2021年6月28日
今年も田植えが無事に終わった。まだ小さな稲の苗たちはそよそよと風に吹かれて気持ち良さそうだ。
私の田んぼは軽井沢の西の端、追分にある。正面にどーんと浅間山が鎮座し、昔からの田畑の風景が広がる気持ちのいい場所。御年89歳の生粋の追分っ子、荒井タケシさんの田んぼの一枚を貸していただいている。
しかしその田んぼの地主さんタケシじいちゃんは、ここ何年か体調を崩して入退院を繰り返されている。「苗は浅めに植えた方がいいぞ。」「水の量が肝心だから、こまめに調節してやれやー。」といつも田植え前後にかけてくれるしゃがれ声は聞こえない。
今年は田植え当日も入院中だった。タケシじいちゃんの広大な田んぼの田植えは、小諸に住む甥っこさんが田植え機の助っ人で来てくださった。隅っこや浮き苗の手での補植はご家族と一緒にがんばってやり終えたが、主役が不在の田植えは初めてで、なんとも心もとないものだった。会話はもっぱら「来年はおじいちゃん田んぼ出来るかねえ。」「もうあの歳だし潮時じゃねえか。」とこの暮らしを続けられるかという話題。
見渡せば周囲の田畑も年々耕作をやめる場所が出てきている。近所で西部小学校の子どもたちと借りていた田んぼの地主さんも高齢で田畑を縮小されるとのこと。そこでの田んぼ活動も残念だが今年限りとなった。
おじいちゃんたちの子ども世代は都市部へ出ていたり会社勤めが多く、田畑を手伝える環境にない。当然田んぼの後継者はおらず、担い手のない田畑は耕作放棄地となって荒れていく。
この周辺も使われなくなった田んぼに柳や葦が生い茂り、風景が変わりつつある。田んぼの隣で私が羊を飼っている場所も高齢の地主さんが手入れが出来なくなった土地で、蒲の穂や葦が生い茂りそれを羊たちが食べに食べて、やっと地面の地形がわかるようになった。
軽井沢は移住者が増え土地価格の上昇もあり、宅地や別荘への転売も増えているので、この美しい田園風景もそう遠くない未来にはなくなってしまうのだろうか。
タケシじいちゃんちの機械での田植え後、私の小さな一枚の田んぼは風越のスタッフや保護者、友人の手も借りて手植えで田植えを終えた。
本当は風越の子どもたちも田植えに来る予定を立てていたが、雨天に阻まれ叶わなかった。田畑の仕事はおてんとう様のご機嫌次第、予定通りにいかない事のほうが多い。
そこに、学校の子どもたちがあらかじめ決まっている色々な予定のあいだを縫って、わざわざ田んぼへ出かけてくるのはなかなか大変なことだ。
それでも田畑をめぐる昔からの暮らしや仕事、四季折々の季節の移ろいの中で感じられる感覚にふれてほしいという願いを持って、前期スタッフは子どもたちと機会を見つけては田んぼへ通って来ている。
先日6月18日、田んぼへやってきた東の3歳児「ジャブジャブ」たち。
稲の種もみ蒔き、泥んこの代かき、田植え後の草取り・・とここのところお天気に恵まれ、続けて田んぼへ出かけて来ている。
朝一番に来たアンノが、「お米の赤ちゃん大っきくなったねー。」「緑のとこ(葉っぱの部分)がおっきくなったよ。」と指さしている。そう言って田んぼの縁を歩きながら、私の顔を覗きこみ「わこさん昨日も田んぼのお仕事だったでしょ、お米の赤ちゃんのお仕事してた?」と言うので、「そうだねー、ヨイショヨイショって草いっぱい取ってたね。」と言葉を交わした。
その場で気づいた田んぼの変化だけでなく、こういう言葉が出てくるのは、私が学校にいない日に、テンテン(臼田)が「今日わこさん学校来てないね。今日田んぼでなんのお仕事してるんだろうね。」と必ず集いなどで話題にしてくれているからだ。この前日にも「なんか草がいっぱい生えてきて、お米の赤ちゃん大きくなれるかなって大変らしいよ。」と今の田んぼの状況を3歳たちにわかるように伝えてくれていたらしい。
