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風越 参観記 2023年3月5日

「いつでもどこでも」とは異なる「今ここ」での経験~アウトプットデイに現地参加して~(渡辺 貴裕)

かぜのーと編集部
投稿者 | かぜのーと編集部

2023年3月5日

2023年2月21日に開催した、今年度最後のアウトプットデイ。軽井沢風越ラーニングセンターの共同研究者でもある東京学芸大学大学院の渡辺 貴裕さんが、当日の様子について寄稿してくださいました。開校以来、校舎でのアウトプットデイ参加は初めてだったという渡辺さんの目に、子どもたちやスタッフの姿はどんなふうに映ったのでしょうか。


風越のアウトプットデイに、今回初めて現地で参加した。これまでは、オンラインでモニター越しに参観した経験しかない。

そこで感じたこと。
それは、現地で見るのとオンラインで見るのとでは全然違うということ。
現地で見るほうが圧倒的に濃い経験になる。

もちろん、子どもの姿を生で見て声を聞ける、実物の展示物を見られるというのは大きい。

けれども、それだけではない
現地で見ることのよさは、それぞれの発表や展示が、風越の空間と結び付いてかけがえのないものとして行われていることを全身で感じられるということだ。

それはどういうことか。以下に書いておこう。

場所をめぐる=発表・展示をめぐる

アウトプットデイの発表や展示は、風越の校舎内のさまざまな場所を活用して行われる。
午前中、ある「ルーム」(教室)では、5、6年生の「サイレント劇」が上演されていた。テーブルを組んだ簡易ステージの上で、音楽にあわせて子どもたちが、動きや身振り手振りで演じる。そして、司会役の子どもが「何のお話でしょう?」と観客に問いかける。
同じ時間帯に別の「ルーム」では、9年生の「3年間の冒険」の劇。スポットライトに階段状の客席にと本格的なしつらえ。キャンプで悪さを繰り返す生徒が「神」と出会って改心するストーリーに、たびたび笑いが起きていた。


校舎内のオープンスペースでも発表や展示が行われる。
校舎1階の中央を走る空間「あさま軸」には、机が並べられ、詩や絵画、工作など、各自の作品が展示されていた。「道具を仕立てるプロジェクト」に取り組む男の子が調整したカンナまで。
2階の空中回廊には、3、4年生がさまざまなブースを出している。段ボール製のコリントゲームで遊べたり、手作り雑貨を買えたり。
そして、「あさま軸」の両端には、「あさまテラス」と「そうぞうの広場」という2つのステージ。子どもたち、さらにはスタッフや保護者らによって、楽器演奏や合唱、ジャグリングパフォーマンスやカラオケライブが披露される。

1階のあさま軸には子どもたちの作品が並ぶ

風越の校舎は、大きな吹き抜けをもつ開放的なつくりで、教室の壁もガラス張り。各スペースがゆるやかにつながっている。そのため、歩いていると自然にいろいろな様子が目に入り、音が聞こえてくる。
以前、私は風越の校舎を「街」と表現したが、アウトプットデイでは、「街」らしさが存分に発揮される(3、4年生らが出しているブースは、まさに「風越のまちづくり」のプロジェクトによるものだ)。街を散策するように、子どもたちがプロジェクトを通して生み出したものを見て/聞いてまわる。
場所をめぐることが、発表や展示をめぐることそのものになる。

1階を歩いていると、甘い匂いがした。理科室からだ。
思わず足を踏み入れる。
3、4年生の子たちが数人で、小型コンロにフライパンをかけてシロップを煮詰めてベッコウ飴を作っていた。ブドウ味とメロン味とイチゴ味。2階のブースで販売している「商品」の製造所。
匂いにつられて入るなんて、オンライン参観では絶対に起きない。

スペースの多様性とそれを活かす子どもたち

風越の校舎は、変化に富んでいる。スペースによって、光の差し方、広さ、天井の高さ、床の素材、段差などが異なる。
子どもたちは、それを活かす。

4m四方ほどのこぢんまりとした空間、「ホームベース」。
その1つで、「りんご」をテーマにした短い映像作品が上映されていた。7、8年生のテーマプロジェクト「挑戦と発見」の一環。
照明を落とした部屋に並ぶ3つのディスプレイ。それぞれが、りんごと人類との結びつきを象徴する、数秒から十数秒程度のモノクロ映像を流す。かじったりんごと(アップル社の)iPhone、木から落ちてきたりんごに当たる人、葉っぱ・蛇の画像を映す端末とそこに置かれるりんご。3つの映像が少しずつタイミングをずらしながら反復再生される。
狭い「ホームベース」の薄暗がりのなかでこれを目にすることで、よりいっそう凝縮された経験となる。

5年生の2人が取り組む「花火」のプロジェクト。
自分たちがどのように進めてきたか、理科室で薬品を示しながら説明したあと、外に通じるドアから出て、隣接する砂利スペースへ移動する。三方が校舎で囲まれたその場所で、トイレットペーパーの芯に火薬を入れた「花火」に着火する。
火花が噴き出す。歓声が起きる。白い煙が出て、風に煽られ見物人のもとに押し寄せる。どよめきが起きる。隣の理科室に戻って、説明の続きと質疑応答。「煙を減らすこと」「色を変えること」などの課題が語られる。屋内と屋外とのこうした自在な行き来は、普段から子どもたちが風越で行っていることでもあるだろう。アウトプットデイに来る人は、それも含めて体験する。

