2018年8月18日
『ぎんぎんあそべ かんかんあそぼ』(梅田俊作・梅田佳子、岩崎書店)
(アマゾン) (楽天ブックス)
お盆が過ぎ、軽井沢はぐっと涼しくなりました。空の雲の姿も夏から秋へと変わりつつあります。長野県は8月20日過ぎから始業式になる学校が多いので、子ども達も夏休みの宿題の追い込み中。まさに今、僕がこの原稿を書いている横でも、小5男子が「夏休み帳」なるものに苦労しています。
それにしても今年の夏は暑かった。サマースクールの最中も、容赦なく最大出力で照りつけてくる真夏の太陽。そのエネルギーを全身にたっぷり浴びながら、この一文から始まる絵本を思い出していました。
あさから まなつの たいようが「ぎんぎん あそべ、かんかん あそぼ」と、てりつけている。
そう、夏の太陽は「あそべ、あそぼ」と僕らを誘っている。いや、夏の太陽だけじゃない。「もっとあそべ、もっとあそぼ」と風や雲も、水や土も、木や草や花も、虫や鳥も、スイカやトウモロコシも…。たっぷりその誘いに乗った子ども達とたくさんの生き物との関わりが描かれているこの一冊。捕まえたトンボに糸を括りつけ、カニに手を挟まれ、ヘビを捕まえて振り回し、カブトムシを探しに森の奥に出かける。それと同時に、妹が生まれ、夢にうなされ、体調を崩し、そして木から落ちて…。夏休み中の子どもの姿が、絵日記と共に描かれています。
子どもと生き物の関わりを見ていると、「かわいそう…」「死んじゃうよ!」「逃がしてあげたら?」と声をかけたくなることがありませんか? 森のようちえんで保育者として子どもに関わっていた4年前の夏。こんなことがありました。
崖で地面に落ちているセミを見つけて「土の中から出てきたセミだ!」と喜んでいる5歳児の俊太。「見せてー」と4歳児の晴人、創介、そして3歳児の悠大が駆け寄る。実際は、土の中から出てきたのではなく、その逆でもう寿命で飛べない状態なのだが、そのことは伝えずに少し離れて様子を見守ることにした。一向に飛ぼうとしない動きが鈍いそのセミを、なんとかして飛ばせてあげようとしている。木に捕まらせたり、葉っぱの上に置いたりといろいろ試してみる4人。そのうち、「投げてみたら飛ぶかも!」と崖の上から投げては、落ちたセミを探して、また空に向かって投げる。それを何度も繰り返している。残酷に見えるかもしれないけれど、彼らはセミをいじめているのではなく、必死に飛ばせようとしているのだ。そのうち、手の平の上でピクリとも動かなくなったセミをじーっと4人で見つめ、命尽きたと理解したのだろう。俊太「お墓つくってあげよう。」 晴人「お花持ってくる。」 創介「葉っぱ持ってきて一緒に埋めてあげる。土の中で食べるかもしれない。」一緒にお墓づくりに加わる一番年下の悠大。彼らが次に同じような状態のセミに出会った時、どんなふうにするだろうか。「セミさん、ありがとう」な気分で、一緒にお墓づくりに僕も加わったのでした。
大人のちょっとした一言で、子どもの貴重な経験や機会を奪わないようにしたいものです。
さて、我が家の本棚には梅田俊作さん・梅田佳子さんコーナーがあるくらい、お二人が描く情景が僕は大好きです。夏休みをテーマにしたお二人の絵本には、今回紹介した『ぎんぎんあそべ かんかんあそぼ』以外にも、『こんにゃろ!とうちゃん』、『ばあちゃんのなつやすみ』もあります。もうね、お二人の作品はどれもこれもおすすめです。
それにしても、夏休み中くらいは「あそべ、あそぼ」という誘いに、日本全国もっともっと思い切り乗ってみたらいいのに、と思うのです。たっぷり遊んだその先には、たくさんの大切なことがあるような気がするんです。夏休み帳の先に、僕には何も見えないんですよね…。
急がば遊べ。もっともっと遊ぼう、僕も。
何をしているのか、何が起こっているのか、ぱっと見てもわからないような状況がどんどん生まれるといいなと思っています。いつもゆらいでいて、その上で地に足着いている。そんな軽井沢風越学園になっていけますように…。
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