私が学校に出勤する日は必ず誰かが「今日はわこさん学校きたんだ!昨日は田んぼでなんのお仕事してた?」「ヒツジは草食べてた?」と田畑の様子を聞いてくる。頻繁に田んぼに来られなくても、学校にいても、いつもスタッフは子どもたちと田畑の「仕事」や「暮らし」とを繋げてくれている。
次々に田んぼに「おはよう!」とやってくる子どもたち。だいたい荷物を置いて羊たちに草をたべさせるか、さっさと用水路に入って水遊びを始めるか。それぞれの興味の趣くままに動き始める。
アンノ「ジュタおはようー。モモちゃん(羊)たちに草あげるよー。」
ジュタロウ「いい、行かない。」
アンノ「なんで?」
ジュタロウ「羊キライなの。」
慎重でまだ怖いこともたくさんあるが、一つひとつ自分で確かめて大丈夫と安心すると前に進んでいるジュタロウ。今まで馬や羊からはいつも少し離れてその様子を見ていたが、怖い気持ちや「キライ」と言葉にしたのは初めてだった。だんだんこの場にも慣れて、自分の思いを素直に表現できるようになってきたのだろう。
アンノ「ジュタ怖いの?羊怖くないよ。」
ジュタロウ「でも、羊は行かない、いい。」
控えめに断っていたが、様子を見ていたらその後少しずつ羊の柵には近づいてじっと羊たちを見ている。
「羊のことは怖いと思っていても、ジャブジャブの友だちの様子を見てジュタの気持ちが変化してきているね。」とテンテンと共有。興味を持ってほしいと思っていても、何かに無理に近づけることは決してしたくない。自分から一歩踏み出そうとする時を待って出会ってほしいと願うし、その時まで声はかけない。
羊の横の畑で大豆と小豆をまいた場所の草かきをしていたら、「枝豆のお花って何色?」と話しかけてきたナツハ。
前日学校でお弁当を食べていた時に「枝豆好き!」「私もー」とミノリと盛り上がり「そういえば枝豆のお花って何色なんだろ?」という会話があったのをテンテンから聞いていた。「ちょうどわこさんお豆の種まきしたとこだよ、芽が出てきたの見てみる?」と畑へ。そういう展開になるかも・・と枝豆すなわち大豆の種と、小豆の種を用意しておいた。
「わこさんのはもう芽が出てきたところだけどこれが蒔いた種だよ、見てみる?」と手のひらに、豆の乾いたサヤから出しながら見せる。
ナツハ:「この茶色いのの中にお豆が入ってたの?」
私:「そう、この外側の乾いた茶色いところも羊や馬の冬の食べ物になるんだよ」
ナツハ:「へえー、なっちゃん枝豆好きだけど、モモちゃんたちも好きなんだね。」
ナツハ:「こっちのお豆は紫だね。」
私「こっちはあんこになる小豆っていうお豆だよ。」
アンノ、ハルト、ダイセイ、コウタ、カホも一緒に、土にあけた穴に豆の種を入れて蒔いてみる。
カホ「どうして穴の中に2つずつお豆を入れるの?」
私「どうしてかなー?」
ナツハ「あー、きっと一人ぼっちじゃ寂しいからだねー!」
3歳ならではのその素直な発想。
その後、豆の種をテンテンに預けておいたら、学校でもジャブジャブたちは植木鉢に大豆と小豆を種まきしたらしい。毎日その変化を見ることができたら、またこの畑と学校がつながるだろう。
だんだんと子どもたちが揃ってきた。今日はどうやら朝の集いはしない様子。そのあたりもテンテンは子どもたちに感覚的にとらえてもらうのか少し説明してから始めるのか、集いはやるのかやらないのか判断が早く鋭い。
なのでそれ沿って私も作業をし始めるかなにか説明するか瞬時に考える。「3歳ジャブジャブが田植えしたばかりの稲を踏まないように草とりの仕事をするのは難しいだろうな、でもその仕事の意味ややり方を捉えてもらうためにやっていることを見てもらうところから今日は始めよう。」
手で草取りしてから、『田転がし』という手押し車のような歯がついた道具を、苗間で押して歩き草をかき混ぜる作業をやる。
「わ、わこさんカッコいいー。なにそれ。」
テンテンはすかさず子どもたちの興味をひくような声を上げる。
カン「カンくんもやりたいー!」
