遊びと学び 2018年12月22日

じっくり ゆったり たっぷり 遊ぶ

本城 慎之介
投稿者 | 本城 慎之介

2018年12月22日

来年度開設する認可外保育施設「かぜあそび」。その説明会を10月から12月にかけて開催しました。説明会の最終回では、終了後に焚き火を囲んで干し芋とするめを食べながら、ざっくばらんにやりとりする時間を持ちました(本当はその前日にも予定していたのですが、あまりの強風のため焚き火を断念!)。

まずは、絵本「あやちゃんの生まれた日」の読み聞かせからスタートです。

その後、近くに座っている方たち同士で、お子さんが生まれたときの様子やどんな気持ちだったかについて語り合ってもらう時間をとりました。
(以下、本城)

「幸せになってほしい」という願い

お子さんが生まれたとき、どんな気持ちでしたか。いろんな思い出がありますよね。そして同時にどんなかたちであれ、「幸せになってほしい」と願ったと思うんです。この「幸せになってほしい」という願いは、僕たちが軽井沢風越学園をつくるうえでも、ベースの思いとしてあります。

子どもが育つにつれ、僕たちは何かができるようになってほしい、こんな力をつけてほしいと望むこともあります。でもそれよりも、自分はどんなことに幸せを感じるのかを自分自身で感じとれるようになってほしい。自分自身だけでなく、一緒に生活する仲間や、まだ出会ったことのない人々、目の前にはいない同じ地球に暮らしている生き物、いろいろな生命とともに幸せになるってどういうことだろう?と考えながら、育ってほしいなと感じています。そしてその時に、その「幸せ」は、誰かと比較して幸せかどうかではなく、そして時代や社会に飲み込まれることなく、自分自身のものさしで「幸せだな」と感じられるようになってほしいと思っています。

紅葉の時期に黄色や赤に色づく木の葉を見ても、タイミングや色の具合は葉っぱによって様々です。一枚の葉の中でも、その色は一色ではありません。それなのにこれまでの社会の仕組みは、できるだけ同じタイミングで同じ濃さ、明るさ、形を求められてしまうところがありました。これからの社会はもう少し幅があってもいいのでは、これまで通りだと、その状況がしんどさを生むこともあるんじゃないか、と思っています。僕はこの10年、保育を通じて野外で子どもたちと接する時間が多くあり、生き物からたくさんのことを学びました。そして同じように生き物と接する子どもたちから僕が気付かされることもたくさんあります。

2018年10月23日付け信濃毎日新聞に、カラマツの“根返り”についての記事がありました。台風24号の強風の影響で倒木し停電を引き起こしたカラマツは、地面に対して水平方向に伸びる側根はあったが、垂直に伸びる直根が見当たらなかったというものです。植林されるカラマツは、直根があると作業工程の効率が悪いので、バサッと切ってしまう(根切り)。そのため重心が高く、強風で倒れて(根返りして)しまったのではないかという見立てでした。

僕は、「カラマツは根が浅くて倒れやすい木」とずっと思っていました。ところが、それは本来のカラマツではなく直根を根切りされたカラマツだということを知り驚きました。そして、そのことを学校づくりと関連させて考えてみました。「認知的能力」「非認知的能力」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。測りやすいIQのような学力を認知的能力と言います。それに対して、自己肯定感や自尊感情、やりぬく力、集中力、やさしさ、たくましさなど測りにくい能力を非認知的能力と言います。カラマツの直根を非認知的能力、側根を認知的能力と読み替えてみるとどうでしょう。

僕らは、幼児期・学童期はまずは直根を自分自身にしっかりと深く根ざすような体験の積み重ねを大切にしたいと考えています。安易に側根を伸ばさない。深く太く伸びた直根からは、やがてしっかりと広く側根が伸びていきます。2019年4月から始める認可外保育施設「かぜあそび」も、この直根が伸びる環境や関係を大切にしていきます。

