軽井沢風越ラーニングセンター 2024年8月26日

探究の学びの理想と現実 風越学園の挑戦ー学習者中心の学びとの出会い

岩瀬 直樹
投稿者 | 岩瀬 直樹

2024年8月26日

2024年4月に出版した書籍『プロジェクトの学びでわたしをつくる』は、おかげさまでたくさんの方に読んでいただいています。この記事は、書籍に掲載している内容です。


私(岩瀬)が学習者中心の学びに出会ったのは、東京学芸大学の学生時代、平野朝久先生(東京学芸大学 名誉教授)の「教育方法学」の授業でした。その授業 では、当時実践的な広がりを見せていたオープン教育(1)の実践記録を読んだり映像を見たりしました。また平野氏は、本物を実際に見て体験することが大切だと、観光バスをチャーターして学校参観ツアーを定期的に主催し、多くの学生を全国各地の先進校へ連れていきました。私はそこで奈良女子大附属小学校、神戸大学附属明石小学校など、たくさんの学校を 参観しま したが、特に印象的だったのは長野県伊那市立伊那小学校(以下、伊那小)と、愛知県東浦町立緒川小学校 (以下、緒川小)です。1977 年の学習指導要領で「ゆとり教育」が打ち出 され、生産・体験活動や個性を重視するカリキュラム が目指されました。それに呼応するように、1978 年、 緒川小ではオープンな校舎に改築し、それを生かした個別化・個性化教育をスタートし、同年、伊那小でも、 総合学習がスタートしました。私が参観したのは 1990 年代はじめ。各校が実践を 10年ほど積み重ねた頃です。

伊那小は 40 年以上にわたって総合学習の実践を積み重ねている公立の小学校です。 平野氏が共同研究者として長年実践を支えています(伊那小の総合学習のルーツは大正自由教育にあると言われています)。カリキュラムの中心に「総合学習」「総合活動」を置き、学級単位で探究的なテーマに取り組んでいます。1・2 年生では、そのテーマを通じて「自然・社会」「言語」「数」「表現」「道徳教育」「特別活動」の領域を統合的に学ぶ「総合学習」を実践、 3 ~ 6 年生は、テーマに沿った「総合活動」を中心に教科学習なども並行して学んでいます。学習材は多岐に渡りますが、当時印象的だったのは、動物を学習材とした実践です。羊や牛などの大型の哺乳類を学級で飼いながら、小屋を建てたり、餌代を計算することで算数を学んだり、交尾・出産に立ち会うことで命を学んだり、飼育する動物との別れを経験したりと、本物に出会い、経験を通して本気で学んでいく様子に衝撃を受けました。「子どもたちは自ら求め、自ら決め出し、自ら動き出す存在である」という子ども観のもと、「内から育つ」とい うコンセプトで全学年で探究している学校との出会い、そしてなによりテーマを核に探究的に学ぶ授業を繰り返し参観したことは、自身の授業観、子ども観に大きな影響を与えました。

風越学園ではものづくりをしながら自然と学びにつながることがよく見られる

緒川小は日本のオープン教育の先駆けとして、研究主任の成田幸夫氏(岐阜聖徳学 園大学)を中心に、アドバイザーとして当時国立教育研究所の主任研究官だった加藤 幸次氏(上智大学名誉教授)が関わって、実践を積み重ねてきた学校です。日本の子ども中心主義・経験主義の系譜と、アメリカ経由の子どもの生活・経験主義の実践理 論が融合した実践と言われています。緒川小のカリキュラムの特徴は「6つの学習態様」です。

1 「はげみ学習」
基礎的・技能的な内容、系統的練習が必要な内容を無学年で学習(計算、文字、 読書、マット、鉄棒、水泳、リコーダーなど)。
例)「数と計算」の領域を全学年通じて 83 段階のステップに分け、ステップ 毎に検定。

2 「集団学習」
「はげみ学習」と連動する一斉的な学習。クラスサイズでの学習、ゼミ形式、 大集団学習など、柔軟な学習集団。

3 「週間プログラム」(学習パッケージによる学び)
「一定の制御形態のもとに自学を進める複数教科同時進行の単元内自由進度に よる」ものとしていて、単元毎に用意された「学習の手引き(目標や標準的な 学習の流れが記載)」を参考に、自分で計画を立て、週または月単位で学ぶ。 教科学習でありながら個別的な学習活動に力点を置いた学習プログラム(年間 の 4 割はこの学習で行われた)。