アンノ「私もやるー。」
むむ?3歳にコレできるかな、私と一緒にやるならできるかな。転がるように田んぼに裸足で入ったアンノと一緒に田転がしを押してみる。おや、稲を踏まずに上手に歩くではないか。しかも田転がしで泥が押されて少し傾いた稲を「わこさん!あそこのお米の赤ちゃんが倒れそう。」と知らせてくれる気の配りよう。思っていた以上に稲をきちんと意識して仕事が出来ている。
お米の種もみを手のひらにのせて苗床に種まきしてから2ヶ月余り。継続して、苗が段々と大きくなり田んぼで育ってきたことを見続けてきた末の「お米の赤ちゃん」への愛着のようなものを、3歳たちの言葉の端々から感じる。
「次、カンくんねー!」と向こう岸でやる気満々で待っているカンに交代。カンも稲を全く踏むことなく田転がしをゴロゴロ押して上手に前に進む。3歳すごいな、なかなかやるな。
「あーここあったかい。お水があったかくてお湯みたい。」「ちょっと止まってもいい?お風呂入ってあったかくなってるから。」と、足の触感、全身の感覚をフルに使って田の水、いやお湯に浸るカン。「ほんとだね、あっち(岸)は冷たかったのにこっちは温かいね。」と返答するのみにとどめる。(もう少し年齢の大きな子どもになら「どうしてあっちは冷たくてこっちは温かいんだろう?」と聞いたかもしれないけれど。)
「カエルはあったかいより冷たいのが好きだから、お米の赤ちゃんも冷たいの好きだよね。」とのカンの言葉にも「どうだろうね、お米の赤ちゃん冷たいのと温かいのとどっちが好きだろうね。」とだけ言葉を返す。
田んぼの畔では「がんばれー。」と雑草を引っこ抜きながら応援するマキノ。水面のオタマジャクシやアメンボをじっと見るハルトとカノン。のんびり草の上に寝っ転がりながら仕事を見ているコウタとダイセイの姿があった。
それぞれがやりたいことにじっくり浸りながら、周囲の生き物や自然に出会っている。
この3歳たちには全員一緒に集いなどで言葉で伝えるのではなく、各々がここで五感で捉えたことを積み重ねながら少しずつ田んぼの仕事や暮らしを感覚でとらえていってくれたらそれでいい。
私はもうずいぶんと田畑のある暮らしをしているが、農家ではないし酪農のプロでもない。職人のように背中を見せて何かを感じてもらうことはできない。でも保育者である以上、目の前にいる子どもたちにどんな言葉でどんな場面でこの暮らしの面白さや豊かさを伝えられるのだろう、といつも意識はしている。
漠然と曖昧に適当に手渡すのではなく、このことをしっかり伝えるにはどんな手渡し方がいいだろう、この発達段階の子どもにはこの場面の方がよりよくそのことが捉えてもらえるだろうかと試行錯誤している。
田んぼの泥の中を歩いた足の感覚、カエルを掴んだ手触り、川の水の冷たさ、お釜で炊いたご飯の甘さ・・そんな感覚を少しでも面白かったな、美味しかったなと捉えて覚えていてくれる子どもが一人でも多く育ったなら、もしもこの風景が消えてしまうとしても未来の景色は違ってくるかもしれない。
途方もない時間がかかることでも、私一人ではたぶん何も変えられないかもしれなくても、私自身が心地いいなと思うこの暮らしかたで、これからも淡々と暮らしていきたい。
今まで3歳にはもっと言葉を添えてわかりやすく伝えようとしていたけれど、このジャブジャブたちにはもうちょっとなにも言わず感覚的に捉えてもらう方がよさそうだぞ・・と改めて思い直して、自分なりの手渡し方をこれからもこの暮らしのなかで模索していこうと思う。
浅間山の麓に来て20年。たくさんの命に出会ってきました。淡々と生きる命、躍動する命、そして必ず限りある命。生きるって大変だけど面白い。そんな命が輝く瞬間を傍らで見ていたい。一緒に味わいたいです。
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