この地とつながる 2025年10月14日

田畑ごよみ -夏-

斉土 美和子
投稿者 | 斉土 美和子

2025年10月14日

幼稚園の園だより「こどものじかん」より、「田畑ごよみ」として綴っているコラムをまとめてお届けします。


あずきむし集め -7月-

畑で収穫した小豆を保存していた瓶のなかに「いっぱい虫がいる!」とあやさん(遠藤)。聞きつけたアキトとスナオがなんの虫?と瓶を受け取り観察を始める。確かに瓶の中に小さな虫がいっぱい動いている。

近くにいたマシロは「瓶の蓋が閉まっているのにどうやって入ったの?」スナオ「飛んできたんじゃない、ほら飛んでる。」新聞紙にあずきを広げて見るとすごい数の虫がいて飛んでいくのもいる。アキトとスナオは虫を集めて手に乗せてじっと見ている。アキト「なんの虫?見たことない。」「小豆に穴が空いてる。」「この虫が食べたのかな?」スナオ「美味しいって食べたのかも。もっと食べる?」集めた虫に小豆を見せて?小豆の上に虫を乗せたりしている。

私はつい食べられちゃうから虫を瓶から出さなきゃ!と思ったのに、彼らは虫を集めて小豆をもっと食べさせようとしている。エサをあげるみたいに。

マシロは「どうして閉めている瓶に入れたんだろ?」「どこから入ったんだろう。」と何度もそのことを言葉にしている。じーっと瓶を見て不思議で仕方ない感じ。

そうしているうちにも新聞紙からどんどんあずきむしは飛び立っていき、どんどん虫は減っていった。相変わらず虫を集めては手に乗せるアキトとスナオ。瓶を開けたり閉めたりしてじっと見るマシロ。

大人になって毎年小豆を育てて収穫している自分は、これは豆の中に卵を産んで梅雨時になると出てくるアズキゾウムシだと知っているから、早く出さないと全部食べられちゃう!と咄嗟に排除しようと思ったが、アキトとスナオは見たことない虫に興味を持ちエサをやるように愛おしそうに関わっていた。

新たに出会う生き物へどんな関心をもつのか出会いの第一歩。今まで畑仕事のあれこれは人間の都合で人間中心に物事が決まっていることが多く、作物を食べる虫は害虫だったり作物の周りの雑草は栄養を奪うからと引っこ抜かれてしまいがち。でも本当は雑草なんて名前の草はなくてその抜いた雑草を根元に敷いておけばやがて土に還るとか、虫も多様な生態系の中では役割があるってことを知っていくうちに、人間の畑にとっては厄介なものという見方も変わるかもしれない。

私の田畑の師匠はスズメにお米を食べられても「少ーし多めに作って分けてあげればいいさ、スズメだって生きているんだからさー。」といつも優しく微笑んでいたものだ。子どもたちも素直な感覚で生きものと出会いその生命とやり取りしている森や畑で、他の生命とともに生きている人間のことやきっと「自然の一部であるわたし」にも気づいていく瞬間がある。大人の知識をすぐ手渡してしまうのではなく、今この子はどんな気持ちで虫と出会っているのだろう、どんな手触りや感覚で何を感じているのだろうと丁寧に向き合いながらかける言葉を探す毎日。

あずきむしとしばらく関わってから、小豆ぜんぶ食べられちゃったら困るなーと小さくつぶやいてみたが、「まだいっぱいあるから大丈夫。」とアキトはにっこりした。

田んぼで出会う生命と子どもたち -9月-

9月26日、「ひつじ」のチーム「ひ」が稲刈りに田んぼへ出かけました。朝は霧雨で稲が濡れていましたが歩いていくうちに太陽が出てすっかり乾き、暑いくらいの稲刈り日和になりました。

お弁当のあとそれぞれ手にカマを持って稲刈り開始!ひと株ずつ左手で掴み右手のカマで刈り取って8束ずつわらで縛っておき、それをハゼ棒という木の棒にかけてしばらく乾かします。2〜3週間後脱穀して精米すると、やっと食べられるお米となります。

稲を刈りながら、トウカ「スズメさん、プリかぼちゃん(カカシの名前)がいるからお米食べなかったかなあ。怖くて逃げたかな。」ハナ「あー、もうすぐご飯食べたくなっちゃうな。鳥もこんなにお米あると食べたくて困っていたかもねー。」そういえばカカシを作った時も「すごい怖い顔にして鳥を怖がらせよう。」という人と「鳥だってお腹空くからかわいそう。可愛い顔にしようよ。」という人がいて議論になっていましたっけ。

だいぶ刈り進んだ頃、すぐそばに真っ白な鷺が立っていました。白い鳥がいる!と静かに近づいてみる人も。鷺は逃げずに時々地面にいるカエルをついばんでいるようです。きっと稲刈りをしている人間のそばにいればエサにありつけることを知っているのかもしれません。


翌週9月29日はチーム「つ」が稲刈りでした。この日はずっと稲刈りをする頭上を低空飛行でトンビが飛んでいて「子羊が食べられちゃったらどうしよう。」(だいぶ大きくなったからもう食べられないと思うけどね。)「あっちいけー!」と子羊のそばでカカシになって追い払う人も。その近くではカエルを捕まえたアキトが「トンビはカエル見えるのかな、(子羊の)たんぽぽちゃんじゃなくてカエル食べてくださーい!」と叫んでいました。

稲刈りの帰り道の農道では大量にこぼれているお米を発見した一行、(おそらく週末稲刈りした機械がこぼしていったお米だと思うのですが)その前に稲刈りしながら田んぼのお米を剥いては味わっていたので「もったいないなあ、食べちゃおう。」と皮を剥いては食べ始めていました。そこへ来たハルキ「俺たちのお米はもうたーくさんあるから、いっぱいとれたからさ、これは鳥たちにあげようよ。」一心に食べていたユウタロウも「そうだねスズメはカカシ怖くて食べられなかったからねー、少しあげてもいいよね。」

田んぼでは、普段の森の生活とは少し違う生命に出会う場面があります。広々とした空を見渡せる場所ならではのトンビや鷺などの大きな鳥や、羊やスズメの大群などの人間と共に暮らしてきた生き物の姿、周囲には鹿が増えてその足跡をたくさん見たり鹿避けの電柵や点滅するライトを目にしたりすることもあります。田んぼというお米を作ってきた人間という生き物が中心の場所ならではの「お米は大事だから食べられたら困るなあ。」という感覚と、「でも鳥も鹿もお腹が空くから食べたいだろうね。」という相手の立場に立った両方の気持ちをこどもたちは感じています。

お米を育てる田んぼの一年の中には、食べるものをこの手で作り出す体験のほかにも、こういった様々な生き物の生命と共に在る人間の暮らしを感じる大切な時間が含まれているようです。

#2025 #幼稚園

斉土 美和子

投稿者斉土 美和子

投稿者斉土 美和子

浅間山の麓に来て20年。たくさんの命に出会ってきました。淡々と生きる命、躍動する命、そして必ず限りある命。生きるって大変だけど面白い。そんな命が輝く瞬間を傍らで見ていたい。一緒に味わいたいです。

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