じっくり ゆったり たっぷり

「かぜあそび」の保育で大切にしたいことのキーワードは、「じっくり・ゆったり・たっぷり」。「時間・空間・関係」を、「じっくり・ゆったり・たっぷり」過ごすことで、子どもたちの直根がしっかり伸びるような体験の積み重ねができるように、と思っています。45分や30分という時間を大人の都合で細切れにするのではなく、子どもがなにかに取り組んでいる時には、「じっくり」と集中できるような「たっぷり」とした時間を持つ。そうすると、他の子がお昼ご飯を食べ始めても、「これが終わってから食べたい!」ということもあるでしょう。そんな気持ちを大人も子どもも「ゆったり」と認めていく。時間と空間が「じっくり・ゆったり・たっぷり」と保証されていると、関係性そのものも安定し、豊かになっていきます。そうしたことが、子どもの体験の積み重ねに大きく影響するのではないかと考えています。そしてこのことは、幼児期だけではなく、小学校、中学校でも大切にしたいことです。

過不足なく関わる

このような保育をしようとする時、大人はどんな役割として在るのでしょうか。一つには、「過不足なく関わる」ことが大事だと考えています。何をするにも大人が誘導的に遊びを提案してしまうと、何かをやりたいという子どもの気持ちを損なってしまうことがあります。一方で、見守るという姿勢でいようとしても、もしかしたら、見過ごしていたり、見捨てていたりするようなこともある。「過不足なく」という塩梅は実はとても難しい。本当に適切に見守れているのか。手助けが必要そうな子には、どんな手助けがよいのか。過不足の度合いが、保育者としてはトレーニングを積む必要があります。

「かぜあそび」のフィールドには、いろいろな高さや大きさの切り株がいくつか集まっている場所があります。あるとき、初めて出会う3歳くらいの男の子が、そこの切り株に乗ろうとしていました。普段は切り株に乗るような体験をしていないと思われる子です。切り株を見て、登りたくなったんでしょうね。なにかあると登りたくなっちゃうんですよね。「おおきくなりたい」っていう気持ちと通じるものがあるのでしょうか。その彼が登ろうとした切り株は、彼の膝よりも高い切り株だったんです。大人でも自分の膝よりも高いところに登るのって難しいですよね。切り株ですから、ぐらぐらします。危ないっていうのはなんとなくわかってるんです。でもね、登ろうとするんです、何度も。足をかけてはやめ、また足をかける。片足がかけられたとしても、もう片方の足を地面から離した瞬間に、きっと切り株はグラっと倒れて、彼は転び泣いちゃうだろうな…とは思いました。でも、周囲の状況からすると、おおきな怪我にはならなさそう。そう判断し、そのまま様子を離れたところから見続けました。何度も挑戦した後、彼はその切り株に登るのに区切りをつけ、そのすぐそばにあった半分くらいの高さの安定した切り株を見つけて、その上に登ったんです。そして「登れたぞ!」という満足そうな表情で切り株の上に立っていました。どんな景色が見えたんでしょうね。

さて、こういう場面でも、いろいろな大人の関わりはありえます。「転んじゃいそうだから、こっちの切り株のほうがいいんじゃない?」と提案してみる。手をつないだり、抱っこしたりして高い切り株に登らせてあげる。半分の高さの切り株に登れた時に「登れたねー、すごいねー」と声をかける。いま挙げたような関わりは、どれも僕には「関わり過ぎ」のように見えます。自分で切り株を選び、挑戦し、諦めることを自分で決め、次の挑戦の場を選ぶ。そして、一人で満足する。こんな時、大人はおおきな怪我がないように黙って見ていれば十分だと僕は思います。「過不足なく関わる」ことは、とてもバランスが難しいことで、スタッフの個性とも関係します。まずは毎日どのように変化しているか、子どものことをよく観察する。そしてスタッフ同士で日々、関わりの度合いについて、ふりかえったり確認しあったりすること、保護者の方とも分かち合いながら一緒に子育てしていくのが大事かなと思っています。