同じスペースでも、活かし方はいろいろだ。
音楽室にて、女子9人で「ベテルギウス」(優里)のアンサンブルを発表していた。隣の楽器庫にある木琴、鉄琴、アコーディオン、オルガン、小太鼓を使って。
同じ音楽室で、別の時間帯には、男子生徒3人による「グラスハープ」。7、8年生のテーマプロジェクト「挑戦と発見」で「音」を選んだ子たち。水を入れたワイングラスのふちを指で擦り、音を出す(水の量を変えて音階にしてあるらしい)。遮音性が高い部屋なので、音がよく聞こえる。部屋の電気を消してスポットライトでワイングラスの列に光を当てて、ミステリアスな雰囲気を醸し出している。

このように、それぞれの空間を活かして子どもたちが発表を行っているのを見ると、この風越の場での生活と学習が子どもたちに根付いていることを実感する。

「今ここ」での経験を分かち合う

物理的空間と結び付いたかたちで行われる、風越のアウトプットデイの発表と展示。
現地でそれを経験するのは、オンラインで発表を聞いたり見学したりしているときとは、全然違う感覚だった。
来る人は、発表や展示を、「いつでもどこでも」とは異なる、「今ここ」でしかできない出来事として経験する。子どもたちは、そのように「今ここ」でしかできない出来事として受け止めてくれる相手に向けて、自分たちの発表や展示を行う。

「アウトプット」というと、ともすれば、情報発信の同義語のように捉えられるものだ。けれども、風越のアウトプットデイは、むしろ、互いが生み出す出来事をかけがえのないものとして共有するような場だった。そしてその際、物理的空間との結びつきが意味をもっていた。

なお、今回、たくさんの発表・展示を見たなかで、ひときわ私の心に響いたのは、どちらかというと校舎の隅のほう、通称「緑階段」にてささやかに行われた、1年生の女の子5人による「スタッフ紹介」だった。
風越のスタッフにインタビューしてきた内容を、来場者に向けて紹介する。「ようこそ1年生!」のテーマプロジェクトの一環で、3月に年長さんに向けて行うものの前段階らしい。

5人が、段の上に並んで立つ。聴衆は6、7人。向かい側のベンチや床の上のマットに座っている。

女の子5人のうちの1人が、スタッフごとにインタビュー内容をまとめた画用紙を持ち、もう1人が、読み上げる。

「次は、『こいちゃん』(スタッフの呼び名)の発表をします。
好きなこと。絵を描くこと。
嫌いなこと。悪口、暴力。」

スタッフの紹介を、嬉々として話す。
紹介の内容は、さらに、

「なぜ風越に来たの?」
「風越に来る前は何の仕事をしてたの?」
「なんで○○(風越での呼び名)という名前にしたの?」

などへと続く。あるスタッフのときには、

「(風越に来る前は)ホテルで働いていました」

といった紹介に、見ている保護者から「へえ~っ」という驚きの声が上がっていた。

このやりとりに、私はなんだか強烈に感動してしまった。

それはおそらく、彼女らが「自分たちがスタッフから聞いたことを伝えたい!」という思いに突き動かされてしゃべっていることが話しぶりに現れていたからだし、また、彼女らが風越や風越のスタッフのことを大事に思う気持ちがそこにあふれていたからだ(なお、当初予定されていた発表は2回だったそうだが、お客さんから反応をもらえるのがすこぶるうれしかったらしく、しばらくして通りかかると、3回目をやっていた)。
ここでもやはり、物理的空間が、彼女たちの発表をアシストしている。
「あさまテラス」や「そうぞうの広場」ほど大掛かりな「ステージ」ではない。こぢんまりとした空間で、お客さんとの距離も近い。一方、普通の教室で単に前に出てしゃべるよりは、ちょっとした舞台になっていて、特別感がある。
飲み込まれず安心して取り組める、けれども自然にちょっと挑戦ができるような空間。
風越にこうしたスペースがあること、それを活かしてさまざまな活動が行われていることが、素敵だなあと思う。

開校3年目を終える風越に向けて

以上、私が風越のアウトプットデイに初めて現地参加した感想だ。

風越も、もう開校から3年目を終えようとしている。
率直に言って、風越のスタッフは大変だと思う。
決まった制度や慣習が多い一般的な学校では、もちろんそうした制約にフラストレーションを感じることも多いだろうけれど、一方、ある面では教師は、「今の学校の仕組みでは…」「与えられている教科書では…」など何かのせいにして、「逃げる」ことができる。

けれども、風越の場合、自由度が高く、その気になればいろいろなことができる(ように思える)ため、そのように何かのせいにして自分を守ることができない。目の前でうまくいかないことが起きたとき、その責任もそこからの脱却も、全部自分の肩にのしかかっているように感じられてしまう。これはしんどい。常に、「足りない」「できていない」感に追われる。

けれども、今回参加して痛切に感じたのは、今の風越は、風越という場で子どもや大人がかけがえのない出来事を生み出して分かち合うということに成功しているということだ。そして、そんな風越という場を子どもたちが大事に思っていることは、スタッフ紹介をする1年生の女の子らが示してくれた。
(私がわざわざ言うようなことでもないのかもしれないが)そのことに風越のスタッフはもっと自信をもってよいのではないか、と思う。

 

#2022 #アウトプットデイ

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かぜのーと編集部です。軽井沢風越学園のプロセスを多面的にお届けしたいと思っています。辰巳、三輪が担当。

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