関係、新しい自分になって1カ月が経った。朝、西の国へ向かうと、コロコロ動く丸太のうえに板をのせて、そのうえでエマがバランスをとって遊んでいる。その遊びを横でハルノブがずっと見ている。
エマ 「サーフボードみたい。フォーフォー。」
(板の上でバランスをとる)
ハルノブ「もちあげられるよ。」
(エマがのっている板をもちあげる)
エマ 「わたし重いでしょ。」
ハルノブ「重くなかった。」
エマ 「わたしできるから。(バランスとれるから)」
ハルノブ「できないよ。」
エマ 「できるから。」
ハルノブ「できないよ。」
このエマとハルノブのやりとりがあった少しあと。西の国の向かいにある土の斜面、そのうえでカイシンが座ったまま動かない。斜面を登りきったハルノブはカイシンの姿が気になったようで、その隣に腰をおろした。
ハルノブ「カイシンどうした?」「いやだったの?」
カイシン「…」
ハルノブ「はなしてごらん。」
カイシン「…」
ハルノブ (カイシンが動くまでの間、ずっと隣で寄り添う)
「自分だってできるぞ」という思いを「(エマには)できないよ」という言葉で表出したハルノブも、相手の思いに寄り添うハルノブも、どちらのハルノブもハルノブである。どっちの自分(ハルノブ)も、遊びや相手と正々堂々と向きあっている。自分で感じて、自分で考えて、自分で決める。自分とも、自分をつくる相手とも、真剣に向き合っているからこそ、できることなのだと思う。
「どんな自分でいたくて、どんな自分になりたいの?」。自分で感じて、考えて、決めることに意義があるのだと思う。
そういえば、私が保育士になりたいと思った背景には、「自分であるということを尊重にしてほしい」「私、大切にされていて、大切なんだと思える自分であってほしい」という願いと、そういう、いつでも本当の「わたし」に、立ち返れる場に関われる人でありたいという想いがあった。私自身、そういうことを大切に、大切に、育ててもらったからなのだと思う。
「あいて」とか、「ともに」とか、「つくる」とか…。その前には必ず「わたし(自分)」がいる。「日々」とか、「これから」とか、「願い」とか…。その前には必ず「想い(原動)」がある。
この前、あさはが「私の感覚は、私しかもっていないから、大切にする。ただそれだけだよ。」って話していた。小さい人も、もっと小さい人も、大きい人も、もっと大きい人も、「自分という存在を尊ぶこと」、「自分という存在を尊ばれること」、そこから始まるんだろうなあと思うのです。そこには、責任もセットで。
もっと、シンプルに、空白をもって、貪欲に、「たいせつなことを大切にしていたい」。わたしも、そういう「わたし」でありたい。