4 「総合的学習」
教科領域を統合した総合的学習であり、低学年は主に生活単元型、高学年では主に年間を通した課題探究型となっている。

5 「オープン・タイム」
興味関心にもとづく学習内容を自分の計画で進める(長編小説の執筆、プログ ラム作り、ギターの練習、ドラム缶の風呂作り、竪穴式住居作りなど多彩)。

6 「集団活動」
いわゆる特別活動の領域。子どもの自主運営に任せることが特徴である。例えば運動会や修学旅行などの学校行事も企画から準備、運営まで子ども主導で行っている。

最盛期は年間5000人超、公開実践研究会には一日2600人超の参観者が訪れていて、 臨時教育審議会が目指す教育の自由化・個性化の有力なモデルとして全国的に注目されていました。
伊那小と比べ、システマティックでパッケージ化されたカリキュラムという印象でしたが、自分のペースで学んでいく自立的な学び手の姿と、公立でありながらあまりに自由な空間とカリキュラム構成に、これからの公教育の変化の可能性を体感しました。
平野氏は、これらの学校に共通するのは「はじめに子どもありき(2)」という教育理念から出発している点である、と講義で繰り返し語りました。このような学生時代の経験が、公教育はこの方向で変わっていくのだという大きな期待とともに私を教員という仕事へと向かわせました。

総合的な学習の時間の制度化ー期待と現実

総合学習のような探究的な学びを実践したい、と張り切って教員になりましたが、 当然のことながらあまりにも経験の浅い若手教員の私は実践に至ることはできませんでした。実践するために何をどうしたらよいか全くわからないのです。そもそも公立ではカリキュラムは決まっていて、先進校のように自由に編成できない(と思い込んでいた)と諦めに似た気持ちもありました。教科書をベースにその日その日をやり過ごすのが精一杯。なんとか授業を成立させようと、当時流行していた教育技術の法則化運動(現 TOSS)を学んだり、仮説実験授業や水道方式の学習サークルに通うなど、 一斉授業、教科の授業の技術的熟達に向かっていきました。教科の授業で一定の手応えを感じ始め、学習サークルや研究会で実践発表をするようになった頃、国で大きな転換が起きました。2003 年に全面実施された学習指導要領において「総合的な学習の時間」が新設されることになったのです。教科の枠組みを超えた授業・学習と教育 課程の創造に国として取り組む、総合的な学習の時間から公教育が変わっていく、一 言で言えば「ついにきた!」という気持ちでした。

しかし実際はそう簡単ではありませんでした。教科書という「拠り所」がない自由度の高さに、現場は右往左往しました。そもそも多くの教員はカリキュラムを自主編成することを経験してきていません。また実践をつくっていくための手がかりをどこ に求めてよいかわからないことに困っているように見えました。その不安の中で、多くの学校では総合的な学習の時間のパッケージ化へと進みます。テーマ・授業の進め 方が決められていったのです(標準化)。私の勤務校でも奮闘虚しく同様でした。5 年間やりとりを重ねて、年間三テーマのうち一テーマだけ学級総合にするのが精一杯 でした。自由度の高さが教員の不安につながっていくこと、自ら標準化に向かっていこうとする現実にショックを受けました。
また機を同じくして、学力低下論争が起き、基礎学力不足が騒がれて現場や行政は 右往左往し、総合的な学習の時間も批判に晒されることになります。教育社会学の文 脈からも、子どもの自主性や主体性、興味や関心に依拠した教育観にもとづいた教育 改革の方向性の総体が「自由化」「個性化」として名指しされて、厳しい批判の対象となったのです。そして結局、「総合的な学習の時間」創設という大きな変化は、教科による教育課程とそれを基盤として展開される講義型の一斉授業中心の学校教育に変化を起こすことはありませんでした。

