2020年3月27日
2019年12月から始まったスタッフ研修で学び続けていることの一つに、ファシリテーションがあります。おもにプロジェクトアドベンチャーの分野でファシリテーターの経験が長い甲斐崎が実践型の研修を開催したり、ファシリテーターの青木将幸さん(マーキー)と1日を過ごしたり、毎日1日の始まりと終わりの場をスタッフが交代でファシリテートしてみたり。ここまでのファシリテーションの学びを紹介してみたいと思います。
まずは甲斐崎から「ファシリテーションってなに?」・「介入とリフレクション」をテーマに研修の場を2回持ちました。
ファシリテーションについての前提を共有したあと、甲斐崎がファシリテーター、他のスタッフたちが学習者となり、アクティビティ(活動)を体験。その後、学習者たちの間で何が起きていたか、ふりかえりました。
その後は、スタッフが交代でファシリテーターとなり、実際にアクティビティを考えてやってみる実践型の研修を重ねています。流れは次の通りです。
何度か回を重ねるごとに、ふりかえりやフィードバックで率直なやりとりできるようになったり、観察者の見とりの精度や感度に変化があったりと、手応えを感じる場面が増えているようです。
ファシリテーションとは、技術なのか。はたまた在り方なのか。あるいは、その両方?
なぜ、私たちはファシリテーションの必要性を感じているのか。スタッフそれぞれにとってのファシリテーションの捉えがありそうです。
手探りながら、それぞれに言語化を進めています。
「授業とファシリテーションと私」依田 裕子
「近くて遠いファシリテーション」井上 太智
「信じて、待つ?」馬野 友之
たとえば私(編集部・辰巳)にとってのファシリテーションとは。
事務局を生業にして間もない頃、よきファシリテーターとの仕事に恵まれました。自分のWantに正直でありながら、参加者との場を成立させていく不思議な人たち。彼らが自分の仕事に専念できるような事務局はどんな存在かを試行錯誤しているうちに、事務局の仕事にもファシリテーター的要素は持ちうることに気づきます。参加者や問い合わせへのメールでの対応は、なるべく相手が主体を取り戻せるような言葉や言い回しを心がける。ミーティングやプロジェクトを始めるときに、誰を巻き込むとよいかデザインする、などなど。また、チームや関係性に起きている文脈をみとり、適切なタイミングと手段で可視化する編集者としての働きは、ファシリテーションと近しい気持ちでいます。