もう一つ大人の役割として大事にしたいことは、「環境を(整える)」です。かっこつきで整える、としているのは、しっかりと環境をつくりすぎても、子ども自身がつくる喜びを味わえなくなると考えるからです。きっかけが生まれ、余白を残すように環境を整えるイメージです。「かぜあそびの日」の昼食は、その時の天候やメニューで食べる場所が変化します。テーブルや椅子の準備では、子どもの力もたくさん借ります。椅子替わりのビールケースは子どもも運べるので、「力持ちの人、お願いします」と呼びかけると、張り切って運びます。「わたしが運んだビールケース」「力をあわせて運んだテーブル」と環境を自分たちでつくったという実感が生まれます。大人が何を整えて、何を整えないかを見極めることも大事にしたいと思っています。

どんな保育?

これから4月までに本格的に準備を始めます。現時点で考えている保育については4点あります。
1点目は、野外と室内のバランスです。野外の良さはもちろんありますが、室内のほうが適している活動もあります。絵を描いたり創作活動をする時には、野外は風や雨、寒さのせいで集中できないことがあります。野外だけでなく、室内や東屋を使いながら1日を過ごします。

2点目は、静と動の両方を大事にします。野外でも雨や風の音を聴く、虫や植物をじっくり観るなど静的な時間はつくることができます。室内で、心が大きく動くこともあるでしょう。

3点目に、絵本と歌。たっぷり読み・歌って楽しみたいなと思っています。朝と帰りに1冊ずつ、年間200日の登園日とすると400冊の本と出会えます。本と出会うことは、たくさんの世界や価値観、感覚と出会うこととも言えます。また読み手であるスタッフの個性もあらわれるので、子どもたちと保育者が出会っていく時間とも捉えています。歌や手遊びは、子どもたちの気分を変えたり、勇気づけたり、悲しい思いを歌に乗せることもあるかもしれません。ピアノやギターなどの楽器がなくても、声や体が楽器になりえます。

4点目は、素材と道具を使うことです。なにかをつくる喜びを積み重ねることで、新しいものを買って済ませるではなく、新しくつくる、今あるものを修理するという感覚が育ちます。子どもの育ちにあった道具を使いながら、自然物、ひも、新聞、ダンボールやペットボトル、毛糸などさまざまな素材をたっぷり用意して、自分の力で何かをつくることの喜びを感じる機会を増やしたいと考えています。

危なさと共に生きる

野外には危険がたくさんあります。例えば、このフィールドにはオオスズメバチがいたり、触れるとかぶれるツタウルシがあったり、毒のあるマムシグサという植物もあったりします。そうした危険を排除して安全にするのではなく、そういう危険の存在を意識しながら安全に生活できる知恵や工夫を伝えていきたいと考えています。ちいさな3歳くらいの子どもでも、どんなこと、どんなものが危ないか、どうやったら身を守れるかを、生活する中でどんどん学んでいきます。また、子どもが安全や危険の意識を高めるには、大人の関わりも大事です。例えば、子どもが木や岩などの高いところに登ろうとしているときには、大人が代わりに抱っこして登らせてあげることはするようなことはしません。自分の力で登っていれば、落ちそうになった時も自分の力で身体を支えられます。しかし大人が登らせてあげてしまうと、自分の身体を支え切れずにあっという間に落ちてしまいます。自分自身の身体をしっかり使うことで、自分の手の長さや力、足や背の届く範囲などを知り、体験を通して身の守り方を学んでいくのです。

大切にしたいと思っていることを大切にし続けるのは難しいことだとも思っています。ふとしたときに、大切にしたいことを確認し続ける文化もあわせてつくっていきたいと考えています。「かぜあそび」を子どもたち、保護者の皆さんと共に来春からつくっていけるのが、本当に楽しみです。

*認可外保育施設「かぜあそび」の入園申込みは終了いたしました。

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本城 慎之介

投稿者本城 慎之介

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何をしているのか、何が起こっているのか、ぱっと見てもわからないような状況がどんどん生まれるといいなと思っています。いつもゆらいでいて、その上で地に足着いている。そんな軽井沢風越学園になっていけますように…。

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