そのような時代背景の中、「学習」という文脈では違う流れも生まれていました。 私は 2002年に埼玉県の長期派遣研修で東京学芸大学に一年間戻り、総合学習について学び直していました。その頃『ワークショップ:新しい学びと創造の場』(中野 民夫著,岩波書店,2001)が出版され、いわゆる学校教育の文脈とは違う学習観に基づいた学びの場が生まれ始めていたのです。まちづくり、国際理解、演劇、ものづくりなど、成人を学習者としたワークショップが全国各地で開催され、まさにワークショップ黎明期でした。

私はその一年、学習者としてさまざまなワークショップに参加し、「教える―教えられる」「変化をつくる人―変化を被る人」の非対称な関係性を超えて、学習者自身が相互作用の中で変わっていくことの力強さを、自分の変化を通して体感しました。 緒川小や伊那小で見た子どもたちの姿が、学習者としての実感とつながっていったの です。同時期に吉田新一郎 (3) と出会い、私の実践は学習者中心の学びに大きくシフトしていきます。リーディング・ワークショップ(RW)、ライティング・ワークショップ(WW)、理科や社会を中心とした、教科をプロジェクト的に学ぶことにもチャレンジし始めたのもその頃です(その頃の実践や提案は吉田新一郎・岩瀬直樹著『効果 10 倍の学びの技法』PHP 研究所,2007 /プロジェクト・ワークショップ編『作家の 時間』新評論,2008 などに詳述しています)。

公立教員時代、教室の一画に図書コーナーを常設していた

自分の手元でできる教科を起点とした探究の学び、学習者中心の学びの試行錯誤を重ねていく時期が10年続きました。この10年は意味のある試行錯誤でした。年を追うごとにそのような実践を志す人は増えた実感はありますが、それが冒頭の二校のような学校全体として取り組む大きなチャレンジにつながっていく機運はなかなか感じられない期間でもありました。
しかし、私にとっては必要な回り道だったと今は考えています。一斉授業をしていた頃、いや、その後の教科を中心としたプロジェクトを実践し始めた時ですら、全体の学びのストーリーばかりに注目し、その中で一人ひとりが何を考え、何を感じ、何を学んでいたのかは、正直追えていなかったのです。それはRWやWWの実践で、徹底的に個の学びにフォーカスして伴走していく中で痛感したのでした。協同的なプロジェクトにおいても一人ひとりの学びを追うことを大切に、数人の美しい物語で全体を語らないことに自覚的になるための長い、けれども、必要な時間でした。

私たちは何にチャレンジするのか

ここまで、私の個人的なナラティブ、私が経験し学んできたことの文脈の中で、日本における探究の学びを概観してきました。ではこの経験から何を学び、私たち風越学園では何にチャレンジするのでしょうか?

一つ目は「12 年間つづく探究の学び」を風越学園の真ん中に置く、探究という軸で12年間を貫く、ということです。幼児教育で積み重ねられてきた子ども中心の保育、自分の好奇心のおもむくままに探索し、探究の学びにつながる芽をたっぷり育んできた子どもたちが、小学校でも中学校でもその芽を育て続けられる学校にチャレンジしています。

2023 年 2 月、伊那小に久々に参観に行きました。協議会の中で「幼小の接続はどうなっていますか?」という参観者の質問に「幼稚園、保育園で大事にしていること、そのままで入学してきてください。伊那小ではその姿を大切にしていきます。」というやりとりがありました。小学校の段階では伊那小のような事例に出会えますが、特に中学校では出口(進路)の問題もあり、どうしても教科を超えるアプローチが難しい現状があります。しかし風越学園では、9 年生まで教科を横断したプロジェクト(探究の学び)を中心に置きます。テーマや問い、もの・こと・ひとに出会い、没頭、試行錯誤し、大きく失敗しながら自らの経験の意味や価値をつくり続けていく、そのプロセスそのものを大切にしていきます。その経験の連続性の中で、わたしも他者も社会もよりよく変化し続けるのだという手応えを持った「つくり手」になっていくと信じているからです。

中学におけるプロジェクトの様子は第 2 章のケース 3「BENTO」 とケース 4「そつたんに寄り添って」をぜひお読みください。また第 4 章の「アウトプットデイをつくる」では、アウトプットデイという場そのものをプロジェクトとして、「つくり手」になっていく子どもの姿を感じていただけると思います(風越学園 のプロジェクトを支える理論的な支柱となる概念についての解釈やプロジェクトの学びのとらえは第 1 章第 2 節「プロジェクト学習をどうとらえているか?」をお読みください)。

二つ目のチャレンジは、子ども一人ひとりが「学びのコントローラーを持つ」(第 1 章第 3 節)自立した学習者として自由になるために、大人がどう関わっていくか、 何を手渡していくとよいかという視点を持つことです。プロジェクトの価値を十分に理解しつつ、私たちは、その中でも徹底的に個にフォーカスし、一人ひとりの「~したい」という情熱や問いから出発することを大切にします。風越学園のプロジェクトは、共通のテーマであっても一人ひとりの問い、一人ひとりの探究のプロセス、さらに言えば一人ひとりに問いが生まれるプロセスを大切にしています。
一人ひとりの子どもが探究していくためには、その子が探究の方法知を持つ必要が あります。教師は子どもの探究にいかに補助線を引くかという引き出しが必要です。 言い換えれば、方法知を意識的に教育内容の対象にするということです。子どもたちに何を手渡していくのか、その子が探究者になっていくために必要なことは何かを考え続けています。これらの問いについては、第 1 章および 2 章で深めていきます。

最後は、プロジェクトを実践する教師の存在へのフォーカスです。参観や実践記録からは教師の実践知が見えにくくプロジェクトを実践するために必要な経験や学びが整理されているとは言えません。また、教育観・授業観は共有されるものの、実践知は教師の暗黙知であり続けていて、伝承が非常に難しいという問題があるように思います。それが実践が広がっていかない要因の一つだと考えられますし、私自身も長くそれに悩んできました。とは言え、誰でも実践できるように、負担を軽減し標準化しすぎると教師の専門性が育ちません。それは、先に書いたカリキュラムの自主編成の経験がないことで総合的な学習の時間を生かしきれていない問題とつながっています。探究の学びを実践するために、私たち教師は何を経験し学べばよいのでしょうか。
「本書への願い」で書いた「学習者中心の学びのためのスクールベースの教師教育プログラム」は、そのフォーカスへ正面から向き合うチャレンジです。このチャレンジを起点にして、教師が学ぶ機会をつくっています。次節では、ラーニングセンターの共同研究者である渡辺貴裕さん(東京学芸大学)が教師の学びについて掘り下げていきます。


(1)オープン教育とは、従来からある様々な形式にこだわらず、子どもを能動的な学習者として認識し、尊重することを基盤として、子ども一人ひとりを大切にし、その子どもが主体的に学習するのを援助することです。
平野朝久,奈須正裕,佐野亮子,由良純子,夏目幸広,斎藤公俊著『オープン教育における子ども観,学習観,知識観の検討』東京学芸大学紀要.第 1 部門,教育科学,38 集,1987,p39-50.

(2)教育の出発点は一人ひとりの子どもであり、学びの主体者が子どもであるという教育理念。何かを実現するために子どもが存在するのではなく、固有名詞を持った一人ひとりの子どもが存在し、その子どもが学び、成長するために教育が行われる。したがって教育のあり方は、子どもの事実(内面の 事実)に基づいて考えられなければならない。(平野朝久編著『「はじめに子どもありき」の理念と実 践』東洋館出版社,2022)

(3)吉田新一郎 もともとの専門は都市計画。国際協力に関わったことから教育に関心を持ち、1989年に国際理解教育センターを設立。学習者主体の学び、学校づくりなどに関連する本を多数翻訳・出版している。岩瀬とは、共著で書籍を出版すると共に、ライティング・ワークショップ、リーディン グ・ワークショップの実践を日本に紹介するプロジェクトを共に企画、運営した。

(参考文献)
・清水穀四郎著『合科・総合学習と生活科』黎明書房,1989
・森直人著「第 5 章 個性化教育の可能性―愛知県東浦町の教育実践の系譜から」(宮寺晃夫編『再検討 教育機会の平等』岩波書店,2011)
・平野朝久編著『「はじめに子どもありき」の理念と実践』東洋館出版社,2022
・若林身歌・田中耕治「第 8 章 総合学習の変遷」(田中耕治編著『戦後日本教育方法論史(下)』ミネルヴァ書房,2017)


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岩瀬 直樹

投稿者岩瀬 直樹

投稿者岩瀬 直樹

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